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2010.03.24

二本の名剣が引き起こした壮絶なる争い

 今は昔、震旦のある国のお話し。夏のころでした。お后はあまりに暑かったために、涼を取ろうとして、いつも鉄の柱を抱きかかえていました。
 夏が過ぎると、お后が身ごもっていることが分かりました。臨月を迎え生まれた子は、なんと鉄の玉だったのです。国王はこのことを不思議に、また、いぶかしく思い、
「これはいったいどういうことなのだ!」
とお后を問い詰めました。お后は、
「私は何もやましいことはしておりません。ただ、夏の間、暑さを我慢できずに鉄の柱をいつも抱きかかえておりました。もしかしたら、それがこうなった訳なのでしょうか……」
と答えたのです。国王は、きっとそのためだ、と考えました。そしてこの鉄の玉で何かを作ろうと思い立ったのです。
 そのころ、この国には莫耶という名の知れた鍛冶職人がいました。国王は莫耶を召し出し、お后が産んだ鉄の玉で、剣を作るように命じました。莫耶は鉄の玉から、二振りの剣を作りました。しかし、国王には一振りの剣しか献上せず、もう一振りは手元に隠し置いたのです。国王は莫耶から献上された剣を宝物として大切に納めました。
 ある時、その剣から止むことなく音が鳴り始めたのです。国王はこれを怪しく思い、大臣に問いただしました。
「何故、剣がこのように鳴るのだ!? 何か理由があるのだろうか」
「このようなことが起こるのには、必ず訳があります。きっとこの剣は『夫婦の剣』。つまり陽剣と陰剣の二振りがあるのだと思います。そのため、この剣はもう一振りの剣を求めて鳴っているのでしょう」
 国王はこれを聞いてたいへん怒り、すぐに莫耶を呼び出して罪を問おうとしました。
 しかし、国王の使いが来る前に、莫耶は妻に、
「昨日の夜、私は悪い夢を見た。きっと国王の使いが来る。それに捕らえられたら、間違いなく死刑になる。おまえのおなかの中にいる子どもがもし男の子だったら、大きくなったとき『南の山の松の中を見なさい』と告げてほしい」
と言い残すと、北の門から家を出て南の山へと行き、大きな木の根元の洞の中に入り、自ら命を絶ったのでした。
 数か月の後、莫耶の妻は男の子を産みました。その子どもはすくすくと成長し、十五歳になったとき、両方の眉の間が一尺もある顔つきになったのです。そのため少年は「眉間尺」と呼ばれるようになりました。
 母は莫耶の遺言を眉間尺に伝えました。眉間尺がその遺言通り南の山にある木の根元の洞を見ると、そこには一振りの剣がありました。眉間尺はこの剣を手に取り、父の仇を討とうと決心したのです。
 その時、国王は夢を何度も見ていました。眉の間が一尺もある男が反逆して、王である自らを殺す、というものでした。王はその夢をたいへん怖れて、国中に、
「眉間が一尺もある男がいるはずである。その者を捕らえるか、その者の首を献じた者には、賞金と褒賞を与える」
と、おふれを出しました。
 それを眉間尺は伝え聞き、山奥に身をひそめました。一方、おふれを見た人々や国王の命令を受けた家来たちは四方八方に散り、眉間尺を探し歩きまわりました。そして、とうとう、眉間尺は国王の家来に見つかってしまったのです。見つけた者はその顔つきで眉間尺だと分かりましたが、改めて問いかけました。
「おまえが眉間尺という者か?」
「そうだ、おれが眉間尺だ」
「われわれは、国王さまの命を受けて、おまえの命と、おまえが持っている剣をもらいに来た」
 それを聞くと眉間尺は「両方とも持って行くがいい」と言うが早いか、手にした剣で自らの首を刎ねたのです。
 国王の家来は、眉間尺の首と莫耶が隠していた剣を持って帰り、国王に献上しました。国王は喜んでその家来に褒章を与えました。
 眉間尺の首だと確かめた国王は、すぐにその首を家来に差し出し、
「すぐに、この首を煮込んで失くしてしまえ」
と命じたのです。
 家来は国王が命じた通り、大きな鉄の釜で眉間尺の首を煮始めました。しかし煮続けて七日が経っても、眉間尺の首は全く変わりなく元の形をとどめていたのです。その有様を国王に奏上すると、国王はいぶかしく思い、自分の目で確かめようとその椀の中をのぞき込んだのです。するとその時、突然、国王の頭だけが取れ、眉間尺の頭を煮ている釜の中に落ち込んでしまったのです。
 そして釜の中で、眉間尺の頭と国王の頭は互いに喰いつきあい、すさまじい争いとなりました。家来はこの様子を見て「なんと不思議なことだ…」と絶句しながらも、眉間尺の力を弱め国王の首を勝たせようと思い、莫耶の剣を争いの起こっている釜の中に投げ入れたのです。その途端、二つの首が共に煮込まれて形が崩れてしまいました。
 家来がそれを見ようと釜の中に首を差し出しますと、家来の頭もまたその釜の中に落ちて煮込まれ、とうとう三つの頭は誰のものだか分からないようになってしまいました。そのため一つの墓を造り、釜の中の三つの頭は一緒に葬られたのです。
 その墓は今でも宜春懸という所にあると、語り継がれていますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻9・第44話「震旦の莫耶、剣を造りて王に献じたるに子の眉間尺を殺されたる語」の現代語訳です。名剣「干将・莫耶」で知られる説話です。この二振りの剣は、現代でも東洋風味のファンタジーに良く出てくる名前ですね。
 もともとは、莫耶は干将の妻なのですが、『今昔物語集』のこの説話では、莫耶が夫で刀鍛冶、妻は「妻」としか出てきません。なので、王に命じられて造ることになったものの上手く鉄が溶けず、それを溶かす秘法として妻を投じるというエピソードがありません。
 さらに、子の眉間尺が親の仇をとるために、眉間尺が見付けた刺客に剣と自らの首を与えるというくだりも無くなっていて、王の使いに自らの首と剣を渡すというおかしな流れになっています。このような後半の復讐譚のねじれは、新大系の注釈によると、『今昔』の編者が原拠とした『孝子伝』を訳し間違えたためとされています。この間違いによって、
「眉間尺の首が七日間煮崩れない」→「刺客が王をそそのかして釜をのぞき込ませる」→「その隙に刺客が王の首をはねる」→「釜の中で眉間尺と王の首が争う」→「眉間尺の首を勝たせるために剣を釜に投げ入れる」→「剣の力で決着が付き、眉間尺と王の首が煮え崩れる」→「役目を果たした刺客が自らの首をはねる」
というもともとの展開が崩れてしまっています。
 『今昔物語集』編者は、漢籍(または漢籍を元とした和文)を原拠としていることが多いにもかかわらず、漢文に詳しくなかったとされています。これはそれが如実に分かる説話と言えるでしょう。


