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2009.06.30

泣きわめく子どもに行基は何を見たか

 今は昔のお話しでございます。大僧正・行基さまは、文殊菩薩の化身であらせられたといわれております。
 ある時、行基さまが難波津に行かれまして、人々ともに、そこに河を通し、船着き場をこしらえました。造り終わり、手伝いをした人々に、仏の教えを説いていらっしゃいますと、その説法を、財を持つ者、持たない者、身分の上の者、下の者が、皆々、集まってきて、聞き入っておりました。
 集まった人々の中に、河内国、若江郡の川派郷に住む女が、子どもを抱いて、その説法の場におり、教えを聞いておりました。しかし、子どもは泣きわめき、ぐずり、母親に説法を聞かせる間を与えませんでした。その子どもというのが、年は十歳を越えているのですが、自ら立つことができず、いつも泣きわめき、ただ、つかの間も置かずに、ものを食べ続けるだけでした。
 それをご覧になった行基さまは、母親に、
「そこにいる、あなたの子ども、ここから連れ出して、すぐに、川の淵に捨ててしまいなさい」
と、お命じになられたのです。このお言葉を聞いて、そこにいた人々は、
「慈しみが深く、お心の広い聖人さまなのに、どういうことで『この子どもを捨ててしまいなさい』などと仰られるのであろうか」
と小声で話し合いました。母親は、子を愛しいと思う心を捨てきれず、行基さまの仰る通りに、川に投げ入れることはせずに、そのまま抱きかかえて、説法を聞いたのでした。
 次の日、教えの場に、また、その母親が子を抱いて来て、説法を聞いていたのです。やはりまた、こどもは「ひぃ、ひぃ、ぎゃあ、ぎゃあ」とわめいて、泣いたのです。集まっていた人々が、この子どもの泣き声のせいで、行基さまの説法を聞き取れないほどの騒ぎようでした。
 その時です。行基さまは、
「そこの女人よ。やはりその子どもを川の深き淵に投げ捨てなさい」
と、強く仰ったのです。母親は、二日続けて、このように命じられたことで、子どもを連れていることに耐えられなくなり、そのまま川の淵に行き、我が子をそこに投げ捨てたのです。
 すると、どうでしょう。子どもは一度、淵に沈んだものの、また浮かび上がり、自分の二の足でしっかりと川底に踏ん張り立ち、腕を乱暴に振り回し、血走った目を大きく見開いて、激しく憎憎しく恨めしそうな声を張り上げたのです。
「こんちくしょう!! いまいましい!! 俺は、あと三年は、ふんだくるつもりだったんだよ! ちくしょう、ちくしょう」
 母親は、我が子のこの異様な姿をを見て、怖ろしく、不思議に思いながら、説法の場に戻ってきました。そこで、行基さまは問われられました。
「どうしましたか。あなたは、我が子を淵に投げ入れましたか?」
母親は、我が子の異様なありさまを事細かに行基さまに申し上げたのです。
 それを聞き終わると、行基さまは、
「あなたが前世で、あの子どもに物を借りたまま、返さなかったのです。そのため、今生で、あなたの子どもになり、返さなかった分を貪り食べていたということです。あなたも、あの子どもも生まれ変わり、あの子どもは借りを取り戻し、あなたは、知らず知らずのうちに、借りを負っていた分を返していたわけです」
と、理由を仰られたのでした。これを聞いた人々は、行基さまが前世のこともはっきりとお知りになり、道理を教えてくださっていることを、貴く思い、心を打たれ、
「まさに、このお方は、仏様の生まれ変わりでいらっしゃる」
と、信じて、ますます、うやまったのでした。
 このお話しから思いますと、やはり、人から借りたものは、そっくり返さなければならなりません。そうしなければ、生まれ変わっても、その責めを受けることになる、と語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻17・第37話「行基菩薩、女人に悪しき子を教へ給ふ語」の現代語訳です。聖武天皇期のヒーロー、僧行基の霊験譚です。民間で布教を始め(私度僧)、初めは政府の弾圧を受けたものの、後に政府の方から大仏建立のために要請され、大僧正にまでなった人物のお話しです。
 冒頭で、彼は文殊菩薩の化身であることが語られます。このような語りで、生き菩薩である彼の特殊能力を強調し、彼らのような僧の霊験のあらたかさを示し、仏法の布教に一役買わせたのでしょう。
 今回の素材は、その布教での一場面です。母親と不思議な子どもの存在を見せた後、行基に異常とも言える言葉を言わせています。母親には自らの子どもを川に捨てるなど、とうていできることではありません。しかしながら、行基はしきりにそれを勧めます。行基のことばに結局押され、母親は我が子を川に投げ入れます。
 それまで、泣き喚くばかり、ただ食事はしっかりと食べ、それなのに、成長していないかのように立ち上がることの無い不思議な子どもが、その瞬間「異形の子ども」であったことが判明します。
 この転換の場面が異常なほどの迫力を見せます。立ち上がることができなかった子どもが、川中にすっくと立ち、怨呪のことばを吐くのです。ここで、母親はたいそう驚くのですが、読者・聞き手もまた驚くところです。
 非常な事態の原因を、行基が解きほぐします。これにより、前世、来世につながる今生の生き方の大切さを人々にさらに強く印象付けます。また、行基自身の特別さもそこから導き出されています。このような書き方は、『今昔物語集』に良く見られる形です。このようにモチーフを変えて、様々な様相を見せる本書のあり方は、『今昔物語集』に「どこから読んでも面白い書」という代名詞を与えているのです。


