『多崎つくる』の巡礼地を巡礼するための雑考
※以下、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹著・文藝春秋・2013年4月)の内容に触れています。
「もう、3年も経っていたのだなあ」というのが、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』発売決定のニュースを目にしたときの思いでした。『1Q84』の印象があまりに強く、あまりにボリュームがありました。そのためか、目の前に、ぽん、と置かれている一冊が村上春樹さん三年ぶりの長編作品に思えません。
事前の情報がほとんど無かったためかもしれません。予告や広告などはほとんど何も無く、さあどうぞ、と目の前に置かれました。何も構えることなく、それを開きました。最初の一文で、瞬間、引き込まれました。あとは、終わりまでひといきに読み進めるだけでした。
読み終えた皆様は、それぞれ感想と、それぞれの読み解き方をされていることでしょう。私も、それに漏れておりません。
本作品では、私と関わりの深い地名が二つ出てきました。それで、つい、にやけてしまいました。「喪失と再獲得」が作品のテーマと言えるのかもしれません。それは的確では無く、もっと深遠なものがそうなのかもしれませんが、どちらにしても、軽いものではありませんので、「にやけ」てしまうのは相応しくないでしょう。でも、にやけてしまいました。
折角、知った場所が出てきたのです。難しい読み解き・考察は抜きにして、私がにやけた箇所を辿っていきます。
1.つくるとアオが久しぶりに会った名古屋
つくるは、沙羅の勧めから、十六年ぶりに高校時代の友人四人に会う決心をします。最初に会うことにしたアオは、名古屋市内のレクサス販売店でセールスマンになっていました。三日間の休みを取ったつくるは、名古屋に帰郷し、二日目にアオの働くレクサスショールームに向かいます。
そのショールームの場所は、「名古屋城に近い静かな一画」(152ページ)と書かれています。
さて、どのレクサスショールームでしょうか?
レクサスの販売店検索により、名古屋市内には、「レクサス星ヶ丘」「レクサス守山」「レクサス高岳」「レクサス名古屋西」「レクサス昭和」「レクサス中川」「レクサス植田」「レクサス緑」の8店舗があることが分かります。(愛知県 レクサス販売店)
この中で、「名古屋城に近い」が当てはまるのは、東区の「レクサス高岳」(名古屋市東区東桜2-1-1(Googleマップ) レクサス高岳詳細)か、西区の「レクサス名古屋西」(名古屋市西区児玉3-8-13(Googleマップ) レクサス名古屋西詳細)でしょう。他ショールームの住所は「近い」とは言い難いです。
ショールームで対面したアオから、つくるは、場所を変えて話しをしよう、と言われます。
三十分くらいなら話ができるだろう。ここを出て左にしばらく歩いたところにスターバックスがある。そこで待っていてくれ(156ページ)
さて、どのスターバックスでしょうか?
これもまた、スターバックスの店舗検索から近づいてみます。仮に、アオが「レクサス名古屋西」に居たとしたら、一番近いスターバックスは、「スターバックス 名駅地下街 サンロード店」(名古屋市中村区名駅4-7-25(Googleマップ) 店舗詳細)か「スターバックス 名駅地下街 ユニモール店」(名古屋市中村区名駅4-5-26先(Googleマップ) 店舗詳細)です。2店舗はかなり近い場所にあるため、よりショールームに近い方の判断を付けにくいのですが、店舗名から分かるように、どちらも「地下街」にあるため、目印になりにくく、待ち合わせの場所には適していません。
次に、アオが「レクサス高岳」に居た場合を考えます。最寄りのスターバックスは、「ベストウェスタンホテル名古屋栄4丁目店」「栄公園 オアシス21店」「桜通り大津店」です。このうち、「オアシス21店」は地下(吹き抜けですが、高岳からの歩道沿いにはありません)にあるため、ここも目印にはできません。また、「ベストウェスタンホテル名古屋栄4丁目店」も、「レクサス高岳」から、名古屋高速に沿って南下した後、一度交差点を曲がり100mほどのところにあるため、候補から外します。残った「桜通り大津店」(名古屋市中区丸の内3-20-17 店舗詳細)は、「レクサス高岳」前から桜通に沿って西に約850mのところあります。桜通を横断しなければなりませんが、一本道ですし、角地で歩道に面した店舗ですので、目印にできます。850mという距離も「しばらく歩いたところ」の範囲内でしょう。
つくるとアオは、スターバックスで飲み物と食べ物を買った後、「二人で歩いて近所にある公園」(157ページ)に、移動します。
さて、どの公園でしょうか。