 『今昔物語集 二 (新日本古典文学大系34)』 小峯和明校注 岩波書店 1999/03/19 ISBN:4002400344
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.03.17

恋に焦がれて危ない道へ

 今は昔のお話し。兵衛の次官で平定文という人がいました。平中という通り名でよく知られています。身分は申し分なく、姿形も整っていて美しく、振る舞いも、話しぶりも趣があったので、その時分、この平中よりも優れている人はいない、と言われるくらいでした。このような人だったので、人妻や娘、宮仕えしている女性にいたるまで、平中に言い寄られないものはなかったということです。
 その頃、本院の大臣、藤原時平さまという方がいらっしゃいました。その方のお屋敷に、侍従の君と呼ばれる若い女房が仕えていました。目を見張る美しさの持ち主で、気の利いた宮仕えの人でした。平中は本院の大臣のところによく通っていて、侍従の君の話しもしぜんと耳に入ってきました。たいそう美しいという噂を聞いて、放っておくはずがありません。平中は、手を変え品を変え、命を差し出してもいいというくらいに言い寄ったのですが、侍従の君は、返事を返すどころか、いっこうに相手にしようとはしません。
 平中は、かわいそうなくらいに思い悩んで、とうとう、「ただ『見た』という二文字だけでもお返事をください」という手紙を出しはじめたのです。それでもなかなか返事が来ませんでした。ですが、繰り返し繰り返し書いては送っていましたら、ようやく使いの者が返事を持って帰ってきたのです。平中は、嬉しくて嬉しくて、あちらこちらに体をぶつけるくらいに慌てふためいてその手紙を受け取って、開いてみました。すると、平中が送った「『見た』という返事だけでも」という文面の「見た」という二文字が書いてあるところだけを破り取って、薄手の紙に貼り付けて送り返してきていたのです。これを見た平中の落ち込みようといったら、それはそれは言いようがありません。これには、平中もほとほと困り果てて、「こんなあしらわれかたをされるなら、もうどうしようもない。侍従の君は諦めてしまおう。心を込めても報われやしない」と、手紙を送るのを止めてしまいました。
 でも、それから三月ばかり経った五月の二十日過ぎ、雨の降りしきるとっぷりと暗い夜のこと。平中はまた侍従の君へのことが思い出されて、「あんなことがあったけど、こんなに雨の降る夜に通ったなら、怖ろしい鬼のような心を持った人でも、感動して受け入れてくれんじゃないか」と、思ったのです。それで、真っ暗で、ざあざあぶりの雨、一歩先も見えない中を、つらい胸の内を抱えて出かけました。
 本院に着くと、前々から見知っていた童女を呼び出して、「あなたのことを思って苦しさに耐えきれず、このように参りました」と侍従の君に伝えさせました。すると、童女が戻ってきて、「今はまだご主人さまの御前に女房たちが仕えていて、まだみんな眠っていませんので、私だけ下がるわけには参りません。もうしばらくお待ちください。よい頃合いに、私からそっとお知らせいたします」と、返事がもらえたのです。平中は、胸をどきどきさせて、「やっぱりだ。こんな夜にやってくるものを情け容赦なくあしらうことができるはずがない。苦労して来たのは正しかった!」と思って、暗い中、戸のそばでこっそりと待っていました。それこそ、何年も待ち続けるかのような心地です。
 しばらくして、人が寝静まった様子が分かりました。そうすると、中から人が来て、内側から戸の鍵を開ける音が聞こえてきました。平中が、戸に手をかけると、すっ、と開きます。あまりの嬉しさで夢のような思いでした。さあ、いよいよ侍従の君と会える、と思うと、平中の胸は嬉しさでいっぱいになり、体が震えるくらいでした。それでも、なんとか心を静めて、そっと部屋の中に入ってみると、そこは香のかおりに満ちていました。
