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2009.05.30

三百六十五日、玉子焼きごはんの果てに

 今は昔のお話しです。震旦の隋の世、文帝の代の頃のこと。冀州のはずれに、ある一家がありました。その家には、十三歳の子どもがおりました。この子どもは、心持ちがいささか悪く、いつも、隣の家の鶏が卵を産むたびに、こっそりと盗み出して、焼いて食べておりました。
 そんなある日、朝早く、まだ村の人々が起き出す前のことです。家の門を叩き、子どもを呼び出す声を、父親が寝室で耳に留めました。父親は、子どもを起こして、それを聞かせました。子どもが恐る恐る門を開けて出てみると、一人の役人が立っていて、子どもに「役所より参った。おぬしを召しだす。すぐに付いて参れ」と言いつけました。子どもは、「僕を役人にしてくれるためにお召しになるんですか? それでしたら、ちょっと待ってください。今、服を着ていなくて裸なんです。部屋に戻って、服を着てからまた来ます」と答えました。しかし、役人はそれを全く聞き入れず、引き出すようにして子どもを連れ出し、そのまま、村の門を出て行きました。村の外は、もう何の種も蒔かれておらず、桑畑になっています。
 子どもは、役人に連れられて、村の外に出ると、すぐその道の脇に、小さくはありましたが、一つの城があったのです。その城の東西南北には、門があり、その城門、楼閣は、全てが真っ赤に塗られており、たいそうものものしい有様でした。こんなところに、このような城があるというのは、全く見たことがありません。子どもはこれをいぶかしく思い、引き立てる役人に「いつから、ここに、こんな城ができたんですか」と訊きました。しかし、役人は、厳しく叱りつけるだけで、それに答えることはありませんでした。城の北門に着くと、役人は子どもをそこから城の中に押し込みました。子どもはされるがままに城の門をくぐると、門はたちまち閉じてしまい、誰一人居なくなりました。不思議なことに、城壁の中には、建物が一つもありません。城壁がぐるりと囲むだけの、空っぽの城でした。
 子どもは、呆然とその空っぽの城の中に立ちすくんでいると、足元がおかしいことに気付きました。地面がだんだんと熱くなり、一面が焼けた灰になり、火が上がってきました。子どもの足は、ずぶずぶと熱い灰に飲み込まれていき、くるぶしが埋まるほどです。子どもは、すぐさま叫び声を上げて、開いている南門へと走っていきました。しかし、そこから出ようとするや、ばたりと閉じてしまうのです。そして、他の三つの門を見ると、開いていたので、そちらへと走ります。たどり着くと閉じる。振り返ってみると、他の門は開いている。それを繰り返して、ただ火に焼けた灰の地を走り回るだけで、城から出ることはできませんでした。
 村では、働きに出る時間になっていましたので、人々が田に出てみると、見知っている子どもが、桑畑の中を、大騒ぎしながら走り回っているのを見つけました。村人たちは、これを見て、「あの子は、いったい、どうしちまったんだ? 服も着ないで桑畑の中を一人で走り回ってるぞ」と言い合いました。しばらく、見ておりましたが、一向に走るのを止めるようではありません。村人は、子どもを放っておいて、畑仕事に行きました。そして、夕ごはん時になり、村人はまた、家へと帰っていきました。
 その時、村人たちは、子どもの父親と出会いました。父親は「おまえさん方、わしの子どもを見やせんでしたか? 今朝早くに、役人に呼び出されて、そのまま帰ってこんのですわ」と話すと、村人たちは「おまえさんのところの子どもは、南の桑畑の中で走り回って遊んどりましたぞ。呼んではみたが、答えようともせんかったな」と、朝の子どもの姿を話してきかせました。父親はそれを聞いて、桑畑に行ってみると、村人たちが言うとおり、子どもは必死に走り回っていました。父親が大声で子どもを呼ぶと、ふっ、と、子どもは立ち止まり、父親の方を向いて立ち尽くしていました。
 子どもは、父親の声が聞こえたかと思うと、目の前の全てが消え失せ、桑畑の真ん中に居ることに気付きました。そして、そのまま、父親のほうに倒れこみ、泣きじゃくりながら、一部始終を話しました。父親はそれを聞いて、たいそう驚き、薄暗い中で子どもの足を見ると、ふとももは血まみれで焼けただれ、膝から下は、真っ黒に焼け焦げていました。父親は子どもを抱きかかえて家に帰り、子どもともども泣きながら、長い間をかけて、足のけがを治しました。ようやく、ももから上は傷口はふさがり元のようになりましたが、膝から下は、結局、焼け切って、骨だけになってしまいました。この話しを聞き、村人たちは、子どもが走り回っていた桑畑を見に行ってみると、子どもの足跡はたくさんありましたが、灰や炭は、粉一粒もありませんでした。
 この一件で、鶏の卵を焼いて食べて、孵すことをさせない罪を知ることとなったのです。村人たちは、皆、「このような殺生をすると、生きている間にその報いをうけることになる」と考え、戒めを守り、永らく殺生をしなかったと語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻9・第24話「震旦冀洲の人の子、鶏の卵を食して現報を得たる語」の現代語訳です。
 「物価の優等生」とも呼ばれ、毎日のように、私たちの食卓に上がる玉子。その玉子を食べたら、殺生戒を破ったということで、足が丸焼けになるという報いを受けるというお話しです。こ、怖いですね。これで、足丸焼けの刑になるのでしたら、現代では、日本中の人が足丸焼けです。
 興味深いのは、盗犯の罪ではなく、殺生の罪だけに対して現報を受けているというところです。仏教の戒めの中でも、より上位の殺生戒が適用されたのでしょう。
 村の外に突然現れた城壁。震旦(中国)の城壁ですので、日本のお城の城壁とは違い、街全体をぐるりと囲むようにできている城壁のことです。その門をくぐると、子どもだけが異界の幻想へと誘われます。一歩外は現実世界で、村人は普通に生活をし、城壁の中=桑畑が、異界であることを強調する目撃者の役割を負っています。『今昔』では、異界に入り込んだ人を目撃させることで、説話化させることが多々ありますが、普通は目撃者を同じ異界へと連れ込み、その様子を見させます。しかし、この説話は、当事者である子どもだけが異界へと行き、その他の人は異界を外から見る、という珍しい形を取っています。
 子どもは、受けた罰のために、膝から下は骨だけ、太ももから肉が付くという結果になります。この形は、鶏の足そのものです。現報を、原因にちなんだ形で表し、鶏の卵を食べるという罪の結果、というのをさらに強調しているわけです。
 ちなみに、現在は、この鶏の足も「もみじ」と呼ばれ、食材として売られています。コラーゲンたっぷりで、出汁を取るのに良いのだそうです。鶏に感謝して、お肌をつるつるにしましょう。


