2020.03.27

二人の妻の見分け方 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(3)

 今は昔。京に住む使い走りの男とそいつの妻の話だ。ある日の夕暮れ、妻が「ちょっと、そこまで出かけてくるから」って大路へ出かけってった。そのあと、どんどん外は暗くなってくのに、帰ってこない。ほんの先も見えなくなってもね。だから、男は「遅すぎるんじゃないか?」って気がかりでしょうがなかったんだけど、少ししたら、妻は、ふらっと何もなかったみたいに家に入ってきたんだ。
 でも、しばらくして、男は何が何だか分かんなくなるくらいにびっくりした。ついさっき帰ってきた妻と、まったく同じ顔、頭から足の先まで全く同じ姿の女が入ってきたんだよ。男は「二人の妻」を見てるうちに、頭がぐるぐる回ってこんがらがってきた。
「なんなんだよこれ! ……うーん、どっちか一人は狐なんかが化けたやつだろう」
 って考えたんだけど、でも、どっちがどっちか。間違いなくこっちが己の妻だ、っていうのがまるっきり分かんない。あれこれさんざん考えてから、
「後に入ってきた『妻』のやつが、きっと狐だろう」
 と思って、すぐに、男は刀を抜いて、そっちの「妻」に飛びかかって切り捨てようとしたんだ。そしたら、その「妻」が、
「どうしてっ! なんで私にそんなことを!」
 と声を上げて泣き出したもんだから、男は向きを変えて、次は、先に入ってきた「妻」を切ろうとした。やっぱりそっちも、もう一人の「妻」と同じようなことを言って、手のひらをすり合わせて、わんわんと泣き出してしまった。
 「二人の妻」が大騒ぎして、男はどうしたらいいか、もっと分かんなくなって、三人揃って、ああだこうだと騒いでいるうちに、頭が煮えてしまったんだろうな、そのうち、「やっぱり、前に入って来た『妻』が怪しいな」って思えてきたから、そっちの「妻」に飛びかかってひっ捕まえた。
 そしたら、その「妻」が、そりゃあ酷く臭いおしっこを、びゃーっ、と霧みたいにして、男に引っ掛けた。
 あんまり臭かったから、男は堪えきれなくて、捕まえていた手を離したんだよ。そしたら、おしっこを引っ掛けた「妻」は、ぱっと狐の姿に戻って、開けっ放しになってた戸から大路に飛び出て、「コン、コン」と鳴いてから、暗闇に消えていった。それを見て、男は腹立つし、悔しいし。けど、そうなったらどうしようもないよね。
 この話、落ち着いて思ってみると、男はちょっと考えが足りなかったんじゃないかって。だって、少し頭を働かせたら、二人の「妻」をどっちも捕まえて、柱にでも縛りつけておけば、そのうち、狐が音をあげて元の姿を現したんじゃないかな。それが出来なかったどころか、思い付くことさえなくて、狐をあっさり逃がしてしまったんだから、そりゃ、悔しいよ。近くの家の人たちも集まってきて、大騒ぎしながら、
「狐のやつ、しょうもないことするなあ。命がけでするようなことじゃないのに。でも、なんとか生きて逃げることができたわけだ。おおかた、妻が大路を歩いているのを見て、だましてやろうって軽く考えて、化けて来たんだろうな」
 なんて話したんだってさ。
 この話で思うとしたら、同じ人が二人いるなんて、おかしなことが起こったら、慌てないで心を落ち着けて、しっかり考えないといけないってことかな。「あやうく、己の妻を殺しかかったんだよ。そうならなかったのは、たまたま幸いだっただけ」
 そんなことを、みんな言い合ったって語り継がれてるよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第39話「狐、人の妻の形と変じて家に来る語」の現代語訳です。
 巻27は「本朝付霊鬼」という副題が付いているだけあって、亡霊やら鬼やらが出てくる、恐怖の血みどろ話が続きます。ところが、後半に入ると、猪や狐といった動物も出てきます。これは、編者が、何だかよく分からないものや正体を隠すものをひっくるめて「霊鬼」の巻に入れたと思われます。
 この話は、狐が、ある男の妻に化けて来て、逃げ去るまでのことと、狐対策が書かれています。これ、「化けて出て不思議だね、しっかり考えて気を付けようね」というよりも、始めから終わりまで全て「行動も考え方も乱暴すぎる」と思ってしまいます。男は何の根拠もなく、後に入ってきた方が狐だ、いや、先の方だと考えてたり、いきなり刀を抜いたり(刀で反射させた光が怪しいものを追い払う力を持っていると考えられていたとしても)、狐の逃げ方が排尿だったり、近所の人の感想だったり、二人の妻をどちらも縛り付けてればよかったのにというのも、運が良かっただけだねというのも、全部が乱暴です。でも、その乱暴な考え方をストレートに書くことで、人間臭さを浮き彫りにしているようにも思えます。
 臭いと言えば、妻に化けた狐の逃げ方です。ある種の動物が、ピンチを回避する時に悪臭を出すこともある、という話は知られています。ただ、この話でその流れをまとめると、
 1.男が、先に入って来た妻を拘束する。
 2.捕まえられた妻が尿を放つ。
 3.男に尿が掛かる。
 4.臭過ぎて男が手を放す。
 5.狐が正体を現して、逃げる。
 です。
 2と3の場面は、原文に「其ノ妻、奇異ク臭キ尿ヲ散ト馳懸タリケレバ」とあります。狐に戻ってからではなく、妻の姿に化けたままで、それをしてます。なかなか強烈な絵面です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号483の3行目がその箇所です(巻27第39話は482から483に書かれています)。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「臭キ」ではなく「臰キ」と書かれています。「臰」が正しく表示されていないかもしれません。Unicodeでは、"U+81F0"の漢字です。

 「Unihan data for U+81F0」
 http://www.unicode.org/cgi-bin/GetUnihanData.pl?codepoint=81f0

 原田宗典さんがエッセイで、「『臭』という字は『自らの大』と書くから、『くさい』が伝わってくる」というようなことをお書きになっていたように記憶しています(今、手元に原田さんの本を置いていなくて、どの本かを確かめられません。申し訳ないことです)。『鈴鹿本 今昔物語集』の「くさキ」は、「『自』らの『死』」の「臰キ」なのですから、とんでもないにおいだったのでしょう。「Unihan data for U+81F0」の「kJapaneseKun」の項目を見ると「KUSAAI」とあります。「くさあい」です。伝わってきます。
 ちょっとだけ文法。
 化けた狐の対処方法は「二人ノ妻ヲ捕ヘテ縛リ付テ置タラマシカバ、終ニハ顕レナマシ。」とあります。「Aましかば、Bまし。」は、「もし、Aだったら、Bだったのに。」と、実際にはそうならなかったけど、というのを表します(「反実仮想」と呼ばれてます)。英語の「仮定法過去」の、面倒臰いあれみたいなものです。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『新英和中辞典 第6版』 研究社 竹林滋・吉川道夫・小川繁司編 1994年11月
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/29
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2020.03.23

手招きが恐れるもの ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(2)

