« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009.07.30

渇きを満たすに身を砕く

 今は昔のことでございます。天竺に五百人の商人がおりました。彼らは商売のために、一人の在家の僧を伴って、よその国にいくことになりました。その道中、一つの山にさしかかりました。その山は深く、道を間違えてしまったのです。山道はますます険しくなるばかり。人の通った跡も無く、水の流れもありません。そのようなところでしたので、商人たちは、三日も水を飲むことができず、渇きで、のどが焼けるような思いをして、今にも死んでしまいそうな、ありさまになったのです。
 そして、商人たちは、連れていた僧に言いました。
「仏は、世の中の皆々、一切衆生の願いをかなえてくださるということだ。めったにないことだが、三悪道に落ちたときの苦痛ですら、身代わりになってくださるという。あなたは、頭を剃り、衣を染めて、仏の御弟子の姿となっている。私たち五百人は、今、この時、のどの渇きで死にそうになっている。どうか、あなたの力で私たちを助けてください」「心底から誠実に御仏の助けを請われますか?」
「今日の命が助かるも、助からないも、ただ、あなたの力に頼ることしかありません」
 商人たちの願いを聞いた僧は、高い峰に上って、大岩の下に座して、言いました。
「私は、頭を剃って仏に身をささげたと申しましても、まだまだ、修行は足りておりません。人々を助けるほどの力など持っておりません。ですが、商人たちは『あなたは、御仏の御弟子の姿をしている。だから、助けることができるはずだ。命を助けてほしい』と申しております。なんとか、水を与えてあげたいと思っておりますが、私には、その力はありません。どうすることもできないのです! 願います! 十方・三世の諸仏如来よ! 私の頭からほとばしる血、頭蓋の脳を捧げます。どうか、これを水と成して、商人たちの命をお助けくださいませ!」
 そう、言い終わるが早いか、僧は、自らの頭を、大岩の先に打ち付けたのです。頭は割れ、血が吹き出し、僧の体を染めていきました。するとどうでしょう。その血は、流れるにしたがって、水へと変わっていったのです。五百人の商人、連れていた馬たちは、僧のもたらした、この不思議な水でのどを癒して、命が助かったのでした。
 その僧というのは、釈迦仏の前世であり、僧によって、命を救われた五百人の商人もまた、釈迦仏の五百人の御弟子であると、語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻5・第11話「五百人の商人、山を通りて水に餓えたる語」の現代語訳です。巻5は釈迦の前生が語られ、彼の弟子たちとの深い関わりが語られる説話が収録されています。
 この説話では、弟子は商人、仏は同行の僧侶です。僧侶は姿かたちだけはしっかりしていますが、まだ修行が足りなりレベルであることが分かります。それゆえに、五百人の商人の渇きを癒すほどの能力は持っていません。
 そこで、僧侶が取った行動は、諸仏・如来に誓いを立てて、自らの身を捧げることでした。その描写は血が流れ、脳を砕くという凄まじいものです(「原文:「願ハ十方・三世ノ諸仏如来、我ガ首ノ脳返テ水ト成シテ、商人等ガ命ヲ助ケ給ヘ」ト誓テ、巌ノ崎ニ頭ヲ打ツ。其ノ時ニ、血流レ下ダル」)。
 三世諸仏への祈りでは、水を出だすことができないと判断した僧侶は、捨身行で、我が身を捨てて、商人たちに水を与えたのでした。
 この説話にあるように、わざと、釈迦の前生を修行の足りない人物に仕立て上げ、その代わりに岩に頭を打ち付けて頭を砕くという行いをさせることで、その後の釈迦の偉大さを強調しているということでしょう。
 『今昔物語集』のこのような言説は特徴的なもので、激しい痛みを過去生に設定することで、釈迦の存在の大きさを喩えとして表しているのです。


 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.20

ビックカメラ小袋の群雄割拠

 5月の初めに、愛用のコンパクトデジカメが壊れてしまいました。シャッターも切れますし、動作に問題は無いようなのですが、液晶画面が全く映らない状態です。これでは、デジカメの機能を半分は奪われたようなものです。
 そこで、すぐに、購入したビックカメラの修理コーナーに持っていきました。そこで、「このようにすると液晶が映らなくなるのです」と、スタッフさんに、操作しつつ説明をいたしましたら、何故か液晶が映りました。まるで二昔前のコントです。