 平中はゆっくりとあたりを探ってみると、しなやかな衣を羽織って、寝床に横になっている人に手が触れました。胸をときめかせながら、その人の頭や肩と思われるところに手をやると、ほっそりとした手触りで、髪は氷のようにすらりと伸びています。ここにきて、平中の喜びはいかばかりのものか。ますます震えが止まりません。何か言いかけようとするのですが、声も出せません。すると、侍従の君は、
「あら、いけないわ。忘れていました。隣の部屋との障子の留め金を掛けないで来てしまいました。今から行って、それを掛けてきます」
と言ったのです。平中はそれはいけない、と思って、「それならば、早く行ってきてください」と答えると、侍従の君は羽織っていた衣を残して、単衣と袴だけの姿で、行ってしまいました。
 平中はそわそわしながら、装束を緩めて待っていると、留め金を掛ける音がしました。さあ、侍従の君といよいよ、と思っていましたら、足音が離れていくだけで、ちっとも戻ってくる気配がありません。平中はこれはおかしい、と思って、障子のところに行ってみると、留め金が掛かっています。ですが、障子を引いてみると、留め金は向こう側から掛かっていて、平中のほうからは開けることができませんでした。しまった、と思ったものの後の祭り。言いようの無いほどの悔しさ、情けなさ。ばたばたと足を踏みならして、しまいには泣いてしまいました。もう、何も考えられず、ぴたりと閉まった障子に寄り添って、ぼろぼろと涙が落ちていきます。それは、外に降る雨に負けないくらいでした。
「こんな風に部屋に入れておきながら、騙すなんて、なんてひどいことだ! こうなると分かっていたら、留め金を掛けるだけのことなんだから、一緒に行っていたのに。私の思いを試すためにこんなことをしたんだ。ああ、まんまと引っかかってしまった。これでどうしようもない馬鹿者だと思われただろうな…」
と嘆くばかりでした。このような仕打ちは、会ってくれないよりもひどく、悔しいことで、言いようもありません。平中は、こんな羽目になってしまったので、「もう夜が明けてしまうまで、そのままこの部屋で寝てしまおう。侍従の君のところに私が通ってきた、と、みんなに知られてしまえ」とふてくされたのですが、夜明けころになって、たくさんの人が起きる気配がしてくると、「やっぱり顔を見られるのはまずいぞ」と思って、薄暗いうちに人目に付かないようこっそりと帰ったのです。
 さて、こんなことがあってからは、平中の心は少しねじ曲がってしまいました。「どうにかして、侍従の君のいやなことを聞いて、いっそのこと嫌いになってしまおう」と思うようになりました。しかし、そうは思ったものの、侍従の君のいやな話しというのは全く聞こえてきません。平中は思い通りにならなくて、いらいらがつのり、とうとう
「侍従の君がいくら綺麗だといっても、おまるにするものは、私たちと同じものだ。それを探し出して中身を見てしまえば、きっと嫌いになるだろう」
と考えてしまったのです。そして、「おまるの箱を洗う下仕えのものを見付けて、その人から奪い取ることにしよう」と決めました。
 そのように思ってから、侍従の君の部屋の近くで機をうかがっていたある日。十七八歳くらい、整った身なりで、短めの髪、紅と青の重ねの衣、濃い紫の袴をちょいと引き上げた女が、丁子で染めた布でくるんだ箱を持って、赤い扇で顔を隠しながら、侍従の君の部屋から出てくるのを見付けました。平中は「これだ」と思って、喜びながら、その女のあとを付けていきました。そして、誰も人がいないところにさしかかると、女に走り寄って、箱を奪い取ったのです。女は泣きながら箱を取られないようにしたのですが、そこは力の差があります。平中は容赦なく引きはがして、持って行ってしまいました。侍従の君のおまるを持った平中は、人が来そうにない空き家に入って、誰もこられないように、内側から戸を閉じました。