 今は昔の話でございます。桃園というところ、ここは世尊寺があるところでございますが、お寺が建つもっと前は、西宮の左大臣、源高明さまが住んでいらっしゃいました。これは、そのころのお話です。
 寝殿の辰巳の方にあった母屋の柱には、木の節が残っていました。それがある日、ぽろっと落ちて、穴が開いたのです。柱にできた穴ですからさほど深くはない、はずでした。しかし、夜になると、小さな子の手がすうっと伸び出て、人を呼び込むように手招きをするのです。
 高明さまはこれをお聞きになると、とても驚き、怪しいことだとお思いになりましたので、その穴の上に、経文を結わえさせました。ところが、全く変わらず、節穴から手は伸び、人を招きます。それでは、と次は仏さまのお姿を彫ったものをその柱にお掛けになりました。しかし、何事も無かったかのように、手は伸び、人を招きます。二晩、三晩の間を空けて、真夜中、人々が寝静まる頃合いになると、中へ迎え入れるかのように、節穴から小さな子の手は現れ、人を招きます。
 そのようなことが続いた夜、ある人が、少し試しに、と矢を一本、穴に入れてみたのです。すると、矢が刺さっている間は、手が出てこなくなりました。その後、矢の幹を抜いて、鋭くとがった矢先だけを穴の奥深くに打ち込むと、招く手が出てくることはぴたりと止みました。
 この話を思うたびに、もやもやしてしまうのです。人を招く小さな手、などというのは、何かのものの霊がすることでしょう。それでしたら、お経や仏さまのお力で払うことができるはずです。なのに、武士の使う矢が効いたのですよ。これでは、仏さまよりも、矢のほうがありがたく力が強くて、霊は恐れているということではありませんか……。話を聞いた人たちはみんな、こんなおかしなことは無い、と語り継いでおります。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第3話「桃園の柱の穴より指し出づる児の手、人を招く語」の現代語訳です。
 ひとつ前の第2話は、源融の霊に対応した宇多院の強さが語られています。そちらは「普通は仏教の力が物の怪を退治するけれども、ことばだけで追い払う帝王の力も同じくらいすごい」というような言いっぷりで、「それなら、まだ理解できる」と思っている様子でしたが、第3話は「なぜ、どうして、分からない!」と驚きに満ちた終わり方になっています。人を招く小さな手は、源融のように権力を持った人に由来していません。招く手の正体は「者ノ霊」、つまり「何かの霊程度」と書いていて、かなり侮っています。そんな大した存在ではないはずなのに、お経が書かれたお札が効かない、仏像も効かなかったのです。
 そんな招く手に、最終的に効いたのは、「或ル人」が試した「征箭ノ身」(矢じり、矢先)でした。名前も伝わっていない人が使った武器の一部のほうが、お経や仏さまよりも効いたのです。仏教説話集を取りまとめているなか、仏教の力が全く効かない話を知った時、編者はどのように感じたでしょう。混乱するだけだったかもしれません。原文では、
「其ノ時ノ人皆此レヲ聞テ、此ナム怪シビ疑ヒケルトナム語リ伝ヘタルトヤ」
 と、この事件があった当時の人が驚いたように書かれていますが、実のところ、これは編者自身の驚きで、
「此レヲ思フニ、心不得ヌ事也」(この話を思うと、納得できないのです)
 が、編者の率直な思いでしょう。
 仏教説話集を編んでいる人にとって、この話は「都合の悪いこと」です。できれば、見なかったことにしたい、書き残したくないはずです。それなのに、巻27の初めのほうに入れています。編者は見過ごせなかった、あるいは「好奇心が勝った」のかもしれません。
 このように、編者の好奇心が突き動かされたのは、自分の周りの雰囲気に影響を受けた可能性もあります。『今昔物語集』は12世紀の前半に書かれたとされています。日本史に重ねると、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)の直前です。公家の時代から武士の時代へ移りつつある世の中を肌で感じていたからこそ、編者は、過去の話を引き合いに出して、仏教に勝った武力・戦闘力の話を無視せず、書き入れたと考えられます。

 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』には、画像通し番号444に、この話が書かれています。この話の冒頭に当たる7行目を見ると、「本ハ寺ニモ无クテ」とあります。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 操作画面の右端の「≪MORE INFORMATION」をクリック、タップしてみてください。写真に書かれているものを文字データで見ることができます。先ほどのところは「本ハ寺ニモ無クテ」になっています。「無」と「无」の違いです。言い換えると、「無」と「无」は意味が同じで、書き方が違うだけです。
 現代語では、「む」「ない」を漢字で書くときは「無」が使われます。「それじゃ、『无』は消え失せてしまったの」かというと、そうではなく、なじみ深いものに姿を変えて私たちの身近にいます。「无」をくずし字にしてできたのが、ひらがなの「ん」です。「ム」=「無」=「无」=「ん」ということになります。
 このつながりを踏まえると、任天堂のゲーム『ファイアーエムブレム』を「ファイアーエンブレム」と書き間違えるのは仕方ないことと思えます。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 別冊國文學『今昔物語集宇治拾遺物語集必携』 學燈社 三木紀人編 1988年5月1日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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2020.03.22

居座る霊を圧倒した声音 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(1)

 今は昔のお話しでございます。河原の院は、もともとは、左大臣源融さまがお造りになり、住んでいらっしゃったお屋敷で、そこはたいへんに趣深い造りになっていました。例えば、陸奥の国の塩釜に似せた池を掘り、海の水を汲み入れて、満たしたとか。これだけでも見ものでありますが、ほかにも、雅やかな目を見張らんばかりのこしらえをして、日々を過ごしておられたということです。
 左大臣が亡くなったのちは、息子の昇の大納言さまが、宇多院にそのお屋敷を差し上げました。こうしたいきさつで、宇多院が河原の院にお住みになったのです。時折、御子であらせられた醍醐帝が行幸なさり、お屋敷の内はそれは素晴らしい気色であったようです。
 そのように、宇多院がいらっしゃった時の、夜中の頃合いに起こったことでございます。西の対の屋、塗籠の戸を開き、さらりさらりと衣擦れの音とともに歩き来る、なにかの気が起こりました。院がそちらをご覧になると、束帯をぴしりと着た人が、太刀を帯び、笏を手に取り、二間ほど離れたところで畏まっていたのです。院はその人に、静かに短く問われました。その人は畏まったまま申し上げます。
「おまえは何者だ?」
「この家の主の年寄りでございます」
「融の左大臣か?」
「さようでございます」
「何故来たのか?」
「ここが我が家でございますので、住んでおります。こうして院がいらっしゃいますと、心が縮こまり、身の置き所に困っております。いかが致せばよろしいでしょうか?」
 すると、院はさっと厳しいお顔付きになられ、
「ほう……、それは、おかしなことを言うものよ。私は人の持っていた家を奪い取って住んでいたか? 融の左大臣の亡き後、その子が譲ってくれたから住んでいるだけであろう。ものに過ぎない霊ではあるが……、この世の中の理を分からず、なにゆえそのようなことを口にするか!」
 と、声音高らかにおっしゃいますと、霊はふっと消え失せました。このことがあってから、融の左大臣だという霊は、ふたたびは現れなかったのです。
 その時のひとびとは、院のお振る舞いを耳にして、恐れ多く思い、
「やはり、院は、そこらのただの人とは違っていらっしゃる。あの融の左大臣だったという霊に会って、このように真っ向からお話しできる人などいない」と語り伝えられております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第2話、「川原の院の融の左大臣の霊を、宇陀の院見給ふ語」の現代語訳です。
 『今昔物語集』は仏教説話集ですので、怪異のものを、仏様やお坊さん、お経が払いのけるなどして、人を救う話が多く収められています。しかし、「世俗部」と呼ばれている巻にはそれに当てはまらない話も、これまた、たくさんあります。今回訳した巻27第2話は宇多上皇が源融の霊を叱りつけて引き下がらせています。しかも、「所有権は正しく譲渡された」と、当たり前の理由を突き付け、霊は「確かにそうです。申し訳ありません!」と、宇多院の発言を認めたかのように消え失せるのが興味深いところです。
 ただ、誰もがそうはできないよね、という感想が終わりに書かれています。説話に出てくる霊の力は、生前の地位や知性にだいたい比例します。源融は、嵯峨天皇の第十二皇子で左大臣、勅撰和歌集に4首(その中の古今集の1首は、小倉百人一首の第14番歌に収められています)入るほどのスーパー時めき給うお方ですので、ふさわしい霊力を持っていたはずです。それほどの霊を、冷静に理詰めでさっさと退散させた宇多院は「もっとすげえ!」と話を締めているところが、仏教説話集でありながら、それだけではない「今昔物語集」の面白さです。
 巻27は、京都大学付属図書館の「貴重資料デジタルアーカイブ」で、現存する最古の『今昔物語集』=『鈴鹿本 今昔物語集』の全文を写真で見ることができます。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「川原の院の融の左大臣の霊を、宇陀の院見給う語」は、画像通し番号443から444にかけて書かれています。古い本を見慣れていない方でも、思いのほか読めるのではないでしょうか。くねくね文字ではないですし、漢字がぱっと目に入るような書かれ方がされています。『鈴鹿本 今昔物語集』は、漢字で書けるところは可能な限り漢字で書き、そうではない箇所(活用語尾や、助詞、助動詞など)は小さくカタカナ書きをするスタイルになっています。
 カタカナにもう少し注目してみましょう。カタカナは右寄せで小さく書かれます。通し番号443の右から16行目にある「微妙カリケリ(めでたかりけり)」のように、カタカナ部分が長くなる場合は、1行を半分に割って、カタカナを2行にして詰め込んで書くこともあります。
 もう一か所、17行目、先ほどの「微妙カリケリ」の左上を見ると、「人ノソヨメキテ」と書かれています。「人ノ」の「ノ」は助詞ですので右に小さく書くスタイルが当てはまります。ところが、続く「ソヨメキテ」は、着ている衣の擦れる音や気配がする、という意味の動詞「そよめく」に、助詞「て」がくっついたものです。活用語尾、助詞、助動詞をカタカナで小さく書くというスタイルに、「そよめ」の部分が合いません。これは、「そよめく」ということばを漢字で書くことが不可能だった、「そよめく」に当てはまる漢字が無かった、それで仕方なくカタカナスタイルにしていると考えられています。
「『そよめく』……、衣擦れを表すあのことば、普段使っている『そよめく』に漢字が無い! あー、もう! カタカナで書くしかないじゃん!」
 と思ったかどうかは分かりませんが、このような箇所にぶつかるたび、スタイルを乱さずに書いていた編者(「今昔物語集」の場合、「作者」ではなく「編者」と呼ぶことが多いです)は、ちょっとは、イラッとしたのではないかな、などと想像がかきたてられます。
 こうして、現代に出版されている本の祖先である、昔々に書かれた元の本を見ると、編者の苦労が、手触りのようにして感じられると思っています。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編 2003年1月20日
 別冊國文學『今昔物語集宇治拾遺物語集必携』 學燈社 三木紀人編 1988年5月1日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/30
 誤字を修正しました。

