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2020.04.22

役割を果たせなかった陰陽師 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(6)

 今は昔のことです。播磨の国の……、ある郡とだけ申し上げましょう。そこに住んでいた人が亡くなり、家の者たちは、なきがらを葬る手はずを整えようと陰陽師を呼び、しばらく留まってもらうことにしました。招かれた陰陽師は家に入るとすぐに、眉をひそませ言ったのです。
「幾日かすると、このお屋敷に、鬼が来ます。どうぞ、身を慎み、控えめにお過ごしなさいますよう」
 家の者たちは、陰陽師のことばを聞いて、顔の色を失くしました。
「そ、それで、私たちは、いかがすれば良いのでしょうか……?」
「その日に、物忌みをしっかりするしかありません」
 数日が経ちました。陰陽師が告げた日、家の者たちは厳しく物忌みをして、心を張り、身を固くして時が過ぎるのを待ちました。そうして、声をひそめて陰陽師に聞きました。
「おっしゃっていた鬼は、どこから、どのような姿でやってくるのでしょうか」
「表の門から。人の姿で来ます。このような鬼神は、禍々しく、道を外れたことをしません。ただまっすぐ、ことわりに適う形で来ます」
 これを聞いた家の者たちは、さらに、門の表に物忌みの札を掲げ、桃の木を伐り、それで門の周りを塞ぎ、まじないを唱え続けました。
 そうするうちに時が来ました。表の門をしっかりと閉じたまま、人々は、物陰に潜み、隙間から外の通りをうかがっていました。すると、すぐそこに居たのです。藍を擦り込んで色付けた袴を着て、編み笠を首に引っ掛け、門の前に立ち、戸の隙間から家の中をのぞき込んでいました。
「あれこそ鬼」
 陰陽師が言うと、家の中は、恐れに包まれました。
 鬼の男は、門の前でしばらくじっとしていましたが、家の者たちが、ふと気づいた時には、鬼は門の内に入っていました。そして、皆が、はっと息を飲んだ時には、家の中のかまどの前に立っていました。この間、鬼は動いた素振りが全くないのに、多くの者たちが見ている中、家にまで入って来たのです。鬼だという男の姿は、間近で見ても、誰も見覚えがありませんでした。
「もう、ここに居る! これから何が起こってしまうのだろうか……」
 人々が恐ろしさで凍り付いている中、この家の主の、年若い息子だけは違っていました。
「今からどうこうしても、きっとこの鬼に喰われてしまうだろうな……。よし、同じ死ぬなら、後々の人の語り草になってやろう。俺がこの鬼を射る!」
 覚悟を決めた若者は、物陰から、弓を構え、先が鋭くとがった大きな矢を、鬼の胸に向け、ぎりぎりと力強く引き絞りました。
 放たれた矢は、狙いを違わず、鬼の胴体、その真ん中に当たりました。
 鬼は、己の腹に弓を突き立てたまま、身をひるがえし、駆けるようにして外に出ました。……家にいた者たち、皆にそう見えました。見えたと思ったその時、鬼は消え失せたのです。矢は、弾かれたように跳ね返り、地に落ち、からりと音を立てました。
 そこにいた人たちは、鬼の有様に驚き、また、若者のしたことに呆れて、しばらくひと言も声を出せなかったのですが、鬼は払われたようだと分かると、少しずつ、若者に話しかけ始めました。
「なんと……、とんでもないことをなさったものよ」
 若者は、
「同じ死ぬにしても、後の世の人が語り継ぐことをしてやろう、と思って、試しに射てみたんだ」
 と、一息つきました。これを聞いた陰陽師も、驚いたような、おかしなものを見たような顔つきでいました。
 こうして鬼を矢で射て追い払ったのですが、後々、その家に、たたりや、災いらしきことは、特に何も起こらなかったそうです。
 このようなことは、陰陽師の仕組んだ図りごとと考えるのが当たり前でしょう。しかし、男の姿をした鬼が、いつの間にか、表の通りから家の中にまで入って来たことや、矢が当たったように見えて跳ね返ったことを考えますと、ただの人の為せるわざでは無いように思えます。鬼がはっきりと目に見える人の姿で現れるというのは、他に聞いたことが無く、なんとも恐ろしいことだと語り継がれております。