 平中は、しみじみと箱を見つめました。綺麗に漆が塗られています。箱やそれを包んでいた布の美しさを目にすると、それを開けることがためらわれます。中のものはさておいて、おまるの様子さえもただの人の風情ではないように思われました。そう思うと、気が引けてしまい、なかなかふたを開ける気になれません。そのまましばらく箱を見つめていたのですが、「このまま見ているわけにはいかない!」と、思い切りがついて、おそるおそる箱のふたを開けたのです。
 すると、丁子の香のかおりが強くただよいました。「はて、おかしいな」と思いつつ、中をのぞくと、うっすらと色づいた水が箱の半ばまで入っていました。そして、親指ほどの太さ、二三寸ほどの長さで、黒みがかった黄色の固まりが三本浮かんでいました。「おお、これが侍従の君の『あれ』なんだ!」と思っていると、なんとも言えない良い香りがします。そこで、近くにあった木の切れ端で、固まりをつついて、その先を鼻に当ててみると、高貴な練り香の匂いがしたのです。平中は、どういうことなのか不思議でたまりません。「なんということだ。こんなものを侍従の君は体から出すのか。この世の人ではないのでは」とまで思ってしまいました。
 それで、平中は、この奇妙なおまるの中身を見続けていますと、どうにかして侍従の君と親しく一緒になりたい、という思いが強くわき起こり、狂おしくてたまらなくなったのです。そして、思わず、箱を口に当てて、聖水をごくりと飲んでしまいました。それは、深くしみ入る丁子の香のかおりがしました。続いて、木の切れ端で固まりを少しすくい取って、なめてみました。それは、少し苦いものの甘みがあって、これもまた良い香りです。
 平中は、ここにきて、はっ、と気づいたのです。
「そうか! 聖水のようなものは、丁子の煮汁。固まりは、山芋と甘蔓、お香の元を混ぜ合わせて、それを細い筒に入れて形を整えたものだ。こんなことをする者はいるかもしれない。けど、『箱を見つけ出して中を見てやろう』とまで誰が思いつくだろう。でも、それが分かっていてこんな仕掛けをしたんだ。なんて、深く思いをめぐらせる人なんだろう。この世の人とは思えない。こんな人に、一目も会わないままでいるわけにはいかない!」
と思いながらも、どうしてよいのやら分からず、とうとうそれが元で、病に伏せって、恋に悩み苦しみながら、死んでしまいました。
 こんなことになってしまうなんて、なんてつまらないことでしょう。男も女も、罪深い。世間の人々は、「こういうこともあるので、男は女に入れ込んではいけない」と口々に責めた、と語り継がれていますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻30・第1話「平定文、本院の侍従に仮借する語」の現代語訳です。この説話は、芥川龍之介の『好色』の元になっていることでよく知られています。男女の恋愛が描かれた巻30の冒頭を飾っているということは、それだけ、編者を含め、大衆の興味がそそられる話題だからでしょう。
 特に、人々の気を引くのは、後半の平中が取った行為だと思います。簡単に言ってしまえば、変態です。いくら「そのもの」ではないと言っても、はたから見れば、「うわー」と、ちょっと気が引いてしまいます(中にはそれを好む趣味の方もいらっしゃるとは思いますが……)。でもそこが、この説話の一番の盛り上がり。『好色』でもクライマックスで、平中の心の叫びが書かれています。
 このように平中を、しつこい色好み、アブノーマルな行動に駆り立てたのも、意地悪な方法で「見た」とだけ手紙を送り返したり、部屋まで導いて、体に触れさせておきながらおあずけをさせた侍従の君の性格にも依るでしょう。編者が話末評にあるように、「男も女も罪深い」と言えますね。
 今回の現代語訳では、後半の「あれ」や「これ」といった「モノ」の表現を、をできるだけ和らげて、直接的なことばを使わないようにしました。盛り上がりを求めるならば、「そのもの」の表現をした方がよかったのかもしれませんが、ためらわれてしまいました。その部分は、ご覧いただいた皆さまで、適宜「そのもの」の表現に置き換えていただければと思います。