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2012.01.31

平安時代的超撥水加工技術

 今は昔のお話し。小野宮の太政大臣、藤原実頼さまが饗宴をなさいました。その時は、九条の右大臣、藤原師輔さまが主賓でいらっしゃいました。
 饗宴の引き出物は、女物の装束ひとそろいでした。前駆がそれを持って出ようとしたところ、ふと、何かのはずみで気が逸れたのでしょうか、装束に添えられていた紅の砧打ちの細長の衣が、するり、と手元からこぼれ落としてしまったのです。しかも、その衣は遣水の流れの中に落ちてしまいました。
 前駆は慌てふためきながら、その衣を遣り水から引き上げて、はたはたと振りました。すると、ぱっ、と水は細かく飛び散りました。なんと、それだけで衣はすっかり乾いていたのです。水に浸った方の袖は、少しもその跡を残さず、濡れなかった方の袖と見比べてみても、全く同じように砧打ちの文が浮き上がっていました。この有様を見た人たちは、細長の衣の作りの素晴らしさを褒め称えたのです。
 昔は、砧打ちのものもこのように良い出来でした。今ではお目にかかれないこと、と語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻二十四・第三話「小野の宮の大饗に九条の大臣、打ち衣を得る語」の現代語訳です。
 接待役の前駆が、不注意で衣を水に落としたけれども、あっという間に乾いた、昔の技術は凄いなあ、というお話しです。『今昔物語集』にたまにある「昔は良かった」系の語りです。
 引き出物は装束一式、礼服ひとそろいでしたが、水に落ちたのは「細長」だけでした。細長は、日常的な羽織りものです。そんな普段着でも、良い作りをしていた、昔は凄かったなあ、という、これもたまに出てくるタイプの語りです。
 今年は、ロンドンオリンピックが開催されます。近年は、オリンピックは選手諸氏の技能と共に、選手が着用する衣類、使用する道具類の技術も注目されるようです。陸上選手のスパイクや、チーム競技のユニフォームがよく知られています。前回のオリンピックでは、高速水着が話題になりました。
 超撥水加工、ちょっと振っただけで、水分を全て無くしてしまう繊維技術。平安時代の職人さんがこの時代にやって来たとしたら、記録が塗り変わる、かも、知れません。


 『今昔物語集 四 (新日本古典文学大系36)』 小峯和明校注 岩波書店 1994/11/21 ISBN:4002400360
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2011.12.29

月の兎は跳びはねない

 今は昔のお話しですよ。天竺に兎、狐、猿、三匹の獣がいました。この獣たちは、共に、心の底から仏の道を求めて、悟りを得るための修行、菩薩道ですね、その行いを始めました。
 はじめに、三匹が思ったのは、
「僕たちは、前世で罪深いことをしてしまったために、このような獣の身で生まれてきてしまった。罪というのは、命あるものに思いやりを持たなかったり、自分の持っているものとかお金を惜しんで人に与えなかったことだ。そんな罪を重くして、ついには地獄に落ちた。そして、そこで責め苦を長く受けたけど、罪の重さはそれで無くなりはしなかった。残りの報いは、この世で獣として生きることでつぐなわなければならない。でも、今はもう違う。菩薩の道を進むことにしたのだから、この身を全て投げ打とうじゃないかないか」
 そう決めると、三匹は、年がずっと上のものを親のように手厚く振る舞い、少しでも上だったら兄のように敬う。少し下のものでも、弟のように優しく接して、どんなことでも、自分たちのことは後回しにして、他のものたちのことを先に思って、そのものたちのために働くようにしたのです。
 その姿を、帝釈天がご覧になり、
「あのものたちは、獣の身を受けてしまったが、なかなかない美しい心を持つようになった。しかし、どうであろうか。人であっても、ある者は生き物をつぶし、ある者は盗みを働き、ある者は両親であっても殺し、ある者は兄弟を仇のように憎み、ある者は笑顔の裏に悪い心を隠し、ある者は恋しく想いながらも奥底には怒りを潜めている。まして、獣であるのだから、菩薩の道を行っているように見えても、真の心はどうか分からない。あのものたちを、試してみることにしよう」
 とお思いになられました。そこで、帝釈天はおじいさんに姿を変え、力弱く、疲れ果て、動くのもきつそうなさまです。
 弱々しい姿のおじいさんは、獣たちの前に現れ、言いました。
「私は見ての通り、年老いて、疲れ、もう、なにもできません。皆さん、どうか私の世話をしてくれませんか。私には子はなく、家も貧しい。一口の食べ物もありません。聞くところによると、あなたたちは、思いやりの心が深いというので、ようようやってきたのです」
 これを聞いた、三匹の獣たちは、
「私たちは真の心で菩薩の道を行っています。さあ、ご覧にいれましょう」
 すぐに、それぞれ、得意なことでおじいさんのお世話を始めました。
 猿はするすると木に登り、栗、柿、梨、なつめ、みかん、橘、こくわ、椿、桑、あけびなどを取ってきました。それから、里に駆け下りて、瓜、茄子、大豆、小豆、ささげ、粟、ひえ、きびなども取ってきました。それらを、おじいさんの好みを聞いて差し出しました。
 狐は、祠に行き、人がお供えした、餅、ごはん、鮑、鰹、その他たくさんの魚を持ってきて、これまた美味しく食べられるようにして、おじいさんの前に出しました。おじいさんは、猿と狐の持ってきた食べ物でおなかいっぱいになりました。
 猿と狐は、日ごと次々と、食べ物を持ってきて、おじいさんのお世話をしておりました。おじいさんは、
「猿さんと、狐さんは、本当に深い慈悲の心をお持ちです。あなた方は、もう、菩薩そのものですな」
 と、声を掛けました。
 これを聞いた兎は、このままではいられない、と心を奮い起こして、ともしびなどを持ち出し、夜昼問わず探せるように身支度を整え、飛び出していきました。兎は、耳を、ぴん、と立てて、体を丸めて力を入れて、目は見開き、前足をちょこまかと素早く動かし、お尻の穴は目一杯に開いて、東西南北駆け回りました。それでも、おじいさんのお世話の役に立ちそうなものは、何一つ見つけることはできませんでした。
 すると、猿と狐、果てはおじいさんまでが、兎に力が無いことを情けないと言い、もっと頑張るようにと少し馬鹿にしたように笑いながら励ましました。けれど、やはり兎は何もできませんでした。
 とうとう、菟は、
「僕は、猿さんや狐さんみたいに、おじいさんのお世話が出来るように、ためになりたい。野山を駆け回りたいけど、僕は弱いから、そんな危ないところに行くと、人に殺されたり、他の獣に食い殺されたりしてしまう。僕が望まない形で死んでしまうのはよくないことだ。それならば、僕自身の思いで、この身を投げ打って、おじいさんに食べられることで、この獣の身を離れ、生を全うしよう」
 と、思い詰めたのです。そして、そのままおじいさんの前に行き、
「おじいさん、おじいさん。僕はいいところを見つけました。そこには美味しいものがあります。ちょっとそこに行ってきます。持ってきたらすぐに食べられるように、木を集めて、火をおこして、待っていてください」
 そう言い残して、兎は出て行きました。兎の言ったとおりに、猿は木を集め、狐は火を焚きました。「そろそろ兎さんは戻ってくるだろうか」と皆が思っていると、兎は何も持たずに現れました。
 それを見て、猿と狐は、
「おまえさん、何を持ってきたと言うんだい。まあ、はじめからそんなことだろうとは思っていたんだ。今までなんにもできなかったんだから。嘘をついて僕たちに焚き火を起こさせて、おまえさんはそれでぬくぬくと暖まろう、っていう狙いだったんだろう。ああ、憎らしい」
 と、兎を責めました。しかし、兎は、ぽつり、と言いました。
「僕は、食べ物を持ってくる力はちっともありません。……だから、僕を焼いて食べてください!」
 瞬間、兎はぼうぼうと燃えさかる火に飛び込み、焼け死んでしまいました。
 その時、おじいさんは、元の帝釈天の御姿に戻られました。そして、火に飛び込んだ兎の御影をそのまま月に上げたのです。月の中に哀れみ深い兎の姿を映して、仏道を求める全ての者に見せるためです。
 月をご覧ください。ぼんやりと雲のようなものが掛かっているのは、その悲しい火から立ち上った煙です。月に住んでいるというのは、か弱く慈しみ深い兎です。皆が、月を見るたびに、あの兎のことを思い出せますように……。

