2009.07.10

ひらがなとカタカナの元の字

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てきました。TV版では『新世紀エヴァンゲリオン』だったのが、「ヱ」「ヲ」になったのにはなんらかの理由があるらしいですが、ネタバレになるのもどうかと思うので、ここでは言及しないでおきます。

 本来の理由はなんであれ、現状ではほとんど使われなくなった「ヱ」や、助詞以外での「ヲ」の用法を見ると、目を惹きますね。
 もともとは、「ヰ」「ヱ」「ヲ」などのワ行音も一般名詞で使われていましたが、今は一般的でありません。

 これがもっとさかのぼるとどうなるでしょうか。

 ひらがなは、万葉仮名の草書体を簡略にかいたものです。なので、もともとは漢字だったということですね。カタカナはどうでしょうか。これも万葉仮名の字画の一部分を略して作られたものなので、漢字でした。
 ひらがなの漢字は、草書体なので、崩し字です。漢字を崩して崩して、流して流して、現在のひらがなになりました。
 一方、カタカナは、万葉仮名の「一部」を抜き出したものです。その抜き出した部分は、元の漢字の「途中の部分」ではありません。必ず、初画か終画を抜き出しています(ものによっては、草書体や行書体の初画や終画、全画)。例を挙げますと、初画を抜いたものは「ト」は「止」の最初の二画です。また、終画を抜いたものは「奴」→「ヌ」などがあります。
 それらを一覧にしてみました。

 ひらがな
 あ…安 い…以 う…宇 え…衣 お…於
 か…加 き…幾 く…久 け…計 こ…己
 さ…左 し…之 す…寸 せ…世 そ…曾
 た…太 ち…知 つ…川 て…天 と…止
 な…奈 に…仁 ぬ…奴 ね…祢 の…乃
 は…波 ひ…比 ふ…不 へ…部(旁の阝) ほ…保
 ま…末 み…美 む…武 め…女 も…毛
 や…也     ゆ…由     よ…与
 ら…良 り…利 る…留 れ…礼 ろ…呂
 わ…和 ゐ…為     ゑ…恵 を…遠
 ん…无

 カタカナ
 ア…阿 イ…伊 ウ…宇 エ…江 オ…於
 カ…加 キ…幾 ク…久 ケ…介 コ…己
 サ…散 シ…之 ス…須 セ…世 ソ…曾
 タ…多 チ…千 ツ…州 テ…天 ト…止
 ナ…奈 ニ…二 ヌ…奴 ネ…祢 ノ…乃
 ハ…八 ヒ…比 フ…不 ヘ…部 ホ…保
 マ…末 ミ…三 ム…牟 メ…女 モ…毛
 ヤ…也     ユ…由     ヨ…与
 ラ…良 リ…利 ル…流 レ…礼 ロ…呂
 ワ…和 ヰ…井     ヱ…恵 ヲ…乎
 ン…尓

 このようにして、元の漢字を知っておくと、ひらがな、カタカナを上手く書けるようになります。特にひらがなは「流れ」が分かるので、バランスの良い字を書くことができます。

 さて、「ヱヴァンゲリヲン」を元の漢字に当てはめてみたらどうなるでしょうか。カナが出来たころ(平安時代)には、濁音符がなかったので、それを省かなければなりません。また小書きのカナもありません。しかし、HTMLではフォントを小さくできるので、その方法で「ア」の小書きを書いてみます。

 『恵宇尓介利乎尓 新劇場版:破』絶賛公開中。

 イメージがずいぶん変わりました。

 『破』はいいところで終わったので、次回作に期待しています。


・参考文献
 『国語学』 築島裕 東京大学出版会 1964/05 ISBN:413082001X
 『広辞苑 第五版』 新村出 岩波書店 1998/11/11 ISBN:4000801112

 更新履歴
 2018/05/22
 参考文献の前に置かれていた区切り線(―)を削除しました。
 第1段落の「TV版」を全角文字表記から半角文字表記に変更しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

2009.01.30

夕刊タブロイド紙っぽい文章の書き方

 最近は、インターネットで新聞記事を読むことができるので、新聞を取らなくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか。新聞やテレビニュースよりも速報性が高い場合もあり、私も重宝しております。
 トピックスとして、ポータルサイトのトップページにタイトルが並んでいますが、これらの記事は、タイトルだけが表示されるので、配信元が分かりません。タイトルをクリックして、初めて、記事の概要と配信元が分かります。
 これらの記事を流し読みしていますと、記事の文体と、配信元にしっかりとしたつながりがあることが分かります。
 それを利用して、普通の日記を、夕刊タブロイド風の文章に書きかえてみましょう。

 元の素材として、このような文章を用意しました。

―――――

 最近どうにも体重が落ちなくて困る。上着はまだしも、久しぶりにはいたズボンがぴちぴちぱちぱちだったりする。尻の肉が行き場を無くして右往左往している。あと、上腕と肩から肩甲骨にかけて。その辺りに肉が付くと、シャツなんかも厳しい。
 前は、甘い物をあまり気にせずに食べていたけど、体重は増えなかった。今は、体重計に乗ると、筋肉率が落ちて、体脂肪率が上がっているので、基礎代謝が落ちたんだと思う。
 このままでは、翌年には服が全部着られなくなりそうなので、筋トレでもしなくてはいけないな、と思っている。けど、運動が嫌いなんだよなあ。

―――――

 これを、変換してみましょう。

―――――

 「桜濱のダイエットの成果がでないワケ」

 桜濱の体重の増加が止まらない。
 一時は激ヤセという話しも出ていたが、いまやその面影も無く、激太りの様相を呈しているのだ。激ヤセの時に購入した洋服の一部は、もう、袖さえも通らないという関係者もいる。桜濱本人もここにきて激太りに危機感を覚えて、ダイエットを始めているのだが、結果ははかばかしくない。
 もともと、桜濱の意志の弱さは業界では暗黙の了解だ。
 「桜濱は好きなことを始めたら、それにのめり込む。恋愛でも、別れると言いながらも、相手女性に入れ込み、借金を繰り返した上に、ストーカーまがいのことをしたために、結局、相手に訴えられそうになったという話しもありますよ。ダイエットも同じで、食事の減量もスポーツも続かない。ダイエットをすると口ばかりなんです」(業界関係者)
 しかし、桜濱と交流のある人物からは、それほど太っていないように見えるという声も聞こえる。また、一般人では一皿食べきるのもやっとという喫茶マウンテンの料理をおかわりしたり、ケーキバイキングで初めから終わりまで食べ続けたという武勇伝などが知られている。
 「見た目には分かりにくいんですが、中身はヒドいものです。それに、桜濱は限度を知らないんですよ。後先のことを考えないから、そんなマネもしてしまう。今は、体重が落ちにくい体質になったにもかかわらず、以前と同じことをしてしまうから、悪循環になってしまっているんです」(事情通)
 桜濱が「甘党」の看板を下ろす日も遠くないか…。
 (日刊ボンクラ 2009/01/30 23:00)

―――――

 これを書くのに利用した、夕刊タブロイド紙の特徴を書き出してみます。

 1.短いリード文で、結論を先に書く。
   20~30文字くらいで、要点を書きます。

 2.日常会話や書記では、あまり出ない言い回しをつかう。
   上の文章では、「その面影も無く」「はかばかしくない」「武勇伝」「看板を下ろす」などです。

 3.「だ」「である」調で、文末を断定的に書く。

 4.漢字やひらがなを使わずにカタカナで書く。
   「ヤセ」「ヒドい」「マネ」のようにです。

 5.「業界関係者」や「業界通」「事情通」などの肩書きの方の会話が入る。

 6.印象の強い語を混ぜる。
  「激太り」「ストーカー」「悪循環」などです。

 7.構成が定型的。
   [短いリード]
   [出来事のあらまし]
   [参考意見1]
   [反論]
   [参考意見2](反論の反論)
   [結論]

 8.結論は記者氏の意見を短く断定的、もしくは、余韻を持たせて書く。

などの特徴を際立たせて書けば、だいたいどのような文章でも、夕刊タブロイド紙風にすることができるようです。今回は、試験的に書いてみましたので、不完全ですが、「夕刊紙用語」をリストアップして、それらを駆使すれば、さらに夕刊紙の雰囲気が高くなるでしょう。

 ちなみに、私はシャツの袖は通りますし(ややきついものがありますが)、激太りというほど体重は増えておりませんし、甘党を辞める予定もありませんし、相手女性に入れ込んで借金をしたこともありませんし、ストーカーもしておりません。

 減量とスポーツが続かないというのは本当です。


人気blogランキング

ほめられて伸びるタイプなので、押していただけるとすごく喜びます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.11.30

3の倍数か3がつく数字かどうかマクロ

 今年、世界のナベアツ(渡辺鐘、渡辺あつむ)さんが「完全に売れかけて」(ご本人談)いました。「2008年ユーキャン新語・流行語大賞」にも「世界のナベアツ」としてノミネートされています。
 ナベアツさんの代表的な持ちネタに「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになります」というものがあります。このネタは好評を博し、お子さまを中心にして、各地で「さぁ~~ん!!」という声がこだましていたようです。

 ナベアツさんは、1から順番にカウントしていき、普段は「40! オモロー!!」で締めくくっています。これを真似した場合、2桁の数字くらいならば、アホになるかどうか判別しやすいのですが、暗算が得意でなければ、カウントする数字が増すにつれ、だんだんと苦しくなってきます。

 そこで、アホになるべきか否かを判別するMS-Excelのマクロを作ってみました。私自身数字が得意でなく、プログラミングの知識がかなり未熟で、なおかつ、お手軽に作ったものなので、非効率的だったり、不備がある可能性が高いです。ご容赦の上、ご利用くだされば幸いです。

――――――――――

1.セル"A1"に入力規則を設定します。
 判別する数字を、Excelで普通に計算できる範囲に収め、入力エラーや指数表示にしたくないので、「入力規則」を設定します。

 メニューから[データ]→[入力規則]→[設定]タブ
 入力値の種類:整数
 データ:次の値の間
 最小値:1
 最大値:2147483647

 [エラーメッセージ]タブ
 スタイル:停止
 タイトル:入力エラー
 エラー メッセージ:1~2,147,483,647の整数を入力してください

3の倍数と3が付く数字のときマクロ・1

3の倍数と3が付く数字のときマクロ・2

2.コマンドボタンの作成します。
 [コントロール ツールボックス]ツールバーを表示して、[コマンドボタン]を選択。
 任意の場所に「コマンドボタン」を作成。
 [コマンドボタンのプロパティ]
 オブジェクト名:q_three
 Caption:1。2。…

3の倍数と3が付く数字のときマクロ・3

3.[Visual Basic]ツールバーから、[Visual Basic Editor]を起動
 以下のコードを入力します。

3の倍数と3が付く数字のときマクロ・4

―――――

 (General)(Declarations)