 参考文献
 『地獄変・邪宗門 好色・藪の中 他七篇』 芥川竜之介 岩波書店 1980/04/16 ISBN:4003107020

 『今昔物語集 五 (新日本古典文学大系37)』 森正人校注 岩波書店 1996/01/30 ISBN:4002400379
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.03.12

中秋の琵琶の音

 今は昔のことでございます。源博雅さまというかたがいらっしゃいました。醍醐帝の御子、兵部卿の親王のご子息でいらっしゃいます。何事にも優れた才をお持ちでしたが、中でも音楽の道には特に長けておられました。笛の上手でいらっしゃり、琵琶もまた実に巧みにお弾きになりました。
 これからお話しすることは、博雅さまが殿上人でいらっしゃったときのことでございます。その頃、逢阪の関に一人の盲目の男が小さな庵を作り、住んでおりました。その男の名前は蟬丸といいます。蟬丸は、敦実親王の元で下働きをしておりました。敦実親王はたいへん音楽の道に通じていらっしゃったおかたです。琵琶もつねづねお弾きになっておられました。蟬丸はその琵琶をおそばで聞き習い、上手になっていったということです。
 博雅さまは、琵琶の奥義を究めたいとお思いになっていたところ、この逢阪の関に住まう蟬丸が琵琶を良く弾くことをお聞き及びになられたのです。そこで、是非とも蟬丸の琵琶を聴いてみたいとお思いになったのですが、蟬丸の庵があまりに粗末でしたので、じかに出向かれることはためらわれ、家来のものを蟬丸の庵に行かせ、「どうしてこのようなところに住むのか。京に住むがよかろう」と告げたところ、蟬丸はそれに答えず、ただ、
 この世の中は、
 あちらに住んでも、こちらに住んでも、
 どんな変わりがありましょう。
 雅な京に住もうとも、ひなびたこの家に居ようとも、
 けして限りと思いはしない。