――――――――――

 『今昔物語集』巻5・第13話「三つの獣菩薩道を行じ、菟身を焼ける語」の現代語訳です。
 今年、このブログに載せた『今昔物語集』現代語訳が、6月の、『今昔』の中でも下劣の極みにある説話だけでした。それでは、あんまりなので、去りゆくうさぎ年に、有名な説話を訳して、捧げることにしました。
 仏教には「捨身行」というものがあります。その言葉の通り、身を捨てて他に尽くす修行です。捨身行を題材にした説話は数多くありますが、いくらなんでも、普通の人がその通りできるはずはありません。「動物でもこうなのだから」「もともと立派なお坊さんでもさらにこのようなことをしたのだから」と、極端な例を出すことで、他者に対する思いやりを心を人々の中に喚起させる意味合いがあるのでしょう。
 だから、現代で、
「うさぎでも思い切ってやったのだから」
 と、鵜呑みにして他の人に無理強いしてはいけません。
 もう一つ、この説話の注目点は、月の陰影の起源説話である、ということだと思います。
 月の陰が何故生まれたのか、それの語りは、世界各地にあります。それこそ、世界中と言っても過ぎないほどです。手元の『世界神話事典』(角川書店・1994年)には、「月の陰影の由来」の項目があり、インド・ミャンマー・アフリカ・フランス・中国・日本・ブラジル・インドネシア・ポリネシア・ドイツ・北アメリカにおける月の陰影神話について解説されています。
 インド・ミャンマー・アフリカの神話・伝承では、月と兎が関係しているとあります。インドとミャンマーは、ひとつところから派生したのかもしれない、と思いますが、アフリカでも兎が出てくるというのは、不思議な縁です。
 他の地域の神話・伝承を見ると、それが月の特性と関連づけられていることが分かります。

 1.満ち欠けを繰り返す
  a.不死性 ― 新月(死)の後に復活を果たすことから、不死をテーマにした語りが生まれる。
  b.永遠性 ― 月が終わりのないものとされる。そこから、罰を受けた者が永遠に赦されることなく封じ込められる、など。
 2.生命のイメージ
  女性の生理と関連し、実りや繁栄の語りなされる。海の満ち引きから、水が呼び起こされる。水は生命の源である。

 大きく分けて、上の二つのパターンに分かれるようです。
 では、日本に伝わる、「月のうさぎの餅つき」はどうでしょう。もともと、この伝承は、中国伝来のもので、本来は兎ではなく、ガマガエルでした。不死の薬を盗んだ女が、その罰でガマガエルに姿を変えられてしまいます。しかし、逃げ込んだ先の月で、持っていた不死の薬の力により生き続けることになりました。
 日本にそれが伝わりましたが、いつの間にか、ガマガエルが兎に変わっています。これは、古くは薬は「搗いて」作るものでした。その「搗く」行為が日本では「餅」と関わりが深かったために変化したからと思われます(弥生時代から水稲栽培が盛んであったため)。
 また、ガマガエルは、冬眠することから、死と再生を繰り返す存在であり、月の満ち欠けとつながっています。さらに、柳田国男は、餅は心臓を象ったものである、としています。
 日本の「餅つきうさぎ」は、永久不変・死と再生・実り、豊饒・不死……、月の特徴が山盛りになった伝承です。


 参考文献
 『世界神話辞典』 大林太良・伊藤清司・吉田敦彦・松村一男編 角川書店 1994/01
 『岩波仏教辞典』 中村元・福永光司・田村芳朗・今野達編 岩波書店 1989/12

 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2011.06.16

彼は静かに凶器を取り出した

 ※『今昔物語集』の説話を訳しました。今回は、しもがかったお話しです。十八歳未満禁止、ということはないと思いますが、ご承知置きの上、ご覧ください。

――――――――――

 巻二十八の二十五話 弾正台の次官・源顕定さまが超合金をお出しになり、笑われたお話し

 今は昔のお話しでございます。藤原範国さまが五位の蔵人でいらっしゃった頃の出来事です。紫宸殿で公卿の皆様がお揃いになり、会議が行われました。その会議は、右大臣・小野宮藤原実資さまが座の首席、範国さまは儀を進める役を務められていらっしゃいました。
 会議は滞りなく進んでおりました。そして、範国さまが帝に奏上される文書を、実資さまからお受け取りになる、その大事な時にそれは起こったのです。範国さまは、居住まいを正して実資さまのお言葉を承っていらっしゃっいました。同じ場、紫宸殿の東の端には、弾正台の次官で源顕定さまという方が座っておられました。顕定さまは、おごそかなその中で、いきなり、袴の間から、二十センチ砲を放り出したのです。実資さまは座の奥の方にいらっしゃいましたので、その振る舞いはお目に入りませんでした。ですが、範国さまは、座の南にいらっしゃいましたので、それをまともにご覧になってしまいました。そして、たまらず噴きだしたのです。
 実資さまは、ご自身がお話しになっているさなかに、わけも無く、―もちろん、わけは顕定さまなのですが、実資さまはそれがお分かりになりません―、いきなり範国さまが噴きだして笑われましたので、
「どうしてお前は、公の場で、大切なことばが下されているときに、そのように笑うのだっ!」
と、たいへんご立腹されたのです。しかも、それでことは終わらず、五位の蔵人範国が公事で不真面目なそぶりであった、と帝にまで奏上されてしまいました。範国さまはすっかり肩身が狭くなり、噴きだしたことがとんでもないおおごとになったことに恐れおののいてしまわれました。しかし、言い訳をしようにも、
「あの顕定の朝臣が、毛のはえた拳銃を出しておりましたので……」
などと、申しあげることは、できるはずもありません。その様子を一部始終見ておられた張本人の顕定さまは、胸の内でとてもおかしく思っていらっしゃったのだとか。
 このことを知った人々は、時と所をわきまえずに、つまらない冗談をするものではない、と語り継いでおりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻28・第25話「弾正の弼・源顕定、まらを出して咲はるる語」の現代語訳です。
 このブログで初めて公開した「下ネタ説話」のはずです。初めてなので、かなり遊んで訳してみました。
 表題の「超合金」、本文中の「二十センチ砲」「毛のはえた拳銃」は全て同じモノを指しています。
 これらの婉曲表現は、『官能小説用語表現辞典』(永田守弘編・ちくま文庫)に掲載されているものを拝借しました。全て、実際に刊行された小説に使われている表現です。『官能小説用語表現辞典』にはこの他にも、バラエティに富んだ表現が紹介されています。「辞典」として使うにはやや難があるように思いますが、読み物としてページを開けば、これ以上ない笑いの種本になると思います。
 『今昔物語集』には、直接的な性の表現が多く見られます。「超合金」「二十センチ砲」「毛のはえた拳銃」とあてたモノは「まら」(もんがまえに牛、という漢字ですが、表示できない場合がありますので、ひらがなで書きます)と書かれています。現代でも「魔羅」と書かれることがあります。もともとは仏教用語で、心を惑わし、仏道の妨げとなる存在の意味です。そこから転じて、男根を指すようになりました。対して、女陰は「開」(つび)、や「前」と書かれています。「前」はやや婉曲の気がありますが、「まら」や「つび」は、回りくどい書き方をせずに、そのままの表現です。
 芥川龍之介は『今昔物語鑑賞』(1927年)の中で、巻26・第2話「東の方に行く者、蕪を娶ぎて子を生む語」を挙げ、「其の穴を娶て婬を成し」「皺干たりけるを搔削て」などの表現を「写生的筆致」とし、そこに「brutality(野生)の美しさ」を見出しています。セクシャルな事物でも、下手な加減をせずに、素直に直接的なことば・表現を以て伝えようとしていることが『今昔物語集』の特性であり、それが、本集の登場人物に躍動感を与え、出来事に現実味を持たせているように思います。
 巻28・第25話に戻りましょう。何故、源顕定は、大切な会議の最中に男根を出して、藤原範国を笑わせるなどという奇矯なふるまいを取ったのでしょうか。確かに、張り詰めた場で、このようなことをすれば、笑いが起こるでしょう。笑いは場の雰囲気を転換させ、人々の緊張を解きほぐす良い効果を生むことがあります。しかし、この場合は、範国は右大臣・藤原実資の怒りを買い、天皇にもその不始末が奏上され、すっかり立場が悪くなっています。良い結果になっているとは、到底思えません。
 この説話の元ネタとされている『江談抄』には、藤原範国が五位の蔵人に任じられた時、藤原実資がその人事に対して不快感を口にし、それが関白・藤原頼通の耳に入り、咎められた、という説話が収められています(新日本古典文学大系・『江談抄 中外抄 富家語』39ページ、『今昔物語集 五』239ページ注釈)。
 『今昔物語集』のこの「笑い話」の前に、『江談抄』の出来事があったのです。それを踏まえて、もう一度、まらを出した話しを読むと、なんとも嫌な仕返しの構図が見えてきます。つまり、顕定は実資サイドの人物で、実資が受けた勘の「仇討ち」をするために、会議で範国だけを笑わせ、公の場で責めを負わせたのです。
 巻28の中でも、下ネタに特化した笑い話にも見えるこの説話の裏に、薄暗い派閥間の争いが見え隠れしています。
 上の現代語訳を通常の現代語訳としてお使いになる場合は、「超合金」「二十センチ砲」「毛のはえた拳銃」は、「まら」に相当する一般的な現代語で、皆様、適宜読み替えてください。


