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2010.03.17

恋に焦がれて危ない道へ

 今は昔のお話し。兵衛の次官で平定文という人がいました。平中という通り名でよく知られています。身分は申し分なく、姿形も整っていて美しく、振る舞いも、話しぶりも趣があったので、その時分、この平中よりも優れている人はいない、と言われるくらいでした。このような人だったので、人妻や娘、宮仕えしている女性にいたるまで、平中に言い寄られないものはなかったということです。
 その頃、本院の大臣、藤原時平さまという方がいらっしゃいました。その方のお屋敷に、侍従の君と呼ばれる若い女房が仕えていました。目を見張る美しさの持ち主で、気の利いた宮仕えの人でした。平中は本院の大臣のところによく通っていて、侍従の君の話しもしぜんと耳に入ってきました。たいそう美しいという噂を聞いて、放っておくはずがありません。平中は、手を変え品を変え、命を差し出してもいいというくらいに言い寄ったのですが、侍従の君は、返事を返すどころか、いっこうに相手にしようとはしません。
 平中は、かわいそうなくらいに思い悩んで、とうとう、「ただ『見た』という二文字だけでもお返事をください」という手紙を出しはじめたのです。それでもなかなか返事が来ませんでした。ですが、繰り返し繰り返し書いては送っていましたら、ようやく使いの者が返事を持って帰ってきたのです。平中は、嬉しくて嬉しくて、あちらこちらに体をぶつけるくらいに慌てふためいてその手紙を受け取って、開いてみました。すると、平中が送った「『見た』という返事だけでも」という文面の「見た」という二文字が書いてあるところだけを破り取って、薄手の紙に貼り付けて送り返してきていたのです。これを見た平中の落ち込みようといったら、それはそれは言いようがありません。これには、平中もほとほと困り果てて、「こんなあしらわれかたをされるなら、もうどうしようもない。侍従の君は諦めてしまおう。心を込めても報われやしない」と、手紙を送るのを止めてしまいました。
 でも、それから三月ばかり経った五月の二十日過ぎ、雨の降りしきるとっぷりと暗い夜のこと。平中はまた侍従の君へのことが思い出されて、「あんなことがあったけど、こんなに雨の降る夜に通ったなら、怖ろしい鬼のような心を持った人でも、感動して受け入れてくれんじゃないか」と、思ったのです。それで、真っ暗で、ざあざあぶりの雨、一歩先も見えない中を、つらい胸の内を抱えて出かけました。
 本院に着くと、前々から見知っていた童女を呼び出して、「あなたのことを思って苦しさに耐えきれず、このように参りました」と侍従の君に伝えさせました。すると、童女が戻ってきて、「今はまだご主人さまの御前に女房たちが仕えていて、まだみんな眠っていませんので、私だけ下がるわけには参りません。もうしばらくお待ちください。よい頃合いに、私からそっとお知らせいたします」と、返事がもらえたのです。平中は、胸をどきどきさせて、「やっぱりだ。こんな夜にやってくるものを情け容赦なくあしらうことができるはずがない。苦労して来たのは正しかった!」と思って、暗い中、戸のそばでこっそりと待っていました。それこそ、何年も待ち続けるかのような心地です。
 しばらくして、人が寝静まった様子が分かりました。そうすると、中から人が来て、内側から戸の鍵を開ける音が聞こえてきました。平中が、戸に手をかけると、すっ、と開きます。あまりの嬉しさで夢のような思いでした。さあ、いよいよ侍従の君と会える、と思うと、平中の胸は嬉しさでいっぱいになり、体が震えるくらいでした。それでも、なんとか心を静めて、そっと部屋の中に入ってみると、そこは香のかおりに満ちていました。
 平中はゆっくりとあたりを探ってみると、しなやかな衣を羽織って、寝床に横になっている人に手が触れました。胸をときめかせながら、その人の頭や肩と思われるところに手をやると、ほっそりとした手触りで、髪は氷のようにすらりと伸びています。ここにきて、平中の喜びはいかばかりのものか。ますます震えが止まりません。何か言いかけようとするのですが、声も出せません。すると、侍従の君は、
「あら、いけないわ。忘れていました。隣の部屋との障子の留め金を掛けないで来てしまいました。今から行って、それを掛けてきます」
と言ったのです。平中はそれはいけない、と思って、「それならば、早く行ってきてください」と答えると、侍従の君は羽織っていた衣を残して、単衣と袴だけの姿で、行ってしまいました。
 平中はそわそわしながら、装束を緩めて待っていると、留め金を掛ける音がしました。さあ、侍従の君といよいよ、と思っていましたら、足音が離れていくだけで、ちっとも戻ってくる気配がありません。平中はこれはおかしい、と思って、障子のところに行ってみると、留め金が掛かっています。ですが、障子を引いてみると、留め金は向こう側から掛かっていて、平中のほうからは開けることができませんでした。しまった、と思ったものの後の祭り。言いようの無いほどの悔しさ、情けなさ。ばたばたと足を踏みならして、しまいには泣いてしまいました。もう、何も考えられず、ぴたりと閉まった障子に寄り添って、ぼろぼろと涙が落ちていきます。それは、外に降る雨に負けないくらいでした。