 『今昔物語集 四 (新日本古典文学大系36)』 小峯和明校注 岩波書店 1994/11/21 ISBN:4002400360
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2009.06.20

脱毛実感

 夏場になると、肌を露出する機会が増えます。女性はこの季節に合わせて、脱毛・除毛をするらしいですが、最近は、男性も露出する部分の体毛を気にして、脱毛などをすることが多いようです。

BOWZU

 「それ」と「脱毛」は別物だと思います。そこの永久脱毛を、確かなお覚悟があってされるのでしたら、止められることはないでしょうが…。誓約書を書かないといけないかもしれません。


 更新履歴
 2018/05/27
 画像のリンク切れを修正しました。

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2009.06.10

因果に縛られし妖しき蛇

 今は昔のお話しです。信濃守の某という方がいらっしゃいました。信濃の国での任を終え、京に上っておりますと、大きな蛇が付いてきたのです。道中に休むことがあれば、その蛇も、近くの藪の中に入り、出立を待ち、昼は、前に回ったり、後ろに下がったりして、ぴったりと付いてきて、夜は、衣を入れる櫃のそばでとぐろを巻いていたのです。
 守の家来が、
「これは、たいへん奇怪なことでございます。この蛇を殺してしまいましょう」
と申し上げたのですが、守は、
「いや、待ちなさい。決して殺してはならん。これには訳がありそうだ」
と仰り、
「この蛇が私たちを追ってくるのは、信濃の国の神のなさることでしょうか。それとも悪霊がたたりなのでしょうか。私には全く訳が分かりません。もし、私が間違ったことをしていたとしても、愚かな私にはそれを何なのかさえも分かりません。どうか、すぐに夢告げで、真のことをお示しくださいませ」
と、念じたのです。すると、その夜、守の夢の中に、まだら模様の水干袴をはいた男が現れ、守の前にひざまずいて、申し上げたのです。
「実は、私の長年の、憎き敵が、御衣の櫃の中に隠れているのです。あやつを殺そうとして、上京の列にお付きして参っている次第です。もし、あやつを首尾よくしとめることができましたら、すぐにでも国に帰るつもりでおります」
水干袴の男がそう言い終わるとともに、守は夢から覚められました。
 夜が明けて、守は、家来の者たちに夢を話して聞かせ、すぐに衣の櫃を開けてみると、そこには、年老いた鼠が一匹いたのです。その鼠は、たいへん恐がっている風で、人を見ても逃げようともせず、櫃の隅に小さく丸まっていました。家来たちはこれを見て、
「すぐに、この鼠を出して、捨て置きましょう」
と、守に申し出ましたが、守は、
「この蛇と、鼠は、前世からの宿敵だったのだな」
と、分かり、すぐに憐れみの心が深くからわきあがり、
「もし、この鼠を、外に捨て置いたら、きっと、蛇が飲み込んでしまうだろう。そうしたら、また来世でも宿敵のままになってしまう。そうならないように、善い報いがあるように取りはからい、蛇も鼠も共に救おう」
とお思いになられたのです。そして、その所に留まり、一日、蛇と鼠のために、法華経を書き写し、それを捧げることにしたのです。供の多くの者たちがそれぞれにお経を写しましたので、一日でそれは書きあがり、さっそく、連れていた僧に、ただ蛇と鼠のためだけに、作法をきちんと守って、法華経を捧げたのです。
 その夜のことです。守の夢に、二人の男が現れました。どちらも姿かたちが美しく、微笑みを含んで、立派な衣を着ておりました。その二人は、守の前に進み出て、恭しく畏まり、守に申し上げたのです。
「私たちは、遥か過去の世から仇同士となり、生まれ変わるごとに、お互いに殺しあってきました。そして、この世でも、「殺してしまおう」と思って、お付きして参ったのですが、あなた様の憐れみのお心で、私たちを救うために、一日で法華経を書き写し、捧げていただきました。この善き行いのお力によって、私たちは畜生道から解き放たれ、ただいまから、忉利天に生まれることができます。あなた様の広いお心とご恩、これから幾度生まれ変わろうとも、お返しすることができないほどです」
 このように二人の男は言い残し、共に天上へと昇っていきました。二人が居る間は、素晴らしい音色の音楽が天空に鳴り響いておりました。
 夜が明けて、守は夢から覚め、すぐに辺りを見回すと、付いてきていた蛇が死んでおりました。また、衣の櫃を開けてみると、その底に鼠も死んでいたのです。これを見たお供の者たちは、皆、たいへん貴いと感じ、涙が止まりませんでした。
 本当に、信濃守のお心はめったにない素晴らしいものでございます。このようなお心をお持ちになられたのも、前世から仏の道をお伝えになられていらっしゃったからなのでしょう。また、法華経のお力も不思議なものでございます。このことは、信濃守が京に上られて、お話になられたものが語り継がれているのでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻14・第2話「信濃の国、蛇と鼠との為に法花を写して救へる語」の現代語訳です。
 説話世界、特に『今昔物語集』では、蛇は、あまり良い象徴にはなっていません。もともと、仏教においては、人間から動物に生まれ変わることは「堕ちる」ことで、特に「堕蛇道」は、極めて甚だしい悪を犯した者が取ることになる道となっています。この悪は、瞋恚の情、物への執着、愛情(今でいう「愛情」とは違い、人や物に強いこだわりを持つことを意味しています)だったり、殺生だったり、と、多岐にわたっていますが、いずれも仏教の五戒に准じるもののようです。これらの「悪行」が強いものだと、その分、化身となる身が醜くなり、そこから脱することが難しくなります。
 しかし、この難しい状況から抜けさせることを示してこそ、仏の教え、つまり「経典」(この説話では法華経ですね)の威力の強さを知らしめることができるというわけです。 この説話で、悪から善への転換の様子は、夢告げに現れた蛇の化身の姿で分かります。はじめは「まだらの水干」(今で言うカジュアルウェアです)と袴を着て(原文「守ノ夢ニ、斑ナル水旱袴着タル男」)を着て、蛇の化身が上京の行列に付いてくる次第を述べて、鼠の存在を明らかにします。鼠は鼠で、衣を入れている箱(原文「櫃」)の隅っこで、老いさらばえた姿で登場します。
 蛇の夢告げのあった朝から、総出で、法華経の写経が行われます。その甲斐があり、次の日の夢告げで、蛇と鼠が仲良く、綺麗な衣を着て登場し、信濃守にお礼を言います(原文「守ノ夢ニ、二人ノ男有リ。皆形皃直クシテ咲ヲ含テ、微妙ノ衣ヲ着テ」)。毒々しいまだら模様の水干から、微笑みを浮かべて「微妙の衣」に身を包んで登場して、視覚的に転換したことを読者に知らせています。もちろん「微妙」というのは、現代語の「ビミョー」とは違って、元々の「立派な美しい」という意味です。カジュアルウェアに対して、礼服、タキシードに当たる服になるでしょうか。
 さて、この現代語訳を読んでいただいた方の中で、「あれ? 同じような話しがあったような…」とお思いになられた方もいらっしゃると思います。同じような話しというのは、あの有名な「道成寺説話」「道成寺縁起」のことでしょう。若い僧に恋慕の情を抱いた女性が、約束を破ったその僧に対しての怒りで蛇に変化し、結果、僧を焼き殺します。その現場となった寺の僧の夢に若い僧が、女と共に堕蛇道し、それを救って欲しいと懇願します。それを聞いた聖人は、二人の為に法華経を書写することで、二人ともに、天界に生まれ変わることとなります。
 今回、現代語訳した説話と、道成寺説話は、モチーフもテーマも、極めて似ています。実は、この巻14の第2話の次、第3話が道成寺説話なんです。『今昔物語集』は「二話一類」と呼ばれている、説話同士の繋がりがあることが分かっています。この二つの説話は、それが顕著に見て取れる一例として、取り上げてみました。


 『今昔物語集 三 (新日本古典文学大系35)』 池上洵一校注 岩波書店 1993/05/28 ISBN:4002400352
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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