 参考文献
 『官能小説用語表現辞典』 永田守弘 筑摩書房 2006/10 ISBN:4480422331

 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.06.07

年の功は国の幸

 今は昔のお話しです。天竺に七十歳を過ぎると国を追い出されて、よその国に捨てられてしまうというきまりのある国がありました。
 その国に一人の大臣がおりました。大臣には年を取った母親がいたのです。その大臣はたいへんな親思いで、一日中母のことを気に掛け、大切にしていました。その母親も七十歳になり、国のきまりに従って国の外に追い出さなければなりませんでした。しかし、大臣はどうしても母親を捨てることができなかったのです。
「朝、お母さんの顔を見て夕方会わないだけでも心配でならない。それなのに遠くの土地にお母さんを置き去りにして別れなければならないなんて、耐えられるわけがない」
 と思い、母親を捨てずに、自分の家の裏に穴を掘って部屋を作り、母親をそこに隠して住まわせることにしたのです。そのことは、世間の人はもちろん、家の人たちにも知らせずに内緒にしたのです。
 数年が経ち、その国にたいへんな出来事が起こりました。隣の国から、一通の手紙を持った使いがやってきたのです。その使いは同じような体つきの雌馬を二匹連れていました。
「この二匹の馬のどちらが親で、どちらが子か、印を付けて返事をもらいたい。もしそれができなければ、軍を上げて貴国を攻めて、七日で滅ぼしてしまおう」
 と告げてきたのです。国王は困り果てて大臣を呼び寄せておっしゃいました。
「どうしたものか見当もつかない。もし何かいい考えがあれば申しなさい」
 大臣は、
「すぐにはよい案が思いつきそうにありません。いったんこちらを下がり、考えさせてください」
 と申し上げ、考えました。
「難しい問題だが、長生きしているお母さんなら、この答えを聞いたことがあるかもしれない」
 大臣は、急いで家に帰り、人に見つからないように奥の部屋に行き、母親に尋ねました。
「隣の国からこのような難しい問いが出されました。どのように返事をすればいいでしょう。この答えが分かりますか?」
 すると母親はすぐに言ったのです。
「若い時に、この話しを聞いたことがあるよ。同じような二匹の馬の親子を決めるには、その馬たちの間にえさの草を置いてみればいいわ。先に草を食べ始めるのが子供で、後から残った草を食べるのが親なのよ」
 これを聞いた大臣は、すぐに国王の元に戻りました。国王が、
「何か思いついたのか?」
 と、問われたので、大臣は母親の考えだいうことは隠して、答えを申し上げました。国王は、
「なるほど、もっともな話しだ」
 とお思いになり、その通りに二匹の馬の間に草を置かせました。すると、片方の馬がすぐに草を食べ始め、もう一方の馬が残りを食べ始めました。このようにして分かった馬の親子にそれぞれ印を付けて、隣の国に送り返しました。
 しばらくして、ふたたび隣の国から手紙が送られてきました。そこには、
「これのどちらが根本でどちらが先か分かるでしょうか?」
 とあり、漆が塗られた一本の木の棒が添えられていました。国王はまた大臣に答えを問われたので、大臣は家に帰り母親に、このような問題がある、と尋ねました。母親は、
「それは簡単な話ですよ。木の棒を水に浮かべてみればいいのよ。少しだけ沈むのが根元の方。根元に近い方が重くなるからね」
 と、答えました。大臣は国王にその答えを申し上げ、すぐにその通りにしてみました。すると、片方だけが少し沈んだので、そちらに根元という印を付けて、隣の国に送り返しました。
 その後、また隣の国から問いの書かれた手紙が来ました。今度は一頭の象と共にです。
「この象の重さはどれくらいだろうか?」
 というものでした。国王は、
「いっこうに答えが思いつかない。だが、答えられなければ攻め滅ぼされてしまう。一大事だ」
 と悩まれて、大臣を召し出しました。
「これは、どうしたらよかろうか。今度ばかりはなんとも答えようがないように思う」
 と、おっしゃるのを聞き、大臣は、
「まことに難しいことです。しばらく考えさせていただきたいと思います」
 と答え、王宮を出て行きました。国王は、前のように家に帰ってしまう大臣を見て、
「私の前で考えても良さそうなものなのに、大臣はいつも家に帰ってから答えを出してくる。なんともおかしなことだ。家に何かあるのだろうか」
 と、疑いをお持ちになったのです。
 大臣が家から戻ってきたので、国王は怪しみながらも、何か答えが思いついたのか、と問われました。すると、大臣はこのように答えたのです。
「まず象を船に乗せます。その船を水に浮かべて沈んだところに印を付けます。そのあと象を下ろして、同じ船に石を積んでいき印のところまで船を沈ませます。それから石を下ろして一つ一つ重さを量り、最後に全ての石の重さを足します。その石の重さが象の重さと同じということになるでしょう」
 国王はさっそくそのようにして象の重さを量り、答えを書いた返事を隣の国に送りました。
 三つの手紙を送りつけた隣の国では、難しい問いであるにもかかわらず、少しの間違いも無く正しい答えを送り返されてきたことに、たいへん驚き、
「あの国は賢い人々が多くいるようだ。ありきたりの知恵では知りようがないことを、このようにぴたりと答えてきた。このような賢い人がいる国に攻め入っては、かえってやられてしまうことだろう。そうなっては大変だ」
 と考えて、争うことは止めて、お互いに手を結びたいと言ってきました。
 国王はこのような運びになったことを喜び、大臣を召し出しておっしゃいました。
「わが国が恥をかかずに済み、攻められることもなくなった。喜ぶべきことだ。これもすべてお主の力である。それにしても、あれほど難しい問いの数々を、いともたやすく答えることができたのはどうしてなのか?」
 これを聞いた大臣は、涙を流して申し上げたのです。
「国王さま。この国には昔から七十歳を超えた者をよそへ捨てなければならないというきまりがあります。ですが、私には七十歳をとうに超え、七十八になる母がいるのです。わが家の奥に作った部屋に、誰にも知られないようにして住まわせております。その母に隣の国からの問いの答えを聞いていました。年を取った者ならば、いろいろなことを知っているかもしれない、と考えたからです。そのため、いつも王さまの前を下がり、家に帰り母に答えを聞いて、それを申し上げておりました。もし、母がいなければ……」
 国王は、そのようなわけがあったのか、とお分かりになり、
「年を取った者をよそに捨てるというのは、わが国に昔からあるきまりである。なぜこんなきまりができたのか、今となっては分からない。だが、このたびのことで、年を取った者を大事にしなければならないということがはっきりした。よって、このきまりを止め、今まで国の外に追い出した老人たちを、身分も男女も問わず、みんな呼び戻すことにする。また、この国は老いを棄てる国『棄老国』と呼ばれていたが、これからは老いを養う国『養老国』と名を変えることにする」
 と、命令を下されました。
 それから養老国は平和に治められ、民はおだやかに暮らすことができ、国は豊かになっていったと語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻5・第32話「七十に余る人を他国に流し遣りし国の語」の現代語訳です。「うばすてやま」の名で知られる棄老伝説の基本的な形を取った説話です。
 棄老伝説の要素として「難題」が挙げられます。この説話では、
 1.馬の親子の判別
 2.木の棒の根本を知る方法
 3.象の重さを量る
という、三つの難題を老母が解いています。棄老伝説での難題は、このほかにもいろいろとあるようです。『今昔物語集』巻31・第33話の「竹取説話」に書かれる「打たぬ太鼓に鳴る太鼓」などがよく知られています。
 棄老伝説・難題解決譚は、インドを起源にしているようですが、同様の話型は中国、ヨーロッパ、アフリカにもあるらしく、洋の東西を問わず、親しまれてきた物語となっているようです。
 この説話は棄老伝説・難題解決譚がメインですが、養老譚、改心譚、富国譚などの要素が入り交じり、仏教説話集らしく、孝養により国が繁栄した、というハッピーエンドを迎えています。天竺部のラストを飾るにふさわしい説話と言えるのではないでしょうか。
 『今昔物語集』での棄老伝説は、この説話のほかにも、巻30・第9話「信濃の国の夷母棄山の語」があります。こちらには難題解決の要素は無く、歌徳譚、地名起源譚となっています。