と、歌を詠んだだけでした。博雅さまはこの次第をお聞きになり、深みがあるように思われて、なおさら蟬丸に会うことを強くお望みになり、
「なんとしても、琵琶の深奥極めたいものだ。必ずや蟬丸に会ってその琵琶を聴こう。蟬丸も私もいついかなることで命を失うか分からない。機を逃してはならない。琵琶には「流泉」と「啄木」という曲があったらしい。この二つの曲は、今は誰も弾くことができない。しかし、きっと蟬丸ならばこの秘曲を知っていることだろう。なんとしてでも、蟬丸が弾くところを聴いてみせる」
とお思いになり、その夜、逢阪の関に行かれました。しかし、蟬丸がその曲を弾くことはありませんでした。それから、博雅さまは、夜な夜な逢阪の関の蟬丸の庵に行っては、「今晩こそは、今晩こそは」と密かに耳を澄ませたのですが、蟬丸はいっこうに弾く気配をみせまん。
 そうしているうちに三年の月日が経ちました。八月十五日の中秋の夜、朧月、風がそよいでいます。博雅さまは、
「ああ、なんと風情のある夜だろう。きっとこんな夜にこそ、蟬丸は流泉や啄木を弾くのではないか」
と、逢阪の関に行かれ、いつもの通り粗末な庵の近くで身を潜めておられますと、蟬丸の琵琶の音が聞こえてきました。しっとりと心にしみ入る音色です。博雅さまはようやく蟬丸の琵琶が聴けたことを嬉しくお思いになりながら、耳を傾けておられました。すると、蟬丸が己の心を慰めるかのように歌を詠み始めました。

 秋深く、逢阪の関は、風強く、
 激しき風は、私を責める。
 それでも私は堪え忍ぶ。風が心を乱さぬように。
 そっと、この世を過ごすため。
 そっと、この夜を過ごすため。

 琵琶の音とともに流れてくるこの歌を聴かれた博雅さまは、流れ落ちる涙を止めることができませんでした。
 琵琶を弾き終わった蟬丸は、
「おやおや、趣深い夜だこと。私のほかにも風流を愛するものがいるだろうか。この夜の良さが分かる人がいたら良いのだがな。そんな人と語り合いたいものだよ」
と、独りごちたのです。それを聞かれた博雅さまは、思わず、
「ここに博雅というものがございます。王城より参りました」
と、お答えになりました。蟬丸は驚き、
「なんと。そのようなことを仰るのはどなたであろう」
と問うたので、博雅さまはこれまでのことをお話しになりました。
「私は、都に住む源博雅というものです。長年、音楽の道を極めようと精進しております。そこで、琵琶の上手でいらっしゃるあなたのお噂を耳にし、この三年の間、こちらの庵を訪ねておりました。今宵、ようやくあなたの琵琶を聴くことができました」
 これを聞いた蟬丸はたいへん喜び、博雅さまを庵に呼び入れました。博雅さまも長い間持ち続けていた願いが叶ったことをお喜びになり、蟬丸とじっくりと語り合ったのです。
 そして、博雅さまが「流泉と啄木を弾いてみたいのです」と望まれると、蟬丸は「亡くなられた敦実親王はこのようにお弾きになっていらっしゃいました」と、博雅さまにその手を伝えました。博雅さまはこのとき琵琶をお持ちではなかったので、ただ口伝のみでこれを習われました。このように、一晩中琵琶の話をされて、明け方に博雅さまは都に帰られたのでした。
 この出来事を思いますと、どのような道でも、このようにひたすらにそれを求めるべきなのだと分かります。しかし、近頃はそうではないようです。それで、道を極めたという人物が少なくなったのでしょう。本当に寂しいことでございます。
 蟬丸は身分が低いものでしたが、亡き親王のお弾きになる琵琶をつねに聴いていて、ついにはその奥義を身につけたのです。だた目が見えなかったがために、逢阪の関に住むようになりました。この後、盲目のものが琵琶の弾き手になることが世に広まったという話しでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻24・第23話「源博雅朝臣、会坂の盲の許に行く語」の現代語訳です。この説話に登場する、源博雅と蟬丸は、あまりによく知られている人物ではないでしょうか。博雅は安倍晴明のパートナーとして、小説、それを原作としている漫画・映画の『陰陽師』の登場人物のイメージが強いと思います。また、蟬丸は百人一首の「これやこの」の歌で知られ、百人一首のかるた遊びの一つ「坊主めくり」では、特別な役割を持ったカードにされることがあるようです。
 博雅も蟬丸も音楽の才能に優れていて、その二人の邂逅と秘曲の伝授を描いた本話は、一種の感動を与えています(ただ、新大系の注釈では「貴族が三年間も逢阪まで通いつめるなど通常ありえない」「中秋の名月でややできすぎの設定」と、ちょっと冷めています)。
 この説話は、逢阪の関に琵琶法師が集まる起源譚にもなっています。逢阪の関が、都と外つ国との境界として機能していて、物語を持つ者たちが集まるような属性が付与されています。