 参考文献等
 『365日たまごかけごはんの本』 T.K.G.プロジェクト 読売連合広告社 2007/09/20 ISBN:9784990378806
 『今昔物語集 二 (新日本古典文学大系34)』 小峯和明校注 岩波書店 1999/03/19 ISBN:4002400344
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

 更新履歴
 2018/05/27
 記事末尾の表記を「参考」から「参考文献等」に変更しました。

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2009.05.20

体が透けたら、何をする?

 今は昔の話し。百巻の書を読み通したという男がおったそうな。その男が、仲間二人と悪知恵を働かせて、「陰行の薬」というものを作った。「陰行の薬」とは……、ありていに言えば、姿を消す薬じゃな。詳しくは知らんが、ヤドリギを五寸ほどに切って、百日の間陰干しにする。それが薬になるんだと。法力の術を使って、そのヤドリギを髪に刺すと、たちまちのうちに姿が消えてしまうと言われている。皆がよく知っている「隠れ蓑」と同じものだな。他の人からは全く姿が見えなくなってしまう。
 さて、男たちはそのヤドリギで何をしたと思う? いかにも俗な男のやりそうなことじゃよ。三人は、うまく示し合わせて、秘術のヤドリギを髪に刺して、国王の宮殿に入り込んで、そこに住まう数多くのお后さまをはじめとした女たちに手を出した。
 お后さまは、姿が見えないものに触られることに恐れおののいて、国王にこっそりと、
「最近、姿が見えない者が近寄ってきて、わたくしたちの体に触るのです。いかがしたらよろしいのでしょう…」
と、国王にこっそりと告げたんじゃ。
 すると、国王は賢いお方でいらっしゃったため、これを聞いて、
「なんだと! ふむ…、これは『陰行の薬』を作ってやっていることだな。これを仕留めるには、粉を宮殿の床に隙間無く撒くのがよかろう。そうすれば、姿は見えなくとも、足形が付いて、どこにいるのかが、はっきりと分かる」
と、計をめぐらされて、おしろいの粉をたくさん取り寄せ、宮殿の床にびっしりと撒かせたんじゃ。
 そんな中、また、あの三人の男が宮殿に現れた。国王の計らいが上手くいって、宮殿の床には姿無き三人の足あとがぺたりぺたり。その足あとの主をめがけて、兵士たちが刀を振り下ろした。たちまちのうちに二人が刀の刃を受けた……、のじゃが、そのうち一人は命を失うほどの傷ではなくて、慌てて、国王の近くにいらっしゃったお后さまの衣の裾を頭からすっぽりと被ったんじゃ。その国の決まりごとで、国王の周り七尺のところには刀を持っては近づけない、というのがあったもんでな。裾を被ったその男は、ひたすらに心の中で神仏に誓いを立てた。そのおかげがあったんじゃろう、国王は、残りの二人の男が切り伏せられたところで、
「やはり、『陰行の術』であったな。どうやらこの二人だけらしい。よし、兵ども引くがよい」
とおっしゃっり、刀を収めさせた。お后さまの裾を被った男は、命拾いをしたのさ。その後、人目をしのんで、気を配りながら、こっそりと、宮殿の外に逃げ出すことができたのじゃ。
 この事のあと、男は「魔術の法は使うべきではない。身のためにはならない」と思い、出家をして、仏法を習い、人々に伝えたということじゃ。その男こそ、竜樹菩薩さま。後に、人々にたいそう尊ばれたと、語り継がれておるのじゃよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻4・第24話「竜樹、俗の時、陰行の薬を作れる語」の現代語訳です。