 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.03.24

二本の名剣が引き起こした壮絶なる争い

 今は昔、震旦のある国のお話し。夏のころでした。お后はあまりに暑かったために、涼を取ろうとして、いつも鉄の柱を抱きかかえていました。
 夏が過ぎると、お后が身ごもっていることが分かりました。臨月を迎え生まれた子は、なんと鉄の玉だったのです。国王はこのことを不思議に、また、いぶかしく思い、
「これはいったいどういうことなのだ!」
とお后を問い詰めました。お后は、
「私は何もやましいことはしておりません。ただ、夏の間、暑さを我慢できずに鉄の柱をいつも抱きかかえておりました。もしかしたら、それがこうなった訳なのでしょうか……」
と答えたのです。国王は、きっとそのためだ、と考えました。そしてこの鉄の玉で何かを作ろうと思い立ったのです。
 そのころ、この国には莫耶という名の知れた鍛冶職人がいました。国王は莫耶を召し出し、お后が産んだ鉄の玉で、剣を作るように命じました。莫耶は鉄の玉から、二振りの剣を作りました。しかし、国王には一振りの剣しか献上せず、もう一振りは手元に隠し置いたのです。国王は莫耶から献上された剣を宝物として大切に納めました。
 ある時、その剣から止むことなく音が鳴り始めたのです。国王はこれを怪しく思い、大臣に問いただしました。
「何故、剣がこのように鳴るのだ!? 何か理由があるのだろうか」
「このようなことが起こるのには、必ず訳があります。きっとこの剣は『夫婦の剣』。つまり陽剣と陰剣の二振りがあるのだと思います。そのため、この剣はもう一振りの剣を求めて鳴っているのでしょう」
 国王はこれを聞いてたいへん怒り、すぐに莫耶を呼び出して罪を問おうとしました。
 しかし、国王の使いが来る前に、莫耶は妻に、
「昨日の夜、私は悪い夢を見た。きっと国王の使いが来る。それに捕らえられたら、間違いなく死刑になる。おまえのおなかの中にいる子どもがもし男の子だったら、大きくなったとき『南の山の松の中を見なさい』と告げてほしい」
と言い残すと、北の門から家を出て南の山へと行き、大きな木の根元の洞の中に入り、自ら命を絶ったのでした。
 数か月の後、莫耶の妻は男の子を産みました。その子どもはすくすくと成長し、十五歳になったとき、両方の眉の間が一尺もある顔つきになったのです。そのため少年は「眉間尺」と呼ばれるようになりました。
 母は莫耶の遺言を眉間尺に伝えました。眉間尺がその遺言通り南の山にある木の根元の洞を見ると、そこには一振りの剣がありました。眉間尺はこの剣を手に取り、父の仇を討とうと決心したのです。
 その時、国王は夢を何度も見ていました。眉の間が一尺もある男が反逆して、王である自らを殺す、というものでした。王はその夢をたいへん怖れて、国中に、
「眉間が一尺もある男がいるはずである。その者を捕らえるか、その者の首を献じた者には、賞金と褒賞を与える」
と、おふれを出しました。
 それを眉間尺は伝え聞き、山奥に身をひそめました。一方、おふれを見た人々や国王の命令を受けた家来たちは四方八方に散り、眉間尺を探し歩きまわりました。そして、とうとう、眉間尺は国王の家来に見つかってしまったのです。見つけた者はその顔つきで眉間尺だと分かりましたが、改めて問いかけました。
「おまえが眉間尺という者か?」
「そうだ、おれが眉間尺だ」
「われわれは、国王さまの命を受けて、おまえの命と、おまえが持っている剣をもらいに来た」
 それを聞くと眉間尺は「両方とも持って行くがいい」と言うが早いか、手にした剣で自らの首を刎ねたのです。
 国王の家来は、眉間尺の首と莫耶が隠していた剣を持って帰り、国王に献上しました。国王は喜んでその家来に褒章を与えました。
 眉間尺の首だと確かめた国王は、すぐにその首を家来に差し出し、
「すぐに、この首を煮込んで失くしてしまえ」
と命じたのです。
 家来は国王が命じた通り、大きな鉄の釜で眉間尺の首を煮始めました。しかし煮続けて七日が経っても、眉間尺の首は全く変わりなく元の形をとどめていたのです。その有様を国王に奏上すると、国王はいぶかしく思い、自分の目で確かめようとその椀の中をのぞき込んだのです。するとその時、突然、国王の頭だけが取れ、眉間尺の頭を煮ている釜の中に落ち込んでしまったのです。
 そして釜の中で、眉間尺の頭と国王の頭は互いに喰いつきあい、すさまじい争いとなりました。家来はこの様子を見て「なんと不思議なことだ…」と絶句しながらも、眉間尺の力を弱め国王の首を勝たせようと思い、莫耶の剣を争いの起こっている釜の中に投げ入れたのです。その途端、二つの首が共に煮込まれて形が崩れてしまいました。
 家来がそれを見ようと釜の中に首を差し出しますと、家来の頭もまたその釜の中に落ちて煮込まれ、とうとう三つの頭は誰のものだか分からないようになってしまいました。そのため一つの墓を造り、釜の中の三つの頭は一緒に葬られたのです。
 その墓は今でも宜春懸という所にあると、語り継がれていますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻9・第44話「震旦の莫耶、剣を造りて王に献じたるに子の眉間尺を殺されたる語」の現代語訳です。名剣「干将・莫耶」で知られる説話です。この二振りの剣は、現代でも東洋風味のファンタジーに良く出てくる名前ですね。
 もともとは、莫耶は干将の妻なのですが、『今昔物語集』のこの説話では、莫耶が夫で刀鍛冶、妻は「妻」としか出てきません。なので、王に命じられて造ることになったものの上手く鉄が溶けず、それを溶かす秘法として妻を投じるというエピソードがありません。
 さらに、子の眉間尺が親の仇をとるために、眉間尺が見付けた刺客に剣と自らの首を与えるというくだりも無くなっていて、王の使いに自らの首と剣を渡すというおかしな流れになっています。このような後半の復讐譚のねじれは、新大系の注釈によると、『今昔』の編者が原拠とした『孝子伝』を訳し間違えたためとされています。この間違いによって、
「眉間尺の首が七日間煮崩れない」→「刺客が王をそそのかして釜をのぞき込ませる」→「その隙に刺客が王の首をはねる」→「釜の中で眉間尺と王の首が争う」→「眉間尺の首を勝たせるために剣を釜に投げ入れる」→「剣の力で決着が付き、眉間尺と王の首が煮え崩れる」→「役目を果たした刺客が自らの首をはねる」
というもともとの展開が崩れてしまっています。
 『今昔物語集』編者は、漢籍(または漢籍を元とした和文)を原拠としていることが多いにもかかわらず、漢文に詳しくなかったとされています。これはそれが如実に分かる説話と言えるでしょう。


 『今昔物語集 二 (新日本古典文学大系34)』 小峯和明校注 岩波書店 1999/03/19 ISBN:4002400344
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.03.17