 Sub call_three()
'3の倍数か3が付く数字の時
  MsgBox "さぁ~~ん!!", vbOKOnly, "アホになる!"
  End
 End Sub

―――――

 q_three Click

 Private Sub q_three_Click()
 Dim num As Long
 Dim string_num As String
 Dim i As Integer

 num = Range("a1").Value
 string_num = Str(num)
 i = Len(string_num)

'3が付くかどうか
 Do While i > 0
  If "3" = Mid$(string_num, i, 1) Then
  call_three
 End If
 i = i - 1
 Loop

'3の倍数かどうか
 If 0 = num Mod 3 Then
  call_three
 End If

'3の倍数でも3が付く数字でもない
 MsgBox "…", vbOKOnly, "普通"

 End Sub

―――――

4.実行します。
 セル"A1"に1~2147483647までの整数を入力、確定してから、作成した[1。2。…]コマンドボタンをクリックします。

 3の倍数と3がつく数字の時には左のメッセージボックス、そうではない時には右のメッセージボックスが表示されます。

3の倍数と3が付く数字のときマクロ・5

 [OK]ボタンをクリックすると、メッセージボックスが閉じます。再度、判定をする時は、セル"A1"に数値を入力→コマンドボタンをクリック、を行ってください。

 入力値が不適切である場合は、以下のメッセージボックスが表示されます。

3の倍数と3が付く数字のときマクロ・6


 ※【使用上の注意】※
 このマクロの実行により発生した障害に対して、私は一切の責任を負いかねます。全て使用される方個人の責任に基づくものといたします。
 本記事の内容を実行するに当たり、MS-Excel及びExcelVBAの基本操作に関するご質問には、お答え致しかねる場合があります。
 以上、ご了承ください。

――――――――――

 新語・流行語大賞の発表は、明日、12月1日です。今年を表わすことばがどれになるのか…、楽しみですね。


人気blogランキング

ほめられて伸びるタイプなので、押していただけるとすごく喜びます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.11.10

できちゃった

 「できちゃった」。
 難問を抱えることばです。ですが、人それぞれにその問題は違うだろうとは思います。
 私が、今回、問題としたいのは、このことばの「作り」です。使う場合は「できちゃった」で一つながりになりますが、いくつかの部分に分けることができると思われるからです。
 では、どこで分ければいいでしょうか。

 一つ目は「でき-ちゃった」だというのは、すぐに分かります。「できる(出来る)」の語幹「でき」が最初の部分になりますね。
 では、次はどこで分ければ良いでしょうか。まず考えるのは「ちゃった」で一つの部分になっているのでは、ということです。しかし、それは、「できちゃう」という非過去の文章が作られることで誤りだと判断できます。最後の「-た」は、完了の助動詞「た」の終止形であり、「-ちゃった」は、非過去用法「-ちゃう」に対する、過去用法になっているのです。よって、「でき-ちゃっ-た」に分けられます。

 前記の二つの間に挟まれた「-ちゃっ-」は一つの語になるでしょうか。見ただけで、不自然だと感じます。どこから解きほぐせばいいでしょうか。完了の助動詞「た」は、五段活用動詞(サ行以外)に接続する場合、その動詞の連用形は音便化するという法則があります。それに当てはめれば、「-ゃっ-」の「っ」は促音便だと分かります。

 では、何の語尾が促音便化したのでしょうか。「ゃる」ということばはありません。「や」が何らかの理由で「ゃ」に変化したとできないでしょうか。「やる(行る)」ということばがあります。「やる」は、「~をする」「~を行う」の意味を持っています。この「やる」が何らかの理由で「ゃる」に変化したのだろうという考えに行きつきます。
 「や」が「ゃ」に変化した原因を、その前の「ち」に求めましょう。この「ち」とは一体どこから来たのでしょうか。「できる」は上一段活用なので、終止形の活用語尾「る」が落ちて、別のものが付いたとしたら、と仮定しましょう。「ち」=/chi/が唐突に出てくるわけがありません。その原型があるはずです。
 接続助詞「て」には、一連の事物が発生するという意味があります。つまり、「でき(る)」と「やる」が続けて起こったことを示すために、その二つの語の間に接続助詞「て」がはさまったということです。

 上一段動詞「できる」の連用形の語幹「でき」+接続助詞「て」+五段動詞「やる」の終止形+完了の助動詞「た」の終止形

という形にまで分割できました。
 最後の仕上げです。「て」と「やる」から、「ちゃっ」を引き出してみましょう。先に書いたように、「っ」は、後の「た」がもたらす促音便です。動詞の連用形が促音便化するので、「やり(行り)」が「やっ」になったということです。
 その前はどうでしょうか。「て」と「や」が連続することで、「ゃ」にしなければなりません。こういう場合は、音から考えてみましょう。「ちゃった」に相当する部分は、「/te-yat-ta/」です。/te/と、/yat/が接続すると、/chat/に変わってしまう理由を考えればいいのです。/y/は半母音で、/ii/と等価の音だとされています。それを当てはめると、/te-iiat-ta/になります。
 ここで、問題点がようやく浮かんできました。/e-iia/と四連母音ができるのです。この四連母音はたいへん発音しにくいものです。そのため、発音しやすい形に変化しやすいのです。/eii/の連母音のうち、/ei/の部分は/ɛ/、後の/i/は、これも発音しにくい連母音を避けるため、子音としての半母音/y/に変わります。これを日本語で発音した場合、「ぇゃ」に近いものになります。
 連母音処理をしたものは、/tɛyatta/と変わります。これは日本語では「てゃった」に近い音です。先程の四連母音と同じく、三連母音も発音がしにくいものです。これを発音しやすい形にするために母音を変化させたいのですが、四連母音のところで母音を変化させるという技を使ったので、もう使えません。その代わりに、邪魔な母音を無くしてしまいます。母音の脱落化です。母音の脱落は、初めの音の母音が無くなるものです。よって、/tɛyatta/の場合、/ɛ/が脱落して、/tyatta/という形になります。日本語発音をすると「てゃった」に変わりました。ここでまた、半母音/y/が母音/ii/と等価だということを使いましょう。/y/の代わりに、/ii/を置いてみます。すると/tiiatta/、「てぃぁった」になりました。現代の日本語では、「ち」は、/ti/とされずに、破擦音/chi/と発音されます。それにより、/tiiatta/は、/chiiatta/になります。ここでまた、三連母音/iia/を元の半母音+母音の/ya/に戻します。すると、ようやく、/chyatta/=「ちゃった」が出来あがりました。
 最終的には、

 「できる」の連用形の語幹「でき」+接続助詞「て」の母音脱落と子音の破擦音への変化+動詞「やる」の語等「や」の拗音化+動詞「やる」の連用形語尾の促音便化+過去の助動詞「た」の終止形

と、分割ができました。

 「できちゃった」はこのように、できちゃっていました。


人気blogランキング

ほめられて伸びるタイプなので、押していただけるとすごく喜びます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.30

スターバックスの緩衝材を解読する

 私はマグカップ集めを趣味としております。雑貨店、デパートやショッピングセンターの食器売り場、観光地のおみやげ売り場などに行きますと、自然とマグカップのコーナーに向かってしまいます。そこで、気の効いたマグカップを見付けますと、それだけでその日の買い物や観光の良さが3割増しくらいになった気がします。
 他にも、洋菓子店やコーヒーショップでも、マグカップが売られていることが多いようです。中でも、スターバックスさんは、定期的に期間限定マグカップを販売されていて、マグカップコレクターとしては、たいへん魅惑的なお店です。
 スターバックスさんでは、夏場はホットコーヒーを飲まれる方が少ないからか、限定マグカップはあまり出てきません。紅葉前線の南下がニュースになる頃から、限定マグカップが頻繁に登場するようになります。私にとって散財の時期の始まりです。
 しかし、ためらうことなく、この秋もマグカップを求めて、スターバックスさんに立ち寄りました。そして、ためらうことなく、しっかりと「自宅用です」と宣言して、マグカップを購入しました。
 帰宅後、早速、開封です。

 この瞬間が嬉しいのです。中身は分かっているのですが、改めて、家で落ち着いて見るのが楽しいのです。それでは、中を見てみましょう。がさがさがさがさ…。

 「ハロウィン限定・ナイトフクロウマグ」です。大ぶりで、カフェオレにぴったりです。内側に「hoo!」とプリントされているのがポイントですね。気に入りました。
 さて、後片付けをして、早速、新入りマグカップで何か飲みましょう。

 …

 自宅用と言って購入すると、箱無しの簡易包装にしてくださるのですが、緩衝材として「プチプチ」で包む場合と、今回のように、数枚の薄紙を重ねたもので包む場合があります。

 数枚の薄紙は、白とベージュの薄い紙を重ね合わせたもので、しわを入れて、クッションが効くようにしています。

 この白・ベージュの紙は無地ではなくて、スターバックスの象徴「サイレン」と船の紋様と、何かの文言が書かれています。

 英文だというのは、英語が苦手な私にも分かります。ただ、一面いっぱいにそれが書かれているので、今まではただの模様だとしか認識していませんでした。しかし、よくよく見ると、新たなことが分かったのです。

 この英文は、それほどの長文ではなくて、短い文、単語の繰り返しになっています。上の写真の、青い下線の部分が繰り返しになっているのです。
 これくらいの長さならば、私にも訳せそうです。訳す気にさせられる短さです。では、私の有する最大限の英語の知識と、それよりも遥かに頼りになる電子辞書、ネット辞書、普通の辞書の力で、解読してみましょう。

 ひたすら同じ文章が続いているので、どこが文頭なのか分かりません。便宜的にサイレンのマークの次を先頭とします。
 これは…、かなりクセのある筆記体です。読みづらいです。その中から、分かりやすい文字から判別していきましょう。
 この下線の部分は、比較的分かりやすいと思います。"of"と"something"という頻出重要単語が字形と位置から分かるためです。これら頻出英単語に含まれているアルファベットから、芋づる式に読んでいきます。
 "of"の前の文字は、形容される名詞のはずです。したがって、さらにその前は、普通は、冠詞か限定詞が来ることが分かります。その中で、一文字で、この字形のものは、"A"が当てはまると考えられます。
 冠詞の次の名詞は、先に分かった"something"から類推すると分かりやすくなります。同じ形のアルファベットがあるからです。"something"の中から、"s","h","m","i","e"が同じです。よって、

 "shimme?"

