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2020.03.27

二人の妻の見分け方 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(3)

 今は昔。京に住む使い走りの男とそいつの妻の話だ。ある日の夕暮れ、妻が「ちょっと、そこまで出かけてくるから」って大路へ出かけってった。そのあと、どんどん外は暗くなってくのに、帰ってこない。ほんの先も見えなくなってもね。だから、男は「遅すぎるんじゃないか?」って気がかりでしょうがなかったんだけど、少ししたら、妻は、ふらっと何もなかったみたいに家に入ってきたんだ。
 でも、しばらくして、男は何が何だか分かんなくなるくらいにびっくりした。ついさっき帰ってきた妻と、まったく同じ顔、頭から足の先まで全く同じ姿の女が入ってきたんだよ。男は「二人の妻」を見てるうちに、頭がぐるぐる回ってこんがらがってきた。
「なんなんだよこれ! ……うーん、どっちか一人は狐なんかが化けたやつだろう」
 って考えたんだけど、でも、どっちがどっちか。間違いなくこっちが己の妻だ、っていうのがまるっきり分かんない。あれこれさんざん考えてから、
「後に入ってきた『妻』のやつが、きっと狐だろう」
 と思って、すぐに、男は刀を抜いて、そっちの「妻」に飛びかかって切り捨てようとしたんだ。そしたら、その「妻」が、
「どうしてっ! なんで私にそんなことを!」
 と声を上げて泣き出したもんだから、男は向きを変えて、次は、先に入ってきた「妻」を切ろうとした。やっぱりそっちも、もう一人の「妻」と同じようなことを言って、手のひらをすり合わせて、わんわんと泣き出してしまった。
 「二人の妻」が大騒ぎして、男はどうしたらいいか、もっと分かんなくなって、三人揃って、ああだこうだと騒いでいるうちに、頭が煮えてしまったんだろうな、そのうち、「やっぱり、前に入って来た『妻』が怪しいな」って思えてきたから、そっちの「妻」に飛びかかってひっ捕まえた。
 そしたら、その「妻」が、そりゃあ酷く臭いおしっこを、びゃーっ、と霧みたいにして、男に引っ掛けた。
 あんまり臭かったから、男は堪えきれなくて、捕まえていた手を離したんだよ。そしたら、おしっこを引っ掛けた「妻」は、ぱっと狐の姿に戻って、開けっ放しになってた戸から大路に飛び出て、「コン、コン」と鳴いてから、暗闇に消えていった。それを見て、男は腹立つし、悔しいし。けど、そうなったらどうしようもないよね。
 この話、落ち着いて思ってみると、男はちょっと考えが足りなかったんじゃないかって。だって、少し頭を働かせたら、二人の「妻」をどっちも捕まえて、柱にでも縛りつけておけば、そのうち、狐が音をあげて元の姿を現したんじゃないかな。それが出来なかったどころか、思い付くことさえなくて、狐をあっさり逃がしてしまったんだから、そりゃ、悔しいよ。近くの家の人たちも集まってきて、大騒ぎしながら、
「狐のやつ、しょうもないことするなあ。命がけでするようなことじゃないのに。でも、なんとか生きて逃げることができたわけだ。おおかた、妻が大路を歩いているのを見て、だましてやろうって軽く考えて、化けて来たんだろうな」
 なんて話したんだってさ。
 この話で思うとしたら、同じ人が二人いるなんて、おかしなことが起こったら、慌てないで心を落ち着けて、しっかり考えないといけないってことかな。「あやうく、己の妻を殺しかかったんだよ。そうならなかったのは、たまたま幸いだっただけ」
 そんなことを、みんな言い合ったって語り継がれてるよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第39話「狐、人の妻の形と変じて家に来る語」の現代語訳です。
 巻27は「本朝付霊鬼」という副題が付いているだけあって、亡霊やら鬼やらが出てくる、恐怖の血みどろ話が続きます。ところが、後半に入ると、猪や狐といった動物も出てきます。これは、編者が、何だかよく分からないものや正体を隠すものをひっくるめて「霊鬼」の巻に入れたと思われます。
 この話は、狐が、ある男の妻に化けて来て、逃げ去るまでのことと、狐対策が書かれています。これ、「化けて出て不思議だね、しっかり考えて気を付けようね」というよりも、始めから終わりまで全て「行動も考え方も乱暴すぎる」と思ってしまいます。男は何の根拠もなく、後に入ってきた方が狐だ、いや、先の方だと考えてたり、いきなり刀を抜いたり(刀で反射させた光が怪しいものを追い払う力を持っていると考えられていたとしても)、狐の逃げ方が排尿だったり、近所の人の感想だったり、二人の妻をどちらも縛り付けてればよかったのにというのも、運が良かっただけだねというのも、全部が乱暴です。でも、その乱暴な考え方をストレートに書くことで、人間臭さを浮き彫りにしているようにも思えます。
 臭いと言えば、妻に化けた狐の逃げ方です。ある種の動物が、ピンチを回避する時に悪臭を出すこともある、という話は知られています。ただ、この話でその流れをまとめると、
 1.男が、先に入って来た妻を拘束する。
 2.捕まえられた妻が尿を放つ。
 3.男に尿が掛かる。
 4.臭過ぎて男が手を放す。
 5.狐が正体を現して、逃げる。
 です。
 2と3の場面は、原文に「其ノ妻、奇異ク臭キ尿ヲ散ト馳懸タリケレバ」とあります。狐に戻ってからではなく、妻の姿に化けたままで、それをしてます。なかなか強烈な絵面です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号483の3行目がその箇所です(巻27第39話は482から483に書かれています)。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「臭キ」ではなく「臰キ」と書かれています。「臰」が正しく表示されていないかもしれません。Unicodeでは、"U+81F0"の漢字です。