恋に焦がれて危ない道へ

 今は昔のお話し。兵衛の次官で平定文という人がいました。平中という通り名でよく知られています。身分は申し分なく、姿形も整っていて美しく、振る舞いも、話しぶりも趣があったので、その時分、この平中よりも優れている人はいない、と言われるくらいでした。このような人だったので、人妻や娘、宮仕えしている女性にいたるまで、平中に言い寄られないものはなかったということです。
 その頃、本院の大臣、藤原時平さまという方がいらっしゃいました。その方のお屋敷に、侍従の君と呼ばれる若い女房が仕えていました。目を見張る美しさの持ち主で、気の利いた宮仕えの人でした。平中は本院の大臣のところによく通っていて、侍従の君の話しもしぜんと耳に入ってきました。たいそう美しいという噂を聞いて、放っておくはずがありません。平中は、手を変え品を変え、命を差し出してもいいというくらいに言い寄ったのですが、侍従の君は、返事を返すどころか、いっこうに相手にしようとはしません。
 平中は、かわいそうなくらいに思い悩んで、とうとう、「ただ『見た』という二文字だけでもお返事をください」という手紙を出しはじめたのです。それでもなかなか返事が来ませんでした。ですが、繰り返し繰り返し書いては送っていましたら、ようやく使いの者が返事を持って帰ってきたのです。平中は、嬉しくて嬉しくて、あちらこちらに体をぶつけるくらいに慌てふためいてその手紙を受け取って、開いてみました。すると、平中が送った「『見た』という返事だけでも」という文面の「見た」という二文字が書いてあるところだけを破り取って、薄手の紙に貼り付けて送り返してきていたのです。これを見た平中の落ち込みようといったら、それはそれは言いようがありません。これには、平中もほとほと困り果てて、「こんなあしらわれかたをされるなら、もうどうしようもない。侍従の君は諦めてしまおう。心を込めても報われやしない」と、手紙を送るのを止めてしまいました。
 でも、それから三月ばかり経った五月の二十日過ぎ、雨の降りしきるとっぷりと暗い夜のこと。平中はまた侍従の君へのことが思い出されて、「あんなことがあったけど、こんなに雨の降る夜に通ったなら、怖ろしい鬼のような心を持った人でも、感動して受け入れてくれんじゃないか」と、思ったのです。それで、真っ暗で、ざあざあぶりの雨、一歩先も見えない中を、つらい胸の内を抱えて出かけました。
 本院に着くと、前々から見知っていた童女を呼び出して、「あなたのことを思って苦しさに耐えきれず、このように参りました」と侍従の君に伝えさせました。すると、童女が戻ってきて、「今はまだご主人さまの御前に女房たちが仕えていて、まだみんな眠っていませんので、私だけ下がるわけには参りません。もうしばらくお待ちください。よい頃合いに、私からそっとお知らせいたします」と、返事がもらえたのです。平中は、胸をどきどきさせて、「やっぱりだ。こんな夜にやってくるものを情け容赦なくあしらうことができるはずがない。苦労して来たのは正しかった!」と思って、暗い中、戸のそばでこっそりと待っていました。それこそ、何年も待ち続けるかのような心地です。
 しばらくして、人が寝静まった様子が分かりました。そうすると、中から人が来て、内側から戸の鍵を開ける音が聞こえてきました。平中が、戸に手をかけると、すっ、と開きます。あまりの嬉しさで夢のような思いでした。さあ、いよいよ侍従の君と会える、と思うと、平中の胸は嬉しさでいっぱいになり、体が震えるくらいでした。それでも、なんとか心を静めて、そっと部屋の中に入ってみると、そこは香のかおりに満ちていました。
 平中はゆっくりとあたりを探ってみると、しなやかな衣を羽織って、寝床に横になっている人に手が触れました。胸をときめかせながら、その人の頭や肩と思われるところに手をやると、ほっそりとした手触りで、髪は氷のようにすらりと伸びています。ここにきて、平中の喜びはいかばかりのものか。ますます震えが止まりません。何か言いかけようとするのですが、声も出せません。すると、侍従の君は、
「あら、いけないわ。忘れていました。隣の部屋との障子の留め金を掛けないで来てしまいました。今から行って、それを掛けてきます」
と言ったのです。平中はそれはいけない、と思って、「それならば、早く行ってきてください」と答えると、侍従の君は羽織っていた衣を残して、単衣と袴だけの姿で、行ってしまいました。
 平中はそわそわしながら、装束を緩めて待っていると、留め金を掛ける音がしました。さあ、侍従の君といよいよ、と思っていましたら、足音が離れていくだけで、ちっとも戻ってくる気配がありません。平中はこれはおかしい、と思って、障子のところに行ってみると、留め金が掛かっています。ですが、障子を引いてみると、留め金は向こう側から掛かっていて、平中のほうからは開けることができませんでした。しまった、と思ったものの後の祭り。言いようの無いほどの悔しさ、情けなさ。ばたばたと足を踏みならして、しまいには泣いてしまいました。もう、何も考えられず、ぴたりと閉まった障子に寄り添って、ぼろぼろと涙が落ちていきます。それは、外に降る雨に負けないくらいでした。
「こんな風に部屋に入れておきながら、騙すなんて、なんてひどいことだ! こうなると分かっていたら、留め金を掛けるだけのことなんだから、一緒に行っていたのに。私の思いを試すためにこんなことをしたんだ。ああ、まんまと引っかかってしまった。これでどうしようもない馬鹿者だと思われただろうな…」
と嘆くばかりでした。このような仕打ちは、会ってくれないよりもひどく、悔しいことで、言いようもありません。平中は、こんな羽目になってしまったので、「もう夜が明けてしまうまで、そのままこの部屋で寝てしまおう。侍従の君のところに私が通ってきた、と、みんなに知られてしまえ」とふてくされたのですが、夜明けころになって、たくさんの人が起きる気配がしてくると、「やっぱり顔を見られるのはまずいぞ」と思って、薄暗いうちに人目に付かないようこっそりと帰ったのです。
 さて、こんなことがあってからは、平中の心は少しねじ曲がってしまいました。「どうにかして、侍従の君のいやなことを聞いて、いっそのこと嫌いになってしまおう」と思うようになりました。しかし、そうは思ったものの、侍従の君のいやな話しというのは全く聞こえてきません。平中は思い通りにならなくて、いらいらがつのり、とうとう
「侍従の君がいくら綺麗だといっても、おまるにするものは、私たちと同じものだ。それを探し出して中身を見てしまえば、きっと嫌いになるだろう」
と考えてしまったのです。そして、「おまるの箱を洗う下仕えのものを見付けて、その人から奪い取ることにしよう」と決めました。
 そのように思ってから、侍従の君の部屋の近くで機をうかがっていたある日。十七八歳くらい、整った身なりで、短めの髪、紅と青の重ねの衣、濃い紫の袴をちょいと引き上げた女が、丁子で染めた布でくるんだ箱を持って、赤い扇で顔を隠しながら、侍従の君の部屋から出てくるのを見付けました。平中は「これだ」と思って、喜びながら、その女のあとを付けていきました。そして、誰も人がいないところにさしかかると、女に走り寄って、箱を奪い取ったのです。女は泣きながら箱を取られないようにしたのですが、そこは力の差があります。平中は容赦なく引きはがして、持って行ってしまいました。侍従の君のおまるを持った平中は、人が来そうにない空き家に入って、誰もこられないように、内側から戸を閉じました。
 平中は、しみじみと箱を見つめました。綺麗に漆が塗られています。箱やそれを包んでいた布の美しさを目にすると、それを開けることがためらわれます。中のものはさておいて、おまるの様子さえもただの人の風情ではないように思われました。そう思うと、気が引けてしまい、なかなかふたを開ける気になれません。そのまましばらく箱を見つめていたのですが、「このまま見ているわけにはいかない!」と、思い切りがついて、おそるおそる箱のふたを開けたのです。
 すると、丁子の香のかおりが強くただよいました。「はて、おかしいな」と思いつつ、中をのぞくと、うっすらと色づいた水が箱の半ばまで入っていました。そして、親指ほどの太さ、二三寸ほどの長さで、黒みがかった黄色の固まりが三本浮かんでいました。「おお、これが侍従の君の『あれ』なんだ!」と思っていると、なんとも言えない良い香りがします。そこで、近くにあった木の切れ端で、固まりをつついて、その先を鼻に当ててみると、高貴な練り香の匂いがしたのです。平中は、どういうことなのか不思議でたまりません。「なんということだ。こんなものを侍従の君は体から出すのか。この世の人ではないのでは」とまで思ってしまいました。
 それで、平中は、この奇妙なおまるの中身を見続けていますと、どうにかして侍従の君と親しく一緒になりたい、という思いが強くわき起こり、狂おしくてたまらなくなったのです。そして、思わず、箱を口に当てて、聖水をごくりと飲んでしまいました。それは、深くしみ入る丁子の香のかおりがしました。続いて、木の切れ端で固まりを少しすくい取って、なめてみました。それは、少し苦いものの甘みがあって、これもまた良い香りです。
 平中は、ここにきて、はっ、と気づいたのです。
「そうか! 聖水のようなものは、丁子の煮汁。固まりは、山芋と甘蔓、お香の元を混ぜ合わせて、それを細い筒に入れて形を整えたものだ。こんなことをする者はいるかもしれない。けど、『箱を見つけ出して中を見てやろう』とまで誰が思いつくだろう。でも、それが分かっていてこんな仕掛けをしたんだ。なんて、深く思いをめぐらせる人なんだろう。この世の人とは思えない。こんな人に、一目も会わないままでいるわけにはいかない!」
と思いながらも、どうしてよいのやら分からず、とうとうそれが元で、病に伏せって、恋に悩み苦しみながら、死んでしまいました。
 こんなことになってしまうなんて、なんてつまらないことでしょう。男も女も、罪深い。世間の人々は、「こういうこともあるので、男は女に入れ込んではいけない」と口々に責めた、と語り継がれていますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻30・第1話「平定文、本院の侍従に仮借する語」の現代語訳です。この説話は、芥川龍之介の『好色』の元になっていることでよく知られています。男女の恋愛が描かれた巻30の冒頭を飾っているということは、それだけ、編者を含め、大衆の興味がそそられる話題だからでしょう。
 特に、人々の気を引くのは、後半の平中が取った行為だと思います。簡単に言ってしまえば、変態です。いくら「そのもの」ではないと言っても、はたから見れば、「うわー」と、ちょっと気が引いてしまいます(中にはそれを好む趣味の方もいらっしゃるとは思いますが……)。でもそこが、この説話の一番の盛り上がり。『好色』でもクライマックスで、平中の心の叫びが書かれています。
 このように平中を、しつこい色好み、アブノーマルな行動に駆り立てたのも、意地悪な方法で「見た」とだけ手紙を送り返したり、部屋まで導いて、体に触れさせておきながらおあずけをさせた侍従の君の性格にも依るでしょう。編者が話末評にあるように、「男も女も罪深い」と言えますね。
 今回の現代語訳では、後半の「あれ」や「これ」といった「モノ」の表現を、をできるだけ和らげて、直接的なことばを使わないようにしました。盛り上がりを求めるならば、「そのもの」の表現をした方がよかったのかもしれませんが、ためらわれてしまいました。その部分は、ご覧いただいた皆さまで、適宜「そのもの」の表現に置き換えていただければと思います。