 「隠れ蓑伝説」は古今東西にあるようです。この説話では、ヤドリギをかんざしのようにして髪に刺すと姿が消えるようになっていますが、「隠れ蓑」はそう呼ばれるとおり、「蓑≒コート」のようになっていて、ぐるりと身を包むようにすると、姿が消えうせてしまいます。
 昔話では「天狗の隠れ蓑」というのが有名なようです。天狗をだまして上手く隠れ蓑をいただいた男が、あれこれといたずらをして、最後には、酒屋で大酒を飲む。ぐでんぐでんに酔っ払って、家に帰って、隠れ蓑を脱いで、ぐーぐーと眠っていると、男の妻が隠れ蓑をゴミだと思って燃やしてしまう。起きた男はあわてるものの、ちょっと考えて、隠れ蓑の灰を体に塗ってみると、これまたうまい具合に姿が消えます。ラッキー、とばかりにまた酒を飲みに行くと、今度は「灰」なので、酒を飲んだ口の周りだけが洗い流されて、ばれてしまい、大目玉、という筋になっています。やっぱり、隠れ蓑で成功しないんですね。しかも、最後は、「粉」と「灰」と似たようなもので失敗するので、隠れ蓑伝説の源泉は同じところにあるのかもしれません。
 たいていは、姿が見えなくなったら、下世話ないたずらをしたくなるようですね。ついつい本能に負けてしまうのでしょう。人間の心の弱さを示すのに「透明化」という表現が使われているのかもしれません。だからこそ、その弱さから生じた大事件を大きく反転させて、竜樹菩薩の尊さを謂っていると考えられますね。

 マンガ『ドラえもん』では、「とうめいマント」という名前で出てきます。ビニールのような透明な布をすっぽりと被ると、姿が見えなくなります。同じような道具がいくつか出てきますが、一番知られている道具ではないでしょうか。
 ちなみに、「とうめいマント」が出てくる「のび太の結婚前夜」(てんとう虫コミックス『ドラえもん』・第25巻)は、名作中の名作として名高い作品です。長編映画の同時上映作品として映画化もされています。こちらは透明になった姿を良いように使っています。
 マンガ・DVD、どちらもお薦めです。機会がおありになりましたら、ご覧くださいませ。


 参考
 『ドラえもん 第25巻』 藤子・F・不二雄 小学館 1982/07/28 ISBN:4091405053
 『映画 のび太の結婚前夜/ザ・ドラえもんズ おかしなお菓子なオカシナナ?/ドラミちゃん アララ・少年山賊団』(DVD) 原作:藤子・F・不二雄 監督・脚本:米谷良知 ポニーキャニオン 2003/11/19
 『今昔物語集 一 (新日本古典文学大系33)』 今野達校注 岩波書店 1999/07/28 ISBN:4002400336
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

 更新履歴
 2018/05/27
 本文中の一部の約物を修正しました。
 記事末尾の表記を「参考」から「参考文献等」に変更しました。

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2009.05.10

「民」の部分と「宿」の部分を分けたとも考えられる

『民宿』の看板

 自宅の方は大々的に掲載する必要はあまり無いと思いました。むしろお止めになった方がよろしいかと……。


 更新履歴
 2018/05/27
 本文中の一部の約物を修正しました。
 画像のリンク切れを修正しました。

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