預り証
 せっかくのゴールデンウィークに壊れてしまいました…

 一応、中の状態が悪い可能性がありますし、長期保障にも入っていたので、修理のために里帰りをすることになりました。その際、預り証をいただきました。小さな茶色の紙袋に入った預り証は、長期5年保障の時にいただいたものと同じ…、ではありませんでした! 少し違っているのです。まずはこの写真をご覧ください。

ビックカメラ小袋・新旧
 上が旧、下が新です。一見すると同じようですが…

 一見すると、ほとんど変わりは無いのですが、よくよく見ると、ブランド名の配置や大きさが違っています。その違いをいくつか見ていきましょう。


 1.パナソニックブランドへの統一
 2008年9月までは、ナショナルは「National」と「Panasonic」の二つのブランドに分かれていましたが、翌月の社名変更により、「Panasonic」ブランドに統一されました。
 私がこのデジカメを購入したのは、2008年9月より前でしたので、小袋には、「National」と「Panasonic」の両方が印字されています。しかし、修理に出したのは、2009年5月。「Panasonic」に統合された後です。それが、小袋にも反映されていました。購入時の保証書小袋には、「National」も「Panasonic」もありますが、2009年5月版の小袋には、「National」は無く、「Panasonic」だけです。ちゃんとこのような細かい場所にも、反映されていました。

ビックカメラ小袋・Panasonic
 今はパナソニックです

ビックカメラ小袋・National
 ブランド統合前


 2.ロゴが変わっている
 同じ会社でも、数年の間に、ブランドロゴが変わっている場合があります。例として、NTTdocomoを見てみましょう。
 まずは、現在のロゴをご覧ください。

ビックカメラ小袋・旧ドコモ
 

 このように、丸っこいロゴです。見覚えがありますね。そしてこれが2年前のロゴです。

ビックカメラ小袋・新ドコモ
 

 こちらも見覚えががありますね。「そうそう、これだった」と思われる方もいらっしゃると思います。
 このように、何気なく移行したロゴも見受けられます。


 3.下の段ほど変化が少ない
 小袋の上の段は、なぜかブランドの入れ替わりが激しいです。一方、それぞれの小袋の下から7段目くらいまでは、ほとんど変化がありません。特に、目を惹くのが、下から6段目の「ビック」シリーズのロゴです。「ビック酒販」「ビックトイズ」「ビックスポーツ」「生毛工房」が鉄壁のラインを引いています。

ビックカメラ小袋・「ビックライン」
 


 4.ブランド名の統計
 この小袋を見ると、ビックカメラではこれだけのブランドの取り扱いがあるのだな、と思うのですが、目を凝らすと、同じロゴが大小取り混ぜて、複数回登場する場合があります。それらの出現個数を表にしてみました。

2007年11月2009年5月
SONY5SIGMA5
TEAC5SONY5
AXIA4TEAC5
HITACHI4AXIA4
maxell4EIZO4
NEC4maxell4
SIGMA4Rinnai4
AOepn3AOpen3
Arivel3Arvel3
ASUS3ASUS3
CASIO3BRONICA3
corega3DENON3
DENON3ELECOM3
EIZO3HITACHI3
ELECOM3Iwatani3
Iwatani3LEXMARK3
LEXMARK3Microsoft3
Microsoft3NEC3
PHILIPS3ORIENT3
Pioneer3PHILIPS3
Rinnai3SEIKO3
SEIKO3Victor・JVC3
生毛工房3

 2007年11月分
 3回以上出現のブランド数…76
 2回以下出現のブランド数…111
 合計187ブランド

 2009年5月分
 3回以上出現のブランド数…78
 2回以下出現のブランド数…104
 合計182ブランド

 3回以上登場するものだけを抽出しました。「SONY」「TEAC」「SIGMA」が3強と言えるでしょう。「SONY」は家電業界の勇、「TEAC」はパソコン周辺機器で幅を利かせています。そんな中、「SIGMA」が入ってきているのが意外です。カメラとそのアクセサリーという、ちょっと、深いながらも細かい分野のブランドが入ってきているのです。しかし、ここは、「ビックカメラ」です。カメラを大きく入れて、「ビック『カメラ』」だということを強調しようとということが見て取れます。これは、小袋に書かれたブランドのイメージであるととともに、小袋そのものが「ビックカメラ」のブランドイメージでもあるのです。

 この小さな袋からでも、家電業界の群雄割拠、勢力構造の変化がわかります。なかなか興味深い読み物なのです。
(各社の敬称略)