 参考文献
 『地獄変・邪宗門 好色・藪の中 他七篇』 芥川竜之介 岩波書店 1980/04/16 ISBN:4003107020

 『今昔物語集 五 (新日本古典文学大系37)』 森正人校注 岩波書店 1996/01/30 ISBN:4002400379
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.03.12

中秋の琵琶の音

 今は昔のことでございます。源博雅さまというかたがいらっしゃいました。醍醐帝の御子、兵部卿の親王のご子息でいらっしゃいます。何事にも優れた才をお持ちでしたが、中でも音楽の道には特に長けておられました。笛の上手でいらっしゃり、琵琶もまた実に巧みにお弾きになりました。
 これからお話しすることは、博雅さまが殿上人でいらっしゃったときのことでございます。その頃、逢阪の関に一人の盲目の男が小さな庵を作り、住んでおりました。その男の名前は蟬丸といいます。蟬丸は、敦実親王の元で下働きをしておりました。敦実親王はたいへん音楽の道に通じていらっしゃったおかたです。琵琶もつねづねお弾きになっておられました。蟬丸はその琵琶をおそばで聞き習い、上手になっていったということです。
 博雅さまは、琵琶の奥義を究めたいとお思いになっていたところ、この逢阪の関に住まう蟬丸が琵琶を良く弾くことをお聞き及びになられたのです。そこで、是非とも蟬丸の琵琶を聴いてみたいとお思いになったのですが、蟬丸の庵があまりに粗末でしたので、じかに出向かれることはためらわれ、家来のものを蟬丸の庵に行かせ、「どうしてこのようなところに住むのか。京に住むがよかろう」と告げたところ、蟬丸はそれに答えず、ただ、

 この世の中は、
 あちらに住んでも、こちらに住んでも、
 どんな変わりがありましょう。
 雅な京に住もうとも、ひなびたこの家に居ようとも、
 けして限りと思いはしない。

と、歌を詠んだだけでした。博雅さまはこの次第をお聞きになり、深みがあるように思われて、なおさら蟬丸に会うことを強くお望みになり、
「なんとしても、琵琶の深奥極めたいものだ。必ずや蟬丸に会ってその琵琶を聴こう。蟬丸も私もいついかなることで命を失うか分からない。機を逃してはならない。琵琶には「流泉」と「啄木」という曲があったらしい。この二つの曲は、今は誰も弾くことができない。しかし、きっと蟬丸ならばこの秘曲を知っていることだろう。なんとしてでも、蟬丸が弾くところを聴いてみせる」
とお思いになり、その夜、逢阪の関に行かれました。しかし、蟬丸がその曲を弾くことはありませんでした。それから、博雅さまは、夜な夜な逢阪の関の蟬丸の庵に行っては、「今晩こそは、今晩こそは」と密かに耳を澄ませたのですが、蟬丸はいっこうに弾く気配をみせまん。
 そうしているうちに三年の月日が経ちました。八月十五日の中秋の夜、朧月、風がそよいでいます。博雅さまは、
「ああ、なんと風情のある夜だろう。きっとこんな夜にこそ、蟬丸は流泉や啄木を弾くのではないか」
と、逢阪の関に行かれ、いつもの通り粗末な庵の近くで身を潜めておられますと、蟬丸の琵琶の音が聞こえてきました。しっとりと心にしみ入る音色です。博雅さまはようやく蟬丸の琵琶が聴けたことを嬉しくお思いになりながら、耳を傾けておられました。すると、蟬丸が己の心を慰めるかのように歌を詠み始めました。

 秋深く、逢阪の関は、風強く、
 激しき風は、私を責める。
 それでも私は堪え忍ぶ。風が心を乱さぬように。
 そっと、この世を過ごすため。
 そっと、この夜を過ごすため。

 琵琶の音とともに流れてくるこの歌を聴かれた博雅さまは、流れ落ちる涙を止めることができませんでした。
 琵琶を弾き終わった蟬丸は、
「おやおや、趣深い夜だこと。私のほかにも風流を愛するものがいるだろうか。この夜の良さが分かる人がいたら良いのだがな。そんな人と語り合いたいものだよ」
と、独りごちたのです。それを聞かれた博雅さまは、思わず、
「ここに博雅というものがございます。王城より参りました」
と、お答えになりました。蟬丸は驚き、
「なんと。そのようなことを仰るのはどなたであろう」
と問うたので、博雅さまはこれまでのことをお話しになりました。
「私は、都に住む源博雅というものです。長年、音楽の道を極めようと精進しております。そこで、琵琶の上手でいらっしゃるあなたのお噂を耳にし、この三年の間、こちらの庵を訪ねておりました。今宵、ようやくあなたの琵琶を聴くことができました」
 これを聞いた蟬丸はたいへん喜び、博雅さまを庵に呼び入れました。博雅さまも長い間持ち続けていた願いが叶ったことをお喜びになり、蟬丸とじっくりと語り合ったのです。
 そして、博雅さまが「流泉と啄木を弾いてみたいのです」と望まれると、蟬丸は「亡くなられた敦実親王はこのようにお弾きになっていらっしゃいました」と、博雅さまにその手を伝えました。博雅さまはこのとき琵琶をお持ちではなかったので、ただ口伝のみでこれを習われました。このように、一晩中琵琶の話をされて、明け方に博雅さまは都に帰られたのでした。
 この出来事を思いますと、どのような道でも、このようにひたすらにそれを求めるべきなのだと分かります。しかし、近頃はそうではないようです。それで、道を極めたという人物が少なくなったのでしょう。本当に寂しいことでございます。
 蟬丸は身分が低いものでしたが、亡き親王のお弾きになる琵琶をつねに聴いていて、ついにはその奥義を身につけたのです。だた目が見えなかったがために、逢阪の関に住むようになりました。この後、盲目のものが琵琶の弾き手になることが世に広まったという話しでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻24・第23話「源博雅朝臣、会坂の盲の許に行く語」の現代語訳です。この説話に登場する、源博雅と蟬丸は、あまりによく知られている人物ではないでしょうか。博雅は安倍晴明のパートナーとして、小説、それを原作としている漫画・映画の『陰陽師』の登場人物のイメージが強いと思います。また、蟬丸は百人一首の「これやこの」の歌で知られ、百人一首のかるた遊びの一つ「坊主めくり」では、特別な役割を持ったカードにされることがあるようです。
 博雅も蟬丸も音楽の才能に優れていて、その二人の邂逅と秘曲の伝授を描いた本話は、一種の感動を与えています(ただ、新大系の注釈では「貴族が三年間も逢阪まで通いつめるなど通常ありえない」「中秋の名月でややできすぎの設定」と、ちょっと冷めています)。
 この説話は、逢阪の関に琵琶法師が集まる起源譚にもなっています。逢阪の関が、都と外つ国との境界として機能していて、物語を持つ者たちが集まるような属性が付与されています。


 『今昔物語集 四 (新日本古典文学大系36)』 小峯和明校注 岩波書店 1994/11/21 ISBN:4002400360
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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