アオは昼休みに出てきています。ショールームからスターバックスまでは800m以上あるため、そこからさらに遠く移動はできません。帰りやすいように、ショールーム方面の公園へと移る可能性が高いです。そこで、「スターバックス 桜通り大津店」と「レクサス高岳」の間にある公園を探します。……が、探す手間など必要もなくすぐに目立つ公園に行き当たります。名古屋の商業の中心地・栄地区に南北に広がる「久屋大通公園」です。名古屋テレビ塔があることでも知られる公園です。前記のようにアオがショールームに戻りやすいようと考えていれば、「スターバックス 桜通り大津店」から桜通を渡り、久屋大通公園の名古屋テレビ塔のすぐ下辺りに座ったとするのが自然です。そこでしたら、「何人かのジョガーが、城の方に向かって走っていった」(160ページ)、「制服姿の女子高校生が三人、グループで公園を横切っていった。短いスカートの裾を元気に振り、大きな声で笑いながら、二人の座ったベンチの前を通り過ぎていく彼女たちは、まだほんの子供のように見えた」(167ページ)は、久屋大通公園の地理的特性に適っています。(ただし、私は12時頃に久屋大通公園でジョギングしている人を見掛けたことはありません)
以上から、
・アオは、名古屋市営地下鉄高岳駅前の「レクサス高岳」のショールームに居て、
・つくるとアオは、高岳駅から西に約850mの「スターバックス 桜通り大津店」で飲み物、食べ物を買い、
・「久屋大通公園の名古屋テレビ塔下」辺りで、座って話しをした
と推測できます。
高岳のショールームでアオと別れたつくるは、「六年前の新聞の縮刷版を請求」(177ページ)するために、図書館に向かいます。名古屋市内の大きな図書館というと、「愛知県図書館」か「名古屋市鶴舞中央図書館」が思い浮かびます。つくるはすぐに新聞を調べたい気持ちがあったでしょうから、高岳駅前から名古屋高速沿いに一直線に南下したところにある「鶴舞中央図書館」(名古屋市昭和区鶴舞1-1-155 Googleマップ)を選んだ可能性が高いと考えられます。
・灰田父が緑川と会った大分県の山中
つくるは、二学年下の灰田から、彼の父が体験した不思議な話しを聞きます。灰田父が1960年代末に放浪生活を送り、一時期、「大分県山中の小さな温泉で下働きの仕事をしてい」(74ページ)ました。そこで、緑川という四十代半ばのピアニストと出会います。
大分県には温泉が多いです。由布院温泉、別府温泉がよく知られています。この二つのうちのどちらかが灰田父が居た温泉でしょうか。どちらも、1960年代より前から温泉地として知られていたため、「何よりそこは世間から隔絶された場所だった」(74ページ)には当てはまりません。また、別府は海に面し、由布院は盆地であるため、「山中」ということばに適いません。
大分県で、「山中」のイメージの強い場所はいくつかあります。熊本県との県境にある「九重連山」、大分県北東部に丸く広がる「国東半島(くにさきはんとう)」、宮崎県との県境「祖母山・傾山(かたむきさん)」です。
地の利の表現から考えると「九重連山」「祖母山・傾山」なのでしょうが、私は、灰田父が居た大分県の山中は「国東半島・両子山(ふたごさん)」と考えます。
第一の理由は、「九重連山」「祖母山・傾山」は、熊本・宮崎の両県の県境に位置しているため、本文中で「大分県山中」と特筆していることとそぐわないように見えるためです。
第二の理由は、こちらがメインの理由ですが、タイトルの「巡礼」とのつながりです。国東半島は古くから山岳信仰の場であり、国宝の大堂がある「富貴寺」など、多くの寺院が存在します。それらは「六郷満山」と呼ばれ、今でも信仰の場となっています。
そして、10年に一度、国東半島の寺院を巡る、「峯入り」という修験が行われています。まさに、「巡礼の年」があるというわけです。本作品内では、そのような場面は描かれていませんが、主人公の死の意識した冒頭の一文から始まる、全体を覆う宗教的イメージは、国東半島の様相と重なってきます。
・多崎つくるの色
名古屋市と大分県という自分と関わりの深い場所が次々と出てきましたので、にやけながらページを繰っていったのですが、場所以外にも、とりわけ気が惹かれたことがありました。本作品の顔とも言うべき「色」です。
つくるの高校時代の友人四人の色。アオ、アカ、シロ、クロ。
これは、「陰陽五行」と対応しています。木火土金水、というアレです。安倍晴明とかが、いろいろ操ったというアレです。
青は、木で、東で、春。
赤は、火で、南で、夏。
白は、金で、西で、秋。
黒は、水で、北で、冬。
12章、13章で、沙羅に会う場面を挟んで、つくるは季節の順番に会いに行っています。特に「クロ」はそれがはっきりと表れていて、「北欧・フィンランド」に住み、つくるが訪問した時は、「湖」の近くのサマーハウス(夏が出てきてしまいました……)に居ました。
では、つくるは何色でしょうか。
つくるを追放したグループは徐々に崩れていきました。つくるという中心を欠いたからでしょう。陰陽五行では、東西南北の他に「中」があります。「中」は「土」です。つくるは土木建築のスペシャリストです(今度は「木」の字まで入ってきてしまいました……)。
つくるは黄色なのでしょう。たぶん。それに、一応、「たざ『き』つくる」で、名前に「き」が入っています。
私は、ネットで注文して、この本を購入しました。昨年、「本の短冊で七夕飾り」を作って以来、短冊(売上カード、スリップ)がどうしても気に掛かってしまい、できる限り、それが挟まったまま購入できるネット書店を利用しています。
そして、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中に在ったスリップとその色ですが……、
「初版」の文字入り短冊です
黄緑色でした。惜しいです。
(本文中では、一部敬称を省略いたしました。ご了承ください)
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コメント
>うさりすさん
コメント、どうもありがとうございます。
この作品で、名古屋は重要な位置づけが為されています。おそらく、村上さんは長期にわたる取材をされたと思います。また、2004年には『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』という紀行文で、名古屋が取り上げられています。前々から、名古屋の「面白さ」が村上さんの頭の中にあり、『多崎つくる』でそれを小説として盛り込んだのかもしれません。
「スターバックス・ベストウェスタンホテル名古屋栄4丁目店」に村上さんが頻繁に訪れていらっしゃった、というお話しはとても興味深いです。作品内では、地名・商品名の具体性はややぼかされて書かれています。場所がはっきりと分かる(名古屋に関する)固有名詞は「名古屋城」「名古屋大学」くらいのはずです。そのため、「スターバックス・ベストウェスタンホテル名古屋栄4丁目店」に村上さんが足を運ばれていたのでしたら、レクサスのショールームは「高岳」をモデルにしている可能性が高いのでは、と考えます。
2013年5月9日に放送された『UP!「村上ワールドの名古屋」』(メ~テレ)という特集コーナーによると、4月の終わりからレクサス高岳を「巡礼」する方が見られるようになったということです。同じように、近くのスターバックスや、「アカ」のオフィスがあるルーセントタワー(本記事では触れていません)を訪れる方がいらっしゃるのかもしれません。
ところが、同番組によると、村上さんは、
「モデルは一切使わない。自分でイチから作る」
と述べていらっしゃることも紹介されました(私は、まだ、この発言・著述の出典を見つけることができていません。申し訳ございません)。
村上さんは、『多崎つくる』に限らず、小説の風景や人物の描写には、特定の実在するものをただ一つに絞って当てはめてはいないのだと思います。レクサスはレクサスの雰囲気、名古屋は名古屋の風土を必要としているのではないでしょうか。私は、レクサスは高岳のショールームも含んだ「レクサス」という記号性を必要としており、一つに限定する必要は無く、それは、スターバックスにも当てはまると考えています。
そうすると、何故このようなブログ記事を私が書いたのか、となります。それは、作品のみから読み取れる「ハルキワールド」と「実際の世界」を重ね合わせるとどうなるか、という試みをしてみたかった、と申し上げるほかありません。小説の読み方・楽しみ方の一つです。今回は、書かれていることから推理したところ、「偶然にも」これだけ当てはまりました、という報告書とも言えます。
うさりすさんのコメントで、村上さんが、『多崎つくる』を執筆するにあたり、改めて名古屋を取材していたことが分かり、今後再読するときの楽しみが増えました。スターバックスの店員さんにも、こっそりと(このようなことは秘密ではないかな、と思いますので)、「桜濱が感謝申し上げていた」とお伝えいただければと思います。
投稿: 桜濱 | 2013.06.08 01:17
はじめまして。
村上氏が書かれたスタバについてなんですが、描写された店舗は桜通り大津店なのかもしれませんが、執筆中はベストウェスタンホテル名古屋栄4丁目店によく通っていたらしいです。
実際に勤めてみえるスタバの店員さんがおっしゃってました。
わたしは実際に読んでいるわけではないのですが、そのお話を聞いて、もしかして考察されている方がいるのかも…!と思い、調べてみた次第です。
失礼しました。
投稿: うさりす | 2013.06.04 22:30