――――――――――

  『今昔物語集』巻27第23話「播磨の国、鬼、人の家に来て射らるる語」の現代語訳です。みんな大好き陰陽師の話です。
 陰陽師というと、安倍・賀茂の二つの家系が有名ですが、この話に出てくる陰陽師は、そうではなさそうです。冒頭で、播磨の国の「どこかの郡」の部分が欠字になっていますし、出てくる人々の名前も明らかになっていません。こういうことがあったようだ、という出所不明のうわさ話の域を出ないもののようです。
 この話では、鬼の姿と、陰陽師に対する評価が面白いです。鬼とされた男が身に着けていた藍色の水干袴(「藍摺ノ水干袴」)は、平安の時代には庶民の服装でした。今でいえば、インディゴブルーのデニムパンツに似ています。上衣についての記述はありませんが袴に合わせた粗末なものと考えられます。これに、笠を首に掛けている(「笠頸に懸タル」)ことが加わっているので、異様な雰囲気です。これを現代に置き換えれば、ヘルメットを頭もかぶらずに、ベルトを緩めて首に掛けているようなものでしょうか。そのような姿をした男が、戸の隙間から家の様子をうかがっているのです。自宅の前で、デニムパンツにパーカーを羽織り、ヘルメットが頭からずり落ちている男が、道路から家の中をのぞき込んでいるようなものです。殺気立って乱暴な言動をしながらやってくるよりも、怖さが増す気がします。
 鬼の男は、門の外の通りにいたかと思ったら、体を動かすことなく、あっという間に家のかまどのそばまで入り込みました。この時、鬼の恐怖に攻められていた人たちの流れが変わります。それまでは陰陽師の予言と対策に基づいたペースで事が進んでいました。しかし、家の主の息子が腹を決めて、矢を放ち、鬼を退散させてしまいました。まさかの武力行使です。これには、家の者たちも陰陽師も呆気にとられます。家の者たちは「無茶なことをするなあ」と思っただけのようですが、陰陽師はそれに加え、「奇異ノ気色シテナム有ケル」と口には出せない、どこか腑に落ちない様子が見られます。
 その理由らしきことが、直後の世間の感想と編者の語りにあります。
「然レバ、陰陽師ノ構ヘタル事ニヤ有ラム、ト可思キニ」(そのようなことは、陰陽師が仕組んだことだろう、と思うのが普通だが)
 この考え方は、小説や映画、マンガ、テレビドラマなどに出てくるあやかしを退治する現代の陰陽師のイメージ―式神を遣ったり、派手な術でもののけ祓うような―とは違っています。この話に書かれた「陰陽師は人をだますのが普通」というのはどういう事でしょうか。
 陰陽師はもともと、陰陽寮という役所で働いていた人たちを指します。言ってみれば、公務員です。ただ、時代が下るにつれて、陰陽寮に属さない陰陽師が出てきました。民間の陰陽師です。彼らのような「もぐり」の陰陽師の中には、公の陰陽師に近い技能や学識を持った者がいたのかもしれませんが、大した能力を持たない者も多くいたでしょうし、さらには、もっとたちが悪い「陰陽師もどき」がいたことも考えられます。この話に出てくる陰陽師は、その「陰陽師もどき」だった可能性があります。