 「Unihan data for U+81F0」
 http://www.unicode.org/cgi-bin/GetUnihanData.pl?codepoint=81f0

 原田宗典さんがエッセイで、「『臭』という字は『自らの大』と書くから、『くさい』が伝わってくる」というようなことをお書きになっていたように記憶しています(今、手元に原田さんの本を置いていなくて、どの本かを確かめられません。申し訳ないことです)。『鈴鹿本 今昔物語集』の「くさキ」は、「『自』らの『死』」の「臰キ」なのですから、とんでもないにおいだったのでしょう。「Unihan data for U+81F0」の「kJapaneseKun」の項目を見ると「KUSAAI」とあります。「くさあい」です。伝わってきます。
 ちょっとだけ文法。
 化けた狐の対処方法は「二人ノ妻ヲ捕ヘテ縛リ付テ置タラマシカバ、終ニハ顕レナマシ。」とあります。「Aましかば、Bまし。」は、「もし、Aだったら、Bだったのに。」と、実際にはそうならなかったけど、というのを表します(「反実仮想」と呼ばれてます)。英語の「仮定法過去」の、面倒臰いあれみたいなものです。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『新英和中辞典 第6版』 研究社 竹林滋・吉川道夫・小川繁司編 1994年11月
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/29
 誤字を修正しました。

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2020.03.23

手招きが恐れるもの ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(2)

 今は昔の話でございます。桃園というところ、ここは世尊寺があるところでございますが、お寺が建つもっと前は、西宮の左大臣、源高明さまが住んでいらっしゃいました。これは、そのころのお話です。
 寝殿の辰巳の方にあった母屋の柱には、木の節が残っていました。それがある日、ぽろっと落ちて、穴が開いたのです。柱にできた穴ですからさほど深くはない、はずでした。しかし、夜になると、小さな子の手がすうっと伸び出て、人を呼び込むように手招きをするのです。
 高明さまはこれをお聞きになると、とても驚き、怪しいことだとお思いになりましたので、その穴の上に、経文を結わえさせました。ところが、全く変わらず、節穴から手は伸び、人を招きます。それでは、と次は仏さまのお姿を彫ったものをその柱にお掛けになりました。しかし、何事も無かったかのように、手は伸び、人を招きます。二晩、三晩の間を空けて、真夜中、人々が寝静まる頃合いになると、中へ迎え入れるかのように、節穴から小さな子の手は現れ、人を招きます。
 そのようなことが続いた夜、ある人が、少し試しに、と矢を一本、穴に入れてみたのです。すると、矢が刺さっている間は、手が出てこなくなりました。その後、矢の幹を抜いて、鋭くとがった矢先だけを穴の奥深くに打ち込むと、招く手が出てくることはぴたりと止みました。
 この話を思うたびに、もやもやしてしまうのです。人を招く小さな手、などというのは、何かのものの霊がすることでしょう。それでしたら、お経や仏さまのお力で払うことができるはずです。なのに、武士の使う矢が効いたのですよ。これでは、仏さまよりも、矢のほうがありがたく力が強くて、霊は恐れているということではありませんか……。話を聞いた人たちはみんな、こんなおかしなことは無い、と語り継いでおります。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第3話「桃園の柱の穴より指し出づる児の手、人を招く語」の現代語訳です。
 ひとつ前の第2話は、源融の霊に対応した宇多院の強さが語られています。そちらは「普通は仏教の力が物の怪を退治するけれども、ことばだけで追い払う帝王の力も同じくらいすごい」というような言いっぷりで、「それなら、まだ理解できる」と思っている様子でしたが、第3話は「なぜ、どうして、分からない!」と驚きに満ちた終わり方になっています。人を招く小さな手は、源融のように権力を持った人に由来していません。招く手の正体は「者ノ霊」、つまり「何かの霊程度」と書いていて、かなり侮っています。そんな大した存在ではないはずなのに、お経が書かれたお札が効かない、仏像も効かなかったのです。
 そんな招く手に、最終的に効いたのは、「或ル人」が試した「征箭ノ身」(矢じり、矢先)でした。名前も伝わっていない人が使った武器の一部のほうが、お経や仏さまよりも効いたのです。仏教説話集を取りまとめているなか、仏教の力が全く効かない話を知った時、編者はどのように感じたでしょう。混乱するだけだったかもしれません。原文では、
「其ノ時ノ人皆此レヲ聞テ、此ナム怪シビ疑ヒケルトナム語リ伝ヘタルトヤ」
 と、この事件があった当時の人が驚いたように書かれていますが、実のところ、これは編者自身の驚きで、
「此レヲ思フニ、心不得ヌ事也」(この話を思うと、納得できないのです)
 が、編者の率直な思いでしょう。
 仏教説話集を編んでいる人にとって、この話は「都合の悪いこと」です。できれば、見なかったことにしたい、書き残したくないはずです。それなのに、巻27の初めのほうに入れています。編者は見過ごせなかった、あるいは「好奇心が勝った」のかもしれません。
 このように、編者の好奇心が突き動かされたのは、自分の周りの雰囲気に影響を受けた可能性もあります。『今昔物語集』は12世紀の前半に書かれたとされています。日本史に重ねると、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)の直前です。公家の時代から武士の時代へ移りつつある世の中を肌で感じていたからこそ、編者は、過去の話を引き合いに出して、仏教に勝った武力・戦闘力の話を無視せず、書き入れたと考えられます。

