紅葉の季節に思う頃
先日、すやさんの栗きんとんをいただいてから、妙に和菓子に気が引かれるようになりました。一日のうちで、和菓子か、洋菓子か、パンか、ごはんか、と比較してみると、圧倒的に和菓子を想っている時間が長いのです。ケーキ、パン、ごはん、浮気してごめんなさい。
しかし、高鳴る鼓動は抑えることはできません。一度火が着くと、後は燃え上がるのみ。私の脳髄では、もち米、あん、和三盆、など、和菓子に関係したことばが渦巻きます。圧倒的な力を以って和菓子に侵蝕されました。これはもう、恋煩いならぬ「餡煩い」と言えるでしょう。
こうなりましたら、和菓子一直線です。
ですが、先日、すやさんの高級和菓子をいただいたばかりです。そうそう、頻繁に百貨店で売られているような高級和菓子を口にするわけにもいきません。歯止めを利かせて、近所のスーパーに向かい、パック入りの並級和菓子を手に取りました。
スーパーのワゴンの中に置かれているような並級和菓子は、いいですね。「普通の暮らしに潤いを、いつもの味蕾に甘味を」というくつろいだ姿勢に好感が持てます。
何種類かある並級和菓子を手にとって検分しておりますと、おや、と思う並級和菓子に出会いました。
季節にとらわれない自由な姿勢です
パッカン、と開けるタイプの容器に入った並級の桜餅です。
木々の葉が紅く黄色く色付こうという季節に、桜餅。この辺りにも「TPOはそれほどお気になさらなくても構いません。お久しぶりに、ちょっと、わたくしなどは如何でしょうか?」という、くつろぎすぎとも思えてくる気軽さで、語り掛けてきます。ここに、好感の他に何を思うことがありましょうや。
私の心を撃ち抜いた、この「パッカン桜餅」は、そのまま、腕に提げていたスーパーマーケット籠に納まり、数枚の貨幣分の対価がお財布から出立して、レジ袋に納まり、急いで帰り、手を洗うのももどかしく、ようやく、パッカン、の運びとなりました。
一枚だけ…
お店で手に取ったときには、餡煩いに浮かされた頭で気付きませんでしたが、家でパッカンとすると、桜餅の金バッジともいえる、あの塩漬けの桜葉は三つのうち一つにしか張り付いていませんでした。
「うーむ、さすが並級和菓子。こういったところで手の届きやすい価格設定にするための工夫をしたか」
と、うならされます。
葉っぱをはがさなくても二種類味わえると考えれば良いでしょう
パッカン、とすると、あのしょっぱ甘い香りがふわりと脳髄を刺激します。「あぁ、そうそう、甘いだけじゃない味だったんだよなぁ」と、半年前の記憶が蘇り、周囲には、ほんのりと頬を染めたような花びらが舞い始めます。このような時、真反対の季節の雰囲気でも導き出すことができる「食の記憶の力」は偉大だな、と思わずにはいられません。
この餡に煩わされていました
くろもじで、お米が柔らかめに半つぶしになったお餅を割ると、中から、ぽてり、としたこし餡が姿を見せました。これです、これ。最近の私を煩わせていたのは、この餡だったのです。もう、ここまで来たら遠慮はしません。いただきます。
並級和菓子の、肩の力が入っていない作りと、浅瀬ではしゃぐような気軽さで込められた甘み。
はじめは、桜葉が付いていない一個を半分ずつ二口で、次は加速が付いて、桜葉が付いているものを一口で。私は桜餅の葉っぱは、はがさない主義です。最後にまた一口で桜葉が付いていないものを。どれも、お味は「いつものやつ」というものです。甘い、しょっぱい、もっちり。それで済ませておいて、これ以上は深く考えなくても良いと思います。深く考えたら、かえって並級桜餅が遠慮をしそうな気がします。
それにしても、今から一番遠い季節を味わえたのは、嬉しかったです。現時点では、実際にそれを経験できない、コートを小脇に抱えて、花舞いの中を歩いているような感を覚えたのは、本当にそれをするのと同じくらいに、心に沁みるものがありました。ありがとう、並級桜餅さん。
でも「餡煩い」は小ぶりの桜餅三つでは治まらず、別にワンパック買っていた六個入り並級クリーム大福を平らげてたらふくたらふく、と相成り、煩いも完治しました。
・商品データ
商品名:丸皿 桜餅
価格:¥100(近所のスーパーマーケット価格)
商品名:クリーム大福
価格:¥100(近所のスーパーマーケット価格)
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