 ひと儲けするために、仲間の男と示し合わせて、鬼の役、陰陽師の役で、葬儀の場に入り込んだわけです。あとは、「鬼が来る」「鬼だぞう」「えいやっ!」「参った!」という台本があった、……はずなのですが、どこか途中でおかしくなりました。鬼の役の男が、皆の前で、瞬間移動したり、矢を弾き返したり、ぱっと姿を消したのです。鬼の役だった男が本物の鬼になった、もしくは、鬼が入れ替わったとしたら……。そのため陰陽師は、「奇異ノ気色シテナム有ケル」となったのではないでしょうか。本当に怖い目に遭ったのは、鬼がやってきた屋敷の人たちではなくて、その後、鬼と入れ替わった仲間の男の惨状を見ることになる、もぐりの陰陽師だったのかもしれない、という想像もできます。
 もぐり陰陽師のような者は、この話の時代に増えていたのでしょう。「然レバ、陰陽師ノ構ヘタル事ニヤ有ラム、ト可思キニ」と書かれるほどに。この話は、ただの怪異話に加えて、普段人をだましていた者たちをこらしめる役割を果たしていたのではないか、と読みたくなります。
 ここまで長くなりました。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの『鈴鹿本 今昔物語集』にも少し触れておかなければ。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 画像通し番号465の左から3行目に、陰陽師が語る鬼の特徴が書かれています。
  門ヨリ人ノ体ニテ可来シ然様ノ鬼神ハ横様ノ非道ノ道ヲハ不行ヌ也
 というものです。文末の読みはどうなるでしょうか。「ふぎょうぬなり」にはなりません。『今昔物語集』では、助詞、助動詞はカタカナで小さく書く、という原則があります。ただ、打消を表す時はこれに当てはまらないことがとても多いです。ここの「不」は打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」として扱います。
「『ヌ』は『行』のすぐ後ろに書かれているじゃないか」
 と思われるかもしれません。その通りです。『今昔物語集』では、打消の助動詞「不」を打ち消す単語の前に書いて、さらに打消の助動詞をカナにして単語の後ろにも書くという「半端漢文訓読体」とでも言えそうな方法を用いています。なので、ここは「不」の下に返り点があるように読むか、「不」は無いものとしてカナ書きの打消を読むか、どちらか一方を選びます。よって、「ゆかぬなり」(新日本古典文学大系の場合)か、「おこなはぬなり」(京都大学貴重資料デジタルアーカイブの場合)の読みとなります。
 画像通し番号466の2行目から3行目の、鬼が動くことなく家の中入って来た場面、
  此ノ鬼ノ男暫ク臨キ立テ何ニシテ入ルトモ不見エテ入ヌ
 の「不見エテ」も、助動詞「ず」と同じように扱って、「みえ『で』」の読みになります。「テ」と書かれていますが、接続助詞「て」ではなく、「不」が付いているため、打消の接続助詞「で」だと見分けられます。


