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2009.04.30

お花見の風景

 桜前線はそろそろ津軽海峡を渡って、北海道に入ったようです。名古屋では、もうすっかりと葉桜になり、ぽかぽかを越して、ほかほか陽気になって、初夏の気候です。
 名古屋が満開をやや過ぎた頃、私も、散歩がてらお花見に行ってきました。場所は、名古屋のお花見スポット「鶴舞公園」です。名古屋の中心部に近く、桜以外の花も咲いていて、やや葉っぱが目立った桜の木でしたが、お花見気分を味わえました。
 お花見で大変なのが「場所取り」ですね。会社のお花見会では、新入社員・若手の方々がその任に当たるようです。できるだけ桜が良く見える場所が良い、できるだけ通用の便が良いところを狙う、お手洗いが近いほうがいいけど、お手洗いの真裏では、いくら桜が満開でもちょっと避けたい…、等々。場所の選定には苦労するようです。よって、他の人よりも早く場所に出向いて、紐を張ったり、ブルーシートを広げることが求められます。しかし、お花見場所管理側も、無茶な場所取りは、牽制します。

「縄張り禁止」の立て札

 この立て札は、無茶な場所取りをしようとする人に向けてのものか、犬や猫に向けてのものか、ちょっと悩んでしまいます。が、犬や猫はおそらく日本語は読めないと思うので、人に向けてのものだろうと想像が付きます。
 来年、場所取りをする方は、木が傷むので、縄を張らないように気をつけてください。

 通常の場所取りは、このようにブルーシートが用いられるようです。

場所取り「59」
 謎の数字

 でも、段ボール箱に書かれた数字の意味が分かりませんでした。暗号だと考えられますので、何かミッションインポッシブっているのだろうと思います。

 多くの人が集まるところには、商売っ気も集まるのはつきもので、公園内の歩道沿いにみっしりと屋台が出ていました。定番の、たこ焼き、お好み焼き、焼きそばなどの炭水化物系に、イカ焼き、焼き鳥、豚串などの肉っ気、数回遊んだら、飽きるか、壊れるかしそうなカラフルなおもちゃといったところが多かったです。そうそう、名古屋名物のたません屋さんもありました。
 そんなたくさんの屋台の中で、私がもっとも心を惹かれたのが、この屋台さん。

アメリカンドッグ屋さん
 こういう屋台の色使いは派手ですね

 アメリカンドッグ屋さんです。ソーセージがホットケーキミックスのような甘い粉をまとって、揚げられているお菓子のような、おかずのような、よくあるものの、考えてみれば不思議な食べ物です。
 このお店は、洋風、特にアメリカを強調していますね。「アメリカンドッグ」という真っ赤な文字だけで、アメリカということが分かるのですが、垂れ幕の上の部分に、青の文字でさらに「アメリカ生まれの」と強調しています。日本人の洋風志向を刺激しているのでしょう。

アメリカンドッグ屋さん・垂れ幕
 アメリカではなく、ここで作られています

 そんなアメリカンドッグ屋さんですが、こまごました所で、破綻をきたしています。

アメリカンドッグ屋さん・あおり文句
 日本一ウマイ、アメリカ

 あれだけ、アメリカを強調していましたが、美味しさは「日本一ウマイ!」です。確かに名古屋は日本なので、これで間違いはありません。むしろ「アメリカ一ウマイ!」とした方がおかしくなります。でも、「あれだけアメリカっぽさをだしているのに『日本一』はいかんだろう」という気にさせることは、避けられそうにありません。

 いや、これだけで、判断してはいけませんでした。日本にいながら、アメリカの味の素晴らしさを出していました。

アメリカンドッグ屋さん・お知らせ
 アメリカっぽい

 英語の説明書きに、日本語のルビ。
 「アメリカンドッグ」が「フレンチドッグ」になっているのはご愛嬌でしょう。

 Ketchup   and  mustard
 ケチャップ  と   カラシは

 間違ってはいません。ちゃんと対照になっています。

 Please help yourself!!
 ご自由 に どうぞ!!

