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2009.01.10

避けられぬ老い

 今から2200年前、秦の始皇帝は不老不死の薬を探していました。あれこれと手を尽くしたようですが、結局は不老不死を得られずに、亡くなってしまいます。全てを手に入れたと思っても、不老と不死を手にすることはできなかったのです。
 不老不死伝説は、日本にもあります。よく知られているのは、『竹取物語』や「人魚の肉」の話でしょう。しかし、『竹取物語』では、富士山に不死の薬を捨て、人魚の肉は、迷信とされていて、結局のところ、不老不死は伝説に過ぎないものになっています。
 ですが、現代文明は、不老不死に近づこうとしています。近い将来、クローン技術などによって、不老不死が現実になる可能性もあります。
 しかし、果たして、人が、いや、生きとし生けるもの全ては、不老不死を得て良いものでしょうか。これも、昔から言われています。散るからこそ美しい。限りある生を受け入れて、それを全うしようとする力強さが、生物を輝きに満ちたものにするように思います。

 そして、ここに一人、老いと向き合って、散ることを受け入れた美しき人がいらっしゃいました。

老朽化
 老朽化…

 でも、建物と一緒にしてしまうのは、諦観しすぎていると思います。


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