・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編 2003年1月20日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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2020.04.07

桜に感動する建物 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(5)

 今は昔のお話。上東門院さまが京極殿にお住まいになっていらっしゃった時でございます。三月二十日過ぎ、花が最も美しい頃合いですから、南面にあった桜は、とりわけ素晴らしく、ことばでは言い尽くせないほどの咲きかたでありました。上東門院さまは、その桜の姿を、寝殿から愛でていらっしゃいました。
 すると、南がわの階がある日隠しの間のあたりから、とても気高く、神懸った声で歌を詠む声が響いてきました。
「こぼれてにほふ花ざくらかな」
 歌をお聞きになった上東門院さまは、
「そこに誰かいるのか」
 とお思いになり、開けられた格子の向こうを、御簾の中からご覧になりましたが、人が居ないどころか、跡さえもありません。
「これは、どういうこと? 先ほどの歌は誰が言ったの!」
 上東門院さまは怪しまれ、多くの人をお呼びになり、声の主を探すようお命じになりました。ところが、
「あちらこちら、隈なく探しましたが、人は全く居りません」
 と人々が申し上げたので、驚かれ、
「これは、何があったのでしょう。鬼神などが言ったということなのでしょうか……」
 と、ひどく怖がられました。
 上東門院さまは、すぐに、「このようなことがありました」と、関白でいらっしゃった弟君の頼道さまにお知らせ申し上げなさいました。すると、関白さまから、短いお返事がありました。
「それは京極殿の日隠しの間の『くせ』で、いつもそうやって歌を詠むのですよ」
 訳をお知りになった上東門院さまは、ますます怖がられ、
「あれは、誰かが桜の花を見て心が浮き立ち、つい、そのように詠んだだけで、そのあと、多くの人を使って罪人を見つけ出すかように厳しく探させたのを恐れ、逃げてしまったのであろうと思っていたのに。それが、『日隠しの間のくせ』だなんて。これはなんと恐ろしいことでしょう!」
 とおっしゃいました。そのため、こののちは、あまりに恐れなさったので、京極殿の近くにお寄りになることもありませんでした。
 この「くせ」は、狐などが化けて言ったのではないと思います。何かの霊や魂といったものが、この歌を素晴らしいと思って大きく心を動かしたので、桜を見るたびに、常にこのように詠んだのだろう、と人々は考えるようになりました。それにしても、霊といったものたちは、おおかたは夜に現れるものですのに、真昼に、よく通る声で歌を詠んだなんて、心底恐ろしいことでございますよ。
 歌を詠む霊が、もともと何者だったかというのは、とうとう分からないままになってしまったと語り継がれております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第28話「京極殿に於て、古歌を詠むる声有る語」の現代語訳です。
 上東門院は藤原彰子のことです。彰子自身が秀歌を多く残していることに加え、紫式部、和泉式部、伊勢大輔、赤染衛門といった優れた文人・歌人が仕えていたので、この話も「いかにも」な感じがします。彰子の周りでは、常々、歌が飛び交っていたのでしょうが、さすがに「日隠シノ間」が歌を詠んだら、「怖い!」と思ったようです。
 この話で「日隠シノ間」が詠んだ歌は、下の句しか出てきませんが、三番目の勅撰和歌集『拾遺和歌集』「巻第一 春」に上の句も含めて、きちんと収められています。

  浅緑 野辺の霞は 包めども
  こぼれてにほふ 花桜哉

 遠近感と色の濃淡によって、手は届かないけれども桜はそこに咲いている、と感じられる素敵な歌です。ちなみに「よみ人知らず」です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号470から471にこの話が載っています。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 『鈴鹿本 今昔物語集』は、漢字、カタカナそれぞれが、ほぼ同じ大きさで書かれいますし、「漢字で書くことができる単語は、できる限り漢字で書く」という編集方針のおかげで、漢字を拾い読みするだけでも、話のあらましが分かったりします。ただ、現代日本語で使われる、句読点、かぎかっこ、改行などがないため、読みにくさもそれなりにあります。特に改行が無いのがつらいかもしれません。そのため、会話文と地の文の区切りを見つけましょうとなると、目を凝らす必要があります。
 画像番号471の2行目の真ん中よりちょっと下から、5行目の上の三分の一くらいまでに、「日隠シノ間」の秘密を知った上東門院の反応が書かれています。

 然れば(されば)、院、弥よ(いよいよ)恐ぢ(おぢ)させ給て、此れ(これ)は、人の、花を見て興じて然様に長め(ながめ)たりけるを、此く(かく)蜜く(きびしく)尋ねさすれば、怖れて、逃げ去ぬるにこそ有めれとこそ思ひつるに、此(ここ)の□にて有ければ、極く(いみじく)怖しき事也となむ被仰ける(おほせられける)。然れば、其の後は、弥よ恐ぢさせ給ひて、近くも不御ざり(おはせざり)ける。

 句読点を入れ、カタカナをひらがなに、読みにくい語にはふりがなを付けて書きだしてみました。この中から、上東門院の発言を見つけてみます。
 発言=会話文を探す手がかりでよく利用されるのが、「~と言ふ」のような、「と」を見つけることです。たいていは「と」の前までが会話文です。
 上の文では、「こそ有めれ『と』こそ思ひつる」、「極く怖しき事也『と』なむ被仰ける」のふたつがあります。一つめは「と」の直後が「思ひつる」ですので、上東門院が思ったことがどこから始まるか、文をさかのぼります。そうすると、「此れは、人の」ところから、それまでの出来事を上東門院が回想していることが分かります。二つめの「と」のところは、「(このようなことは)たいへん恐ろしいことです、と(上東門院が)おっしゃった」の意味ですので、「恐ろしいこと」を話し始めているところを、さかのぼって探します。するとやっぱり「此れは、人の」で区切りができています。これらのことを、かっこ付き、改行ありですっきりさせてみます。