 こっちは正しいとは言いがたい気がします。しかし、言わんとすることは分かります。何にせよ、親切なお店ということは間違いありません。

 これだけ親切なアメリカンドッグに興味わきましたが、お店の方が見当たらなかったので、購入はいたしませんでした。

 いい右横書きも持ってます。

グッドンカリメア
 発音すると良さが分かります

 お花見はやっぱり楽しいです。来年も楽しみです。

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2009.04.20

黄金郷「佐渡国」

 今は昔の話なんだけどね。能登の国では鉄の元になる石くれ、「あらかね」って言うんだけどね、そいつを掘り出して、国司の藤原実房さまに納めてたんだ。実房さまが国司の任にあった時、そのあらかねを掘る者は六人いた。その中の年かさの者が、仲間たちをあれこれとおしゃべりをしていて、ぽろりと言ったんだ。
「実は佐渡の国には、花が咲くように黄金がごろごろとあるんだよ」
 その話を、実房さまは、噂で伝え聞いたもんだから、年かさの男を呼び出して、ちょっとしたものをその男にやって、聞き出そうとした。そうしたら、上手い具合に、男は話し始めたのさ。
「ええ、ええ。佐渡の国には黄金がたんまりとあります。間違いありません。黄金がありそうな所を見つけた、と、あっしの仲間が言っておったんです。そのことを先だって話した次第でして」
「それならば、お主が、その、ありそうだ、と、いうところに行って、黄金を取ってくることができるのか」
「実房さまがそのようにお申し付けなさるのでしたら、行ってみます」
「よし、それならば、お主、その黄金を取ってきてくれ。何か入り用のものがあるか」
「いえ、他に人は要りません。小船をひとつ、それと、食べ物を少々いただきます。それだけ用意していただければ、試しに佐渡に渡ってみましょう」
 実房さまは、その男が言うとおりにして、他の者には何一つ話さず、小さな船一つ、食べ物を少し、それだけで男を佐渡に送り出したんだ。
 それから、ひと月ほど経って、実房さまも忘れそうになった頃、例の男がふいっ、と、実房さまの前に現れた。すると、実房さまも事の次第を思い出して、人払いして、誰も来そうに無いところで、直接、男に会って、話を聞くことにした。そうしたら、帰ってきた男は黒っぽい布切れに包んだものを、実房さまの袖の上に載せた。すると、この布に包まれた塊は、ずっしりと手の上に沈みこんだんだよ。
 そのすぐ後、たちまちに、年かさの男の行方が、分からなくなった。手がかりも何も無く、戻ってきたときのように、ふっ、と、消えてしまったんだ。実房さまは、八方に人を出して、男の行方を追ったんだけど、とうとう、見つからないで、はい、おしまい、ってわけさ。行方をくらました理由は分からない、もちろん、黄金のことを除いてはね。黄金のことは、実房さまと年かさの男だけの秘め事だったんだけど、そんな大ごとは、黙っていても広まるもんでね。男は、黄金のありかを見つけ出して、そいつを取りにいった、その黄金は千両はあるとかいう話しだったね。
 そういうわけで、佐渡の国では、黄金が掘れるって、能登の国の人たちは言ってたよ。そして、その年かさの男は、きっと山ほどの黄金を掘り出したんだともね。けど、いつの間にか、佐渡の黄金の話はされなくなってしまった、と語り継がれてるよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻26・第15話「能登の国の鉄を堀る者、佐渡の国に行きて金を堀る語」の現代語訳です。今回は、もちろん、ちゃんと『今昔』に収められている説話です。
 いつの時代、どの地域でも、「黄金郷伝説」はあるようです。世界中で最もよく知られているのは、アンデスの「エルドラド」でしょうか。エルドラドは、その土地の儀式で体に金粉を塗っていたというところから広まったということです。このエルドラドに魅せられて、多くのヨーロッパの冒険家が、南米に向かいましたが、伝説のような黄金郷は見つかりませんでした。
 また、マルコ・ポーロの『東方見聞録』中に書かれている「黄金の国ジパング」も有名ですね。皆さんご存知の通り、ジパングは日本のことです。噂話で、日本には黄金が満ちあふれていて、建物は黄金で出来ている、とされていますが、そんなことはないですね。木にわらぶき屋根か、瓦屋根です。この噂話は「中尊寺金色堂」のことを指しているとか、稲穂がたくさん実り、それが黄金の波のように見えたというのが大げさに伝わった、とか言われているようです。

