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2009.06.10

因果に縛られし妖しき蛇

 今は昔のお話しです。信濃守の某という方がいらっしゃいました。信濃の国での任を終え、京に上っておりますと、大きな蛇が付いてきたのです。道中に休むことがあれば、その蛇も、近くの藪の中に入り、出立を待ち、昼は、前に回ったり、後ろに下がったりして、ぴったりと付いてきて、夜は、衣を入れる櫃のそばでとぐろを巻いていたのです。
 守の家来が、
「これは、たいへん奇怪なことでございます。この蛇を殺してしまいましょう」
と申し上げたのですが、守は、
「いや、待ちなさい。決して殺してはならん。これには訳がありそうだ」
と仰り、
「この蛇が私たちを追ってくるのは、信濃の国の神のなさることでしょうか。それとも悪霊がたたりなのでしょうか。私には全く訳が分かりません。もし、私が間違ったことをしていたとしても、愚かな私にはそれを何なのかさえも分かりません。どうか、すぐに夢告げで、真のことをお示しくださいませ」
と、念じたのです。すると、その夜、守の夢の中に、まだら模様の水干袴をはいた男が現れ、守の前にひざまずいて、申し上げたのです。
「実は、私の長年の、憎き敵が、御衣の櫃の中に隠れているのです。あやつを殺そうとして、上京の列にお付きして参っている次第です。もし、あやつを首尾よくしとめることができましたら、すぐにでも国に帰るつもりでおります」
水干袴の男がそう言い終わるとともに、守は夢から覚められました。
 夜が明けて、守は、家来の者たちに夢を話して聞かせ、すぐに衣の櫃を開けてみると、そこには、年老いた鼠が一匹いたのです。その鼠は、たいへん恐がっている風で、人を見ても逃げようともせず、櫃の隅に小さく丸まっていました。家来たちはこれを見て、
「すぐに、この鼠を出して、捨て置きましょう」
と、守に申し出ましたが、守は、
「この蛇と、鼠は、前世からの宿敵だったのだな」
と、分かり、すぐに憐れみの心が深くからわきあがり、
「もし、この鼠を、外に捨て置いたら、きっと、蛇が飲み込んでしまうだろう。そうしたら、また来世でも宿敵のままになってしまう。そうならないように、善い報いがあるように取りはからい、蛇も鼠も共に救おう」
とお思いになられたのです。そして、その所に留まり、一日、蛇と鼠のために、法華経を書き写し、それを捧げることにしたのです。供の多くの者たちがそれぞれにお経を写しましたので、一日でそれは書きあがり、さっそく、連れていた僧に、ただ蛇と鼠のためだけに、作法をきちんと守って、法華経を捧げたのです。
 その夜のことです。守の夢に、二人の男が現れました。どちらも姿かたちが美しく、微笑みを含んで、立派な衣を着ておりました。その二人は、守の前に進み出て、恭しく畏まり、守に申し上げたのです。
「私たちは、遥か過去の世から仇同士となり、生まれ変わるごとに、お互いに殺しあってきました。そして、この世でも、「殺してしまおう」と思って、お付きして参ったのですが、あなた様の憐れみのお心で、私たちを救うために、一日で法華経を書き写し、捧げていただきました。この善き行いのお力によって、私たちは畜生道から解き放たれ、ただいまから、忉利天に生まれることができます。あなた様の広いお心とご恩、これから幾度生まれ変わろうとも、お返しすることができないほどです」
 このように二人の男は言い残し、共に天上へと昇っていきました。二人が居る間は、素晴らしい音色の音楽が天空に鳴り響いておりました。
 夜が明けて、守は夢から覚め、すぐに辺りを見回すと、付いてきていた蛇が死んでおりました。また、衣の櫃を開けてみると、その底に鼠も死んでいたのです。これを見たお供の者たちは、皆、たいへん貴いと感じ、涙が止まりませんでした。
 本当に、信濃守のお心はめったにない素晴らしいものでございます。このようなお心をお持ちになられたのも、前世から仏の道をお伝えになられていらっしゃったからなのでしょう。また、法華経のお力も不思議なものでございます。このことは、信濃守が京に上られて、お話になられたものが語り継がれているのでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻14・第2話「信濃の国、蛇と鼠との為に法花を写して救へる語」の現代語訳です。
 説話世界、特に『今昔物語集』では、蛇は、あまり良い象徴にはなっていません。もともと、仏教においては、人間から動物に生まれ変わることは「堕ちる」ことで、特に「堕蛇道」は、極めて甚だしい悪を犯した者が取ることになる道となっています。この悪は、瞋恚の情、物への執着、愛情(今でいう「愛情」とは違い、人や物に強いこだわりを持つことを意味しています)だったり、殺生だったり、と、多岐にわたっていますが、いずれも仏教の五戒に准じるもののようです。これらの「悪行」が強いものだと、その分、化身となる身が醜くなり、そこから脱することが難しくなります。
 しかし、この難しい状況から抜けさせることを示してこそ、仏の教え、つまり「経典」(この説話では法華経ですね)の威力の強さを知らしめることができるというわけです。 この説話で、悪から善への転換の様子は、夢告げに現れた蛇の化身の姿で分かります。はじめは「まだらの水干」(今で言うカジュアルウェアです)と袴を着て(原文「守ノ夢ニ、斑ナル水旱袴着タル男」)を着て、蛇の化身が上京の行列に付いてくる次第を述べて、鼠の存在を明らかにします。鼠は鼠で、衣を入れている箱(原文「櫃」)の隅っこで、老いさらばえた姿で登場します。
 蛇の夢告げのあった朝から、総出で、法華経の写経が行われます。その甲斐があり、次の日の夢告げで、蛇と鼠が仲良く、綺麗な衣を着て登場し、信濃守にお礼を言います(原文「守ノ夢ニ、二人ノ男有リ。皆形皃直クシテ咲ヲ含テ、微妙ノ衣ヲ着テ」)。毒々しいまだら模様の水干から、微笑みを浮かべて「微妙の衣」に身を包んで登場して、視覚的に転換したことを読者に知らせています。もちろん「微妙」というのは、現代語の「ビミョー」とは違って、元々の「立派な美しい」という意味です。カジュアルウェアに対して、礼服、タキシードに当たる服になるでしょうか。
 さて、この現代語訳を読んでいただいた方の中で、「あれ? 同じような話しがあったような…」とお思いになられた方もいらっしゃると思います。同じような話しというのは、あの有名な「道成寺説話」「道成寺縁起」のことでしょう。若い僧に恋慕の情を抱いた女性が、約束を破ったその僧に対しての怒りで蛇に変化し、結果、僧を焼き殺します。その現場となった寺の僧の夢に若い僧が、女と共に堕蛇道し、それを救って欲しいと懇願します。それを聞いた聖人は、二人の為に法華経を書写することで、二人ともに、天界に生まれ変わることとなります。
 今回、現代語訳した説話と、道成寺説話は、モチーフもテーマも、極めて似ています。実は、この巻14の第2話の次、第3話が道成寺説話なんです。『今昔物語集』は「二話一類」と呼ばれている、説話同士の繋がりがあることが分かっています。この二つの説話は、それが顕著に見て取れる一例として、取り上げてみました。


 『今昔物語集 三 (新日本古典文学大系35)』 池上洵一校注 岩波書店 1993/05/28 ISBN:4002400352
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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