 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』には、画像通し番号444に、この話が書かれています。この話の冒頭に当たる7行目を見ると、「本ハ寺ニモ无クテ」とあります。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 操作画面の右端の「≪MORE INFORMATION」をクリック、タップしてみてください。写真に書かれているものを文字データで見ることができます。先ほどのところは「本ハ寺ニモ無クテ」になっています。「無」と「无」の違いです。言い換えると、「無」と「无」は意味が同じで、書き方が違うだけです。
 現代語では、「む」「ない」を漢字で書くときは「無」が使われます。「それじゃ、『无』は消え失せてしまったの」かというと、そうではなく、なじみ深いものに姿を変えて私たちの身近にいます。「无」をくずし字にしてできたのが、ひらがなの「ん」です。「ム」=「無」=「无」=「ん」ということになります。
 このつながりを踏まえると、任天堂のゲーム『ファイアーエムブレム』を「ファイアーエンブレム」と書き間違えるのは仕方ないことと思えます。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 別冊國文學『今昔物語集宇治拾遺物語集必携』 學燈社 三木紀人編 1988年5月1日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

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2020.03.22

居座る霊を圧倒した声音 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(1)

 今は昔のお話しでございます。河原の院は、もともとは、左大臣源融さまがお造りになり、住んでいらっしゃったお屋敷で、そこはたいへんに趣深い造りになっていました。例えば、陸奥の国の塩釜に似せた池を掘り、海の水を汲み入れて、満たしたとか。これだけでも見ものでありますが、ほかにも、雅やかな目を見張らんばかりのこしらえをして、日々を過ごしておられたということです。
 左大臣が亡くなったのちは、息子の昇の大納言さまが、宇多院にそのお屋敷を差し上げました。こうしたいきさつで、宇多院が河原の院にお住みになったのです。時折、御子であらせられた醍醐帝が行幸なさり、お屋敷の内はそれは素晴らしい気色であったようです。
 そのように、宇多院がいらっしゃった時の、夜中の頃合いに起こったことでございます。西の対の屋、塗籠の戸を開き、さらりさらりと衣擦れの音とともに歩き来る、なにかの気が起こりました。院がそちらをご覧になると、束帯をぴしりと着た人が、太刀を帯び、笏を手に取り、二間ほど離れたところで畏まっていたのです。院はその人に、静かに短く問われました。その人は畏まったまま申し上げます。
「おまえは何者だ?」
「この家の主の年寄りでございます」
「融の左大臣か?」
「さようでございます」
「何故来たのか?」
「ここが我が家でございますので、住んでおります。こうして院がいらっしゃいますと、心が縮こまり、身の置き所に困っております。いかが致せばよろしいでしょうか?」
 すると、院はさっと厳しいお顔付きになられ、
「ほう……、それは、おかしなことを言うものよ。私は人の持っていた家を奪い取って住んでいたか? 融の左大臣の亡き後、その子が譲ってくれたから住んでいるだけであろう。ものに過ぎない霊ではあるが……、この世の中の理を分からず、なにゆえそのようなことを口にするか!」
 と、声音高らかにおっしゃいますと、霊はふっと消え失せました。このことがあってから、融の左大臣だという霊は、ふたたびは現れなかったのです。
 その時のひとびとは、院のお振る舞いを耳にして、恐れ多く思い、
「やはり、院は、そこらのただの人とは違っていらっしゃる。あの融の左大臣だったという霊に会って、このように真っ向からお話しできる人などいない」と語り伝えられております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第2話、「川原の院の融の左大臣の霊を、宇陀の院見給ふ語」の現代語訳です。