 『今昔物語集 四 (新日本古典文学大系36)』 小峯和明校注 岩波書店 1994/11/21 ISBN:4002400360
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2010.03.10

異聞・竹取物語

 今は昔の話や。一人のじいさんがおったんよ。じいさんは山で竹を取ってきて、それを売って暮らしを立てとった。
 ある日、いつもの通り、籠を作るための竹を取りに山に入ったんやけど、そこで不思議なものを見つけたんや。一本の竹が光っとったんよ。じいさんは、おかしな事もあるもんや、と思いながら、その竹を切ってみたんよ。そしたら、その竹の節の中から、三寸くらいの人がちょこんと座っとったんや。じいさんはこの小さな人を見て、
「わしは、長いこと竹を取ってきたけど、こんなことは初めてや!」
と、たいそう喜んで、小さな人をていねいに手にとって、家に帰ったんよ。家にはじいさいの連れ合いのばあさんがいたんや。じいさんははしゃぎながら、
「竹を切っとったら、こんなかわいらしい娘を見つけたわ」
と、ばあさんと一緒に嬉しがったんや。
 それからは、じいさんとばあさんは、小さな娘を籠の中に入れて、育てたんよ。三月も経ったころには、娘は皆と並ぶくらいの背丈にまで大きくなったんやて。それに、もともとかわいらしかったんやけど、大きくなればなるほど、この世のもんじゃないちゅうくらいに美しゅうなったんや。そんなもんだから、じいさんもばあさんもますます娘を愛くるしゅう思って、大切に大切に世話をしておったんや。そうやっとると、その美しい娘の話が遠い町にまで広まったんよ。
 それに、娘を育てるようになってから、じいさんが山に竹を取りに行くと、そのたびごとに竹の中から黄金が出てくるようになったんや。じいさんはそのおかげで、たいそう豊かな暮らしができるようになって、粗末だった家は宮殿のような大屋敷に、倉には金銀財宝が満ちあふれるようになったんや。じいさんはこんななんでも思いが叶うような暮らしができるようになったのも娘のおかげやと思って、ますます大切に育てたんや。
 こうして、裕福に、美しゅう育った娘を男たちが放っておくはずもないわな。今をときめく上達部とか殿上人のお歴々が、娘に手紙を送ったり、結婚を申し込むようになったんやけど、娘はそんな申し出を軽くあしらって、とんと受けようとはせんやった。でもな、人というもんは、断られるとますます熱が入るもんで、男たちはいっそう心を込めて娘に言い寄ったんや。そうしたら、娘はこんなことを言い出したんよ。
「それでは、空で鳴る雷を捕まえて、持ってきてくれますか」
「そうですねえ…、優曇華という花があるそうですね。それを見せてくれますか」
「打たなくても鳴る太鼓。それを持ってきてください。そのとき、お話しをしましょう」などとな。
 娘はこんなことだけ言って、すぐには男たちに会おうとはせんやった。それでも、娘に心を寄せる男たちは、難しい言い分ではあったんやけど、娘がとんでもなく美しいっちゅうことに惹かれたもんやから、言うがままにとうてい無理な品を求めて、あちらこちらに出かけていったんや。あるもんは古い事をよく知るもんにありかを聞きに行った。またあるもんは海に乗り出した。ついには世を捨てて山に姿を消すもんまで出てきた。そんなこんなしたもんの、終いにはみんな娘の言ったもんを見つけきれんで、命を落としたり、行方知れずになったそうや。
 こんなことがあったもんやから、娘の噂はますます広まって、ついには帝のお耳にまで入ったんや。帝は、
「その娘は、この世の中に並ぶものがいないくらいの美しさだと聞いておる。私がそのものの屋敷にじかに行ってみよう。噂通りの美しさなら、すぐに私の后に召すことにしよう」
とお思いになられたんよ。そして、百官をお連れになって、じいさんの屋敷にお出ましになられたんや。帝はじいさんの屋敷をご覧になってたいそう驚かれた。まるで宮殿のように華やかやったもんやからな。
 帝は、そこで娘を召し出したんや。出てきた娘をご覧になってまた帝は驚かれたんよ。噂に勝るほど、目を見張るくらいの美しさやったからな。帝は、
「これはなんと美しい! これほどの美しさなのに、貴公子たちの結婚の申し出を受けなかったのは、帝である私のほかに見合うものがいないと考えてのことだろう。うむ、このまま、宮中に連れて帰り、后にしよう」
と、お喜びになったんや。だけどな、娘はそのお言葉を受けようとはせんやった。
「お后さまに私を、というお言葉は、この上なく嬉しいことでございます。ですが、ご無礼を承知して申し上げますが、それをお受けすることはできません。実は、私は人ではない身なのでございます」
なんてことを申し上げたんよ。帝はそれをお聞きになって、
「なんということを申すのだ。それならば、おぬしは鬼なのか、神なのか」
と、問われたんや。娘は、
「私は鬼でも神でもございません。もう、時間がございません。すぐに天上より迎えがやってまいります。陛下はもうお帰りになられますように」
と答えたんよ。それでも、帝は娘の言うことをお信じになられんで、
「なんとおかしなことを言うものだ。今すぐに、空から迎えが来るなどあるはずがない。このようなことを申すのも、私の言うことを断るためのいいわけに違いない」
とお思いになられたんよ。
 そうしているうちに、あたりに異様な気配が満ちてきたんよ。それで見上げると、天からたくさんの人が降りてきて、持ってきた輿に娘を乗せて、また空に昇っていったんや。その有様、人々の風情は、この世のもんとは全く違っとった。
 この様子をご覧になった帝は、ようやくのこと、
「ああ、なんということだ。申したとおり、娘はこの世のものではなかったのだ」
とお分かりになって、そのまま宮にお戻りになったんや。それでも、帝は娘の美しさ、麗しさをお忘れになることができんで、何度も思い出されたやけど、どうすることもおできになれんで、とうとうお諦めになったということや。
 その娘にはどういう訳があって、じいさんのもとにやってきたんやろうな。誰もそれを知ることはできんやった。この娘のことは、あれもこれも皆の考えの及ばない、不思議なことだと思うしかなかったんや。それでも、こんな珍しいことも起こるんや、と語り継がれておるんよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻31・第33話「竹取の翁、女児を見付けて養う語」の現代語訳です。参考にした本の注釈によると、「『竹取物語』と系統を異にする竹取説話」なのだそうです。「物語の出で来はじめの祖」と言われる『竹取物語』の他にも、同じような物語が複数存在したようです。
 『今昔物語集』に収録されている竹取説話は、大まかなところは『竹取物語』と変わりません。一番変化が見られるのは、かぐや姫(この説話では「かぐや」という名前は出てきませんが)の難題でしょう。以下に『竹取物語』の難題と、この竹取説話の難題を並べてみます。