―――――

 なお、幸いにして、私のデジタルカメラは3週間ほどして、綺麗な姿で手元に戻ってきました。動作にも何の障害もありません。

修理済みのマイデジカメ
 元気になって帰ってきてくれました

 今日から、拙ブログは6年目に入りました。これからもこのデジタルカメラと自転車をフルに活用して、ネタ探しに奔走したいと思っておりますので、ご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

 更新履歴
 2018/05/22
 画像のリンク切れを修正しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.10

ひらがなとカタカナの元の字

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てきました。TV版では『新世紀エヴァンゲリオン』だったのが、「ヱ」「ヲ」になったのにはなんらかの理由があるらしいですが、ネタバレになるのもどうかと思うので、ここでは言及しないでおきます。

 本来の理由はなんであれ、現状ではほとんど使われなくなった「ヱ」や、助詞以外での「ヲ」の用法を見ると、目を惹きますね。
 もともとは、「ヰ」「ヱ」「ヲ」などのワ行音も一般名詞で使われていましたが、今は一般的でありません。

 これがもっとさかのぼるとどうなるでしょうか。

 ひらがなは、万葉仮名の草書体を簡略にかいたものです。なので、もともとは漢字だったということですね。カタカナはどうでしょうか。これも万葉仮名の字画の一部分を略して作られたものなので、漢字でした。
 ひらがなの漢字は、草書体なので、崩し字です。漢字を崩して崩して、流して流して、現在のひらがなになりました。
 一方、カタカナは、万葉仮名の「一部」を抜き出したものです。その抜き出した部分は、元の漢字の「途中の部分」ではありません。必ず、初画か終画を抜き出しています(ものによっては、草書体や行書体の初画や終画、全画)。例を挙げますと、初画を抜いたものは「ト」は「止」の最初の二画です。また、終画を抜いたものは「奴」→「ヌ」などがあります。
 それらを一覧にしてみました。

 ひらがな
 あ…安 い…以 う…宇 え…衣 お…於
 か…加 き…幾 く…久 け…計 こ…己
 さ…左 し…之 す…寸 せ…世 そ…曾
 た…太 ち…知 つ…川 て…天 と…止
 な…奈 に…仁 ぬ…奴 ね…祢 の…乃
 は…波 ひ…比 ふ…不 へ…部(旁の阝) ほ…保
 ま…末 み…美 む…武 め…女 も…毛
 や…也     ゆ…由     よ…与
 ら…良 り…利 る…留 れ…礼 ろ…呂
 わ…和 ゐ…為     ゑ…恵 を…遠
 ん…无

 カタカナ
 ア…阿 イ…伊 ウ…宇 エ…江 オ…於
 カ…加 キ…幾 ク…久 ケ…介 コ…己
 サ…散 シ…之 ス…須 セ…世 ソ…曾
 タ…多 チ…千 ツ…州 テ…天 ト…止
 ナ…奈 ニ…二 ヌ…奴 ネ…祢 ノ…乃
 ハ…八 ヒ…比 フ…不 ヘ…部 ホ…保
 マ…末 ミ…三 ム…牟 メ…女 モ…毛
 ヤ…也     ユ…由     ヨ…与
 ラ…良 リ…利 ル…流 レ…礼 ロ…呂
 ワ…和 ヰ…井     ヱ…恵 ヲ…乎
 ン…尓

 このようにして、元の漢字を知っておくと、ひらがな、カタカナを上手く書けるようになります。特にひらがなは「流れ」が分かるので、バランスの良い字を書くことができます。

 さて、「ヱヴァンゲリヲン」を元の漢字に当てはめてみたらどうなるでしょうか。カナが出来たころ(平安時代)には、濁音符がなかったので、それを省かなければなりません。また小書きのカナもありません。しかし、HTMLではフォントを小さくできるので、その方法で「ア」の小書きを書いてみます。

 『恵宇尓介利乎尓 新劇場版:破』絶賛公開中。

 イメージがずいぶん変わりました。

 『破』はいいところで終わったので、次回作に期待しています。


・参考文献
 『国語学』 築島裕 東京大学出版会 1964/05 ISBN:413082001X
 『広辞苑 第五版』 新村出 岩波書店 1998/11/11 ISBN:4000801112

 更新履歴
 2018/05/22
 参考文献の前に置かれていた区切り線(―)を削除しました。
 第1段落の「TV版」を全角文字表記から半角文字表記に変更しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