「こんな風に部屋に入れておきながら、騙すなんて、なんてひどいことだ! こうなると分かっていたら、留め金を掛けるだけのことなんだから、一緒に行っていたのに。私の思いを試すためにこんなことをしたんだ。ああ、まんまと引っかかってしまった。これでどうしようもない馬鹿者だと思われただろうな…」
と嘆くばかりでした。このような仕打ちは、会ってくれないよりもひどく、悔しいことで、言いようもありません。平中は、こんな羽目になってしまったので、「もう夜が明けてしまうまで、そのままこの部屋で寝てしまおう。侍従の君のところに私が通ってきた、と、みんなに知られてしまえ」とふてくされたのですが、夜明けころになって、たくさんの人が起きる気配がしてくると、「やっぱり顔を見られるのはまずいぞ」と思って、薄暗いうちに人目に付かないようこっそりと帰ったのです。
 さて、こんなことがあってからは、平中の心は少しねじ曲がってしまいました。「どうにかして、侍従の君のいやなことを聞いて、いっそのこと嫌いになってしまおう」と思うようになりました。しかし、そうは思ったものの、侍従の君のいやな話しというのは全く聞こえてきません。平中は思い通りにならなくて、いらいらがつのり、とうとう
「侍従の君がいくら綺麗だといっても、おまるにするものは、私たちと同じものだ。それを探し出して中身を見てしまえば、きっと嫌いになるだろう」
と考えてしまったのです。そして、「おまるの箱を洗う下仕えのものを見付けて、その人から奪い取ることにしよう」と決めました。
 そのように思ってから、侍従の君の部屋の近くで機をうかがっていたある日。十七八歳くらい、整った身なりで、短めの髪、紅と青の重ねの衣、濃い紫の袴をちょいと引き上げた女が、丁子で染めた布でくるんだ箱を持って、赤い扇で顔を隠しながら、侍従の君の部屋から出てくるのを見付けました。平中は「これだ」と思って、喜びながら、その女のあとを付けていきました。そして、誰も人がいないところにさしかかると、女に走り寄って、箱を奪い取ったのです。女は泣きながら箱を取られないようにしたのですが、そこは力の差があります。平中は容赦なく引きはがして、持って行ってしまいました。侍従の君のおまるを持った平中は、人が来そうにない空き家に入って、誰もこられないように、内側から戸を閉じました。
 平中は、しみじみと箱を見つめました。綺麗に漆が塗られています。箱やそれを包んでいた布の美しさを目にすると、それを開けることがためらわれます。中のものはさておいて、おまるの様子さえもただの人の風情ではないように思われました。そう思うと、気が引けてしまい、なかなかふたを開ける気になれません。そのまましばらく箱を見つめていたのですが、「このまま見ているわけにはいかない!」と、思い切りがついて、おそるおそる箱のふたを開けたのです。
 すると、丁子の香のかおりが強くただよいました。「はて、おかしいな」と思いつつ、中をのぞくと、うっすらと色づいた水が箱の半ばまで入っていました。そして、親指ほどの太さ、二三寸ほどの長さで、黒みがかった黄色の固まりが三本浮かんでいました。「おお、これが侍従の君の『あれ』なんだ!」と思っていると、なんとも言えない良い香りがします。そこで、近くにあった木の切れ端で、固まりをつついて、その先を鼻に当ててみると、高貴な練り香の匂いがしたのです。平中は、どういうことなのか不思議でたまりません。「なんということだ。こんなものを侍従の君は体から出すのか。この世の人ではないのでは」とまで思ってしまいました。
 それで、平中は、この奇妙なおまるの中身を見続けていますと、どうにかして侍従の君と親しく一緒になりたい、という思いが強くわき起こり、狂おしくてたまらなくなったのです。そして、思わず、箱を口に当てて、聖水をごくりと飲んでしまいました。それは、深くしみ入る丁子の香のかおりがしました。続いて、木の切れ端で固まりを少しすくい取って、なめてみました。それは、少し苦いものの甘みがあって、これもまた良い香りです。
 平中は、ここにきて、はっ、と気づいたのです。
「そうか! 聖水のようなものは、丁子の煮汁。固まりは、山芋と甘蔓、お香の元を混ぜ合わせて、それを細い筒に入れて形を整えたものだ。こんなことをする者はいるかもしれない。けど、『箱を見つけ出して中を見てやろう』とまで誰が思いつくだろう。でも、それが分かっていてこんな仕掛けをしたんだ。なんて、深く思いをめぐらせる人なんだろう。この世の人とは思えない。こんな人に、一目も会わないままでいるわけにはいかない!」
と思いながらも、どうしてよいのやら分からず、とうとうそれが元で、病に伏せって、恋に悩み苦しみながら、死んでしまいました。
 こんなことになってしまうなんて、なんてつまらないことでしょう。男も女も、罪深い。世間の人々は、「こういうこともあるので、男は女に入れ込んではいけない」と口々に責めた、と語り継がれていますよ。

