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2010.03.24

二本の名剣が引き起こした壮絶なる争い

 今は昔、震旦のある国のお話し。夏のころでした。お后はあまりに暑かったために、涼を取ろうとして、いつも鉄の柱を抱きかかえていました。
 夏が過ぎると、お后が身ごもっていることが分かりました。臨月を迎え生まれた子は、なんと鉄の玉だったのです。国王はこのことを不思議に、また、いぶかしく思い、
「これはいったいどういうことなのだ!」
とお后を問い詰めました。お后は、
「私は何もやましいことはしておりません。ただ、夏の間、暑さを我慢できずに鉄の柱をいつも抱きかかえておりました。もしかしたら、それがこうなった訳なのでしょうか……」
と答えたのです。国王は、きっとそのためだ、と考えました。そしてこの鉄の玉で何かを作ろうと思い立ったのです。
 そのころ、この国には莫耶という名の知れた鍛冶職人がいました。国王は莫耶を召し出し、お后が産んだ鉄の玉で、剣を作るように命じました。莫耶は鉄の玉から、二振りの剣を作りました。しかし、国王には一振りの剣しか献上せず、もう一振りは手元に隠し置いたのです。国王は莫耶から献上された剣を宝物として大切に納めました。
 ある時、その剣から止むことなく音が鳴り始めたのです。国王はこれを怪しく思い、大臣に問いただしました。
「何故、剣がこのように鳴るのだ!? 何か理由があるのだろうか」
「このようなことが起こるのには、必ず訳があります。きっとこの剣は『夫婦の剣』。つまり陽剣と陰剣の二振りがあるのだと思います。そのため、この剣はもう一振りの剣を求めて鳴っているのでしょう」
 国王はこれを聞いてたいへん怒り、すぐに莫耶を呼び出して罪を問おうとしました。
 しかし、国王の使いが来る前に、莫耶は妻に、
「昨日の夜、私は悪い夢を見た。きっと国王の使いが来る。それに捕らえられたら、間違いなく死刑になる。おまえのおなかの中にいる子どもがもし男の子だったら、大きくなったとき『南の山の松の中を見なさい』と告げてほしい」
と言い残すと、北の門から家を出て南の山へと行き、大きな木の根元の洞の中に入り、自ら命を絶ったのでした。
 数か月の後、莫耶の妻は男の子を産みました。その子どもはすくすくと成長し、十五歳になったとき、両方の眉の間が一尺もある顔つきになったのです。そのため少年は「眉間尺」と呼ばれるようになりました。
 母は莫耶の遺言を眉間尺に伝えました。眉間尺がその遺言通り南の山にある木の根元の洞を見ると、そこには一振りの剣がありました。眉間尺はこの剣を手に取り、父の仇を討とうと決心したのです。
 その時、国王は夢を何度も見ていました。眉の間が一尺もある男が反逆して、王である自らを殺す、というものでした。王はその夢をたいへん怖れて、国中に、
「眉間が一尺もある男がいるはずである。その者を捕らえるか、その者の首を献じた者には、賞金と褒賞を与える」
と、おふれを出しました。
 それを眉間尺は伝え聞き、山奥に身をひそめました。一方、おふれを見た人々や国王の命令を受けた家来たちは四方八方に散り、眉間尺を探し歩きまわりました。そして、とうとう、眉間尺は国王の家来に見つかってしまったのです。見つけた者はその顔つきで眉間尺だと分かりましたが、改めて問いかけました。
「おまえが眉間尺という者か?」
「そうだ、おれが眉間尺だ」
「われわれは、国王さまの命を受けて、おまえの命と、おまえが持っている剣をもらいに来た」
 それを聞くと眉間尺は「両方とも持って行くがいい」と言うが早いか、手にした剣で自らの首を刎ねたのです。
 国王の家来は、眉間尺の首と莫耶が隠していた剣を持って帰り、国王に献上しました。国王は喜んでその家来に褒章を与えました。
 眉間尺の首だと確かめた国王は、すぐにその首を家来に差し出し、
「すぐに、この首を煮込んで失くしてしまえ」
と命じたのです。
 家来は国王が命じた通り、大きな鉄の釜で眉間尺の首を煮始めました。しかし煮続けて七日が経っても、眉間尺の首は全く変わりなく元の形をとどめていたのです。その有様を国王に奏上すると、国王はいぶかしく思い、自分の目で確かめようとその椀の中をのぞき込んだのです。するとその時、突然、国王の頭だけが取れ、眉間尺の頭を煮ている釜の中に落ち込んでしまったのです。
 そして釜の中で、眉間尺の頭と国王の頭は互いに喰いつきあい、すさまじい争いとなりました。家来はこの様子を見て「なんと不思議なことだ…」と絶句しながらも、眉間尺の力を弱め国王の首を勝たせようと思い、莫耶の剣を争いの起こっている釜の中に投げ入れたのです。その途端、二つの首が共に煮込まれて形が崩れてしまいました。
 家来がそれを見ようと釜の中に首を差し出しますと、家来の頭もまたその釜の中に落ちて煮込まれ、とうとう三つの頭は誰のものだか分からないようになってしまいました。そのため一つの墓を造り、釜の中の三つの頭は一緒に葬られたのです。
 その墓は今でも宜春懸という所にあると、語り継がれていますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻9・第44話「震旦の莫耶、剣を造りて王に献じたるに子の眉間尺を殺されたる語」の現代語訳です。名剣「干将・莫耶」で知られる説話です。この二振りの剣は、現代でも東洋風味のファンタジーに良く出てくる名前ですね。
 もともとは、莫耶は干将の妻なのですが、『今昔物語集』のこの説話では、莫耶が夫で刀鍛冶、妻は「妻」としか出てきません。なので、王に命じられて造ることになったものの上手く鉄が溶けず、それを溶かす秘法として妻を投じるというエピソードがありません。
 さらに、子の眉間尺が親の仇をとるために、眉間尺が見付けた刺客に剣と自らの首を与えるというくだりも無くなっていて、王の使いに自らの首と剣を渡すというおかしな流れになっています。このような後半の復讐譚のねじれは、新大系の注釈によると、『今昔』の編者が原拠とした『孝子伝』を訳し間違えたためとされています。この間違いによって、
「眉間尺の首が七日間煮崩れない」→「刺客が王をそそのかして釜をのぞき込ませる」→「その隙に刺客が王の首をはねる」→「釜の中で眉間尺と王の首が争う」→「眉間尺の首を勝たせるために剣を釜に投げ入れる」→「剣の力で決着が付き、眉間尺と王の首が煮え崩れる」→「役目を果たした刺客が自らの首をはねる」
というもともとの展開が崩れてしまっています。
 『今昔物語集』編者は、漢籍(または漢籍を元とした和文)を原拠としていることが多いにもかかわらず、漢文に詳しくなかったとされています。これはそれが如実に分かる説話と言えるでしょう。


 『今昔物語集 二 (新日本古典文学大系34)』 小峯和明校注 岩波書店 1999/03/19 ISBN:4002400344
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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