2009.07.05

賛美さる藪の中での悪行

 今は昔のこと。京の男が妻を連れて、丹波の国へ行った。妻は丹波の国の出の女だったんだ。妻を馬に乗せて、自分は、矢十本ほどを背中の箙に入れて、弓を持って、その馬の後ろを付いて行った。そして、大江山に差し掛かったときに、長い太刀だけを腰に差した、若くたいそう強そうな男と出会って、共に山を越えることになったんだ。
 そうやって、二人の男は「どこへ行くのか」などと語らいながら、連れ立って山道を行っていると、若い男が、
「実は、俺の持っているこの太刀は、陸奥の国から伝来の、名のあるものなんだ。どうだい、見てくれよ」
と、言って、太刀を抜いて、京の男に見せた。その太刀は、言葉通り、実に美しく立派な太刀だった。京の男は、この太刀に瞬く間に魅せられてしまった。欲しくて欲しくてたまらなくなったんだ。若い男は、そんな京の男のありさまを見て、
「この太刀が要りようですかい? そんなに気に入ったのなら、持っていってくれて構いませんぜ。ただ、そのおまえさんが持っている弓と取り替えっこならね」
と、申し出た。京の男が持っている弓は、そうたいした品ではなかった。どこにでもあるもんだったんだ。太刀の立派さには、とうてい及ばない、ただの代物。おかしな話だろ。でも、この素晴らしい太刀に目が眩んだんだろうね、欲しいばかりの気持ちで、若い男の話に乗って、「これは、いい儲けものだ」と思いながら、さっさと取り替えたんだ。
 そうして、しばらく、道中を行っていると、また、若い男が言い出した。
「俺が、弓だけしか持っていないというのはおかしくないかい? 人が通りかかったら笑われやしないか? この山にいる間だけでいいから、矢を二本貸してくれやしないかな。おまえさんのためにもなることじゃないかい。こうやって、一緒に山越えをしているんだから、どっちが矢を持っていようと同じことじゃないかな」
 京の男はそれを聞くと、確かに言うとおりだな、と思って、また、いい太刀を手に入れて浮かれてたこともあるんだろう、言われるがままに、矢を二本、若い男に渡したんだ。そうして、若い男は、両手に弓と矢を持ち、京の男は、残りの矢を箙に入れただけで、弓を持たずに、太刀を腰に差していくことになった。
 日が高くなり、昼飯を食べようと、藪の中に入ろうとすると、若い男が、
「こんな人が近くを通りそうな所で飯を食べるのはみっともないぞ。もう少し、奥に入ろう」
と、行って、二人の男と女は、藪の奥へと、どんどん入っていった。
 ここらでいいだろう、となり、京の男が、妻を馬から降ろそうとしたところ、若い男は、突然、弓に矢をつがえて、引き絞り、京の男の真ん中に向けた。
「おい、おまえ。動くなよ。少しでも動いたら、あっという間に、お前の体をこの矢が突き通るぞ」
と、吐き捨てた。京の男は、こんなことは思ってもみなかったことだったので、体を動かすどころか、何も言うことさえできなかった。ただ、矢の真正面に突っ立っていることしかできなかった。若い男は、言葉を続けた。
「そのまま、奥の方へ行け。山奥に入れ」
と脅すと、京の男は、命が惜しいばかりに、言われるがまま、さらに七、八町ほど、山の奥へと進んでいった。そこまで来ると、さらに、
「さっきの太刀と、お前の刀をこっちへ投げろ」
と言い付けた。京の男は言われるままにするしかなかった。
 若い男は、投げ捨てられたその刀をすぐに取り上げると、京の男に飛び掛り、馬の引き縄で、木に強く縛り上げた。
 それから、若い男は、京の男の妻に目を向けた。妻は、年は二十歳ほど、身分は低いながらも、天性のものであろうか、魅惑する眼差しと、美しい顔つきをしていた。若い男は、この女の姿を見ると、心が奪われ、他のことも考えられなくなり、女の衣を引き脱がした。それでも、女は嫌がる風を見せなかった。ただ、強そうな男に言われるがまま、されるがまま、衣を脱いでいった。それを見て、若い男も着物を脱ぎ散らし、女を犯した。女は何も言わなかった。気に縛り付けられた京の男はそれを見ながらも、どうすることもできなかった。皆、どういう思いでいたんだろうか…。
 事が済み、若い男は立ち上がり、着物を着て、京の男の箙を背負い、太刀を腰に帯びて、弓を片手に、馬に乗った。そして、二人に淡々と言った。
「女、おまえが不憫だと思うが、他にしてやることは無い。俺は行く。おい、そこの男。お前に免じて、殺さずに、このまま行ってやる。ただ、人が来ないうちに早く行かないとならん。馬はいただいていく」
 そして、若い男は、馬を駆って姿を消した。行き先は分からない。
 若い男が遠くに行った後、妻は、男の縄を解いた。男はなんとも言いようの無い顔つきをしていた。女はぽつりぽつりと、だがしっかりと言った。
「あなたのお心は、何も言えないほど、情けないばかりです。今日からこの先々、あなたのようなお心では、きっと、頼みにできないでしょう」
 男は返す言葉が無かった。黙って、妻と共に丹波山を越えていった。
 若い男の心持ちは、なんとも太く、見上げたものだ。奴は、女の着物を奪っていくことが無かった。京の男の心は、どうしようもなく情けない。山の中で、たまたま行き会った男に弓矢を渡すなど、愚かとしか言いようが無い。
 若い男の行方か? 知らんな。噂にも上っていない。掻き消えた、としか言いようが無い。そういう風に語り継がれているな。