 『今昔物語集』は仏教説話集ですので、怪異のものを、仏様やお坊さん、お経が払いのけるなどして、人を救う話が多く収められています。しかし、「世俗部」と呼ばれている巻にはそれに当てはまらない話も、これまた、たくさんあります。今回訳した巻27第2話は宇多上皇が源融の霊を叱りつけて引き下がらせています。しかも、「所有権は正しく譲渡された」と、当たり前の理由を突き付け、霊は「確かにそうです。申し訳ありません!」と、宇多院の発言を認めたかのように消え失せるのが興味深いところです。
 ただ、誰もがそうはできないよね、という感想が終わりに書かれています。説話に出てくる霊の力は、生前の地位や知性にだいたい比例します。源融は、嵯峨天皇の第十二皇子で左大臣、勅撰和歌集に4首(その中の古今集の1首は、小倉百人一首の第14番歌に収められています)入るほどのスーパー時めき給うお方ですので、ふさわしい霊力を持っていたはずです。それほどの霊を、冷静に理詰めでさっさと退散させた宇多院は「もっとすげえ!」と話を締めているところが、仏教説話集でありながら、それだけではない「今昔物語集」の面白さです。
 巻27は、京都大学付属図書館の「貴重資料デジタルアーカイブ」で、現存する最古の『今昔物語集』=『鈴鹿本 今昔物語集』の全文を写真で見ることができます。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「川原の院の融の左大臣の霊を、宇陀の院見給う語」は、画像通し番号443から444にかけて書かれています。古い本を見慣れていない方でも、思いのほか読めるのではないでしょうか。くねくね文字ではないですし、漢字がぱっと目に入るような書かれ方がされています。『鈴鹿本 今昔物語集』は、漢字で書けるところは可能な限り漢字で書き、そうではない箇所(活用語尾や、助詞、助動詞など)は小さくカタカナ書きをするスタイルになっています。
 カタカナにもう少し注目してみましょう。カタカナは右寄せで小さく書かれます。通し番号443の右から16行目にある「微妙カリケリ(めでたかりけり)」のように、カタカナ部分が長くなる場合は、1行を半分に割って、カタカナを2行にして詰め込んで書くこともあります。
 もう一か所、17行目、先ほどの「微妙カリケリ」の左上を見ると、「人ノソヨメキテ」と書かれています。「人ノ」の「ノ」は助詞ですので右に小さく書くスタイルが当てはまります。ところが、続く「ソヨメキテ」は、着ている衣の擦れる音や気配がする、という意味の動詞「そよめく」に、助詞「て」がくっついたものです。活用語尾、助詞、助動詞をカタカナで小さく書くというスタイルに、「そよめ」の部分が合いません。これは、「そよめく」ということばを漢字で書くことが不可能だった、「そよめく」に当てはまる漢字が無かった、それで仕方なくカタカナスタイルにしていると考えられています。
「『そよめく』……、衣擦れを表すあのことば、普段使っている『そよめく』に漢字が無い! あー、もう! カタカナで書くしかないじゃん!」
 と思ったかどうかは分かりませんが、このような箇所にぶつかるたび、スタイルを乱さずに書いていた編者(「今昔物語集」の場合、「作者」ではなく「編者」と呼ぶことが多いです)は、ちょっとは、イラッとしたのではないかな、などと想像がかきたてられます。
 こうして、現代に出版されている本の祖先である、昔々に書かれた元の本を見ると、編者の苦労が、手触りのようにして感じられると思っています。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編 2003年1月20日
 別冊國文學『今昔物語集宇治拾遺物語集必携』 學燈社 三木紀人編 1988年5月1日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ  https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/30
 誤字を修正しました。

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