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2008.12.30

エリート陰陽師の誤算

 今は昔の話しでございます。文徳天皇が崩御あらせられましたとき、陵墓の場の占いの任を、大納言安倍安仁さまが受けられました。大納言さまがお連れした占術師の中に、慈岳川人という陰陽師がおりました。川人の陰陽道の力は、古今の名だたる陰陽師に匹敵すると言われておりました。
 大納言さまの一行が、陵墓の場を占い終わり、引き上げておりますと、深草の北あたりで、川人の様子が落ち着かなくなりました。大納言さまの近くに馬を寄せて、何やら言いたげなのです。大納言さまがわけを問いますと、川人は、
「長年、微力ながらも、陰陽の術をもって、公にお仕えし、私事におきましても、間違ったことはありませんでした。しかし、このたびは、たいへんな誤りをいたしました。実は、こちらに祟り神である『地神』が追ってきています。先程の陵墓の占いで、地神の領を侵してしまいました。大納言さまと、私がその罪を負うことになります。これは、重大なことです。どうすればよいのか、私にも思いつきません。地神から逃げることは、難しいと思われます」
と、怯えた様子を見せたのです。川人がこのような有様でしたので、大納言さまは、それこそ、戸惑い、恐れおののきました。ただ、
「私は、一体どうしたらよいのだ。助かる方法は無いのか」
と、言うのが、精一杯でした。川人は
「とにかく、このままでいるわけにはいきません。思いつく限りのことを試してみましょう。…さあ、後ろの者たち、先に行きなさい」
と、川人は大納言さまを残し、連れの者たちだけを先に帰したのです。
 しばらくして、日が暮れると、その闇にまぎれて、二人は馬を降り、その馬も先に行かせ、川人は道沿いの田の中へ大納言さまをお連れしました。田の中央に大納言さまに座るようにうながすと、その周りに、稲わらを積み上げて、その外側を、何かをつぶやきながら、数回廻ると、川人もまた、大納言さまの座られている稲わらの山の内側に入り、瞑想を始めました。大納言さまは、川人の血の気が引いた顔をご覧になると、とても生きた心地がしませんでした。
 このようにして、二人が何一つ物音を立てずにしておりますと、突如、数多くの足音が沸き起こりました。その足音が、
「まだ、追いつかんのかあッ!」
と、言う怒鳴り声とともに過ぎたかと思うと、しばしの間をおいて、再び、近くで騒ぎが起こりました。この声は、人のもののようではありましたが、どこか気味悪く、人ではないことが明らかでした。
「あの奴らのォ、馬の足の音はァ、この辺りで軽くなってるぞォ。それならァ、この辺の土をぜェんぶ掘り返してやるからなァ。絶対に見付けてやるからなァ。待ってろよォ。逃げられると思うなよォ。…川人の奴はァ、上手い具合に陰陽の術を使いやがるからなァ。それで見えないようにしてるんだろォ。だけどなァ、見付けてやるゥ、見付けてやるぞォォ!」
と、大音声が響き渡りました。

