2020.04.22

役割を果たせなかった陰陽師 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(6)

 今は昔のことです。播磨の国の……、ある郡とだけ申し上げましょう。そこに住んでいた人が亡くなり、家の者たちは、なきがらを葬る手はずを整えようと陰陽師を呼び、しばらく留まってもらうことにしました。招かれた陰陽師は家に入るとすぐに、眉をひそませ言ったのです。
「幾日かすると、このお屋敷に、鬼が来ます。どうぞ、身を慎み、控えめにお過ごしなさいますよう」
 家の者たちは、陰陽師のことばを聞いて、顔の色を失くしました。
「そ、それで、私たちは、いかがすれば良いのでしょうか……?」
「その日に、物忌みをしっかりするしかありません」
 数日が経ちました。陰陽師が告げた日、家の者たちは厳しく物忌みをして、心を張り、身を固くして時が過ぎるのを待ちました。そうして、声をひそめて陰陽師に聞きました。
「おっしゃっていた鬼は、どこから、どのような姿でやってくるのでしょうか」
「表の門から。人の姿で来ます。このような鬼神は、禍々しく、道を外れたことをしません。ただまっすぐ、ことわりに適う形で来ます」
 これを聞いた家の者たちは、さらに、門の表に物忌みの札を掲げ、桃の木を伐り、それで門の周りを塞ぎ、まじないを唱え続けました。
 そうするうちに時が来ました。表の門をしっかりと閉じたまま、人々は、物陰に潜み、隙間から外の通りをうかがっていました。すると、すぐそこに居たのです。藍を擦り込んで色付けた袴を着て、編み笠を首に引っ掛け、門の前に立ち、戸の隙間から家の中をのぞき込んでいました。
「あれこそ鬼」
 陰陽師が言うと、家の中は、恐れに包まれました。
 鬼の男は、門の前でしばらくじっとしていましたが、家の者たちが、ふと気づいた時には、鬼は門の内に入っていました。そして、皆が、はっと息を飲んだ時には、家の中のかまどの前に立っていました。この間、鬼は動いた素振りが全くないのに、多くの者たちが見ている中、家にまで入って来たのです。鬼だという男の姿は、間近で見ても、誰も見覚えがありませんでした。
「もう、ここに居る! これから何が起こってしまうのだろうか……」
 人々が恐ろしさで凍り付いている中、この家の主の、年若い息子だけは違っていました。
「今からどうこうしても、きっとこの鬼に喰われてしまうだろうな……。よし、同じ死ぬなら、後々の人の語り草になってやろう。俺がこの鬼を射る!」
 覚悟を決めた若者は、物陰から、弓を構え、先が鋭くとがった大きな矢を、鬼の胸に向け、ぎりぎりと力強く引き絞りました。
 放たれた矢は、狙いを違わず、鬼の胴体、その真ん中に当たりました。
 鬼は、己の腹に弓を突き立てたまま、身をひるがえし、駆けるようにして外に出ました。……家にいた者たち、皆にそう見えました。見えたと思ったその時、鬼は消え失せたのです。矢は、弾かれたように跳ね返り、地に落ち、からりと音を立てました。
 そこにいた人たちは、鬼の有様に驚き、また、若者のしたことに呆れて、しばらくひと言も声を出せなかったのですが、鬼は払われたようだと分かると、少しずつ、若者に話しかけ始めました。
「なんと……、とんでもないことをなさったものよ」
 若者は、
「同じ死ぬにしても、後の世の人が語り継ぐことをしてやろう、と思って、試しに射てみたんだ」
 と、一息つきました。これを聞いた陰陽師も、驚いたような、おかしなものを見たような顔つきでいました。
 こうして鬼を矢で射て追い払ったのですが、後々、その家に、たたりや、災いらしきことは、特に何も起こらなかったそうです。
 このようなことは、陰陽師の仕組んだ図りごとと考えるのが当たり前でしょう。しかし、男の姿をした鬼が、いつの間にか、表の通りから家の中にまで入って来たことや、矢が当たったように見えて跳ね返ったことを考えますと、ただの人の為せるわざでは無いように思えます。鬼がはっきりと目に見える人の姿で現れるというのは、他に聞いたことが無く、なんとも恐ろしいことだと語り継がれております。

――――――――――

  『今昔物語集』巻27第23話「播磨の国、鬼、人の家に来て射らるる語」の現代語訳です。みんな大好き陰陽師の話です。
 陰陽師というと、安倍・賀茂の二つの家系が有名ですが、この話に出てくる陰陽師は、そうではなさそうです。冒頭で、播磨の国の「どこかの郡」の部分が欠字になっていますし、出てくる人々の名前も明らかになっていません。こういうことがあったようだ、という出所不明のうわさ話の域を出ないもののようです。
 この話では、鬼の姿と、陰陽師に対する評価が面白いです。鬼とされた男が身に着けていた藍色の水干袴(「藍摺ノ水干袴」)は、平安の時代には庶民の服装でした。今でいえば、インディゴブルーのデニムパンツに似ています。上衣についての記述はありませんが袴に合わせた粗末なものと考えられます。これに、笠を首に掛けている(「笠頸に懸タル」)ことが加わっているので、異様な雰囲気です。これを現代に置き換えれば、ヘルメットを頭もかぶらずに、ベルトを緩めて首に掛けているようなものでしょうか。そのような姿をした男が、戸の隙間から家の様子をうかがっているのです。自宅の前で、デニムパンツにパーカーを羽織り、ヘルメットが頭からずり落ちている男が、道路から家の中をのぞき込んでいるようなものです。殺気立って乱暴な言動をしながらやってくるよりも、怖さが増す気がします。
 鬼の男は、門の外の通りにいたかと思ったら、体を動かすことなく、あっという間に家のかまどのそばまで入り込みました。この時、鬼の恐怖に攻められていた人たちの流れが変わります。それまでは陰陽師の予言と対策に基づいたペースで事が進んでいました。しかし、家の主の息子が腹を決めて、矢を放ち、鬼を退散させてしまいました。まさかの武力行使です。これには、家の者たちも陰陽師も呆気にとられます。家の者たちは「無茶なことをするなあ」と思っただけのようですが、陰陽師はそれに加え、「奇異ノ気色シテナム有ケル」と口には出せない、どこか腑に落ちない様子が見られます。
 その理由らしきことが、直後の世間の感想と編者の語りにあります。
「然レバ、陰陽師ノ構ヘタル事ニヤ有ラム、ト可思キニ」(そのようなことは、陰陽師が仕組んだことだろう、と思うのが普通だが)
 この考え方は、小説や映画、マンガ、テレビドラマなどに出てくるあやかしを退治する現代の陰陽師のイメージ―式神を遣ったり、派手な術でもののけ祓うような―とは違っています。この話に書かれた「陰陽師は人をだますのが普通」というのはどういう事でしょうか。
 陰陽師はもともと、陰陽寮という役所で働いていた人たちを指します。言ってみれば、公務員です。ただ、時代が下るにつれて、陰陽寮に属さない陰陽師が出てきました。民間の陰陽師です。彼らのような「もぐり」の陰陽師の中には、公の陰陽師に近い技能や学識を持った者がいたのかもしれませんが、大した能力を持たない者も多くいたでしょうし、さらには、もっとたちが悪い「陰陽師もどき」がいたことも考えられます。この話に出てくる陰陽師は、その「陰陽師もどき」だった可能性があります。
 ひと儲けするために、仲間の男と示し合わせて、鬼の役、陰陽師の役で、葬儀の場に入り込んだわけです。あとは、「鬼が来る」「鬼だぞう」「えいやっ!」「参った!」という台本があった、……はずなのですが、どこか途中でおかしくなりました。鬼の役の男が、皆の前で、瞬間移動したり、矢を弾き返したり、ぱっと姿を消したのです。鬼の役だった男が本物の鬼になった、もしくは、鬼が入れ替わったとしたら……。そのため陰陽師は、「奇異ノ気色シテナム有ケル」となったのではないでしょうか。本当に怖い目に遭ったのは、鬼がやってきた屋敷の人たちではなくて、その後、鬼と入れ替わった仲間の男の惨状を見ることになる、もぐりの陰陽師だったのかもしれない、という想像もできます。
 もぐり陰陽師のような者は、この話の時代に増えていたのでしょう。「然レバ、陰陽師ノ構ヘタル事ニヤ有ラム、ト可思キニ」と書かれるほどに。この話は、ただの怪異話に加えて、普段人をだましていた者たちをこらしめる役割を果たしていたのではないか、と読みたくなります。
 ここまで長くなりました。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの『鈴鹿本 今昔物語集』にも少し触れておかなければ。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 画像通し番号465の左から3行目に、陰陽師が語る鬼の特徴が書かれています。
  門ヨリ人ノ体ニテ可来シ然様ノ鬼神ハ横様ノ非道ノ道ヲハ不行ヌ也
 というものです。文末の読みはどうなるでしょうか。「ふぎょうぬなり」にはなりません。『今昔物語集』では、助詞、助動詞はカタカナで小さく書く、という原則があります。ただ、打消を表す時はこれに当てはまらないことがとても多いです。ここの「不」は打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」として扱います。
「『ヌ』は『行』のすぐ後ろに書かれているじゃないか」
 と思われるかもしれません。その通りです。『今昔物語集』では、打消の助動詞「不」を打ち消す単語の前に書いて、さらに打消の助動詞をカナにして単語の後ろにも書くという「半端漢文訓読体」とでも言えそうな方法を用いています。なので、ここは「不」の下に返り点があるように読むか、「不」は無いものとしてカナ書きの打消を読むか、どちらか一方を選びます。よって、「ゆかぬなり」(新日本古典文学大系の場合)か、「おこなはぬなり」(京都大学貴重資料デジタルアーカイブの場合)の読みとなります。
 画像通し番号466の2行目から3行目の、鬼が動くことなく家の中入って来た場面、
  此ノ鬼ノ男暫ク臨キ立テ何ニシテ入ルトモ不見エテ入ヌ
 の「不見エテ」も、助動詞「ず」と同じように扱って、「みえ『で』」の読みになります。「テ」と書かれていますが、接続助詞「て」ではなく、「不」が付いているため、打消の接続助詞「で」だと見分けられます。


・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編 2003年1月20日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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2020.04.07

桜に感動する建物 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(5)

 今は昔のお話。上東門院さまが京極殿にお住まいになっていらっしゃった時でございます。三月二十日過ぎ、花が最も美しい頃合いですから、南面にあった桜は、とりわけ素晴らしく、ことばでは言い尽くせないほどの咲きかたでありました。上東門院さまは、その桜の姿を、寝殿から愛でていらっしゃいました。
 すると、南がわの階がある日隠しの間のあたりから、とても気高く、神懸った声で歌を詠む声が響いてきました。
「こぼれてにほふ花ざくらかな」
 歌をお聞きになった上東門院さまは、
「そこに誰かいるのか」
 とお思いになり、開けられた格子の向こうを、御簾の中からご覧になりましたが、人が居ないどころか、跡さえもありません。
「これは、どういうこと? 先ほどの歌は誰が言ったの!」
 上東門院さまは怪しまれ、多くの人をお呼びになり、声の主を探すようお命じになりました。ところが、
「あちらこちら、隈なく探しましたが、人は全く居りません」
 と人々が申し上げたので、驚かれ、
「これは、何があったのでしょう。鬼神などが言ったということなのでしょうか……」
 と、ひどく怖がられました。
 上東門院さまは、すぐに、「このようなことがありました」と、関白でいらっしゃった弟君の頼道さまにお知らせ申し上げなさいました。すると、関白さまから、短いお返事がありました。
「それは京極殿の日隠しの間の『くせ』で、いつもそうやって歌を詠むのですよ」
 訳をお知りになった上東門院さまは、ますます怖がられ、
「あれは、誰かが桜の花を見て心が浮き立ち、つい、そのように詠んだだけで、そのあと、多くの人を使って罪人を見つけ出すかように厳しく探させたのを恐れ、逃げてしまったのであろうと思っていたのに。それが、『日隠しの間のくせ』だなんて。これはなんと恐ろしいことでしょう!」
 とおっしゃいました。そのため、こののちは、あまりに恐れなさったので、京極殿の近くにお寄りになることもありませんでした。
 この「くせ」は、狐などが化けて言ったのではないと思います。何かの霊や魂といったものが、この歌を素晴らしいと思って大きく心を動かしたので、桜を見るたびに、常にこのように詠んだのだろう、と人々は考えるようになりました。それにしても、霊といったものたちは、おおかたは夜に現れるものですのに、真昼に、よく通る声で歌を詠んだなんて、心底恐ろしいことでございますよ。
 歌を詠む霊が、もともと何者だったかというのは、とうとう分からないままになってしまったと語り継がれております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第28話「京極殿に於て、古歌を詠むる声有る語」の現代語訳です。
 上東門院は藤原彰子のことです。彰子自身が秀歌を多く残していることに加え、紫式部、和泉式部、伊勢大輔、赤染衛門といった優れた文人・歌人が仕えていたので、この話も「いかにも」な感じがします。彰子の周りでは、常々、歌が飛び交っていたのでしょうが、さすがに「日隠シノ間」が歌を詠んだら、「怖い!」と思ったようです。
 この話で「日隠シノ間」が詠んだ歌は、下の句しか出てきませんが、三番目の勅撰和歌集『拾遺和歌集』「巻第一 春」に上の句も含めて、きちんと収められています。

  浅緑 野辺の霞は 包めども
  こぼれてにほふ 花桜哉

 遠近感と色の濃淡によって、手は届かないけれども桜はそこに咲いている、と感じられる素敵な歌です。ちなみに「よみ人知らず」です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号470から471にこの話が載っています。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 『鈴鹿本 今昔物語集』は、漢字、カタカナそれぞれが、ほぼ同じ大きさで書かれいますし、「漢字で書くことができる単語は、できる限り漢字で書く」という編集方針のおかげで、漢字を拾い読みするだけでも、話のあらましが分かったりします。ただ、現代日本語で使われる、句読点、かぎかっこ、改行などがないため、読みにくさもそれなりにあります。特に改行が無いのがつらいかもしれません。そのため、会話文と地の文の区切りを見つけましょうとなると、目を凝らす必要があります。
 画像番号471の2行目の真ん中よりちょっと下から、5行目の上の三分の一くらいまでに、「日隠シノ間」の秘密を知った上東門院の反応が書かれています。

 然れば(されば)、院、弥よ(いよいよ)恐ぢ(おぢ)させ給て、此れ(これ)は、人の、花を見て興じて然様に長め(ながめ)たりけるを、此く(かく)蜜く(きびしく)尋ねさすれば、怖れて、逃げ去ぬるにこそ有めれとこそ思ひつるに、此(ここ)の□にて有ければ、極く(いみじく)怖しき事也となむ被仰ける(おほせられける)。然れば、其の後は、弥よ恐ぢさせ給ひて、近くも不御ざり(おはせざり)ける。

 句読点を入れ、カタカナをひらがなに、読みにくい語にはふりがなを付けて書きだしてみました。この中から、上東門院の発言を見つけてみます。
 発言=会話文を探す手がかりでよく利用されるのが、「~と言ふ」のような、「と」を見つけることです。たいていは「と」の前までが会話文です。
 上の文では、「こそ有めれ『と』こそ思ひつる」、「極く怖しき事也『と』なむ被仰ける」のふたつがあります。一つめは「と」の直後が「思ひつる」ですので、上東門院が思ったことがどこから始まるか、文をさかのぼります。そうすると、「此れは、人の」ところから、それまでの出来事を上東門院が回想していることが分かります。二つめの「と」のところは、「(このようなことは)たいへん恐ろしいことです、と(上東門院が)おっしゃった」の意味ですので、「恐ろしいこと」を話し始めているところを、さかのぼって探します。するとやっぱり「此れは、人の」で区切りができています。これらのことを、かっこ付き、改行ありですっきりさせてみます。

 然れば、院、弥よ恐ぢさせ給て、
「『此れは、人の、桜を見て~逃げ去ぬるにこそ有めれ』と思ひつるに、~極く怖ろしき事也」
 となむ被仰ける。然れば~近くも不御ざりける。

 「」で囲った部分が上東門院の発言=会話文で、さらにその中の『』の中が、心の中でこう思った、という心内文(心話文)です。会話文と心内文の始まりが同じところなので、やや見つけづらいかもしれません。かっこや、二重かっこ、改行のおかげで文章はかなり分かりやすくなります。もし会えるのならば、日本語で初めてそれらを使ってくれた人たちに、深くお礼を言いたいです。
 あとちょっと、重要な単語について。
 「日隠しの間」から歌が聞こえてくる場面、

 「コボレテニホフ花ザクラカナ」ト長メケレバ、其ノ音ヲ、院、聞サセ給ヒテ

 の短い中に、「にほふ」「ながめ」「きこしめす」と要注意単語が連続して出てきます。
 にほふ……色が美しい。視覚の意味で使われます。いい香りがするという嗅覚の意味もあります。
 ながめ(ながむ)……声を出して歌をよむこと。漢字で書くと「詠め」。「眺め」「長雨」は同音異義語。(『鈴鹿本 今昔物語集』に書かれている「長め」の表記は、もともとは声を長く伸ばして歌を詠んだことからとされています)
 きこしめす……「聞く」の尊敬語だけではなく、「食ふ」「飲む」「(土地を)治む」の尊敬語でも使われます。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』 岩波書店 小町谷照彦校注 1990年1月19日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/04/09
 かぎかっこの付け方(「日隠しの間の『くせ』」→『日隠しの間のくせ』)を修正しました。
 改行を修正しました。(「ながめ」について書いている箇所に、余分な改行が入っていたため削除)

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2020.04.01

不気味なお堂にしけこむ ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(4)

 今は昔。正親の司で大夫を務めていた男の話です。
 大夫が若かったころ、とあるお屋敷に仕えていた女と恋仲になり、毎晩のようにその人のもとへ通うようになりました。ところが、物事が立て込んでしまい、しばらく会えなくなりました。男は事を片付けて身が空くとすぐ、間を取り持っていた女に、
「今夜、彼女に会いたい。伝えてもらえないか」
 と、持ちかけました。すると女は、
「あのお方をこちらにお呼びするのは難しいことではないのですが、あいにく、今夜はこの家に古くからの知り合いが来ておりまして、泊まることになっております。こちらには、お二人に過ごしていただけるようなところがありません。申し訳ないことです」
 と断ったのです。それを大夫は「嘘をついているのではないか」と疑いましたが、女の家に寄ってみると、馬や下々の者たちが多くいたので、「まことに、隠れるとこさえないな」と分かりました。
 そこで、女はしばらく考えたのち、大夫に尋ねました。
「このようなこといかがでしょう。ここから西の方に、人が居ないお堂があります。今宵だけは、そちらの堂にお二人でいらっしゃっては」
 大夫が、それはいい、とうなずくと、すぐに女は彼女を迎えに行きました。
 大夫がしばらく待っていると、彼女が手を引かれてやってきました。「では、こちらへおいで下さい」と、女は、二人を連れて西へ一町ほど行くと、古いお堂がありました。女は、そこの戸を開け、家から持ってきた薄い布を一枚敷き、
「また、暁にお迎えに参ります」
 とだけ言い残し、彼女を大夫に任せて、帰って行きました。
 大夫と彼女、二人だけになると、身を寄せて敷物に横たわり、恋心を言い交しました。従わせている者もいなくて、二人だけで、古いお堂にいましたので、時が経って、ふと我に返ると、背中が冷えるような気味悪さがありました。
 大夫が、そろそろ真夜中だろうか、などと考えておりましたら、お堂の奥、仏様の後ろに、ぽつり、と火が灯りました。「人が居たのか」と思っていると、一人の女童が火を持って現れ、仏様の前に捧げ置いたのです。
 大夫が、「これは大ごとになった」と困っているうちに、仏様の後ろから、気高いをまとった女房が現れました。おかしなことだとも、恐ろしくとも思って、敷物から起き上がり座っていましたら、その女房は、一間ほど離れたところで、顔を横に向けたまま、いっとき、大夫を見ていました。そして、
「ここに、どなたさまがいらっしゃったのでしょうか。とても良くないことです。わたくしは、ここの主でございます。なぜ、わたくしにひと言も無く、お入りになったのですか。ここは、いにしえから人が宿るところではありません」
 と言いました。その声は、氷のように冷たく、大夫は、ことばが出せなくなるほど恐ろしくなりました。
 大夫は、震える声でなんとか答えました。
「私は、あなたの、ような、方が、いらっしゃる、ところとは、存じ上げ、なかったのです。知り合いの、女、に、『今宵だけは、こちらで』、と、言われて、連れて、こられたのです。なんとも、申し訳、ない、ことをいたしました」
「そうですか。分かりました。それでは、すぐにここから出てゆきなさい。出ないと言うのならば、きっと良くないことがありますよ」
 女房の姿でしたが、なんとも言えない恐ろしさで、大夫はすぐに恋人を起こして、お堂から出ようとしました。ところが、恋人は雨に濡れたように汗をかき、足に力が入らなくて、立つこともできません。それでも、強く引っ張るようにして、二人はお堂から出ました。
 大夫は、力の抜けた恋人の腕を肩に掛けて、急いで帰ろうとしますが、やはり、恋人のは歩くことができません。それでもなんとかして、恋人が仕えている屋敷まで連れて行き、門を叩いて開かせ、中に押し込みました。大夫は、後も見ないで、みずからの家に帰りました。
 家に帰りついた大夫でしたが、お堂であったことを思い出すと、髪の毛が逆立つほど気持ちが悪くなり、次の日も、ずっと寝床で横になっていました。。
 陽の沈むころになり、ようやく、歩くこともできなくなっていた恋人のことが気掛かりになってきました。そこで、間を取り持ちお堂へ連れて行った女の家に行き、そのあとのことを聞きだしました。
「あちらのお方は、お屋敷に帰ったあとも、ぐったりとして何か分からないうわごとを口にするばかりで、すぐに死んでしまうように見えたそうです。『何があったのか!』と周りの方が声を掛けましたが、一言もお答えになることができないまま。家の主さまも騒ぎに気が付かれ、驚いていらっしゃったとか。ただ、しまいには、治る見込みが無いということで、身寄りがいらっしゃらなかったあのお方は、すぐに作られた仮の小屋へ入れられ、そのまま亡くなりました……」
 大夫は、とても驚き、実は昨夜このようなことがあったのだ、と女に話し、また、
「あんな、鬼が住んでいるところに私たちを連れて行ったのか。こんなむごいことをして!」
 と責めたのですが、女も、まさか、そのようなところだとは知らなかったと答えるばかりで、こうなってしまってはどうしようもない、とそれきりになりました。
 このお話は、大夫みずからが、年老いてから語られたことだと、聞き伝えられています。そのお堂ですか? ええ、いまでも残っていて、七条大宮の辺りにあるとか……。それより他は、詳しく存じ上げません。
 そのようなことがありましたので、人が居ないと言われている古いお堂には、泊まってはいけない、と語り継がれております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第16話「正親の大夫□、若き時鬼に値ふ語」の現代語訳です。
 見出しでは「鬼」という単語が使われていますが、本文には「鬼」は出てこなくて、古いお堂に「女房」(と、お供の少女)が出てきます。編者が「『女房』の正体は『鬼』だろう」と考えて、その見出しになったのでしょう。
 ただ、状況はとてつもなく怖いです。真夜中のデートでひとけのないところを選んだら、物陰から、少女を連れた、いかにも位の高そうな女の人が出てきて、『なぜ、ここに入ってきた? ここは私のおうち。昔々から人は来ない。……早く、去れ。悪いことが起きても知らない」と言われるのです。
 その後、つい先ほどまでイチャイチャしていた彼女は、汗を大量に流し、足はふらふら。どうにか家に送り届けられたものの、命を落としてしまいます。恋人が亡くなる場面は、「すぐに作られた仮の小屋へ入れられ、そのまま亡くなりました」と訳しました。ここの原文は、「仮屋ヲ造テ被出タリケレバ、程モ無ク死給ヒケリ」です。意識朦朧、体力低下状態の人を、小屋に閉じ込めるなんて残酷に思われますが、注釈には、「死穢を避けるために仮の小屋を造って。回復の見込みのない病人を家の外に出す例は→巻二六・20、巻31・30」とあります。周りの人が「死の連鎖」を避けたいと考えたためで、当時の習慣で珍しくなかったようです。
 以前からある建物に「もののけ」が出る話は、巻27第2話でも訳しました。第16話は、それと裏返しの物語になっています。第2話では、宇多院が建物の所有権を主張して、源融の亡霊を一喝して退散させました。こちらは、「女房」が「丸ハ此ノ主也。何デカ主も不云ズシテ、此ハ来レル」と大夫を淡々と詰めます。真夜中に、得体のしれない女房(のように見えるもの)にそんなふうに言われたら、とっとと逃げるしかありません。第2話の源融の亡霊を改めて考えると、宇多院に「源融か?」と質問されて、「はい、そうです」と素直に答えたのが源融の敗因かもしれません。人は「正体が分からない」ものを恐れるのですから。
 女房の正体は全く分かりませんが、正親の大夫の正体もあいまいです。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの『鈴鹿本 今昔物語集』を見てみましょう。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 画像通し番号457の3行目の見出しと、4行目の本文冒頭とに不自然な部分があります。3行目「正親大夫 若時値鬼語」、4行目「今昔正親ノ大夫 ノ ト云フ」と、空白が入れられています。これが『今昔物語集』の大きな特徴「欠字」です。編者がわざと空白を入れたと考えられています。第16話では、正親司という役所に勤めていた大夫の「○○さん」にしているのです。
 なぜ、編者はこのようなことをしたのか。どうやら彼は「分かる限りは固有名詞を書きたい」と考えていたようです。ただ、第16話を編集していた時、「正親の大夫」までは分かっていたけど、名前が分からなかった。そこで、「後で分かった時に書き込もう」と保留にして、空白を入れて数文字分空けたとされています。『今昔物語集』には、このような「欠字」(空白)が至る所にあります。
 そうなると、「名前を調べ上げるだけで、そうとうな苦労があるんじゃないの?」と疑問も浮かんできますが、これまた編者のルールがあるようで、「五位以上の官位を持つ人は名前を明記したい」[1]ということのようです。もともと、正親司はトップでも正六位なので、彼のルールでは書かれないはずです。ただ、この話の主人公は「五位」になっていて「大夫」と呼ばれていたため、編者の本名明記ルールが当てはまってしまった(そして、分からなくて書けなかった)わけです。
 現代に出版されている『今昔物語集』の欠字(空白)部分は、「□」を入れて分かりやすくしてくれています。私がここで現代語訳を書くときは、なんとか、工夫やごまかしをして「□」を残さないようにしています。編者と勝負している気分です。


 注
 [1]「固有名詞のうち、資料にないのにあえて本集が書こうとした人名は位が五位以上とされ、名もない民衆レベルは最初から問題にされない。「男」とか「女」ですまされる。」(『今昔物語集を学ぶ人のために』301ページ)

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編2003年1月20日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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2020.03.27

二人の妻の見分け方 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(3)

 今は昔。京に住む使い走りの男とそいつの妻の話だ。ある日の夕暮れ、妻が「ちょっと、そこまで出かけてくるから」って大路へ出かけってった。そのあと、どんどん外は暗くなってくのに、帰ってこない。ほんの先も見えなくなってもね。だから、男は「遅すぎるんじゃないか?」って気がかりでしょうがなかったんだけど、少ししたら、妻は、ふらっと何もなかったみたいに家に入ってきたんだ。
 でも、しばらくして、男は何が何だか分かんなくなるくらいにびっくりした。ついさっき帰ってきた妻と、まったく同じ顔、頭から足の先まで全く同じ姿の女が入ってきたんだよ。男は「二人の妻」を見てるうちに、頭がぐるぐる回ってこんがらがってきた。
「なんなんだよこれ! ……うーん、どっちか一人は狐なんかが化けたやつだろう」
 って考えたんだけど、でも、どっちがどっちか。間違いなくこっちが己の妻だ、っていうのがまるっきり分かんない。あれこれさんざん考えてから、
「後に入ってきた『妻』のやつが、きっと狐だろう」
 と思って、すぐに、男は刀を抜いて、そっちの「妻」に飛びかかって切り捨てようとしたんだ。そしたら、その「妻」が、
「どうしてっ! なんで私にそんなことを!」
 と声を上げて泣き出したもんだから、男は向きを変えて、次は、先に入ってきた「妻」を切ろうとした。やっぱりそっちも、もう一人の「妻」と同じようなことを言って、手のひらをすり合わせて、わんわんと泣き出してしまった。
 「二人の妻」が大騒ぎして、男はどうしたらいいか、もっと分かんなくなって、三人揃って、ああだこうだと騒いでいるうちに、頭が煮えてしまったんだろうな、そのうち、「やっぱり、前に入って来た『妻』が怪しいな」って思えてきたから、そっちの「妻」に飛びかかってひっ捕まえた。
 そしたら、その「妻」が、そりゃあ酷く臭いおしっこを、びゃーっ、と霧みたいにして、男に引っ掛けた。
 あんまり臭かったから、男は堪えきれなくて、捕まえていた手を離したんだよ。そしたら、おしっこを引っ掛けた「妻」は、ぱっと狐の姿に戻って、開けっ放しになってた戸から大路に飛び出て、「コン、コン」と鳴いてから、暗闇に消えていった。それを見て、男は腹立つし、悔しいし。けど、そうなったらどうしようもないよね。
 この話、落ち着いて思ってみると、男はちょっと考えが足りなかったんじゃないかって。だって、少し頭を働かせたら、二人の「妻」をどっちも捕まえて、柱にでも縛りつけておけば、そのうち、狐が音をあげて元の姿を現したんじゃないかな。それが出来なかったどころか、思い付くことさえなくて、狐をあっさり逃がしてしまったんだから、そりゃ、悔しいよ。近くの家の人たちも集まってきて、大騒ぎしながら、
「狐のやつ、しょうもないことするなあ。命がけでするようなことじゃないのに。でも、なんとか生きて逃げることができたわけだ。おおかた、妻が大路を歩いているのを見て、だましてやろうって軽く考えて、化けて来たんだろうな」
 なんて話したんだってさ。
 この話で思うとしたら、同じ人が二人いるなんて、おかしなことが起こったら、慌てないで心を落ち着けて、しっかり考えないといけないってことかな。「あやうく、己の妻を殺しかかったんだよ。そうならなかったのは、たまたま幸いだっただけ」
 そんなことを、みんな言い合ったって語り継がれてるよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第39話「狐、人の妻の形と変じて家に来る語」の現代語訳です。
 巻27は「本朝付霊鬼」という副題が付いているだけあって、亡霊やら鬼やらが出てくる、恐怖の血みどろ話が続きます。ところが、後半に入ると、猪や狐といった動物も出てきます。これは、編者が、何だかよく分からないものや正体を隠すものをひっくるめて「霊鬼」の巻に入れたと思われます。
 この話は、狐が、ある男の妻に化けて来て、逃げ去るまでのことと、狐対策が書かれています。これ、「化けて出て不思議だね、しっかり考えて気を付けようね」というよりも、始めから終わりまで全て「行動も考え方も乱暴すぎる」と思ってしまいます。男は何の根拠もなく、後に入ってきた方が狐だ、いや、先の方だと考えてたり、いきなり刀を抜いたり(刀で反射させた光が怪しいものを追い払う力を持っていると考えられていたとしても)、狐の逃げ方が排尿だったり、近所の人の感想だったり、二人の妻をどちらも縛り付けてればよかったのにというのも、運が良かっただけだねというのも、全部が乱暴です。でも、その乱暴な考え方をストレートに書くことで、人間臭さを浮き彫りにしているようにも思えます。
 臭いと言えば、妻に化けた狐の逃げ方です。ある種の動物が、ピンチを回避する時に悪臭を出すこともある、という話は知られています。ただ、この話でその流れをまとめると、
 1.男が、先に入って来た妻を拘束する。
 2.捕まえられた妻が尿を放つ。
 3.男に尿が掛かる。
 4.臭過ぎて男が手を放す。
 5.狐が正体を現して、逃げる。
 です。
 2と3の場面は、原文に「其ノ妻、奇異ク臭キ尿ヲ散ト馳懸タリケレバ」とあります。狐に戻ってからではなく、妻の姿に化けたままで、それをしてます。なかなか強烈な絵面です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号483の3行目がその箇所です(巻27第39話は482から483に書かれています)。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「臭キ」ではなく「臰キ」と書かれています。「臰」が正しく表示されていないかもしれません。Unicodeでは、"U+81F0"の漢字です。

 「Unihan data for U+81F0」
 http://www.unicode.org/cgi-bin/GetUnihanData.pl?codepoint=81f0

 原田宗典さんがエッセイで、「『臭』という字は『自らの大』と書くから、『くさい』が伝わってくる」というようなことをお書きになっていたように記憶しています(今、手元に原田さんの本を置いていなくて、どの本かを確かめられません。申し訳ないことです)。『鈴鹿本 今昔物語集』の「くさキ」は、「『自』らの『死』」の「臰キ」なのですから、とんでもないにおいだったのでしょう。「Unihan data for U+81F0」の「kJapaneseKun」の項目を見ると「KUSAAI」とあります。「くさあい」です。伝わってきます。
 ちょっとだけ文法。
 化けた狐の対処方法は「二人ノ妻ヲ捕ヘテ縛リ付テ置タラマシカバ、終ニハ顕レナマシ。」とあります。「Aましかば、Bまし。」は、「もし、Aだったら、Bだったのに。」と、実際にはそうならなかったけど、というのを表します(「反実仮想」と呼ばれてます)。英語の「仮定法過去」の、面倒臰いあれみたいなものです。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『新英和中辞典 第6版』 研究社 竹林滋・吉川道夫・小川繁司編 1994年11月
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/29
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2020.03.23

手招きが恐れるもの ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(2)

 今は昔の話でございます。桃園というところ、ここは世尊寺があるところでございますが、お寺が建つもっと前は、西宮の左大臣、源高明さまが住んでいらっしゃいました。これは、そのころのお話です。
 寝殿の辰巳の方にあった母屋の柱には、木の節が残っていました。それがある日、ぽろっと落ちて、穴が開いたのです。柱にできた穴ですからさほど深くはない、はずでした。しかし、夜になると、小さな子の手がすうっと伸び出て、人を呼び込むように手招きをするのです。
 高明さまはこれをお聞きになると、とても驚き、怪しいことだとお思いになりましたので、その穴の上に、経文を結わえさせました。ところが、全く変わらず、節穴から手は伸び、人を招きます。それでは、と次は仏さまのお姿を彫ったものをその柱にお掛けになりました。しかし、何事も無かったかのように、手は伸び、人を招きます。二晩、三晩の間を空けて、真夜中、人々が寝静まる頃合いになると、中へ迎え入れるかのように、節穴から小さな子の手は現れ、人を招きます。
 そのようなことが続いた夜、ある人が、少し試しに、と矢を一本、穴に入れてみたのです。すると、矢が刺さっている間は、手が出てこなくなりました。その後、矢の幹を抜いて、鋭くとがった矢先だけを穴の奥深くに打ち込むと、招く手が出てくることはぴたりと止みました。
 この話を思うたびに、もやもやしてしまうのです。人を招く小さな手、などというのは、何かのものの霊がすることでしょう。それでしたら、お経や仏さまのお力で払うことができるはずです。なのに、武士の使う矢が効いたのですよ。これでは、仏さまよりも、矢のほうがありがたく力が強くて、霊は恐れているということではありませんか……。話を聞いた人たちはみんな、こんなおかしなことは無い、と語り継いでおります。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第3話「桃園の柱の穴より指し出づる児の手、人を招く語」の現代語訳です。
 ひとつ前の第2話は、源融の霊に対応した宇多院の強さが語られています。そちらは「普通は仏教の力が物の怪を退治するけれども、ことばだけで追い払う帝王の力も同じくらいすごい」というような言いっぷりで、「それなら、まだ理解できる」と思っている様子でしたが、第3話は「なぜ、どうして、分からない!」と驚きに満ちた終わり方になっています。人を招く小さな手は、源融のように権力を持った人に由来していません。招く手の正体は「者ノ霊」、つまり「何かの霊程度」と書いていて、かなり侮っています。そんな大した存在ではないはずなのに、お経が書かれたお札が効かない、仏像も効かなかったのです。
 そんな招く手に、最終的に効いたのは、「或ル人」が試した「征箭ノ身」(矢じり、矢先)でした。名前も伝わっていない人が使った武器の一部のほうが、お経や仏さまよりも効いたのです。仏教説話集を取りまとめているなか、仏教の力が全く効かない話を知った時、編者はどのように感じたでしょう。混乱するだけだったかもしれません。原文では、
「其ノ時ノ人皆此レヲ聞テ、此ナム怪シビ疑ヒケルトナム語リ伝ヘタルトヤ」
 と、この事件があった当時の人が驚いたように書かれていますが、実のところ、これは編者自身の驚きで、
「此レヲ思フニ、心不得ヌ事也」(この話を思うと、納得できないのです)
 が、編者の率直な思いでしょう。
 仏教説話集を編んでいる人にとって、この話は「都合の悪いこと」です。できれば、見なかったことにしたい、書き残したくないはずです。それなのに、巻27の初めのほうに入れています。編者は見過ごせなかった、あるいは「好奇心が勝った」のかもしれません。
 このように、編者の好奇心が突き動かされたのは、自分の周りの雰囲気に影響を受けた可能性もあります。『今昔物語集』は12世紀の前半に書かれたとされています。日本史に重ねると、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)の直前です。公家の時代から武士の時代へ移りつつある世の中を肌で感じていたからこそ、編者は、過去の話を引き合いに出して、仏教に勝った武力・戦闘力の話を無視せず、書き入れたと考えられます。

 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』には、画像通し番号444に、この話が書かれています。この話の冒頭に当たる7行目を見ると、「本ハ寺ニモ无クテ」とあります。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 操作画面の右端の「≪MORE INFORMATION」をクリック、タップしてみてください。写真に書かれているものを文字データで見ることができます。先ほどのところは「本ハ寺ニモ無クテ」になっています。「無」と「无」の違いです。言い換えると、「無」と「无」は意味が同じで、書き方が違うだけです。
 現代語では、「む」「ない」を漢字で書くときは「無」が使われます。「それじゃ、『无』は消え失せてしまったの」かというと、そうではなく、なじみ深いものに姿を変えて私たちの身近にいます。「无」をくずし字にしてできたのが、ひらがなの「ん」です。「ム」=「無」=「无」=「ん」ということになります。
 このつながりを踏まえると、任天堂のゲーム『ファイアーエムブレム』を「ファイアーエンブレム」と書き間違えるのは仕方ないことと思えます。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 別冊國文學『今昔物語集宇治拾遺物語集必携』 學燈社 三木紀人編 1988年5月1日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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2020.03.22

居座る霊を圧倒した声音 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(1)

 今は昔のお話しでございます。河原の院は、もともとは、左大臣源融さまがお造りになり、住んでいらっしゃったお屋敷で、そこはたいへんに趣深い造りになっていました。例えば、陸奥の国の塩釜に似せた池を掘り、海の水を汲み入れて、満たしたとか。これだけでも見ものでありますが、ほかにも、雅やかな目を見張らんばかりのこしらえをして、日々を過ごしておられたということです。
 左大臣が亡くなったのちは、息子の昇の大納言さまが、宇多院にそのお屋敷を差し上げました。こうしたいきさつで、宇多院が河原の院にお住みになったのです。時折、御子であらせられた醍醐帝が行幸なさり、お屋敷の内はそれは素晴らしい気色であったようです。
 そのように、宇多院がいらっしゃった時の、夜中の頃合いに起こったことでございます。西の対の屋、塗籠の戸を開き、さらりさらりと衣擦れの音とともに歩き来る、なにかの気が起こりました。院がそちらをご覧になると、束帯をぴしりと着た人が、太刀を帯び、笏を手に取り、二間ほど離れたところで畏まっていたのです。院はその人に、静かに短く問われました。その人は畏まったまま申し上げます。
「おまえは何者だ?」
「この家の主の年寄りでございます」
「融の左大臣か?」
「さようでございます」
「何故来たのか?」
「ここが我が家でございますので、住んでおります。こうして院がいらっしゃいますと、心が縮こまり、身の置き所に困っております。いかが致せばよろしいでしょうか?」
 すると、院はさっと厳しいお顔付きになられ、
「ほう……、それは、おかしなことを言うものよ。私は人の持っていた家を奪い取って住んでいたか? 融の左大臣の亡き後、その子が譲ってくれたから住んでいるだけであろう。ものに過ぎない霊ではあるが……、この世の中の理を分からず、なにゆえそのようなことを口にするか!」
 と、声音高らかにおっしゃいますと、霊はふっと消え失せました。このことがあってから、融の左大臣だという霊は、ふたたびは現れなかったのです。
 その時のひとびとは、院のお振る舞いを耳にして、恐れ多く思い、
「やはり、院は、そこらのただの人とは違っていらっしゃる。あの融の左大臣だったという霊に会って、このように真っ向からお話しできる人などいない」と語り伝えられております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第2話、「川原の院の融の左大臣の霊を、宇陀の院見給ふ語」の現代語訳です。
 『今昔物語集』は仏教説話集ですので、怪異のものを、仏様やお坊さん、お経が払いのけるなどして、人を救う話が多く収められています。しかし、「世俗部」と呼ばれている巻にはそれに当てはまらない話も、これまた、たくさんあります。今回訳した巻27第2話は宇多上皇が源融の霊を叱りつけて引き下がらせています。しかも、「所有権は正しく譲渡された」と、当たり前の理由を突き付け、霊は「確かにそうです。申し訳ありません!」と、宇多院の発言を認めたかのように消え失せるのが興味深いところです。
 ただ、誰もがそうはできないよね、という感想が終わりに書かれています。説話に出てくる霊の力は、生前の地位や知性にだいたい比例します。源融は、嵯峨天皇の第十二皇子で左大臣、勅撰和歌集に4首(その中の古今集の1首は、小倉百人一首の第14番歌に収められています)入るほどのスーパー時めき給うお方ですので、ふさわしい霊力を持っていたはずです。それほどの霊を、冷静に理詰めでさっさと退散させた宇多院は「もっとすげえ!」と話を締めているところが、仏教説話集でありながら、それだけではない「今昔物語集」の面白さです。
 巻27は、京都大学付属図書館の「貴重資料デジタルアーカイブ」で、現存する最古の『今昔物語集』=『鈴鹿本 今昔物語集』の全文を写真で見ることができます。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「川原の院の融の左大臣の霊を、宇陀の院見給う語」は、画像通し番号443から444にかけて書かれています。古い本を見慣れていない方でも、思いのほか読めるのではないでしょうか。くねくね文字ではないですし、漢字がぱっと目に入るような書かれ方がされています。『鈴鹿本 今昔物語集』は、漢字で書けるところは可能な限り漢字で書き、そうではない箇所(活用語尾や、助詞、助動詞など)は小さくカタカナ書きをするスタイルになっています。
 カタカナにもう少し注目してみましょう。カタカナは右寄せで小さく書かれます。通し番号443の右から16行目にある「微妙カリケリ(めでたかりけり)」のように、カタカナ部分が長くなる場合は、1行を半分に割って、カタカナを2行にして詰め込んで書くこともあります。
 もう一か所、17行目、先ほどの「微妙カリケリ」の左上を見ると、「人ノソヨメキテ」と書かれています。「人ノ」の「ノ」は助詞ですので右に小さく書くスタイルが当てはまります。ところが、続く「ソヨメキテ」は、着ている衣の擦れる音や気配がする、という意味の動詞「そよめく」に、助詞「て」がくっついたものです。活用語尾、助詞、助動詞をカタカナで小さく書くというスタイルに、「そよめ」の部分が合いません。これは、「そよめく」ということばを漢字で書くことが不可能だった、「そよめく」に当てはまる漢字が無かった、それで仕方なくカタカナスタイルにしていると考えられています。
「『そよめく』……、衣擦れを表すあのことば、普段使っている『そよめく』に漢字が無い! あー、もう! カタカナで書くしかないじゃん!」
 と思ったかどうかは分かりませんが、このような箇所にぶつかるたび、スタイルを乱さずに書いていた編者(「今昔物語集」の場合、「作者」ではなく「編者」と呼ぶことが多いです)は、ちょっとは、イラッとしたのではないかな、などと想像がかきたてられます。
 こうして、現代に出版されている本の祖先である、昔々に書かれた元の本を見ると、編者の苦労が、手触りのようにして感じられると思っています。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編 2003年1月20日
 別冊國文學『今昔物語集宇治拾遺物語集必携』 學燈社 三木紀人編 1988年5月1日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/30
 誤字を修正しました。

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2012.01.31

平安時代的超撥水加工技術

 今は昔のお話し。小野宮の太政大臣、藤原実頼さまが饗宴をなさいました。その時は、九条の右大臣、藤原師輔さまが主賓でいらっしゃいました。
 饗宴の引き出物は、女物の装束ひとそろいでした。前駆がそれを持って出ようとしたところ、ふと、何かのはずみで気が逸れたのでしょうか、装束に添えられていた紅の砧打ちの細長の衣が、するり、と手元からこぼれ落としてしまったのです。しかも、その衣は遣水の流れの中に落ちてしまいました。
 前駆は慌てふためきながら、その衣を遣り水から引き上げて、はたはたと振りました。すると、ぱっ、と水は細かく飛び散りました。なんと、それだけで衣はすっかり乾いていたのです。水に浸った方の袖は、少しもその跡を残さず、濡れなかった方の袖と見比べてみても、全く同じように砧打ちの文が浮き上がっていました。この有様を見た人たちは、細長の衣の作りの素晴らしさを褒め称えたのです。
 昔は、砧打ちのものもこのように良い出来でした。今ではお目にかかれないこと、と語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻二十四・第三話「小野の宮の大饗に九条の大臣、打ち衣を得る語」の現代語訳です。
 接待役の前駆が、不注意で衣を水に落としたけれども、あっという間に乾いた、昔の技術は凄いなあ、というお話しです。『今昔物語集』にたまにある「昔は良かった」系の語りです。
 引き出物は装束一式、礼服ひとそろいでしたが、水に落ちたのは「細長」だけでした。細長は、日常的な羽織りものです。そんな普段着でも、良い作りをしていた、昔は凄かったなあ、という、これもたまに出てくるタイプの語りです。
 今年は、ロンドンオリンピックが開催されます。近年は、オリンピックは選手諸氏の技能と共に、選手が着用する衣類、使用する道具類の技術も注目されるようです。陸上選手のスパイクや、チーム競技のユニフォームがよく知られています。前回のオリンピックでは、高速水着が話題になりました。
 超撥水加工、ちょっと振っただけで、水分を全て無くしてしまう繊維技術。平安時代の職人さんがこの時代にやって来たとしたら、記録が塗り変わる、かも、知れません。


 『今昔物語集 四 (新日本古典文学大系36)』 小峯和明校注 岩波書店 1994/11/21 ISBN:4002400360
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2011.12.29

月の兎は跳びはねない

 今は昔のお話しですよ。天竺に兎、狐、猿、三匹の獣がいました。この獣たちは、共に、心の底から仏の道を求めて、悟りを得るための修行、菩薩道ですね、その行いを始めました。
 はじめに、三匹が思ったのは、
「僕たちは、前世で罪深いことをしてしまったために、このような獣の身で生まれてきてしまった。罪というのは、命あるものに思いやりを持たなかったり、自分の持っているものとかお金を惜しんで人に与えなかったことだ。そんな罪を重くして、ついには地獄に落ちた。そして、そこで責め苦を長く受けたけど、罪の重さはそれで無くなりはしなかった。残りの報いは、この世で獣として生きることでつぐなわなければならない。でも、今はもう違う。菩薩の道を進むことにしたのだから、この身を全て投げ打とうじゃないかないか」
 そう決めると、三匹は、年がずっと上のものを親のように手厚く振る舞い、少しでも上だったら兄のように敬う。少し下のものでも、弟のように優しく接して、どんなことでも、自分たちのことは後回しにして、他のものたちのことを先に思って、そのものたちのために働くようにしたのです。
 その姿を、帝釈天がご覧になり、
「あのものたちは、獣の身を受けてしまったが、なかなかない美しい心を持つようになった。しかし、どうであろうか。人であっても、ある者は生き物をつぶし、ある者は盗みを働き、ある者は両親であっても殺し、ある者は兄弟を仇のように憎み、ある者は笑顔の裏に悪い心を隠し、ある者は恋しく想いながらも奥底には怒りを潜めている。まして、獣であるのだから、菩薩の道を行っているように見えても、真の心はどうか分からない。あのものたちを、試してみることにしよう」
 とお思いになられました。そこで、帝釈天はおじいさんに姿を変え、力弱く、疲れ果て、動くのもきつそうなさまです。
 弱々しい姿のおじいさんは、獣たちの前に現れ、言いました。
「私は見ての通り、年老いて、疲れ、もう、なにもできません。皆さん、どうか私の世話をしてくれませんか。私には子はなく、家も貧しい。一口の食べ物もありません。聞くところによると、あなたたちは、思いやりの心が深いというので、ようようやってきたのです」
 これを聞いた、三匹の獣たちは、
「私たちは真の心で菩薩の道を行っています。さあ、ご覧にいれましょう」
 すぐに、それぞれ、得意なことでおじいさんのお世話を始めました。
 猿はするすると木に登り、栗、柿、梨、なつめ、みかん、橘、こくわ、椿、桑、あけびなどを取ってきました。それから、里に駆け下りて、瓜、茄子、大豆、小豆、ささげ、粟、ひえ、きびなども取ってきました。それらを、おじいさんの好みを聞いて差し出しました。
 狐は、祠に行き、人がお供えした、餅、ごはん、鮑、鰹、その他たくさんの魚を持ってきて、これまた美味しく食べられるようにして、おじいさんの前に出しました。おじいさんは、猿と狐の持ってきた食べ物でおなかいっぱいになりました。
 猿と狐は、日ごと次々と、食べ物を持ってきて、おじいさんのお世話をしておりました。おじいさんは、
「猿さんと、狐さんは、本当に深い慈悲の心をお持ちです。あなた方は、もう、菩薩そのものですな」
 と、声を掛けました。
 これを聞いた兎は、このままではいられない、と心を奮い起こして、ともしびなどを持ち出し、夜昼問わず探せるように身支度を整え、飛び出していきました。兎は、耳を、ぴん、と立てて、体を丸めて力を入れて、目は見開き、前足をちょこまかと素早く動かし、お尻の穴は目一杯に開いて、東西南北駆け回りました。それでも、おじいさんのお世話の役に立ちそうなものは、何一つ見つけることはできませんでした。
 すると、猿と狐、果てはおじいさんまでが、兎に力が無いことを情けないと言い、もっと頑張るようにと少し馬鹿にしたように笑いながら励ましました。けれど、やはり兎は何もできませんでした。
 とうとう、菟は、
「僕は、猿さんや狐さんみたいに、おじいさんのお世話が出来るように、ためになりたい。野山を駆け回りたいけど、僕は弱いから、そんな危ないところに行くと、人に殺されたり、他の獣に食い殺されたりしてしまう。僕が望まない形で死んでしまうのはよくないことだ。それならば、僕自身の思いで、この身を投げ打って、おじいさんに食べられることで、この獣の身を離れ、生を全うしよう」
 と、思い詰めたのです。そして、そのままおじいさんの前に行き、
「おじいさん、おじいさん。僕はいいところを見つけました。そこには美味しいものがあります。ちょっとそこに行ってきます。持ってきたらすぐに食べられるように、木を集めて、火をおこして、待っていてください」
 そう言い残して、兎は出て行きました。兎の言ったとおりに、猿は木を集め、狐は火を焚きました。「そろそろ兎さんは戻ってくるだろうか」と皆が思っていると、兎は何も持たずに現れました。
 それを見て、猿と狐は、
「おまえさん、何を持ってきたと言うんだい。まあ、はじめからそんなことだろうとは思っていたんだ。今までなんにもできなかったんだから。嘘をついて僕たちに焚き火を起こさせて、おまえさんはそれでぬくぬくと暖まろう、っていう狙いだったんだろう。ああ、憎らしい」
 と、兎を責めました。しかし、兎は、ぽつり、と言いました。
「僕は、食べ物を持ってくる力はちっともありません。……だから、僕を焼いて食べてください!」
 瞬間、兎はぼうぼうと燃えさかる火に飛び込み、焼け死んでしまいました。
 その時、おじいさんは、元の帝釈天の御姿に戻られました。そして、火に飛び込んだ兎の御影をそのまま月に上げたのです。月の中に哀れみ深い兎の姿を映して、仏道を求める全ての者に見せるためです。
 月をご覧ください。ぼんやりと雲のようなものが掛かっているのは、その悲しい火から立ち上った煙です。月に住んでいるというのは、か弱く慈しみ深い兎です。皆が、月を見るたびに、あの兎のことを思い出せますように……。

――――――――――

 『今昔物語集』巻5・第13話「三つの獣菩薩道を行じ、菟身を焼ける語」の現代語訳です。
 今年、このブログに載せた『今昔物語集』現代語訳が、6月の、『今昔』の中でも下劣の極みにある説話だけでした。それでは、あんまりなので、去りゆくうさぎ年に、有名な説話を訳して、捧げることにしました。
 仏教には「捨身行」というものがあります。その言葉の通り、身を捨てて他に尽くす修行です。捨身行を題材にした説話は数多くありますが、いくらなんでも、普通の人がその通りできるはずはありません。「動物でもこうなのだから」「もともと立派なお坊さんでもさらにこのようなことをしたのだから」と、極端な例を出すことで、他者に対する思いやりを心を人々の中に喚起させる意味合いがあるのでしょう。
 だから、現代で、
「うさぎでも思い切ってやったのだから」
 と、鵜呑みにして他の人に無理強いしてはいけません。
 もう一つ、この説話の注目点は、月の陰影の起源説話である、ということだと思います。
 月の陰が何故生まれたのか、それの語りは、世界各地にあります。それこそ、世界中と言っても過ぎないほどです。手元の『世界神話事典』(角川書店・1994年)には、「月の陰影の由来」の項目があり、インド・ミャンマー・アフリカ・フランス・中国・日本・ブラジル・インドネシア・ポリネシア・ドイツ・北アメリカにおける月の陰影神話について解説されています。
 インド・ミャンマー・アフリカの神話・伝承では、月と兎が関係しているとあります。インドとミャンマーは、ひとつところから派生したのかもしれない、と思いますが、アフリカでも兎が出てくるというのは、不思議な縁です。
 他の地域の神話・伝承を見ると、それが月の特性と関連づけられていることが分かります。

 1.満ち欠けを繰り返す
  a.不死性 ― 新月(死)の後に復活を果たすことから、不死をテーマにした語りが生まれる。
  b.永遠性 ― 月が終わりのないものとされる。そこから、罰を受けた者が永遠に赦されることなく封じ込められる、など。
 2.生命のイメージ
  女性の生理と関連し、実りや繁栄の語りなされる。海の満ち引きから、水が呼び起こされる。水は生命の源である。

 大きく分けて、上の二つのパターンに分かれるようです。
 では、日本に伝わる、「月のうさぎの餅つき」はどうでしょう。もともと、この伝承は、中国伝来のもので、本来は兎ではなく、ガマガエルでした。不死の薬を盗んだ女が、その罰でガマガエルに姿を変えられてしまいます。しかし、逃げ込んだ先の月で、持っていた不死の薬の力により生き続けることになりました。
 日本にそれが伝わりましたが、いつの間にか、ガマガエルが兎に変わっています。これは、古くは薬は「搗いて」作るものでした。その「搗く」行為が日本では「餅」と関わりが深かったために変化したからと思われます(弥生時代から水稲栽培が盛んであったため)。
 また、ガマガエルは、冬眠することから、死と再生を繰り返す存在であり、月の満ち欠けとつながっています。さらに、柳田国男は、餅は心臓を象ったものである、としています。
 日本の「餅つきうさぎ」は、永久不変・死と再生・実り、豊饒・不死……、月の特徴が山盛りになった伝承です。


 参考文献
 『世界神話辞典』 大林太良・伊藤清司・吉田敦彦・松村一男編 角川書店 1994/01
 『岩波仏教辞典』 中村元・福永光司・田村芳朗・今野達編 岩波書店 1989/12

 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2011.06.16

彼は静かに凶器を取り出した

 ※『今昔物語集』の説話を訳しました。今回は、しもがかったお話しです。十八歳未満禁止、ということはないと思いますが、ご承知置きの上、ご覧ください。

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 巻二十八の二十五話 弾正台の次官・源顕定さまが超合金をお出しになり、笑われたお話し

 今は昔のお話しでございます。藤原範国さまが五位の蔵人でいらっしゃった頃の出来事です。紫宸殿で公卿の皆様がお揃いになり、会議が行われました。その会議は、右大臣・小野宮藤原実資さまが座の首席、範国さまは儀を進める役を務められていらっしゃいました。
 会議は滞りなく進んでおりました。そして、範国さまが帝に奏上される文書を、実資さまからお受け取りになる、その大事な時にそれは起こったのです。範国さまは、居住まいを正して実資さまのお言葉を承っていらっしゃっいました。同じ場、紫宸殿の東の端には、弾正台の次官で源顕定さまという方が座っておられました。顕定さまは、おごそかなその中で、いきなり、袴の間から、二十センチ砲を放り出したのです。実資さまは座の奥の方にいらっしゃいましたので、その振る舞いはお目に入りませんでした。ですが、範国さまは、座の南にいらっしゃいましたので、それをまともにご覧になってしまいました。そして、たまらず噴きだしたのです。
 実資さまは、ご自身がお話しになっているさなかに、わけも無く、―もちろん、わけは顕定さまなのですが、実資さまはそれがお分かりになりません―、いきなり範国さまが噴きだして笑われましたので、
「どうしてお前は、公の場で、大切なことばが下されているときに、そのように笑うのだっ!」
と、たいへんご立腹されたのです。しかも、それでことは終わらず、五位の蔵人範国が公事で不真面目なそぶりであった、と帝にまで奏上されてしまいました。範国さまはすっかり肩身が狭くなり、噴きだしたことがとんでもないおおごとになったことに恐れおののいてしまわれました。しかし、言い訳をしようにも、
「あの顕定の朝臣が、毛のはえた拳銃を出しておりましたので……」
などと、申しあげることは、できるはずもありません。その様子を一部始終見ておられた張本人の顕定さまは、胸の内でとてもおかしく思っていらっしゃったのだとか。
 このことを知った人々は、時と所をわきまえずに、つまらない冗談をするものではない、と語り継いでおりますよ。

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 『今昔物語集』巻28・第25話「弾正の弼・源顕定、まらを出して咲はるる語」の現代語訳です。
 このブログで初めて公開した「下ネタ説話」のはずです。初めてなので、かなり遊んで訳してみました。
 表題の「超合金」、本文中の「二十センチ砲」「毛のはえた拳銃」は全て同じモノを指しています。
 これらの婉曲表現は、『官能小説用語表現辞典』(永田守弘編・ちくま文庫)に掲載されているものを拝借しました。全て、実際に刊行された小説に使われている表現です。『官能小説用語表現辞典』にはこの他にも、バラエティに富んだ表現が紹介されています。「辞典」として使うにはやや難があるように思いますが、読み物としてページを開けば、これ以上ない笑いの種本になると思います。
 『今昔物語集』には、直接的な性の表現が多く見られます。「超合金」「二十センチ砲」「毛のはえた拳銃」とあてたモノは「まら」(もんがまえに牛、という漢字ですが、表示できない場合がありますので、ひらがなで書きます)と書かれています。現代でも「魔羅」と書かれることがあります。もともとは仏教用語で、心を惑わし、仏道の妨げとなる存在の意味です。そこから転じて、男根を指すようになりました。対して、女陰は「開」(つび)、や「前」と書かれています。「前」はやや婉曲の気がありますが、「まら」や「つび」は、回りくどい書き方をせずに、そのままの表現です。
 芥川龍之介は『今昔物語鑑賞』(1927年)の中で、巻26・第2話「東の方に行く者、蕪を娶ぎて子を生む語」を挙げ、「其の穴を娶て婬を成し」「皺干たりけるを搔削て」などの表現を「写生的筆致」とし、そこに「brutality(野生)の美しさ」を見出しています。セクシャルな事物でも、下手な加減をせずに、素直に直接的なことば・表現を以て伝えようとしていることが『今昔物語集』の特性であり、それが、本集の登場人物に躍動感を与え、出来事に現実味を持たせているように思います。
 巻28・第25話に戻りましょう。何故、源顕定は、大切な会議の最中に男根を出して、藤原範国を笑わせるなどという奇矯なふるまいを取ったのでしょうか。確かに、張り詰めた場で、このようなことをすれば、笑いが起こるでしょう。笑いは場の雰囲気を転換させ、人々の緊張を解きほぐす良い効果を生むことがあります。しかし、この場合は、範国は右大臣・藤原実資の怒りを買い、天皇にもその不始末が奏上され、すっかり立場が悪くなっています。良い結果になっているとは、到底思えません。
 この説話の元ネタとされている『江談抄』には、藤原範国が五位の蔵人に任じられた時、藤原実資がその人事に対して不快感を口にし、それが関白・藤原頼通の耳に入り、咎められた、という説話が収められています(新日本古典文学大系・『江談抄 中外抄 富家語』39ページ、『今昔物語集 五』239ページ注釈)。
 『今昔物語集』のこの「笑い話」の前に、『江談抄』の出来事があったのです。それを踏まえて、もう一度、まらを出した話しを読むと、なんとも嫌な仕返しの構図が見えてきます。つまり、顕定は実資サイドの人物で、実資が受けた勘の「仇討ち」をするために、会議で範国だけを笑わせ、公の場で責めを負わせたのです。
 巻28の中でも、下ネタに特化した笑い話にも見えるこの説話の裏に、薄暗い派閥間の争いが見え隠れしています。
 上の現代語訳を通常の現代語訳としてお使いになる場合は、「超合金」「二十センチ砲」「毛のはえた拳銃」は、「まら」に相当する一般的な現代語で、皆様、適宜読み替えてください。


 参考文献
 『官能小説用語表現辞典』 永田守弘 筑摩書房 2006/10 ISBN:4480422331

 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.06.07

年の功は国の幸

 今は昔のお話しです。天竺に七十歳を過ぎると国を追い出されて、よその国に捨てられてしまうというきまりのある国がありました。
 その国に一人の大臣がおりました。大臣には年を取った母親がいたのです。その大臣はたいへんな親思いで、一日中母のことを気に掛け、大切にしていました。その母親も七十歳になり、国のきまりに従って国の外に追い出さなければなりませんでした。しかし、大臣はどうしても母親を捨てることができなかったのです。
「朝、お母さんの顔を見て夕方会わないだけでも心配でならない。それなのに遠くの土地にお母さんを置き去りにして別れなければならないなんて、耐えられるわけがない」
 と思い、母親を捨てずに、自分の家の裏に穴を掘って部屋を作り、母親をそこに隠して住まわせることにしたのです。そのことは、世間の人はもちろん、家の人たちにも知らせずに内緒にしたのです。
 数年が経ち、その国にたいへんな出来事が起こりました。隣の国から、一通の手紙を持った使いがやってきたのです。その使いは同じような体つきの雌馬を二匹連れていました。
「この二匹の馬のどちらが親で、どちらが子か、印を付けて返事をもらいたい。もしそれができなければ、軍を上げて貴国を攻めて、七日で滅ぼしてしまおう」
 と告げてきたのです。国王は困り果てて大臣を呼び寄せておっしゃいました。
「どうしたものか見当もつかない。もし何かいい考えがあれば申しなさい」
 大臣は、
「すぐにはよい案が思いつきそうにありません。いったんこちらを下がり、考えさせてください」
 と申し上げ、考えました。
「難しい問題だが、長生きしているお母さんなら、この答えを聞いたことがあるかもしれない」
 大臣は、急いで家に帰り、人に見つからないように奥の部屋に行き、母親に尋ねました。
「隣の国からこのような難しい問いが出されました。どのように返事をすればいいでしょう。この答えが分かりますか?」
 すると母親はすぐに言ったのです。
「若い時に、この話しを聞いたことがあるよ。同じような二匹の馬の親子を決めるには、その馬たちの間にえさの草を置いてみればいいわ。先に草を食べ始めるのが子供で、後から残った草を食べるのが親なのよ」
 これを聞いた大臣は、すぐに国王の元に戻りました。国王が、
「何か思いついたのか?」
 と、問われたので、大臣は母親の考えだいうことは隠して、答えを申し上げました。国王は、
「なるほど、もっともな話しだ」
 とお思いになり、その通りに二匹の馬の間に草を置かせました。すると、片方の馬がすぐに草を食べ始め、もう一方の馬が残りを食べ始めました。このようにして分かった馬の親子にそれぞれ印を付けて、隣の国に送り返しました。
 しばらくして、ふたたび隣の国から手紙が送られてきました。そこには、
「これのどちらが根本でどちらが先か分かるでしょうか?」
 とあり、漆が塗られた一本の木の棒が添えられていました。国王はまた大臣に答えを問われたので、大臣は家に帰り母親に、このような問題がある、と尋ねました。母親は、
「それは簡単な話ですよ。木の棒を水に浮かべてみればいいのよ。少しだけ沈むのが根元の方。根元に近い方が重くなるからね」
 と、答えました。大臣は国王にその答えを申し上げ、すぐにその通りにしてみました。すると、片方だけが少し沈んだので、そちらに根元という印を付けて、隣の国に送り返しました。
 その後、また隣の国から問いの書かれた手紙が来ました。今度は一頭の象と共にです。
「この象の重さはどれくらいだろうか?」
 というものでした。国王は、
「いっこうに答えが思いつかない。だが、答えられなければ攻め滅ぼされてしまう。一大事だ」
 と悩まれて、大臣を召し出しました。
「これは、どうしたらよかろうか。今度ばかりはなんとも答えようがないように思う」
 と、おっしゃるのを聞き、大臣は、
「まことに難しいことです。しばらく考えさせていただきたいと思います」
 と答え、王宮を出て行きました。国王は、前のように家に帰ってしまう大臣を見て、
「私の前で考えても良さそうなものなのに、大臣はいつも家に帰ってから答えを出してくる。なんともおかしなことだ。家に何かあるのだろうか」
 と、疑いをお持ちになったのです。
 大臣が家から戻ってきたので、国王は怪しみながらも、何か答えが思いついたのか、と問われました。すると、大臣はこのように答えたのです。
「まず象を船に乗せます。その船を水に浮かべて沈んだところに印を付けます。そのあと象を下ろして、同じ船に石を積んでいき印のところまで船を沈ませます。それから石を下ろして一つ一つ重さを量り、最後に全ての石の重さを足します。その石の重さが象の重さと同じということになるでしょう」
 国王はさっそくそのようにして象の重さを量り、答えを書いた返事を隣の国に送りました。
 三つの手紙を送りつけた隣の国では、難しい問いであるにもかかわらず、少しの間違いも無く正しい答えを送り返されてきたことに、たいへん驚き、
「あの国は賢い人々が多くいるようだ。ありきたりの知恵では知りようがないことを、このようにぴたりと答えてきた。このような賢い人がいる国に攻め入っては、かえってやられてしまうことだろう。そうなっては大変だ」
 と考えて、争うことは止めて、お互いに手を結びたいと言ってきました。
 国王はこのような運びになったことを喜び、大臣を召し出しておっしゃいました。
「わが国が恥をかかずに済み、攻められることもなくなった。喜ぶべきことだ。これもすべてお主の力である。それにしても、あれほど難しい問いの数々を、いともたやすく答えることができたのはどうしてなのか?」
 これを聞いた大臣は、涙を流して申し上げたのです。
「国王さま。この国には昔から七十歳を超えた者をよそへ捨てなければならないというきまりがあります。ですが、私には七十歳をとうに超え、七十八になる母がいるのです。わが家の奥に作った部屋に、誰にも知られないようにして住まわせております。その母に隣の国からの問いの答えを聞いていました。年を取った者ならば、いろいろなことを知っているかもしれない、と考えたからです。そのため、いつも王さまの前を下がり、家に帰り母に答えを聞いて、それを申し上げておりました。もし、母がいなければ……」
 国王は、そのようなわけがあったのか、とお分かりになり、
「年を取った者をよそに捨てるというのは、わが国に昔からあるきまりである。なぜこんなきまりができたのか、今となっては分からない。だが、このたびのことで、年を取った者を大事にしなければならないということがはっきりした。よって、このきまりを止め、今まで国の外に追い出した老人たちを、身分も男女も問わず、みんな呼び戻すことにする。また、この国は老いを棄てる国『棄老国』と呼ばれていたが、これからは老いを養う国『養老国』と名を変えることにする」
 と、命令を下されました。
 それから養老国は平和に治められ、民はおだやかに暮らすことができ、国は豊かになっていったと語り継がれておりますよ。

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 『今昔物語集』巻5・第32話「七十に余る人を他国に流し遣りし国の語」の現代語訳です。「うばすてやま」の名で知られる棄老伝説の基本的な形を取った説話です。
 棄老伝説の要素として「難題」が挙げられます。この説話では、
 1.馬の親子の判別
 2.木の棒の根本を知る方法
 3.象の重さを量る
という、三つの難題を老母が解いています。棄老伝説での難題は、このほかにもいろいろとあるようです。『今昔物語集』巻31・第33話の「竹取説話」に書かれる「打たぬ太鼓に鳴る太鼓」などがよく知られています。
 棄老伝説・難題解決譚は、インドを起源にしているようですが、同様の話型は中国、ヨーロッパ、アフリカにもあるらしく、洋の東西を問わず、親しまれてきた物語となっているようです。
 この説話は棄老伝説・難題解決譚がメインですが、養老譚、改心譚、富国譚などの要素が入り交じり、仏教説話集らしく、孝養により国が繁栄した、というハッピーエンドを迎えています。天竺部のラストを飾るにふさわしい説話と言えるのではないでしょうか。
 『今昔物語集』での棄老伝説は、この説話のほかにも、巻30・第9話「信濃の国の夷母棄山の語」があります。こちらには難題解決の要素は無く、歌徳譚、地名起源譚となっています。


 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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