まで分かります。ここまで分かれば、電子辞書で前方一致で引けば、"shimmer"という単語が当たります。これで、ここの下線が、

 "A shimmer of something"

と分かりました。後の解読のために、判別のついたアルファベットを抜書きしておきます。

 A_________________________
 ____efghi___mno___st______

 では、次の部分です。

 ここもかなりクセが強いです。鍵は、二つ目の単語でしょう。これは、形だけで、"and"ではないだろうか、と推測されます。実際に、二つの単語の間をつなげるように位置しているので、可能性は高そうです。その前後がやや厄介です。"something"に近い、後ろの単語から解いてみます。一か所目で分かったものと、"and"と合わせて、重なる部分を当てはめると、

 "?ra??ings"

というところまで埋まります。次は、"a"と"i"の間の、下に長く伸びる同じ形の二つのアルファベットが分かりやすそうです。筆記体小文字で、下に伸びるアルファベットは、普通は、"f","g","j","p,"q","y","z"です。これらを総当りで、当てはめてみてもそれほど時間は掛からないでしょうが、文字の、右上が丸型、左下に伸びる、という特徴から、"g","p","q"が適当だと思われます。このうち、"g"は既に分かっています。残る"p"と"q"を比べると、英語においては、圧倒的に"p"の出現頻度の方が高いということから、"q"を外します。すると、

 "?rappings"

が出てきます。ここまで分かれば、逆引きができます。丁度良さそうなものがありました。

 "wrappings"

です。"w"は緩衝材に書かれた字形と比べても違和感は無さそうです。
 "and"の前は、

 "?iss?e"

まで当てはめることができます。"e"の手前のカップ型のアルファベットは、形から候補を挙げて、それぞれ当てはめてみます。これまで出てきていないアルファベットの中からは、"u"か"v"のいずれかになるでしょう。それぞれを当てはめて、逆引きしてみます。"?issve"では該当するものは出てきませんでした。対して、"?issue"では、

 "Tissue"

が、当たりました。字形も合います。二番目の部分は、

 "Tissue and wrappings"

となりました。これで表がまた少し埋まります。

 A__________________T______
 a__defghi___mnop_rstu_w___

 まず、最初は、"and"が分かります。その次も、今まで分かっているアルファベットが全て当てはまり、"surprises"が出てきました。"and"の前は、"?e?rets"となり、あと少しです。
 二つ目の?の部分を考えます。くるっ、と丸みのあるボール状のアルファベットです。これに当てはまりそうなのは、"a","c","e","o"のどれかでしょう。しかし既に、"a","e","o"は出てきて、字形が分かっています。よって、残りは"c"だけになります。ここを"c"だと仮定しますと、

 "?ecrets"

となるので、逆引きをします。なお、この単語の最後の"s"は、先に判別した"surprises"から、複数形の"s"だと思われるので、その"s"を除いて検索します。結果、"S"だけが該当し、

 "Secrets"

が出てきました。字形も合っているようです。これで、三番目は、

 "Secrets and surprises"

となり、残りは、

 A_________________ST______
 a_cdefghi___mnop_rstu_w___

 ここまでで、小文字のアルファベットはかなり埋まりました。これでペースが上がりそうです。

 ちょっと、難解な部分に当たりました。前出のアルファベット以外のものが、結構あります。最後の単語を足がかりにして読んでいきます。

 "?idden"

 "d"はクセが強いのですが、先に"and"を解いていたので、かえって分かりやすいです。先頭の大文字以外は、前出のもので埋まりました。これで逆引きすると、

 "Ridden"、"Hidden"、"Midden"

が候補に挙がりました。"H"か"M"か"R"のいずれが当てはまるでしょうか。緩衝材の文字を見ると、縦線が二本、それを横切るように横線が一本です。この点から、三つの候補のうち、"H"が一番近いようです。
 次は、一つ目の単語です。

 "??sterious"

と、最初の二文字が分かりません。それでも試しに逆引き検索してみます。上手い具合に一つしか該当しませんでした。

 "Mysterious"

 大文字"M"は分かりにくいですが、"M"だということを前提として緩衝材の文字を見ると、確かに"M"の形です。次の"y"は、下に伸びるアルファベットです。それらのアルファベットで、ここまでに分かっていなかったものは、"j","q","y","z"の四つですが、総当りすると、手元の辞書では、"My"でしか、意味の通る単語は出てきません。
 二番目の単語は、

 "e?usi?e"

までは前出のアルファベットで埋まります。
 では、不明文字を見ていきましょう。一つ目は、下から大きく上に跳ね上がって、また下に戻って次の"u"に続いています。上に長く伸びる筆記体小文字は、"b","d","f","h","k","l"です。この中から既に判別できているものを除くと、"b","k","l"の三つです。さらにこの中で、下に下がった後に、直接、次の文字につながらないものは"l"だけです。字形も問題ないでしょう。
 次に、二つ目の不明文字ですが、かなりクセの強い字ですね。丸い山があって、谷ができて、右上にはねるアルファベットです。これに該当しそうな筆記体のものは、"n","r","s","u","v"でしょう。この中から既に判別の付いているものを除外すると、"v"しか残りません。では、"v"を当てはめて、辞書をを引いてみましょう。該当する単語がありました。

 "elusive"

です。"v"の筆記体としては、字形に見づらさがありますが、おおよそ合っています。これで、この部分の3つの単語が分かりました。

 "Mysterious. elusive. Hidden."

となります。ここまでで埋まっているアルファベットは、

 A______H____M_____ST______
 a_cdefghi__lmnop_rstuvw_y_

です。

 サイレンマークの前の部分です。最初から順に、前置詞"for"、代名詞"She"、動詞"has"、定冠詞"the"までは前出の文字で埋まります。最後の単語は、下に伸びるアルファベットが二つあります。そのうち後の方は、"of"で出てきた"f"です。その前後は"i"と"t"なので、"?ift"まで埋まります。残った一つ目の、下に伸びるアルファベットは、"-ing"の形で出てきた"g"だと思われますが、上の部分がくっついていないので、他の文字にも見えます。下に伸びるアルファベットを総当りで当てはめてみます。"f","j","p,"q","y","z"を、"?ift"にそれぞれ入れて単語を作ってみましょう。

 "fift","jift","pift","qift","yift","zift"

のうち、辞書では、"fift","zift"が項目として立てられていました。ただし、"fift"は方言、"zift"は医学専門用語で、大文字で"ZIFT"か"Zift"としてしか用いられないとあります。どちらも今回のパターンには当てはまらないと考えてよいでしょう。これで最後の単語の先頭は、"g"の筆記体だと確定しても良さそうです。これで、

 "She has the gift"

の文が出てきます。

 やや長めの文章です。ここまでくれば、前出のものでどうにかなりそうです。先頭から順に見ていきましょう。

 "The unveiling of the une?pected"

 長文でしたが、不明のアルファベットは一文字だけでした。"e"と"p"の間で、線が交差しています。ここまでで不確定の小文字を挙げると、"b","j","k","q","x","z"の六つです。緩衝材の文字を見れば、下に伸びるアルファベットは除外できそうです。そうすると、"b","k","x"の三つが残ります。
 この文章を書いている人は、クセのある字ですが、筆記体で下に伸びる文字は、ちゃんと下に伸ばし、上に伸びる文字はちゃんと上に伸ばしています。この特徴から、不明の文字は上にも下にも伸びていなくて、線が交差しているので、該当するのは"x"だけです。辞書でも、"unexpected"の項目が立てられていました。これで、一文字だけ欠けていた文章が、

 "The unveiling of the unexpected"

となり、ここまでで、

 A______H____M_____ST______
 a_cdefghi__lmnop_rstuvwxy_

が判明しました。

 いよいよ最後です。二つ前に見た"for"の前の部分です。既に挙がっている文字で埋めてみましょう

 "The Siren holds the ?ey"

 ここも、あと一文字だけです。残っている小文字は、"b","j","k","q","z"です。不明の一文字は、上に伸びていて、丸みがありません。その特徴から、"k"が最も適していると判断できます。

 これで、全ての単語が埋まりました。解読した順に挙げると、

 "A shimmer of something."
 "Tissue and wrappings."
 "Secrets and surprises."
 "Mysterious. elusive. Hidden."
 "for She has the gift."
 "The unveiling of the unexpected."
 "The Siren holds the key"

です。これをさらに、緩衝材に書かれている通り、文意が分かるように並べ替えましょう。先に書きましたように、サイレンマークを先頭としておきます。

――――――――――
 □ A Shimmer of something. Mysterious. elusive. Hidden. Tissue and wrappings. □ Secrets and surprises. The unveiling of the unexpected. The Siren holds the key for She has the gift.
――――――――――

と、いう文章になりました。
 さて、これを日本語に訳してみます。

 「何かの微かな光。神秘的な。とらえどころのない。ひそんだ。薄絹と包み紙。秘密と驚きのもの。思いもよらない除幕式。サイレンには贈り物があります。彼女はその鍵を手にしています。」

 英語が苦手ですので、辞書を介しての、ほぼ直訳です。それでも、おおよそ、意味は通りました。ただ、英語は本当に、心底、苦手で下手なので、間違い(特に英文和訳の部分)は、なんなりと、ご指摘くださいませ。
 これは、徐々に贈り物の正体が浮かんできて、中に包まれたものを開ける喜びを盛り上げる、幻想的な雰囲気の文章だったのです。緩衝材・包装紙として、ぴったりの、気の効いた文です。この文章そのものが、スターバックスさんからの贈り物だったのです。紙が緩衝材であることの他に、このようなメッセージも含んでいることも分かれば、なおさらマグカップへの愛着が沸いてきます。ありがとう、スターバックスさん。
 この解読で、ますます、マグカップコレクションに熱が入りました。これからもどんどん集めたいと思います。

 ちなみに、今のところ、コレクションの一部はこのようになっています。

 部屋がマグカップで埋まっていきます。集め始めて分かりましたが、マグカップは、存外に、かさばります。


参考にした辞書:
 研究社『新英和中辞典 第6版』
 大修館書店『ジーニアス英和大辞典』 SEIKO電子辞書版
 三省堂『EXCEED 英和辞典』 goo辞書


人気blogランキング

ほめられて伸びるタイプなので、押していただけるとすごく喜びます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008.09.30