――――――――――

 『今昔物語集』巻29・第23話「妻を具して丹波の国へ行く男、大江山にして縛らるる語」の現代語訳です。2009年9月公開の映画『TAJOMARU』に合わせて訳してみました。
 もちろん、この説話は、『今昔物語集』中で一二を争うくらい有名なものだと思います。芥川龍之介の短編小説『藪の中』の原案、そして、『藪の中』を映画化した、黒澤明監督の『羅生門』の元になっているからです。
 本説話が、現在のところ『今昔物語集』以外に見られないことから、芥川がこれを題材にして小説を書いたことは疑いようがないでしょう。また、黒澤監督の『羅生門』はこの説話に巻29・第18話「羅城門の上層に上りて、死人を見たる盗人の語」をミックスして作られていることも、知られています。さて、映画『TAJOMARU』はどのようにこれらの題材をアレンジするのでしょうか。興味があります。
 芥川『藪の中』から、「藪の中」という慣用句が出来ています。それぞれに、食い違う発言から、「真実」が分からない、という意味で使われていますね。その意味と「藪」の雰囲気が見事に合っていたからこそ、慣用句にも成れたのでしょう。
 本説話では、藪の中の出来事は「藪の中」にはなっていません。詳細まではっきりと語り継がれています。誰が語り継いだのか? それは、現場にいた夫婦の他にないでしょう。このようなことは、隠そうとしても隠し果せないことです。
 この説話をお読みになった方は、「若い強そうな男」(原文「若キ男ノ大刀許ヲ帯タルガ糸強気ナル」)への話末評をどのように思いますか? 違和感を覚えませんか? 京の男の武具を言葉巧みに奪い、縛り上げ、その妻を犯し、馬をも盗んで、姿を消した、若い男に「心持ちが、太く、見上げたものだ」(原文「今ノ男ノ心、糸恥カシ。男、女の着物ヲ不奪取ザリケル」)と、悪行を犯しても、女の衣まで盗んでいかなかったことを誉めているのです。また、京の男を不甲斐ない存在にしています。無用心、無計画、単細胞、さんざんにその愚かさを責めています。これは、巻29の特性と言えるでしょう。巻29の副題は「付悪行」です。この世界で、仏法に縛られず自由に生きる悪の存在。彼らへの畏怖を描いている巻です。それゆえに、このような話末評になっているのでしょう。
 最後に、訳するに当たって、使わざるを得なかったやや難しいことばの意味の補足を書いておきます。「町」は、距離の単位で、一町は約100m。説話中では、七八町(7,800m)ということなので、かなり山奥での出来事だったことが分かります。「箙」(えびら)は背中に背負う形の矢を入れる竹製の筒です。今で言う「メッセンジャーバッグ」のようなものだとお考えください。
 できれば、本説話の原文をお読みいただいて、それから芥川『藪の中』、黒澤『羅生門』、そして、新作の『TAJOMARU』をご覧になると、より楽しめると思います。
 ちなみに、私は、『TAJOMARU』の映画の主題歌、B'zの『PRAY』も楽しみにしています。


 参考文献等
 『地獄変・邪宗門 好色・薮の中 他七篇』 芥川竜之介 岩波書店 1980/04/16 ISBN:4003107020
 『羅生門 デジタル完全版』(DVD) 監督・脚本:黒澤明 角川映画 2010/07/23
 『今昔物語集 五 (新日本古典文学大系37)』 森正人校注 岩波書店 1996/01/30 ISBN:4002400379
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

 更新履歴
 2018/05/22
 記事末尾を「参考」から「参考文献等」の表記に変更しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »