三百六十五日、玉子焼きごはんの果てに
今は昔のお話しです。震旦の隋の世、文帝の代の頃のこと。冀州のはずれに、ある一家がありました。その家には、十三歳の子どもがおりました。この子どもは、心持ちがいささか悪く、いつも、隣の家の鶏が卵を産むたびに、こっそりと盗み出して、焼いて食べておりました。
そんなある日、朝早く、まだ村の人々が起き出す前のことです。家の門を叩き、子どもを呼び出す声を、父親が寝室で耳に留めました。父親は、子どもを起こして、それを聞かせました。子どもが恐る恐る門を開けて出てみると、一人の役人が立っていて、子どもに「役所より参った。おぬしを召しだす。すぐに付いて参れ」と言いつけました。子どもは、「僕を役人にしてくれるためにお召しになるんですか? それでしたら、ちょっと待ってください。今、服を着ていなくて裸なんです。部屋に戻って、服を着てからまた来ます」と答えました。しかし、役人はそれを全く聞き入れず、引き出すようにして子どもを連れ出し、そのまま、村の門を出て行きました。村の外は、もう何の種も蒔かれておらず、桑畑になっています。
子どもは、役人に連れられて、村の外に出ると、すぐその道の脇に、小さくはありましたが、一つの城があったのです。その城の東西南北には、門があり、その城門、楼閣は、全てが真っ赤に塗られており、たいそうものものしい有様でした。こんなところに、このような城があるというのは、全く見たことがありません。子どもはこれをいぶかしく思い、引き立てる役人に「いつから、ここに、こんな城ができたんですか」と訊きました。しかし、役人は、厳しく叱りつけるだけで、それに答えることはありませんでした。城の北門に着くと、役人は子どもをそこから城の中に押し込みました。子どもはされるがままに城の門をくぐると、門はたちまち閉じてしまい、誰一人居なくなりました。不思議なことに、城壁の中には、建物が一つもありません。城壁がぐるりと囲むだけの、空っぽの城でした。
子どもは、呆然とその空っぽの城の中に立ちすくんでいると、足元がおかしいことに気付きました。地面がだんだんと熱くなり、一面が焼けた灰になり、火が上がってきました。子どもの足は、ずぶずぶと熱い灰に飲み込まれていき、くるぶしが埋まるほどです。子どもは、すぐさま叫び声を上げて、開いている南門へと走っていきました。しかし、そこから出ようとするや、ばたりと閉じてしまうのです。そして、他の三つの門を見ると、開いていたので、そちらへと走ります。たどり着くと閉じる。振り返ってみると、他の門は開いている。それを繰り返して、ただ火に焼けた灰の地を走り回るだけで、城から出ることはできませんでした。
村では、働きに出る時間になっていましたので、人々が田に出てみると、見知っている子どもが、桑畑の中を、大騒ぎしながら走り回っているのを見つけました。村人たちは、これを見て、「あの子は、いったい、どうしちまったんだ? 服も着ないで桑畑の中を一人で走り回ってるぞ」と言い合いました。しばらく、見ておりましたが、一向に走るのを止めるようではありません。村人は、子どもを放っておいて、畑仕事に行きました。そして、夕ごはん時になり、村人はまた、家へと帰っていきました。
その時、村人たちは、子どもの父親と出会いました。父親は「おまえさん方、わしの子どもを見やせんでしたか? 今朝早くに、役人に呼び出されて、そのまま帰ってこんのですわ」と話すと、村人たちは「おまえさんのところの子どもは、南の桑畑の中で走り回って遊んどりましたぞ。呼んではみたが、答えようともせんかったな」と、朝の子どもの姿を話してきかせました。父親はそれを聞いて、桑畑に行ってみると、村人たちが言うとおり、子どもは必死に走り回っていました。父親が大声で子どもを呼ぶと、ふっ、と、子どもは立ち止まり、父親の方を向いて立ち尽くしていました。
子どもは、父親の声が聞こえたかと思うと、目の前の全てが消え失せ、桑畑の真ん中に居ることに気付きました。そして、そのまま、父親のほうに倒れこみ、泣きじゃくりながら、一部始終を話しました。父親はそれを聞いて、たいそう驚き、薄暗い中で子どもの足を見ると、ふとももは血まみれで焼けただれ、膝から下は、真っ黒に焼け焦げていました。父親は子どもを抱きかかえて家に帰り、子どもともども泣きながら、長い間をかけて、足のけがを治しました。ようやく、ももから上は傷口はふさがり元のようになりましたが、膝から下は、結局、焼け切って、骨だけになってしまいました。この話しを聞き、村人たちは、子どもが走り回っていた桑畑を見に行ってみると、子どもの足跡はたくさんありましたが、灰や炭は、粉一粒もありませんでした。
この一件で、鶏の卵を焼いて食べて、孵すことをさせない罪を知ることとなったのです。村人たちは、皆、「このような殺生をすると、生きている間にその報いをうけることになる」と考え、戒めを守り、永らく殺生をしなかったと語り継がれておりますよ。
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『今昔物語集』巻9・第24話「震旦冀洲の人の子、鶏の卵を食して現報を得たる語」の現代語訳です。
「物価の優等生」とも呼ばれ、毎日のように、私たちの食卓に上がる玉子。その玉子を食べたら、殺生戒を破ったということで、足が丸焼けになるという報いを受けるというお話しです。こ、怖いですね。これで、足丸焼けの刑になるのでしたら、現代では、日本中の人が足丸焼けです。
興味深いのは、盗犯の罪ではなく、殺生の罪だけに対して現報を受けているというところです。仏教の戒めの中でも、より上位の殺生戒が適用されたのでしょう。
村の外に突然現れた城壁。震旦(中国)の城壁ですので、日本のお城の城壁とは違い、街全体をぐるりと囲むようにできている城壁のことです。その門をくぐると、子どもだけが異界の幻想へと誘われます。一歩外は現実世界で、村人は普通に生活をし、城壁の中=桑畑が、異界であることを強調する目撃者の役割を負っています。『今昔』では、異界に入り込んだ人を目撃させることで、説話化させることが多々ありますが、普通は目撃者を同じ異界へと連れ込み、その様子を見させます。しかし、この説話は、当事者である子どもだけが異界へと行き、その他の人は異界を外から見る、という珍しい形を取っています。
子どもは、受けた罰のために、膝から下は骨だけ、太ももから肉が付くという結果になります。この形は、鶏の足そのものです。現報を、原因にちなんだ形で表し、鶏の卵を食べるという罪の結果、というのをさらに強調しているわけです。
ちなみに、現在は、この鶏の足も「もみじ」と呼ばれ、食材として売られています。コラーゲンたっぷりで、出汁を取るのに良いのだそうです。鶏に感謝して、お肌をつるつるにしましょう。
参考文献等
『365日たまごかけごはんの本』 T.K.G.プロジェクト 読売連合広告社 2007/09/20 ISBN:9784990378806
『今昔物語集 二 (新日本古典文学大系34)』 小峯和明校注 岩波書店 1999/03/19 ISBN:4002400344
現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。
更新履歴
2018/05/27
記事末尾の表記を「参考」から「参考文献等」に変更しました。
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