梓弓

 そういえば、朝の天気予報で、夕方くらいから雨が降る、って言ってたっけ。部屋、暗いもんね。もう降り始めてるのかもしれない。ああ、そうだ。「帰る頃には雨降るから、傘、持っていってね」って、声、掛けたんだった。あの人、傘、持っていってたかな。よく覚えてない。
 アズサは、反対側の壁にある掛け時計に目を遣った。暗い雲ばかりで、レースのカーテンだけを掛けている部屋には陽は入ってきていない。蛍光灯も点けていない。部屋のところどころにある家電が、待機を知らせるために、緑だったり、赤だったりの光を、小さく灯している。部屋を一番明るくしているのは、携帯電話の液晶画面だ。その光の力で、ようやく読み取った掛け時計の針は、まだ夕方間もない時間を指していた。
 まだだ。こんなに暗いのに、まだこんな時間なんだ。もっと待っていないと。
 時計を見るために少し起こした身体を、再び、ベッドにもたせ掛けた。
 いつからこうしていたんだっけ。何時から?何日前から?何週間前から?そう、三年前からだった。この時間が長いのか、短いのか、私にはわからない。毎日、ただ、こうしてベッドにもたれ掛かっているだけじゃない。朝は、ごはんを作って、あの人と食べて、見送る。天気予報を見て、雨が降りそうだったら、傘を持っていくように言って、暑そうだったら角を揃えて折りたたんだタオルハンカチを渡して、寒そうだったらコートを用意して。
 その儀式が終わったら、食器を洗って、掃除をして、洗濯物を片付けて、晩と明日の朝の食材が少なかったら、近くのスーパーに買いに行く。それで、午前中が終わる。同時に午後も終わる。もう、することが何も無くなっているから。あとは、あの人が帰ってくるのを待っているだけ。最初の頃、待つのは楽しかった。夕食を食べながら、私にはよく分からないあの人の仕事の話を聞くのも楽しかった。私は、あの人には分からないはずの、スーパーでの些細なハプニングなんかを話すのが楽しかった。あの人は、喜んで聴いてくれているように見えていた。
 今でも、そんな一日は何も変わっていない。だけど、どこか違う気がする。毎日していることが変わっていないから、余計に気になる。こんな気になるのはいつからだったかな。それは覚えていない。三年よりも短くて、一日よりも長い間にこんな気を持つようになったんだと思う。
 三年前は、そんな時間は無かった。違う。ほんの少しだけあった。茫漠とした時間は、私の一日に、一秒にもならないくらいの染みを付けていた。私が決めた私の仕事を全部終わらせて、あの人が帰ってくるまでの時間のどこかに、それがあった。
 テレビニュースで原油タンカーの事故を見たのは、いつだったかな。事故現場の海面には、深い海の底の船から湧き出してくる黒い油で膜が作られ、それが時間と共に広がっていっていた。私はヘリコプターからのその映像に見入った。それは、私だと思った。油でぬめる海面は光を反射して、ところどころ虹色に輝きながら、波に漂い、水平線のほうへ広がっていった。
 そこまで見たら、テレビも電灯も消して、ベッドにもぐりこんだ。あれは私なんだ。身体を洗っても洗っても、粘りのある黒い油は落ちない。どうしよう。あの人が帰ってくるのに。朝、せっかく床も水拭きしたのに。毎日毎日そうしているのに。どうしよう。こんな体は見せられない。
 アズサは携帯電話を掴み取り、番号を登録しているあの人のボタン押した。そうしたら、全身を包んでいた布団の中がまぶしいくらいに明るくなった。液晶の光が、体を包んだ。すると、波が引くように落ち着いていった。
 それから、どれくらいケータイを抱いていたんだろう。いつの間にか眠ってしまってた。目覚めた時は、夕暮れだったな。
 アズサは、急いで起きて、携帯電話をベッドの上に放って、夕食の支度を始めるために、蛍光灯を点けた。初めて一緒に撮った写真の待ち受け画面は、その光に紛れてしまった。
 それから、毎日、午前中の仕事を済ませると、携帯電話を持って、布団をかぶり、眠った。
 眠っている間は、黒い染みは消えていた。しかし、目が覚めた後は、頭が働かなかった。このままじゃいけない、とだけは思って、ベッドから降りるのだけど、立ち上がれない。座り込んで体を投げ出すようにベッドにもたれ掛かった。あの人が帰ってくる、そのことだけを思って、ただ力なく座っていた。
 カーテン、閉めないと。陽の光はもう無い。雲はもっと深くなっていっているみたい。窓の外は、ただわずかな白を含んだ灰色があるだけだ。
 枕元に置いた携帯電話が、振動音と光を放った。この振動パターンはあの人のものだ。

From:優哉
Subject:無題
帰ったよ。カギ開けて。

 部屋のカードキーは、一枚しかない。合鍵を作ろうか、と話したけど、あの人が帰る時に、私がいないことは無いということ、それに、カードキーの合鍵は、作るのに手間が掛かると入居時に不動産屋から聞いていたことから、合鍵は作らないままだった。カードキーは私が持つことにして、あの人は、マンションの玄関前に着いたらメールを送り、それを見たら、部屋の中からオートロックを開けるようにしていた。そして、毎日、私はあの人が帰る時間は部屋に居た。
 アズサは携帯電話の液晶画面をちらりと見ただけで、立ち上がろうとはしなかった。数分後、再び、振動音が鳴った。

From:優哉
Subject:無題
帰ったよ。カギ開けて。

 繰り返し。文面をケータイに登録してるんだろうな。
 外で葉が鳴り始めた。やっと雨が降り出したんだ。雨が降る前にあの人は帰り着いたから、朝、傘、要らなかったな。細かい水音が、徐々に膨らんでいく。

From:優哉
Subject:無題
どこに出かけてる? まだ帰られないの?

 心配してる。でも、私の心配、自分の心配、どっちなんだろう。

From:優哉
Subject:無題
帰ったよ。カギ開けて。

 私って何なのだろう。鍵を開けるため無題の人ってどんな人? 雨の音が頭に響く。

From:優哉
Subject:無題
男か?

 「男」って誰のことなんだろう。うん、そうね。男よ。さっきまで一緒にベッドにいたの。いつからか忘れたけど、毎日毎日、私を明るく包んでくれてた。安心して眠れた。だから、今までここに居ることができたんだと思う。でも、あなたの考えている「男」とは違う!

To:優哉
Subject:おかえり
ずっと待ってたよ。今、開けるから

From:優哉
Subject:無題
前から分かってたよ。もう、僕がいなくても梓はいいんだと思う。梓は僕に縛られることないよ。今、梓に必要なのは、僕じゃないんだ。君を必要としている人のところに君の心を置いていなければならない。もう僕の役割は終わったんだよ。楽しかったよ。ありがとう。

 「おかえり」って言ったのに、「いなくてもいい」ってどういうこと。いないと駄目に決まってる。ずっと一緒にいたでしょう。さっきも一緒にいた。私を明るく照らしてくれていたのは、あなたじゃない。勝手なこと言わないで。

To:優哉
Subject:おかえりおかえりおかえり
おかえりなさい。開けるから、おくなったけど、ばんごはんつくるまってててあけるから、あしたもごはんつくれしそうしもせんたくもそのあといっしょにねむらないといけない

 雨がますます強く葉を叩いている。アズサはレースのカーテンを開けて、ベランダから身を乗り出す。朝、手渡したバーバリーチェックの傘が遠ざかっていく。
 アズサは携帯電話を握り締め、部屋を出た。エレベーターは待てない。数階分の階段を駆け下りる。内側から鍵を外し、雨水をはじいているアスファルトを走る。裸足にアスファルトが絡みつく。タンカーの油が思い出された。
 なんで、追いつかないのだろう。痛い。さっきから何度か転んでいるような気がする。あれ、変だな。私、走っているのかな。
 温かい雨が髪を伝い、口に入る。
 ああ、そうか、私、倒れてるんだ。だから痛いんだ。だから痛くないところなんてないんだ。

To:優哉
Subject:Re:
朝も、昼も、夜も、一緒にいてくれてありがとう。大事にしてくれてありがとう。私も同じくらい大事にしてたと思うんだけどな。だって、いつもあなたと一緒にいたよ。すぐそばにいつもいたよ。あなたはそれを見てないけど、そうだったよ。そうだったんだよ。あなただけの一日だったんだよ。それを見てないのに、何故「役割は終わった」なの?終わったことなんて何も無いよ。

 早く、これを送らないといけない。
 アズサは雨の滴る左手を開いて携帯電話の画面を見た。黒い液晶画面しかなかった。どのボタンを押してもあの明かりは点らなかった。ただ、油と夜が詰め込まれた黒だった。

――――――――――

 こちら↓のブログ記事を参考にして、私も書いてみました。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/0a5c0cb24c588de73c6e5c74f1868e48
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/73fe2117704983433c8d8e10770caf9f
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/696676f689923c5b8d4e5aec4b73235a

 『伊勢物語』第二十四段の「翻案」です。原文はこのようになっています。

―――

 第二十四段 梓弓

 昔、男、かた田舎に住みけり。男、宮仕へしに、とて、別れ惜しみて行きにけるまゝに、三年来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろに言ひける人に、今宵あはむ、と契りたりけるを、この男来たりけり。この戸あけたまへ、と叩きけれど、あけで、歌をなむ詠みて出だしたりける。
  あらたまの年の三とせを待ちわびて
  たゞ今宵こそ新枕すれ
と言ひ出したりければ、
  梓弓真弓槻弓年を経て
  我がせしがごとうるはしみせよ
と言ひて、往なむとしければ、女、
  梓弓引けど引かねど昔より
  心は君によりにしものを
と言ひけれど、男帰りにけり。女、いとかなしくて、後にたちて追ひゆけど、え追ひつかで、清水のある所に臥しにけり。そこなりける岩に、指の血して書きつけける。
  あひ思はで離れぬる人をとゞめかね
  我が身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。
(神野藤昭夫・関根賢司編 『新編 伊勢物語』 おうふう 平成11年1月 より引用)

―――

 古典を現代風に翻案するというのを、『今昔物語集』で出来ないかと考えておりましたら、『伊勢物語』のものがあると分かりましたので、力試しのつもりで取り組んでみました。
 慣れない書き方なので、いろいろと突っ込み可能なところがあると思いますが、大目に見ていただければ、ありがたく存じます。

 歌の解釈とその翻案が難しかったです。


人気blogランキング

ほめられて伸びるタイプなので、押していただけるとすごく喜びます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.20

右横書きゼミナール・前編

 眠い目をこすりながら、ドアを開けると、いつものにこにこ顔が待っていた。彼女はとっくにいつもの調子だ。
 「おめでとうございますっ! お誕生日プレゼントを持ってきましたよ」
と、茶色の地に空色の絵が描かれたキルフェボンの紙袋を顔の高さまで持ち上げた。しかし、今日は僕の誕生日ではない。全く違う日だ。寝起きで頭がぼんやりしている上に、彼女のことばの意味がまるっきり飲み込めない。
 「あ、七海さん、おはようございます。おめでとうございます。いらっしゃい。いただきます」
 何とか彼女のペースに合わせようと、思いつく限りの返事をしたが、回らない頭なので、文脈がおかしくなっている。
 「もう、お昼過ぎてますよ。なのにパジャマなんて。まだ、眠ってたんですかっ?」
 「いや、眠っていませんでしたよ。目は覚めて、寝てただけです」
 「同じことです。折角のお誕生日なんですから、早起きしてください」
 「あれこれと立て込んでて、それが片付いたのが明け方近くだったんです。それから眠って、それで、この時間に目が覚めているんですから、奇跡的です。ところで、さっきから気になっていたんですけど、『お誕生日』ってどういうことですか? 七海さん、僕の誕生日を知っているはずですよ。3月にプレゼントをくれたじゃないですか」
 「桜濱さんのお誕生日じゃありません。『九州男児のにくばなれ』のお誕生日ですよ。4歳ですよ。今日から5年目突入ですよ」
 「あー、そうでした…っけ? 何も用意していなかったなぁ」
 「そんなことだと思いました。去年もおととしもさきおととしも忘れてましたよね。だから、ケーキも買ってきましたし、今年はネタになりそうなものを持って来たんですよ。おじゃましますね。外は暑すぎます。はい、これ、どうぞ。」
 「『さきおととし』まで持ち出さなくても…。でも、ありがとうございます。どうぞ上がってください。エアコンは入っていますよ」
 桜濱は、キルフェボンの紙袋を受け取り、七海をリビングに案内した。「ちょっと待っててくださいね」と言い残して、保冷材ごとケーキの箱を冷蔵庫に入れてから、ポロシャツとジーンズに着替え、身繕いを済ませて、リビングに入った。すると、七海は、なにやら印刷されたA4用紙を広げていた。
 「あれ? これは、右横書きの写真じゃないですか。どうしたんですか? こんなにたくさん」
 「これがネタです。桜濱さんの記事を見てから、私も右横書きの写真を集めてたんです。今回は右横書きの第二弾を書いてください」
 七海は、半ば、強制のように言いつけた。
 「右横書きの第二弾ですか…。いいですね。では、僕も準備しましょう。パソコンを点けるので、あの本棚の『横書き登場』を取ってください」

 ●右横書きのおさらい

 桜濱は、自分が集めた右横書きの写真が入っているフォルダを開け、以前の右横書きの記事の印刷を始めた。
 「僕も結構集めましたよ。3年ぶりのお披露目ですね。では、新しい右横書き写真を見ていく前に、右横書きについて、少しおさらいをしておきましょう」
 そう言うと、A4の裏紙に、つらつらと書いていった。

―――――

 1.「右横書き」とは右から左に読み進める書字方向
 2.一行一字の縦書きとは区別される
 3.日本語の右横書きは衰退の傾向にあるが、(業務用)車両の右側面には頻繁に書かれる。
 4.「人間は、身の回りに自分の似姿を見つけださずにはいられない習性をも」つため、乗り物にも進行方向から頭と尾を見て取り、「乗り物の頭に文字の列の末尾がくれば、落ち着きの悪さを感じないわけにはいかない」(『横書き登場』)
 5.右横書き鑑賞では「別の存在の連想を導き出す」ことが重要であり。この連想は「車体右側面上右横書き」が元々の意味と音のつながりを緩め、あるいは切り、新たな意味と音の結びつきを求めていることから促されている。

―――――

 「こういったところでしょうか。前の記事では、この右横書きの定義を踏まえて、右横書きの分類と鑑賞したんですよね。それからしばらくしてからですね。七海さんが、ご連絡をくださったのは」
 「そうですね。デイリーポータルZで取り上げられていたのを読んで。興味深かったですし、名古屋なので、桜濱さんとコンタクトが取りやすいだろうなと思いました」
 七海は、言語学を専攻しているので、ことばを取り扱ったネタにはことに強い興味を持っているようだ。桜濱は、七海から初めてメールを受け取ってからは、定期的に学校の空いたセミナー室や、喫茶店などで、ことばに関する話題で時間を過ごすようになった。ところが、今日はいきなり家に押しかけてきたので、眠気と相俟って面食らった。
 「もうちょっと、目を覚ましたいんで、コーヒーを飲んでもいいですか? あ…、一緒にケーキも食べましょう!!」
 「ダメです。まだ全然、新しい右横書きを見ていないじゃないですか。あとで、休憩時間に食べましょう。それまでおあずけです。コーヒーだけ飲んでいてください」
 七海のペースに合わせるのは骨が折れるが、逸脱すると、彼女のご機嫌を損ね、厄介な目に遭うことは分かっている。フィルターに豆を多目に入れて、濃いのを作る。
 「ふー、やっと一息つきましたよ。では、見ましょうか」
 「では、基本形からいきましょう。これは定型的な右横書きだと思います」

右横書き01

 「うん、そうですね。街中でよく見かけるのが、この手の右横書きでしょうね。社会式株型・アド型複合、カナ種・漢字種複合の工業系車両。基本的、典型的です。街を走る車の8割くらい右横書きはこのタイプになるんじゃないかな…」
 「統計取ってないんですか? 今度はきちんと統計を取ってください。それが調査です」
 「あー…、はい、分かりましたよ」
 「やる気が無いですね。コーヒーもっと濃くしましょうか」
 「いや、いいです、いいです。統計も取らないと、調査になりませんよね」
 七海は「ようやく分かりましたか」と言って、にこにこ顔に戻った。

 ●何語?

 「前回の記事で右横書きの基本的な定義や、鑑賞の仕方は分かりました。それで、今回は、やや特殊なものを集めてきたんです。見てもらえますか」
 「僕も、大型トラックの右横書きなどは、もう、余程目を引かない限りは撮っていませんね。一ひねりあるものを探しています。では、片方が写真を出して、それに合いそうな写真をもう一人が出して、ゲームみたいにして見ていきましょうか」
 「それは白熱するでしょうね。いいですよ、負けませんよ。じゃ、私からいいですか。まずは小手調べで、こんなのはどうでしょう」

右横書き02

 「やっぱり、仮名が多いほうが見ごたえがありますね。発音できなくはないのですが、実際に読んでみると、違和感がたっぷりです。それに、長いカタカナ用語は、右横書きにすると一見しただけでは何の車なのか分からなくなってしまいますね。電話番号は左横書きか…、294で「フクシ」。中日のお膝元だからかな?」
 「関係ないです。どうですかっ。なかなか良いでしょう」
 七海は自分用に淹れた薄いコーヒーをすすった。
 「それじゃ、僕はこれを出しましょうか」

右横書き03

 「これも、長いカタカナ用語なので、原型が掴みにくくなってますね。それに、このことばの、なんとも言いがたい、いや、思わず言いたくなるテンポの良さ。なんなんですか、これは?」
 「何もかにもないですよ、普通のサービス業の自動車の右側面です。『サービス』に他のことばが付いたものだから、ちょっとおかしなテンポになっているんです。外国人ボクサーに居そうな右横書きですね。このように、『何かに似てくる』というのが、右横書きの良いところなんですよ。だから止められない」
 桜濱はぬるくなったコーヒーを飲み干して、ようやく、頭が回り始めた。
 「どうです、この勝負は? 僕が勝ちですよね。だからケーキを…」
 「はい、桜濱さんの勝ちは認めましょう。私のはもう一息でした。でも、まだ一回戦ですよ。なのに、ケーキ、ケーキって…。もうそろそろ、落ち着いてくださいよ。」
 七海のことばは、最後はため息混じりになった。だんだんと呆れてきている可能性がある。彼女の言うとおり、そろそろ真面目に右横書きに向かい合わないと、鉄槌が下りそうだ。
 「撮った写真を見ると、『スビーサ』ものが案外と多いんですよ。七海さんの撮った中にもありませんか?」
 「あ、そうなんですか。ちょっと見てみますね…。えーと。あ、本当だ、ありました、ありました。こういうのですね」

右横書き04

右横書き05

 「この『スビーサンーリグ』は良いですねー。やっぱり仮名が多いものが見応えがあるな。これは『スビ』『サン』『リグ』をハイフンで結んでいるように見えるというのも得点が高いですね」
 「なるほど。確かにハイフンで結んでいるようにも見えます。どちらにしても、発音しにくいですよね」
 「逆読みしたら、まったく別の言語のようになるのが、面白いですね。これとか、これとか、こんなのとか…」

右横書き06

右横書き07

右横書き08

 「『マツムラ』も『ムライズ』も、左横書きにすると普通の日本語なんですけどね。右横書きにすると、途端にエキセントリックな雰囲気を撒き散らすんです」
 「『グンリトボンイサ』は私の自信作だったんですよ。こっちを出したほうが良かったかなぁ。もともとの『サインボトル』というのが、どういうのか分からないんですが」
 「ちょっと、検索してみましょう。…どうやら、サインの入ったお酒のビンのようですね」
 「それを、事業にしているって、どういうことなんでしょう?」
 「さぁ…、どういうことなんでしょう?」

 ●別の意味になる

 二人は首を傾げていたが、思いついたように、七海は言った。
 「右横書きにはあまり関係無い、と、しませんか」
 「それがいいような気がしますね。じゃ、第二回戦にしましょう。僕はこれを出します」

右横書き09

 「『スビーサ』じゃないですか。まだ、残していたんですか」
 「『りぼしお』の方を見てください。『りぼしお』ですよ。『リボ払い』に『塩』ですよ。素晴らしい」
 桜濱は一人悦に入っている。
 「ちょっと、苦しいんじゃないですかー。でも、『おしぼり』が全く別の意味になっているところがミソなんですね。それなら、私はこれにしますっ」

右横書き10

右横書き11

 「『疎い』…。なるほど。良いですね。しかも、漢字かな交じり文章、カタカナ、ひらがなの混合と来ましたか。完成度が高い右横書きだと思います。これは、七海さんの勝ちとしましょう」
 「なんですか。その回りくどい言い方は。素直に負けを認めてください」
 七海は眉をひそめた。桜濱は慌てて、言い訳をする。
 「い、いや、負けました。僕の負けです。ちゃんと、左右両面の写真を撮っているのもポイントが高いですよ」
 「右横書きを観察していると、右側面しか撮らなくなりますから。こうして、見比べるのも必要だな、と思ったんですよ」
 「うん、そうなんですよね。どうしても、右側しか撮らなくなります。比較するには、こうしなくちゃいけないんでしょうね」
 七海はしてやったり、という表情で、にこにこしている。
 「ふふー。ちゃんと研究しているんですよ。卒論用にはこういうのも必要だと思ったんです」
 「おや。七海さん、右横書きを卒論にするんですか?」
 「材料の一つとして使おうかな、と思ってるんです。駄目しょうか?」
 「僕としては、大歓迎ですよ。なかなか右横書きの資料ってありませんからね。いろいろ調べて、僕にも教えてください」
 「楽なところを持っていこうとしますね。ずるいですよ。桜濱さんもちゃんと右横書きを集めてください」
 「分かってますよ。僕ももちろん調べます。ところで、いい区切りなので、ここらへんで、一休みしませんか? ケーキを…」
 「まだです。もう少し見てからです。他にも、別の意味になっている右横書きがあるんですから。桜濱さんも出してください」
 「ふー…、そうですか。それなら、これなんてどうですか」

右横書き12

 「わー、これは見事に別の意味になっていますね。『きたのさと』が『土佐の滝』なんて。高知県の滝ってことですよね」
 「そういうことになりますね。実際にこの車で高知県まで行ってみたいですね。そして、バックを滝にして写真を撮ったら、それはそれは綺麗でしょう…」
 桜濱はその場面を想像しているのか、遠い目をしている。
 「ちょっと、桜濱さんっ。一人で、旅立たないでくださいっ」
 「あ、すみません。ほらほら、意味が変わるのでしたら、こんなのもありますよ。インパクトはあまりありませんが」

右横書き13

 「『昼間』。シンプルですね。でも、ちゃんと正しいことばになってますね。…思ったんですが、このタイプの右横書きって、短いことばに限られてくるんじゃないですか?」
 「僕もそうだと思います。単語レベルの右横書きじゃないと難しいでしょう。さっきの『きたのさと』は、二つの文節で構成されているから面白くなっていると思います。複数の文節で構成されていたり、文章になっている右横書きは、インパクトが大きくなりやすいようです」
 「こんなのですか?」
 七海は、数枚の写真を取り出した。

右横書き14

右横書き15

右横書き16

 「そうです、そうです。最後のはいいですねー。七海さん、これはお手柄ですよ。内容も名古屋っぽい」
 「原型をとどめていませんよね。正しく読もうと思えば読めなくもないですが、『おに嫁』みたいにも見えますし。文章が文字レベルまでバラバラに分解されているようです」
 「一種のゲシュタルト崩壊と見ることができるでしょう。長文になればなるほど可読性が低くなるのが一般的な右横書き文ですよね。でも、最初の『近藤産興』さんの右横書き、「何んでも貸します」は名古屋ではテレビCMなどでよく知られたフレーズなので、右横書きにしても可読性がそれほど落ちないんです。左横書き、縦書き、もしくは音声で『刷り込み』があらかじめ為されている文は、右横書きにしても、ぱっ、と見て分かるんですよ。これも右横書きが無くならない一つの要因だと思います」
 「キャッチフレーズが右横書きになってもすんなりと読めるようになるということは、企業にとってある種のステータスにもなるんですね」
 「ちょっと大げさな気もしますが、そう言えるでしょう。その点、こっちの『ワカサマのスイ』は『若様の粋』というかっこいいことばがまず連想されますね。右横書きとしては面白いんです。でも、こう言っては悪いと思いますが、元があまり馴染みが無いので、宣伝効果は若干落ちる、と言わざるを得ません」
 「長めの右横書きは、『頭から読める居心地の良さ』を取るか、『可読性』を取るか迷いどころになっちゃいますね」
 「右横書き観察者からしたら、可読性を捨てても右横書きにしてほしいところなんですが」
 「そんな、道楽ばかり言ってちゃいけません。もっとしっかりしてください」
 「保護者みたいに言わないでくださいよ。ささやかな趣味なんですから。では、休憩に入る前の最後の一番といきましょう。可読性のことが出たので、『把握し辛い』右横書きをテーマとします。七海さん、分かりにくい右横書きを出してください。」
 「えーと…、これとか、これは分かりにくいと思います。どうでしょうか」

右横書き17

右横書き18

 「どちらも漢字種ですね。文字数も多い。確かに、漢字は仮名やアルファベットに比べて画数が多いので、集まると黒っぽくなって、読みにくくなる傾向があります。一枚目のは、フォントも入り混じっているので、なおさら読みにくくなってますね。これはテーマに合っています。でも、問題は二枚目の写真です。これは右横書きじゃないですよ」
 「えっ? だって『屋古名』じゃないですか」
 「その前を見てください。地名が全部縦書きですよね。だからこの『屋古名』は『一行一字の縦書き』です」
 「あー、なるほど。そうですね。うっかりしてました」
 「基本事項ですよ。でも、今時、一行一字の縦書きなんて。こっちの方が珍しい。レア物です。コレクションにいただきます」
 「駄目出しをしておきながら、横取りするなんてずるいです。桜濱さんは、これで、ケーキの選択権が無くなりました」
 七海は、すっ、と立ち上がり、キッチンにケーキを取りに行った。
 「ごめんなさいー!」


 後編につづく


 更新履歴
 2018/07/31
 画像のリンク切れを修正しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0) | トラックバック (0)

右横書きゼミナール・後編

 「右横書きゼミナール・前編」のつづきです。前編を先にご覧ください。


 ●文字種ごとの書字方向問題

 結局、この夏の限定ケーキ『豊田猿投の桃のタルト』は七海が取り、桜濱は定番の『季節のフルーツタルト』を食べることになった。
 「何度食べても、季節のフルーツタルトは美味しいですね。選択権が無くてもこっちを選んでましたよ」
 「いや、桜濱さんなら、こっちの新作を選んでいたはずです。限定品とか、新しいもの好きですよね」
 「ま、まあ…、そうですが。どちらも美味しいと思いますよ。食べ比べてみたいので、少しください」
 「当然、駄目です」
 「…分かりました。ごめんなさい。今度、自分で買って食べます」
 「はい、そうしてください。ところで、桜濱さんの『把握し辛い右横書き』がまだですよ。早く、見せてください」
 「あ、そうでしたね。うーん、と。これなんてどうでしょうか?」

右横書き19

 「『電子氷』って何ですか?」
 「いやいや、問題はそこじゃないです。その上の『WEN』を見てください。これは『NEW』の右横書きですよね。アルファベットの右横書きは珍しいですよ。『氷子電』は『電子氷』とすぐ分かっても、『WEN』が『NEW』だとは、一瞬じゃ分からないんじゃないですか?」
 「そう言われてみれば…、そうですね」
 「それに、右のロゴを見てください。『Precious』は左横書きなんです。あと、左下の電話番号も左横書きです。仮名、漢字、アルファベットが左右両方向、そして数字。いろんな文字種が入り混じっている右横書き車なんですよ。これは頭が混乱してしまうくらいの上質の右横書きだと思います」
 「一つ一つの単語だけだと可読性は低くないと思いますが、いろんな文字種、書字方向がいっぺんに書かれていることで、可読性が低くなってしまっているわけですね」
 「そうです。この車の場合、『落ち着きの悪さ』を受け入れて、全部を左横書きにした方が、分かりやすかったでしょうね。それぞれは長い文章ではないので。むしろ右横書きにした英単語の落ち着きの悪さを感じてしまいます。英単語の右横書きには、こんなのもありましたよ」

右横書き20

 「なんですかこれ? 分かりにくい」
 「写真の撮りかたが悪いのは許してもらうとして。これは、アルファベットの綴りが裏焼きになってるんです。ほら、救急車のフロント部分で『急救』という風に、反転しているのを見たことがありませんか? あれと同じような感じで、右側面のアルファベットが反転しているんです」
 「『急救』は、前の車がバックミラーで見たときに、正しく『救急』と読めるようにしているんですよね。でも、側面だと意味が無いじゃないですか」
 「そうなんです。分かりにくいだけなんです。アルファベットの綴り方よりも、『右から始まる落ち着きの良さ』の方を優先した結果なんでしょう。ただ、ロゴを右から左に描いていくと、形を変えたりする手間とか厄介な問題が出てくるんでしょうね。それで仕方なく、型を裏返しにしてペイントしたんでしょう。アルファベットの右横書きでは、稀にこの『裏焼き右横書き』が見られますよ」
 「私、見たことありませんよ」
 「僕もほとんど見たことありません。だから、この観光バスを見つけた時は、見にくい位置だったんですけど、無理矢理に写真に撮ったんです。あと、交差点で青になるのを待っていたときに、目の前を『裏焼きアルファベット』が通過していくのを見かけたことがあるだけです。あの時はカメラを取り出す時間がありませんでした。悔しかったなぁ…」
 桜濱は、その時のことを思い出して、ややうつむき加減になり、ケーキをゆっくりと口に運んだ。
 「そんなに落ち込まないでくださいよ。またチャンスはあります。待てば海路の日和あり。鳴くまで待とうホトトギス。信じるものは救われる、です」
 七海の言い方が妙ににおさおさしいと思ったが、それを言うと、また失点になりそうだと思ったので、桜濱はそれは口には出さずに、軽くうなずいた。
 「ありがとうございます。次の機会を気長に待つことにします。七海さんもこのタイプの右横書きを見つけたら、すかさず捕獲してください」
 「はい、分かりましたっ。…と、これって、『引越のサカイ』じゃないですか。桜濱さん、前のブログ記事で書いていましたよね。珍しくないんじゃないですか」

 ●ロゴマークと書字方向

 桜濱は、七海が指差した「引越のサカイ」のトラックの写真と、以前に撮った写真とを並べて置いた。

右横書き21

 「ほら、右側面でも、前に取り上げたのは左横書き、新しい方は右横書きなんです。僕は、はじめは『引越のサカイ』さんのトラックは、左横書きしかないのかと思っていたんですが、右横書きも存在していたんです。でも、これで問題にしたいのは、パンダのロゴマークの方なんです。見比べてみてください。ロゴマークは一緒ですよね。それで、こっちを見てください」

右横書き22

 「西濃運輸さんは、「ールガンカ」と右横書きになっていて、カンガルーマークも裏焼きになっているんです。そして、こっちも」

右横書き23

 「佐川急便さんの飛脚マークも、右横書きに合わせて、裏焼きになってます。そしてこれが、クロネコヤマトさん」

右横書き24

 「クロネコマークは裏焼きになっていませんよね。どう思いますか?」
 「えーと…、裏焼きになっているロゴとそうじゃないロゴがあるってことですよね…。あ、走ってますっ」
 「そうなんです。カンガルーマークも飛脚マークも、裏焼きになるロゴっていうのは、走る方向、つまり頭の向きに大きなベクトルがあるんです。パンダマークやクロネコマークは、それほど大きなベクトルは感じられませんよね。このことからも、右横書きの大原則『人間は、身の回りに自分の似姿を見つけださずにはいられない習性を持つ』というのが当てはまっているんじゃないかと考えました。むしろ、ロゴのベクトルの大きさが、書字方向にも強い影響を与えているんじゃないかと思うんです。つまり、『頭と尾の意識』があるので、右横書きになったというわけです」
 「なるほど。反転ロゴマークが、『横書き登場』の記述の証明になっているということですね」
 「これだけでは明言はし辛いですが、可能性は高いと思います。では、次は、勝負は抜きしにして、他に気になる右横書きとか印象に残っている右横書きを見てみませんか?」
 「はい。えーと、これはちょっと気になりますね」

