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2009.03.20

自白の価値は

 今は昔の話です。前の一条天皇の御代に、下野守・平維衡という武士がいました。この者は、将門を討った、陸奥守・平貞盛の孫です。
 同じ頃、平致頼という武士がおり、維衡と致頼は互いにつわものの道をはりあう間柄でした。そのため、それぞれに、悪く告げ口をする者がおりまして、とうとう敵同士となってしまいました。
 二人が共に伊勢の国にいる時、致頼が維衡を討とうとして、合戦を仕掛けたのです。その合戦は激しく、それぞれの親族、家来が多く命を落としてしまいました。しかし、結局、その合戦の勝負は付かなかったのです。
 その後、維衡は左衛門の府の弓場、致頼は右衛門の府の弓場で、それぞれ、罪を問いただされたのですが、皆、自ら、進んで口をひらき、罪を認めたのです。明法博士だった惟宗允政は、それを考え合わせて、裁きを下しました。
「初めに襲い掛かって、殺害を企てた致頼の罪が最も重い。すぐに遠方への流罪に処すべき。致頼の攻めに受けて立ち戦った維衡の罪の方は軽い。一年間の追放にすべし」
 この裁きによって、公からの仰せが下され、致頼は遠い隠岐の国へ流され、維衡は淡路の国に身柄を移されました。
 その後、藤原致忠という者が、美濃の国で、前の相模守だった橘輔政という人の子と、家来を射殺したのです。この事件を、輔政は訴え出ました。それに応じて、京から検非違使の四等官・藤原忠親と、右衛門の四等官・縣犬養為政が、美濃の国へ派遣されました。彼らは事件の起こりから詳しく取り調べますと、致忠は自ら罪を認めましたので、裁きは先の明法博士の判断に従いまして、遠い佐渡の国へと流罪になったのです。
 このように、昔も今も、このような罪があれば、朝廷は必ず適した裁きを下されるということは、当たり前のことであると、語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻23・第13話「平維衡、同致頼、合戦をして咎を蒙る語」の現代語訳です。
 本話は物語としては、あまり面白くないと思います。簡単に書いてしまえば、合戦をした二人が、後の裁判で、それぞれ、遠島、場所変えの罪を受け、また別の事件での裁判で、犯人が遠島の罰を受ける、ということです。
 この説話で、注目するところは、自白をした(原文「進テ咎ニ落ニケル」)ということと、後の事件の裁判で、判例に従った(原文「罪名ヲ勘ヘラレテ明法勘ヘ申スニ随テ」)ことでしょう。
 本来ならば、合戦をした、また一方的に殺害をした、ということから、死罪が申し付けられるのが適切だったにも係わらず、自白をすることによって、罪が減じられ、遠島、追放になったのでしょう。

 最近、裁判員制度を見据えた出来事が多く話題に上っています。実際に裁判員となり、重罪に当たる罪を裁く議論になった時、「自首」や「判例」の扱いが重要になることが予想されます。法律に詳しくない裁判員が、自首をどう見るか、判例をどう扱うか、は難しいところだと思います。「反省の意味を持った自首」と「自分の刑を軽くしたいが為の自首」の区別をどうするか、現在の社会情勢、人々の感情に即しているとは言いがたい、古い判例に則って裁いても良いのか、という疑問は、ここ最近の裁判をニュースを見ても、考えさせられることでしょう。
 今回取り上げた説話での、「自首」や「判例」の扱いは、定型的で簡単なような気がします。一度、朝廷が下した判断は絶対的であり、事件の内容より、罪を犯しても進んで自供すれば、罪が減免されるという「型」が出来上がったことが述べられています。
 しかし、現代では、そう簡単にはいかないでしょうし、裁判員制度が導入された近い将来、混乱が起ることは予想するのに難くありません。


 『今昔物語集 四 (新日本古典文学大系36)』 小峯和明校注 岩波書店 1994/11/21 ISBN:4002400360
 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。

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