 さて、問題の「佐渡の黄金」ですが、これは歴史の教科書を見れば分かります。佐渡金山は、江戸初期に発見されたことが公式に伝わっています。以来、ここから掘り出される金は、江戸幕府の重要な財源となりました。
 でも、よく考えてみましょう。『今昔物語集』は、収録説話の内容から推測して、現在は、12世紀初めに成立したとされています。そして、成立後すぐに『今昔』の存在が、消え失せます。『今昔』の再発見がなされたのは、室町時代、15世紀半ばの文献に『今昔物語』の書名が出てきます。
 この『今昔』の歴史をみると、佐渡金山が江戸時代に「発見」されるよりもかなり前に、噂話として、しかも確度の高い話しとして伝わっていたことが分かります。まさに「知る人ぞ知る」黄金郷が佐渡の国だったのでしょう。
 知る人ぞ知っていた一部の人たちは、江戸幕府に見つかってしまい、さぞかし悔しがったことでしょう。


 『今昔物語集 五 (新日本古典文学大系37)』 森正人校注 岩波書店 1996/01/30 ISBN:4002400379
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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2009.04.01

予言書『今昔物語集』

 今は昔の話でございます。尾張の国の某かという男が、商いのために国境にさしかかった時、道に迷ってしまいました。あちらこちらと彷徨っておりますと、不意に辺りが暗くなったか思うや否や、目の前が急に明るくなり、山々が目の下に広がっていました。男は驚きで身を固くしておりますと、上から声が聞こえてきたのです。
「これがおぬしの住んでいる世界だ。しっかりと見るが良い」
 上を向くと、普通の姿ではない者の顔が見え、その者が自分の身を抱えあげていることが分かったのです。恐れおののきながらも、問いかけました。
「おまえは一体何者だ? 早く下に降ろしてくれ」
「わしは天狗だ。降ろせと言うならば降ろしてやるが、家にはしばらく帰れないぞ」
と、言うと、男の身はさかさまに落ちていき、気を失ってしまいました。再び、気が付いた時、辺りは暗かったために、男は「とうとう死んでしまった。ここがあの世か」と思いました。すると、遠くに明かりが灯っているのを見つけ、「死んでしまったが、このままでいるわけにもいかない」と思い、その明かりのほうへと進んでいくと、突然、周りが光に包まれたのです。
 男は、何が起ったのか分からず、立ち尽くしておりましたが、すぐに、多くの人々が行き交う道の真ん中にいることが分かりました。しかし、そこは男が知っている場所とはまるで異なっていました。たいへん臭いにおいがして、耳をふさいでも聞こえるほどの大音声が響き渡っていました。多くの人がいましたが、誰も彼も、男が知っている人々の様子とはたいそう違っておりました。男は、
「天狗は、降ろしてやると言っていたが、元のところへは連れて行ってくれなかったようだ。人のように見えるが、人では無い者たちがいる国へ降ろしたらしい。死んでしまうより困ったことだ」
と、途方に暮れておりましたが、「一度死んだ身だ。もう怖がることは無い。誰かに話し掛けてみよう」と考えたのです。
 辺りにいるのは、男も女も異様な風体をしており、顔つきは男の住んでいた世界の人と似ていますが、鬼のような顔つきをしています。それでも、意を決して男は、ここは何という国か、と近くの男や女に問いかけましたが、返ってくるのは聞いたことの無いことばで、大声で笑ったり、怒鳴ったりされるばかりで、何も分かりませんでした。
 男はなすすべが無くなり、あたりを眺めることにしました。大路には、牛の引いていないのに、牛車よりも速く走る車が何十、何百と走り、その間を人々は煌く衣を着て歩いています。大路の両側は、石の塔がいくつも立ち並んでおり、門から人が出入りしていました。道も石になっており、土も木も見当たりません。