右横書き25

 「確かに、なんだか自然と気が引かれますね。でも、これは、右横書きに、というよりも、車体の色が問題じゃないんですか」
 「はい、そうなんです。あまりのピンクっぷりに驚いたんです。これを見てても思うんですけど、住所は右横書きにすることがあっても、電話番号はやっぱり左横書きなんですよね」
 「電話番号の可読性は落とすとなると抵抗感が生まれるんでしょう。アルファベットの右横書きはあっても、電話番号の右横書きはまず見られませんね。例えば、これも」

右横書き26

 「あっ…、これって、例の…」
 「はい…。例の…です。今となってはレアでしょう。これも『牛騨飛』と右横書きにしていても、電話番号の部分はやっぱり右横書きです。電話番号はもともとは意味の無い数字の羅列なので、左横書きという原則を崩すわけにはいかないんだと思います。ある一つの文字体系に組み込まれている人にとって、共通意識になっていると考えるべきなんでしょう。電話番号の他には、僕はこんなのが気になりました」

右横書き27

 「パトカーの右横書きはよく見るじゃないですか。そんなに印象に残っているんですか?」
 「だって、パトカーの写真を撮っていたら、怪しまれるじゃないですか。でも、一つは押さえておきたかったんですよ。どうしたらいいかな、といつも思っていたところ、幸運にも、松坂屋の前で、警察車両のキャンペーンみたいなのをやっていたんです。それで、乗り物ファンのふりをして、ちゃんと許可をいただいて、写真を撮ったものなんです。長い間、欲しかったものが手に入ったので、嬉しかったですよ。しかも、高速隊の三菱GTOですよ。かっこいいじゃないですか」
 「そ、そうですね」
 七海はやや付いて行けないという感がある。しかし、桜濱は勢いがついたらしく、次の写真を広げた。
 「ほらほら、これもかっこいいですよ」

右横書き28

 「…」
 「すっごい鼻ですよねーっ。『伸び』が素敵ですよ。憧れるなぁ、かっこいいなぁ。『ムハ狗天』ですよ、『むはいぬてん』。毘沙門天みたいじゃないですか。かっこいいなぁ。あまりにかっこよかったので、これは左側面も撮りました」

右横書き29

 「ちょっと、桜濱さんっ! 天狗だけ撮っても、右横書きとは、関係ないじゃないですかっ! いい加減にしてください」
 「ひっ、ご、ごめんなさい。つい調子に乗ってしまいました。…でも、全く右横書きと関係ないわけじゃないんですよ。この天狗も反転ロゴですよ。もともとのロゴは左側面の方なんです。右側面は裏返しになっている。と、いうことは、やっぱりベクトルが意識されていると思うんです。鼻の伸びる方向が頭だという意識が働いているので、それにつられて、『天狗ハム』も右横書きになった可能性があるんじゃないですか?」
 桜濱は、言い訳をしながら、どうにかして右横書きと関連付けて、七海の機嫌を取ろうとしている。
 「はぁ…、まぁ、そうかもしれませんね。分かりました。そういうことにしておきましょう。じゃ、ケーキも食べ終わったことですし、そろそろ、さっきの続きに戻りましょう」
 七海は、てきぱきとフォークと皿を片付けて、改めて、右横書きの資料を広げなおした。

 ●インパクトと異化効果

 「じゃ、次は何をテーマにしますか?」
 「インパクトの強い右横書きにしましょう。これが、右横書き鑑賞の一番の醍醐味だと思います。七海さんからどうぞ」
 「インパクトですか…。これはかなりパワーがありますよ」

右横書き30

 「無理矢理に右側面を端から端まで埋めた感じですね。それにテンポがいい。『ーヒーコ』は『コーヒー』のことだと分かりますね。この『ーヒーコ』を二度重ねて『ウトイ』としているので、『ウトイ』が『イトウ』だとすぐに判別がつきます。畳語のようにすることで、可読性が高まっているんですね。インパクトを持たせつつ、きちんと社名が分かるようにして、さらに広告効果も高めている。なかなかの秀作ですね。…では、僕はどうしましょうか。これに見合うだけのものってなかなか見つからないですよ。えーと、これなんて如何でしょう?」

右横書き31

 「普通じゃないですか」
 「やっぱり、そう見えますか。けど、ほら、ぱっと見で、あの双子の女優さんが思い浮かびませんか? NHKの朝の連ドラの」
 「あー、マナカナ。…強引です。」
 「はい、負けです。今回は完敗です。これは見つけたときは嬉しかったんだけどなぁ…」
 桜濱は名残惜しそうに、「マシカナ」の写真を仕舞いながら言った。
 「右横書きでインパクトがあるものは、他のものが連想されたり、なんとなくどこかにありそうと思わせられるんです。そのように、元の意味とは別のものが惹起される右横書きは『異化効果』が現れているということになるでしょうね。分かりにくいながらも、目を引くので、宣伝効果が高まっているんです」
 「じっくりと読ませる右横書きなんですね。前の記事の『んはごくゃにんこ』みたいなものかなあ」
 「あー、そう。そうです。あれも『異化効果』だと思いますよ。ただ、長文の右横書きなので、走行中に見せることを目的としているんじゃなくて、停車中に見せることを意識して書かれているのかもしれませんね」
 「『設建○○』みたいな、ありがちな右横書きだと、走行中のものでもすぐに判別できますが、長いものになるとそうはいかないですよね」
 「『設建○○』とか『送運○○』はたくさんありすぎて、みんな慣れてしまっているので、異化効果は発揮されなくなったんでしょう。それよりも頭と尾を一致させる居心地の良さが優先されて、結果、それが一般化したんだと思います。さて、かなり、右横書きを見てきたので、今日はこれくらいにしましょう。最後にお互いの自信作を披露して、お開きにしませんか?」
 「ええ。私も卒論の材料になりそうなものがいくつか見つかりました。帰ってからまとめることにします。じゃ、最後なんで、同時に出しませんか。いっせーのせ、で」
 「いいですね。僕はもう決まっていますよ。いいですか。では、いっせーのっ、せっ」 二人は後ろに隠していた右横書き写真を前に出した。

右横書き32

右横書き33

 「あっ」と両側から声が上がった。
 「『ン』ですね…」
 「『ン』になりましたね…。やっぱり、初めが『ン』の右横書きだと力があるなあ。前の『ンコマナ』とか」
 「それにしても、『ンチーコ』って、なんか迫力ありますね。しかも、ことごとく右横書きにしているし。『様王の鶏地』とか『ーリトーポト丸』とか、魅せてきますね」
 「七海さんの『田代千ンチッキ』も迫力ありますよ。『ぶゃしぶゃし』も。『しゃぶしゃぶ』自体も危うい雰囲気を持ったことばですが、逆読みすると、その危うさがこんなに増大するとは思いも寄りませんでした。湿度のある擬音になってますね。『ぶゃしぶゃし』な目には遭いたくないな、という気にさせられます」
 「そう考えると、おじさんのマークが意味深になりますね」
 「かわいいおじさんマークなんですけどねぇ…。ところで、『キッチン千代田』って名古屋一と評されるくらいのオムライスがいただけるんですよ。今度、行ってみませんか?」
 「あ、食べてみたいです。私、ぶゃしぶゃし食べますよ」
 「…擬音の使い方、間違っています」


――――――――――

 本稿を、偉大なることばの芸術家、故・大野晋博士に捧げます。

――――――――――

・参考文献
 屋名池誠『横書き登場―日本語表記の近代―』 岩波書店 2003年11月 ISBN4004308631
 桜濱『右横書き試論 ―「車体右側面上右横書き」の考察と鑑賞―』 本ブログ 2005年9月19日掲載

 更新履歴
 2018/07/31
 画像のリンク切れを修正しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2005.08.31

あえて違うものを吹く

◆きっかけは○○

 名古屋に移り住んだ当初から気になっていた場所がありました。
 その場所を知ったのは、一冊の本がきっかけでした。その本とはコレ。

名古屋市街地図
 地図のメジャーメーカー「昭文社」の「でっか字まっぷ 名古屋」

 初めての都会生活をする地方人にとっては、欠くことができないものです。日本一複雑といわれる地下街。どこでどう繋がっているのかを考えると三日三晩は眠れなくなりそうなバス&地下鉄路線。遥かに続く家々によって、ラビリンスのようになっている町並み。ここにはダイダロスはまだ生きているのかもしれないという錯覚に陥ります。

 でも、この地図さえあれば大丈夫。北を確かめ、電柱の住所案内をみればほとんど迷うことはありません。地図を持ち歩くことで迷い人になる確率は1桁台まで減っているはずです。反対に、地図を持っていないと、即座に迷い人になってしまいます。3度ほど自宅の半径100mの範囲で迷ったことがあります。

 ここまで書くと、問題は名古屋の町並みにあるのではなく、私自身の方向感覚にあるのではないかと思われる方がいらっしゃるでしょう。はい、正解です。自覚しております。その自覚があるために、私は家でこの地図を広げ、名古屋の地理のお勉強をしておりました。そのとき、ぱらぱらと開かれるページの上に見つけてしまったのです。そこを。

 あまりに唐突な登場でした。

 なぜ、それがそこにあるのか地図だけでは見当が付きません。

 「一度実際に行ってみなければならない」

 そう心に決めたのですが、現住地からは距離がありました。現在、交通手段が限定されている私にはひょいひょいと行ける所ではありません。

 そのため、心の隅には置きつつも、一ヶ月たち、二ヶ月たち、半年たち、一年たち…。なかなか行く機会が持てず、延び延びになってしまっていたのです。

◆風に吹かれて、約束の地へ

 しかし、一年半が経とうとした夏のある日、ふと「行こうかな」と思い立ったのです。その日は台風一過の晴天、軽い吹き返しの風が吹いていました。

 「行こうかな」

 風に揺れる木を見て、それまで鉛のように重かったはずの腰が、フェザーのように軽く上がったのです。

 以前から用意していた「そこの訪問グッズ」をかばんに詰め、太陽とそよ風の名古屋の町へ出たのです。

 …

 2時間後、やっと着きました。この地に。

ほら貝バス停
 バス停です

住所案内
 漢字だとこうなります

信号機
 ローマ字だとこうです

 何か深いいわれがありそうな地名です。昔、ここで戦いがあったとか、修験者の修行が行われていたとかが考えられます。そのような推測を立てて、私はこちらを訪問する前に図書館でこの場所について少々調べておきました。

◆基本知識を仕入れる

 日本の地名について調べる際に、最もオーソドックスな資料は、

 『角川日本地名大事典』(角川書店
 『日本歴史地名大系』(平凡社

でしょう。これらは各都道府県ごとに分冊され、細かく項目が立てられており、たいがいの地名ならば調べることができます。どちらも23巻が愛知県です。
 まずは角川の方から見てみましょう。

 ほらがい ほら貝<名古屋市緑区>
〔近代〕昭和51年〜現在の名古屋市緑区の町名。1〜3丁目がある。もとは緑区鳴海町の一部。町名は字螺貝にちなむ。(1216ページ)

 肝心の部分が載っていません。字螺貝の部分を知りたいのです。それならば、歴史的に遡ったらなにか分かるのかもしれません。そこで平凡社を見ると、

 項目すら立てられていない…。

 手がかりの糸がぷつりと切れた気になりました。どうしようか…。
 でも、そこで探索精神(サーチスピリッツ)がしぼんだわけではありませんでした。もっと地元密着型で調べれば良いのではないか。事典棚を離れ、地方史棚へと向かいました。
 引っ張り出したのは『新修 名古屋市史 第8巻 自然編』(名古屋市発行)です。これならばもう少し詳しくいわれについて言及しているかもしれません。

 天白区南部から緑区北部に広がる鳴子丘陵は、本来は60〜80m程度の丘頂高度をもつ多くの谷に刻まれた丘陵であった。しかしながら、昭和40年代末には鳴海駅の北側から鹿山・池上・鳴子町にかけての地域や、ほら貝・久方・大根から原・平針にかけての地域などで大規模な開発が進行し、その後も黒石・滝の水などの地域で宅地化が進行している。(41ページ)

 1968(昭和43)年には宅地造成が進行中で街路だけ完成していたほら貝や御前場町付近に、住宅が建設され、それぞれ新しい町並みとして完成するとともに、さらに造成中の地区がその南部や島田住宅の周縁に拡がっていく様子がわかる。(259ページ)

 残念ながら、こちらでも地名のいわれには触れられていませんでした。しかし、この資料からここは比較的新しい町であることが分かりました。新しく町が造成された後も、ほら貝という字が使われたのは、やはりよほど古い歴史があったために、そのまま用いられたのだと考えることができるでしょう。

◆ぐるりとまわる

 では、文献資料からだけでは分からなかったいわれを、実地調査してみたいと思います。付近を訪ねれば、石碑のようなものが見つかるかもしれません。

 ぐるりと町を一周すると、公園に着きました。公園の入り口などには、石に文字が彫られたものがよくおいてあるものです。探してみましょう。…あっ!

公園入り口
 公園の入り口です

 トーテムポールがありました。これにはいわれは彫られていないようです。

スタート地点
 ジョギングできます

かも
 近づいたら当然のように逃げられました

 のどかないい公園です。まさに市民の憩いの場。でもいわれは書かれていないようです。残念です。

 結局、元のバス停まで戻ってきました。新しく閑静な町には古めかしいいわれの石碑はないようですし、あってもふさわしくなかったでしょう。

◆地球の反対を吹く

 ここでもう一つ、地名探索とは別の目的を果たすことに切り替えました。
 上の地名のいわれを推測するところで、「戦い」や「修験者」を挙げました。むろん、ほら貝が吹き鳴らされるところからの連想です。
 しかし、時に、固定化されたイメージは思考の単線化につながることがあります。そこで、常に柔軟な思考を持てるようにとの自戒の意味を込めて、あえて違うものを吹いてみることにしました。

 まずは、同じ音を吹き鳴らすものでありながら、地球の反対側からやってきた「ケーナ」を吹いてみましょう。

ケーナ
 南米の調べ

 これは、先日リトルワールドに行った際に購入したものです。「入門用に」というポップと共に置いていました。ケーナ初体験どころか、たてぶえを吹くのは義務教育のリコーダー以来です。上手く吹けるだろうかと心配していましたが、運指表付きの楽譜をおまけでくれました。助かります。

運指表
 ラ・ケーナ

 上手く吹くコツは、口角を引っ張り上げ、吹き出し口は小さく、息を強く吹きすぎないこととあります。

 ふひー、ふひー、ふー、ぷふー、ぷー…、ポーッ!

 しばらく練習していると、みごとに南米の音が響き渡りました。これでコンドルを飛んで行かせられるわ、と思ったのですが、この楽譜には「さくらさくら」しか載っていませんでした。たぶん、コンドルを飛ばすのは初心者には適わないことなのでしょう。その教えに逆らわず、「さくらさくら」を演奏することにします。

演奏中
 ぽー、ぽー、ぷー。ぽー、ぽー、ぷー。(さーくーらー。さーくーらー)

 やや頼りない音ではありましたが、演奏会を無事に終えることができました。観客はいません。

◆体育を吹く

 学校行事では、楽器の演奏などが行われる文化祭に対応するように、体育祭というものがあります。今度はその方面で吹いてみましょう。

ホイッスル
 赤が欲しかったのですが、売り切れていました

 東急ハンズで買ってきたホイッスルです。これで一気に健康方面へアプローチします。そのためにはもっと気分を高めなければ、

はちまき
 紅白に分かれていても、いるのは一人

 はちまきです。夏休みが運動会シーズンだからでしょう、近所のスーパーに置いていました。意図しないところで需要と供給のバランスが取れています。

はちまきしめる
 今日は白組で。でもやっぱりいるのは一人

 ぎゅっと締めて気合をいれましょう。ついでにそれっぽく着替えてみました。
 では、選手入場です。

走る
 ピッ、ピッ。ピッ、ピッ。

止まる
 ピーッ、ピッ!

前ならえ
 ピ、ピーッ、ピ、ピ、ピッ!(まえー、ならえっ!)

 先頭はバス停です。腰に手を当てているのが見えます。私は二番目であり、なおかつ最後尾です。一人だから。
 よし、これで健康方面へのアプローチが成し遂げられました。心なしか肺もいままで以上に活発に動き始めたようです。

◆筒を吹く

 それならば、もっとアグレッシブに肺に活躍してもらいましょう。つぎは「吹き矢」の登場です。ですが、いくらなんでもバス停前で吹き矢を飛ばすわけにはいきません。安全面を考慮して、一旦場所を変える事にしました。移り先は先ほどの螺貝公園です。

 …

 移動しました。これが今回使用する「吹き筒」です。

吹き筒
 ポリ製の筒。1メートル

 そして、矢は、

新聞紙
 安全面を最大限に考慮しています

 水につけた新聞紙です。「吹き矢」と書きましたが、本当に「矢」を使うわけにいかないことは重々承知です。そもそも吹き矢用の矢がどこで手に入るか分かりません。もちろん入手手段が分かったとしても決して使うことはありません。
 この濡らした新聞紙をちぎって、丸めて、

新聞紙ちぎる
 くるくるっと

 筒に詰めれば、準備完了です。

たま込め
 ぴったり。

 では、辺りに人がいないことを確認して(安全のため)、腰をすえて…、

発射
 腹の底から

 ふいーっ!

こことここ
 これだけ飛びました

 息の力に対して、こんなに遅いスピードで飛び出すとは…。下降の一途をたどるグラフのような軌道を描いて地面に到達しました。

記録
 公式記録

 記録は3メートル62センチですが、筒の長さ1メートルを引かねばなりません。ですが、おそらく「新聞玉吹き出し競技・1メートル筒部門」では世界記録になっているはずです。

ごみひろい
 来たときよりも美しく

 もちろん、あとかたづけはきちんとしましたよ。

◆童心を吹く

 ここまですこしアクティブ吹きに偏っていた気がします。すこし方向性を変えて吹いてみることにしましょう。そのために、再びバス停に戻り、作業に取り掛かります。
 用意したのはこれ。

材料
 これが吹かれるものに変わる

 この材料で作ったものは、以前の記事でも別のことに使いました。こうなって…、

作業中
 切って、折る

 こうなります。

風車完成
 2回目の登場

 風車の回転の面白さは、以前の実験で実証済みです。これほど手軽に作れて、吹き甲斐のあるものは、そうは無いでしょう。さて、童心に帰って吹き回しますよ。

風車を回す
 ほっぺをふくらませて

 ふーっ。くるくるくる。ふー。くるくるくる。ふー。くるくるくる。くるくるくる。
 …よく回りますよ。回りすぎるくらいです。吹かなくても、風で回っています。写真では回っていないように見えますが、回っていたのです。シャッター速度が速すぎたために止まったようにしか撮れませんでした。これでは、風車を見ている人にしか見えないではありませんか。非常に悔やまれる結果です。

◆日本を吹く

 ここいらで、遅い昼食を取ることにしました。お昼なので、

ひるげ
 ひるげは赤だしだったのか

 「ひるげ」です。熱い味噌汁をふーふーしようというわけです。

 …「湯」が無い。

 このままお椀を吹いても、乾燥具材の粉末が飛び散るだけです。こんな吹き方はしたくありません。なんとか味噌を溶かすだけでもしなければ。でもこんな熱い季節に湯を好き好んで提供しているところなんてありません。冬場でも「湯」のペットボトルを見かけたことは皆無です。どうしよう…。

 そうだ、「水」を使おう。

 現代日本、水ならば手に入りやすいです。スーパー、コンビニエンスストアで数種類の水が売られています。これを使えばよいのです。「お湯が無ければ、水を使えばいいじゃない」とマリー・アントワネットも言っていたような気がします。

ボルビック
 図らずもフランスの水を買ってしまいました。マリーの導きか。

 水を買ってきました。ついでにこれも。

桐灰のカイロ
 太陽に輝く熱い奴

 これではさめば、水が温まってお湯になるのではないかという名案を、買い物中に思いつきました。これならば安全も考慮していることになります。さあ、加熱を開始です。

加熱中
 カイロ・水・カイロのサンドイッチ式過熱装置

 …かなり退屈な上に、暑いです。こんなに暑いのに、水を熱い湯に変えようと躍起になっているのですよ。それで味噌汁を作ろうとしているのですよ。大丈夫ですよ。

 うん、もうこれ以上待てません。でも結構温まっているはずですよ。

加熱終了
 ぬるいかも…

 …容易に手で持てるほどの温かさです。仕方ないです。これで味噌汁を作って、ふーふーすることにします。

調理開始
 やっと溶かせます

 「湯」を注いで、

調理終了
 さあ、召し上がれ

 いただきます。

ふーふー中
 ふーふーしてます。

 せっかく温めたものを、また冷やそうとしています。大丈夫ですよ。

食事中
 ずずず。

 思った通りの温度でした。でも、ここでふーふーすることが重要だったのです。これでも案外、シズル感が伝わりませんか?

◆吹きの聖地、さようなら

 真っ先に思いつくもの以外を吹いたことは、非常に貴重な経験になりました。観念の固定化を戒めるという目的は達成されたと感じております。
 ほら貝の皆様、おじゃまいたしました。

お別れの挨拶
 どうもありがとうございました

 お世話になったバス停を「ふいて」おきました。最近、変なくせが付いたかも。

| | コメント (16) | トラックバック (1)