 然れば、院、弥よ恐ぢさせ給て、
「『此れは、人の、桜を見て~逃げ去ぬるにこそ有めれ』と思ひつるに、~極く怖ろしき事也」
 となむ被仰ける。然れば~近くも不御ざりける。

 「」で囲った部分が上東門院の発言=会話文で、さらにその中の『』の中が、心の中でこう思った、という心内文(心話文)です。会話文と心内文の始まりが同じところなので、やや見つけづらいかもしれません。かっこや、二重かっこ、改行のおかげで文章はかなり分かりやすくなります。もし会えるのならば、日本語で初めてそれらを使ってくれた人たちに、深くお礼を言いたいです。
 あとちょっと、重要な単語について。
 「日隠しの間」から歌が聞こえてくる場面、

 「コボレテニホフ花ザクラカナ」ト長メケレバ、其ノ音ヲ、院、聞サセ給ヒテ

 の短い中に、「にほふ」「ながめ」「きこしめす」と要注意単語が連続して出てきます。
 にほふ……色が美しい。視覚の意味で使われます。いい香りがするという嗅覚の意味もあります。
 ながめ(ながむ)……声を出して歌をよむこと。漢字で書くと「詠め」。「眺め」「長雨」は同音異義語。(『鈴鹿本 今昔物語集』に書かれている「長め」の表記は、もともとは声を長く伸ばして歌を詠んだことからとされています)
 きこしめす……「聞く」の尊敬語だけではなく、「食ふ」「飲む」「(土地を)治む」の尊敬語でも使われます。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』 岩波書店 小町谷照彦校注 1990年1月19日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/04/09
 かぎかっこの付け方(「日隠しの間の『くせ』」→『日隠しの間のくせ』)を修正しました。
 改行を修正しました。(「ながめ」について書いている箇所に、余分な改行が入っていたため削除)

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2020.04.01

不気味なお堂にしけこむ ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(4)

