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2009.02.20

やり残した聖なる仕事

 今は昔のことでございます。震旦に疑観寺というお寺がありました。そこの住職は法慶という僧でした。隋の文帝、開皇三年の時、法慶は、漆を塗り固めるというしかたで、一丈六尺のお釈迦様の立像を作り始めたのです。
 しかし、まだその像を出来上がっていないある日、突然、法慶は亡くなってしまったのです。また、同じ日のことです。法昌寺というお寺の住職、大智という僧も亡くなりました。
 その日から三日。なんと、大智は生き返ったのです。喜んだり、心配していたりする寺の僧たちに、大智は三日の間のことを語り始めました。

「私は、死んだその日。閻魔大王の御前に参りました。そこで、疑観寺の法慶師がいらっしゃり、先に閻魔王のお裁きを受けておられるのを目にしました。法慶師は、たいへん苦しげなご様子でした。
 そこに、たいへんご立派な様子の僧侶がいらっしゃったのです。その僧侶は、閻魔王の前でも臆すること無く、すっ、と立ち、閻魔王に『ここにいる法慶は、私の像を作っていたのですが、それが作り終わるまえに命が果てました。どうして、法慶を死なせるのですか』とおっしゃったのです。
 閻魔王は、驚いた様子で、脇に控える冥官に『法慶は、このように死んでいる。それとも、まだ、天命は残っていたのか』と問いかけたのです。すると、冥官は『法慶は、まだ、命が果てる時ではありませんでした。しかし、食べ物が底を尽いたのです』と答えました。閻魔王は、それをお聞きなると、すぐに裁きを下しました。『早く、蓮の葉を法慶に与えなさい。これで、善き行いを全うできるであろう』
 すると途端に法慶の姿が消え失せたのです」

 このように、生き返った大智が寺の僧たちに語ったものですから、僧の一人が、本当なのかどうかを確かめようと、疑観寺に行ってみました。そこでは、法慶がよみがえりを果たしたことで、大騒ぎになっていたのです。大智が語ったことは、一つとして間違っていなかったのです。

 その後、法慶は、蓮の葉しか口にしなくなりました。法慶は、蓮の葉を「たいへん美味しいものです。他には何も要りません」とまで言い、蓮の葉だけの食事を満足していたそうです。
 そして、法慶は、念願のお釈迦様の漆像を作り終わると、数年の後、息を引き取りました。彼の像は、頭から足の先まで、細かく作られており、お釈迦様のお姿の生き写しのようで、光を放ったということです。
 今でも疑観寺には、法慶が作ったその像が在ると、語り継がれておりますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻6・第12話「震旦の疑観寺の法慶、釈迦の像を造るに依りて活を得たる語」の現代語訳です。
 これは、震旦(中国)部の説話ですが、本朝部でも同様のモチーフの説話が収録されており、比較的理解しやすい説話と言えるでしょう。
 釈迦の霊験譚で、法慶(ほうきょう)が釈迦立像を作りかけたまま、飢え死にしたために、閻魔庁で、釈迦が閻魔を説得し、法慶は立像を作り終わるまで命を永らえることができました。同様のモチーフの説話では、観音様が出てくることが多いので、釈迦が直々に出てくるところが珍しいように思います。
 閻魔王が法慶に渡した「蓮の葉」は、仏法の象徴であり、聖性を持っています。そのため、復活後に法慶はその、蓮の中に込められた力、それだけの食事で十分だったのでしょう。
 法慶が死んだが生き返った、生き返った後は、蓮の葉だけを食した、という故事が基本です。それを「合理的に」(あくまで説話世界での出来事だということを前提として)裏付けしているものが、法慶と共にあの世への一時旅行をした、大智と彼の見聞録です。この語りがあって、初めて、釈迦や、仏法に帰依した法慶の行い、蓮の葉などに、聖の属性が明確に付与されて、霊験譚となりえているのです。



 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。


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