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 『今昔物語集』巻30・第1話「平定文、本院の侍従に仮借する語」の現代語訳です。この説話は、芥川龍之介の『好色』の元になっていることでよく知られています。男女の恋愛が描かれた巻30の冒頭を飾っているということは、それだけ、編者を含め、大衆の興味がそそられる話題だからでしょう。
 特に、人々の気を引くのは、後半の平中が取った行為だと思います。簡単に言ってしまえば、変態です。いくら「そのもの」ではないと言っても、はたから見れば、「うわー」と、ちょっと気が引いてしまいます(中にはそれを好む趣味の方もいらっしゃるとは思いますが……)。でもそこが、この説話の一番の盛り上がり。『好色』でもクライマックスで、平中の心の叫びが書かれています。
 このように平中を、しつこい色好み、アブノーマルな行動に駆り立てたのも、意地悪な方法で「見た」とだけ手紙を送り返したり、部屋まで導いて、体に触れさせておきながらおあずけをさせた侍従の君の性格にも依るでしょう。編者が話末評にあるように、「男も女も罪深い」と言えますね。
 今回の現代語訳では、後半の「あれ」や「これ」といった「モノ」の表現を、をできるだけ和らげて、直接的なことばを使わないようにしました。盛り上がりを求めるならば、「そのもの」の表現をした方がよかったのかもしれませんが、ためらわれてしまいました。その部分は、ご覧いただいた皆さまで、適宜「そのもの」の表現に置き換えていただければと思います。


 参考文献
 『地獄変・邪宗門 好色・藪の中 他七篇』 芥川竜之介 岩波書店 1980/04/16 ISBN:4003107020

 『今昔物語集 五 (新日本古典文学大系37)』 森正人校注 岩波書店 1996/01/30 ISBN:4002400379
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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