 今は昔。正親の司で大夫を務めていた男の話です。
 大夫が若かったころ、とあるお屋敷に仕えていた女と恋仲になり、毎晩のようにその人のもとへ通うようになりました。ところが、物事が立て込んでしまい、しばらく会えなくなりました。男は事を片付けて身が空くとすぐ、間を取り持っていた女に、
「今夜、彼女に会いたい。伝えてもらえないか」
 と、持ちかけました。すると女は、
「あのお方をこちらにお呼びするのは難しいことではないのですが、あいにく、今夜はこの家に古くからの知り合いが来ておりまして、泊まることになっております。こちらには、お二人に過ごしていただけるようなところがありません。申し訳ないことです」
 と断ったのです。それを大夫は「嘘をついているのではないか」と疑いましたが、女の家に寄ってみると、馬や下々の者たちが多くいたので、「まことに、隠れるとこさえないな」と分かりました。
 そこで、女はしばらく考えたのち、大夫に尋ねました。
「このようなこといかがでしょう。ここから西の方に、人が居ないお堂があります。今宵だけは、そちらの堂にお二人でいらっしゃっては」
 大夫が、それはいい、とうなずくと、すぐに女は彼女を迎えに行きました。
 大夫がしばらく待っていると、彼女が手を引かれてやってきました。「では、こちらへおいで下さい」と、女は、二人を連れて西へ一町ほど行くと、古いお堂がありました。女は、そこの戸を開け、家から持ってきた薄い布を一枚敷き、
「また、暁にお迎えに参ります」
 とだけ言い残し、彼女を大夫に任せて、帰って行きました。
 大夫と彼女、二人だけになると、身を寄せて敷物に横たわり、恋心を言い交しました。従わせている者もいなくて、二人だけで、古いお堂にいましたので、時が経って、ふと我に返ると、背中が冷えるような気味悪さがありました。
 大夫が、そろそろ真夜中だろうか、などと考えておりましたら、お堂の奥、仏様の後ろに、ぽつり、と火が灯りました。「人が居たのか」と思っていると、一人の女童が火を持って現れ、仏様の前に捧げ置いたのです。
 大夫が、「これは大ごとになった」と困っているうちに、仏様の後ろから、気高いをまとった女房が現れました。おかしなことだとも、恐ろしくとも思って、敷物から起き上がり座っていましたら、その女房は、一間ほど離れたところで、顔を横に向けたまま、いっとき、大夫を見ていました。そして、
「ここに、どなたさまがいらっしゃったのでしょうか。とても良くないことです。わたくしは、ここの主でございます。なぜ、わたくしにひと言も無く、お入りになったのですか。ここは、いにしえから人が宿るところではありません」
 と言いました。その声は、氷のように冷たく、大夫は、ことばが出せなくなるほど恐ろしくなりました。
 大夫は、震える声でなんとか答えました。
「私は、あなたの、ような、方が、いらっしゃる、ところとは、存じ上げ、なかったのです。知り合いの、女、に、『今宵だけは、こちらで』、と、言われて、連れて、こられたのです。なんとも、申し訳、ない、ことをいたしました」
「そうですか。分かりました。それでは、すぐにここから出てゆきなさい。出ないと言うのならば、きっと良くないことがありますよ」
 女房の姿でしたが、なんとも言えない恐ろしさで、大夫はすぐに恋人を起こして、お堂から出ようとしました。ところが、恋人は雨に濡れたように汗をかき、足に力が入らなくて、立つこともできません。それでも、強く引っ張るようにして、二人はお堂から出ました。
 大夫は、力の抜けた恋人の腕を肩に掛けて、急いで帰ろうとしますが、やはり、恋人のは歩くことができません。それでもなんとかして、恋人が仕えている屋敷まで連れて行き、門を叩いて開かせ、中に押し込みました。大夫は、後も見ないで、みずからの家に帰りました。
 家に帰りついた大夫でしたが、お堂であったことを思い出すと、髪の毛が逆立つほど気持ちが悪くなり、次の日も、ずっと寝床で横になっていました。。
 陽の沈むころになり、ようやく、歩くこともできなくなっていた恋人のことが気掛かりになってきました。そこで、間を取り持ちお堂へ連れて行った女の家に行き、そのあとのことを聞きだしました。
「あちらのお方は、お屋敷に帰ったあとも、ぐったりとして何か分からないうわごとを口にするばかりで、すぐに死んでしまうように見えたそうです。『何があったのか!』と周りの方が声を掛けましたが、一言もお答えになることができないまま。家の主さまも騒ぎに気が付かれ、驚いていらっしゃったとか。ただ、しまいには、治る見込みが無いということで、身寄りがいらっしゃらなかったあのお方は、すぐに作られた仮の小屋へ入れられ、そのまま亡くなりました……」
 大夫は、とても驚き、実は昨夜このようなことがあったのだ、と女に話し、また、
「あんな、鬼が住んでいるところに私たちを連れて行ったのか。こんなむごいことをして!」
 と責めたのですが、女も、まさか、そのようなところだとは知らなかったと答えるばかりで、こうなってしまってはどうしようもない、とそれきりになりました。