 石の道に沿って歩いておりますと、人が鳥のように飛び上がり、はるか遠くの空へ消えてしまいます。人の飛んでいった先を眺めておりましたら、空一面に絵が広がり、その絵は目まぐるしく模様を変えていました。
 男は、とうとう頭が痛くなり、動くことができず、道に倒れこみました。どれくらい気を失っていたか分かりませんが、寒さで目が覚めますと、日は沈んでいました。しかし、夜にはならず、石の塔は光り輝き、車や鉄の木が火を灯し、大勢の人が歩き回っていたのです。その人々は、大路の脇に立てられた小さな塔の穴に手を入れ、ものを取り出し、それを食べ始めました。男は、おそるおそるそれを真似て、穴に手を入れて、出てきたものを食べたのです。するとそれは、今までに食べたことが無い味でしたが、たいそう美味しく、何度も手を入れては、その不思議な食べ物をおなががいっぱいになるまで食べました。
「この国の人は鬼のようだが、自分を襲いそうにはない。地獄でもないようだ。どうやら、天人の国に来たようだ」
と、思い至りました。しかし、天人の国ではあるけれども、いつまでもここにいるわけにもいかない、家に帰る道は無いものか、と、石の道を歩いておりますと、空が明るくなりはじめました。すると、また、体が持ち上げられたのです。上を向くと例の天狗が男を捕まえていました。天狗は
「おまえは、先の世を見ていたのだ。あれは鬼でも無く、天人でもなく、皆、ただの人だ。先の世の者たちは、あのような世の中に住んでいるのだ」
と言うと、男を空からさかさまに落としたのです。男は地に落ちて死ぬ、と思ったところで、見知った家の近くの森の中に立ち尽くしているのが分かりました。家に帰ると、男を見て、家族はとても驚きました。妻は男がふた月も帰ってこなかったので、賊に襲われて亡くなったと思い、葬式も済ませたことを話して聞かせました。男もまた、天狗にさらわれ、子孫の住む先の世を見せられたことを語ると、皆は、驚きあきれたということです。
 この話しは、男から先の世の話を聞いた者から、聞き継いだことでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻32・第21話「尾張の国の人、天狗に攫われ、先の世を見たる語」の現代語訳です。この説話は、未来を予知している話しとして、よく知られています。
 本文の記述を見ますと、現代よりも、数十年は先のことを書いているように思われます。「牛のいない牛車」=自動車や高層ビル、電灯のことなどが書かれており、平安の人にとっては、現代の空気は「臭いにおい(原文:「臭キ香シタル」)」であり、私たちが何気なく聞いている、雑踏、ざわめきは耳をつんざくものだったようです。
 また、まだ現代技術では実現していない、空に映像を浮かばせる、人が空を飛ぶ、食べ物の自動供給システムと思われるものも描かれています。現代に住む私たちにとっても夢のような仕組みが、近い将来に、もたらされるのかもしれません。このような暮らしぶりは、よくよく考えてみれば、「天人ノ国」にいるような、不思議だらけのものであり、極楽のようなものです。

 『今昔物語集』巻32には、このような「先ノ世」について書かれた説話が収められており、「予言の書」の意味合いが強いとされています。他の説話を見ますと、戦国時代の戦いの様子や、江戸文化が華やかだった頃の事を描いていると思われる説話があります。
 得てして「予言の書」は胡散臭さが漂うものですが、『今昔物語集』のそれは、かなり確度の高いものとして、最近は研究が進んでいるとのことです。


 ※本記事は、2009年4月1日のエイプリルフール用にでっち上げた嘘説話です。『今昔物語集』には、こんな予言はありません。そもそも、現存する『今昔』は「巻31」までで、「巻32」自体が存在しません。

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