 『竹取物語』
 ・仏の御石の鉢
 ・蓬莱の玉の枝
 ・火鼠の皮衣
 ・龍の頸の玉
 ・燕の子安貝

 『今昔物語集』の竹取説話
 ・空に鳴る雷を捕らえる
 ・優曇華の花
 ・打たずに鳴る鼓

 『今昔物語集』の竹取説話に出てくる難題は、他の物語や説話でも見られるものです。「空に鳴る雷を捕まえる」話しは、『日本霊異記』に収められています。優曇華の花は『竹取物語』で「蓬莱の玉の枝」として、くらもちの皇子が「優曇華の花を持ち帰った」と喧伝します。打たずに鳴る鼓(太鼓)は、とんち話によく出てくるもので、太鼓の中に入れた蜂などの虫が皮にぶつかって自然と鳴るしかけです。
 こうして見ると、やはり『竹取物語』の方が、難題を求める貴公子たちが苦慮する細かい描写や、語源譚が織り交ぜられていて、面白みがあるように思います。

 最近、このようなニュースを見ました。

 「3000年に1度しか咲かない伝説の花「優曇華」―江西」
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0304&f=national_0304_003.shtml
 http://kwout.com/quote/hk2ec36t(引用)
 (サーチナ 2010/03/04 11:15)

 なんと、優曇華は実在したのです! 殿方がこれを見付けていれば超美人の姫と結婚できたのに。


 『今昔物語集 五 (新日本古典文学大系37)』 森正人校注 岩波書店 1996/01/30 ISBN:4002400379
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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