 このお話は、大夫みずからが、年老いてから語られたことだと、聞き伝えられています。そのお堂ですか? ええ、いまでも残っていて、七条大宮の辺りにあるとか……。それより他は、詳しく存じ上げません。
 そのようなことがありましたので、人が居ないと言われている古いお堂には、泊まってはいけない、と語り継がれております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第16話「正親の大夫□、若き時鬼に値ふ語」の現代語訳です。
 見出しでは「鬼」という単語が使われていますが、本文には「鬼」は出てこなくて、古いお堂に「女房」(と、お供の少女)が出てきます。編者が「『女房』の正体は『鬼』だろう」と考えて、その見出しになったのでしょう。
 ただ、状況はとてつもなく怖いです。真夜中のデートでひとけのないところを選んだら、物陰から、少女を連れた、いかにも位の高そうな女の人が出てきて、『なぜ、ここに入ってきた? ここは私のおうち。昔々から人は来ない。……早く、去れ。悪いことが起きても知らない」と言われるのです。
 その後、つい先ほどまでイチャイチャしていた彼女は、汗を大量に流し、足はふらふら。どうにか家に送り届けられたものの、命を落としてしまいます。恋人が亡くなる場面は、「すぐに作られた仮の小屋へ入れられ、そのまま亡くなりました」と訳しました。ここの原文は、「仮屋ヲ造テ被出タリケレバ、程モ無ク死給ヒケリ」です。意識朦朧、体力低下状態の人を、小屋に閉じ込めるなんて残酷に思われますが、注釈には、「死穢を避けるために仮の小屋を造って。回復の見込みのない病人を家の外に出す例は→巻二六・20、巻31・30」とあります。周りの人が「死の連鎖」を避けたいと考えたためで、当時の習慣で珍しくなかったようです。
 以前からある建物に「もののけ」が出る話は、巻27第2話でも訳しました。第16話は、それと裏返しの物語になっています。第2話では、宇多院が建物の所有権を主張して、源融の亡霊を一喝して退散させました。こちらは、「女房」が「丸ハ此ノ主也。何デカ主も不云ズシテ、此ハ来レル」と大夫を淡々と詰めます。真夜中に、得体のしれない女房(のように見えるもの)にそんなふうに言われたら、とっとと逃げるしかありません。第2話の源融の亡霊を改めて考えると、宇多院に「源融か?」と質問されて、「はい、そうです」と素直に答えたのが源融の敗因かもしれません。人は「正体が分からない」ものを恐れるのですから。
 女房の正体は全く分かりませんが、正親の大夫の正体もあいまいです。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの『鈴鹿本 今昔物語集』を見てみましょう。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 画像通し番号457の3行目の見出しと、4行目の本文冒頭とに不自然な部分があります。3行目「正親大夫 若時値鬼語」、4行目「今昔正親ノ大夫 ノ ト云フ」と、空白が入れられています。これが『今昔物語集』の大きな特徴「欠字」です。編者がわざと空白を入れたと考えられています。第16話では、正親司という役所に勤めていた大夫の「○○さん」にしているのです。
 なぜ、編者はこのようなことをしたのか。どうやら彼は「分かる限りは固有名詞を書きたい」と考えていたようです。ただ、第16話を編集していた時、「正親の大夫」までは分かっていたけど、名前が分からなかった。そこで、「後で分かった時に書き込もう」と保留にして、空白を入れて数文字分空けたとされています。『今昔物語集』には、このような「欠字」(空白)が至る所にあります。
 そうなると、「名前を調べ上げるだけで、そうとうな苦労があるんじゃないの?」と疑問も浮かんできますが、これまた編者のルールがあるようで、「五位以上の官位を持つ人は名前を明記したい」[1]ということのようです。もともと、正親司はトップでも正六位なので、彼のルールでは書かれないはずです。ただ、この話の主人公は「五位」になっていて「大夫」と呼ばれていたため、編者の本名明記ルールが当てはまってしまった(そして、分からなくて書けなかった)わけです。
 現代に出版されている『今昔物語集』の欠字(空白)部分は、「□」を入れて分かりやすくしてくれています。私がここで現代語訳を書くときは、なんとか、工夫やごまかしをして「□」を残さないようにしています。編者と勝負している気分です。


 注
 [1]「固有名詞のうち、資料にないのにあえて本集が書こうとした人名は位が五位以上とされ、名もない民衆レベルは最初から問題にされない。「男」とか「女」ですまされる。」(『今昔物語集を学ぶ人のために』301ページ)

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編2003年1月20日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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