今昔物語集・巻24・第13話

 地神の手下が、がやがやと、大納言さまと川人の周りを探し回りましたが、川人のかけた術が効いて、見付けることができません。地神は、
「隠れきれると思うなよォ。今日は捕まえられんでもなァ、そのままでは済まさんからなァ。『今年の終わりの大みそかァ、真夜中にィ、この世の果てまでェ、土の下ァ、空の上ェ、目が届く限りィ、見つけ出すゥ!』…隠れきれると思うなよォ。よォし、大みそかを待ってろよォ。ほじくり出してやるからなァ!」
と、言い残して、不気味な気配が無くなりました。
 そして川人と大納言さまは、ようやく、稲わらの山の中から出ることができました。大納言さまは、たいそう恐れた様子で、川人に問われました。
「こ、これは、どうしたらよかろうか。地神があのように言うのだから、私たちは逃げようが無いのではないか」
「…地神のことばは本当でしょう。その夜に、決して人に知られること無く、私たち二人だけで隠れなければなりません。詳しくは、その日が近づきましたら、お知らせいたします」
 川人は大納言さまにそう告げると、賀茂川の川原まで歩いて行き、そこにいた馬に乗り、それぞれの家に帰りました。
 大みそか、川人は、大納言さまのもとを訪れ、
「日暮れ頃に、誰にも知られることなく、お一人で二条大路と西大宮大路の辻においでくださいませ」
と、お伝えしました。大納言さまは、川人の言った通りに、夕暮れ、人々が騒がしく行き交う辻に行かれました。すると、既に川人はそこで待っていて、共に嵯峨寺へと向かいました。
 二人は持仏堂に入り、そこの天井に上り、川人は陰陽の呪文を、大納言さまは、手で印を結び、真言の経文を唱えて、時を待ちました。
 真夜中になる頃、気持ち悪く、嫌な臭いの、生ぬるい風が通り抜けると、途端に大きな地鳴りが始まりました。大納言さまは、「なんと恐ろしい」と思いながら、その地鳴りを聞いていらっしゃいました。
 どれくらいの時が過ぎたでしょうか。未明の空に一番鶏の時告げの声が通ると、地鳴りはぴたりと止みました。川人は「もう、いいようです」と、大納言さまと天井から無事に降りることができました。そして、日が昇る前に家に帰ることになったのですが、二人が別れる時、川人は、大納言さまに、
「もう、恐れられることはございません。私の術が勝ったようです」
と、言い残し、去って行きました。大納言さまは、その後姿を拝んだということです。
 この話しが伝わり、やはり川人は、特に優れた陰陽師だ、と、語り継がれているのでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻24・第13話「慈岳川人、地神に追わるる語」の現代語訳です。慈岳川人(しげおかのかわひと)は、陰陽頭(陰陽寮の長官)であり、陰陽博士(陰陽師の先生)という、陰陽道のスーパースターです。だからこそ、文徳天皇の陵墓の場の占いという重要な役を任せられたのでしょう。
 ところが、この陰陽道の天才が、あってはならない失敗を犯してしまいます。地神(つちのかみ)の領域を侵犯したのです。地神は、土公とも呼ばれ、大地を司る神で、日、季節ごとに、各所の地を巡り歩くと言われています。地神が居る間は、その地に手を入れることは、避けられていました。しかしながら、この初歩的とも言えるミスを川人は犯してしまうのです。その結果、大納言・安倍安仁(あべのやすひと)と、川人は、地神に追われ、絶体絶命のピンチを向かえるのです。
 この事態は、陰陽道のエキスパートである、川人にとっても解決が難しいものでした。顔色を変え、即席の陣を組みました。ギリギリのところまで地神が迫りましたが、川人の術が功を奏し、一旦は、逃げ切れました。
 しかし、地神も強力な神です。人外の者の力が強まる大みそかに、再びやって来ることを告げて去ります。この猶予は、川人も助かったことでしょう。迎えうつ準備ができたようです。最後は、嵯峨寺の堂で術を使い、一晩過ごすことで、地神の難を逃れることができました。

 この説話には、陰陽師譚らしい、「場」がいくつか出てきます。文徳天皇の陵墓の予定地、葬送の地として知られる「深草」、日暮れ、稲刈りの終わった田んぼと稲わらで作った山、賀茂川の川原、大みそかの夜、二条大路と西大宮大路の辻、嵯峨寺の堂の天井、一番鶏。どれも「境界性」を持った場所や時間や出来事です。このような境界は、現世と異界が交わる所で、超現実的なことが起こりやすいのです。

 ところが、うがった見方をしますと、「これはもしかして川人の作戦だったのではないか?」という疑念が浮かびます。全ては、川人が仕組んだことで、天皇の陵墓の場の占いを利用して、川人や部下の陰陽師たちの地位向上を図ったのではないでしょうか。地神と思われていたものは、川人の使う式神か部下で、それを恐れる演技だけをしていたのかもしれません。また、最後に、嵯峨寺で、地神を追い払った後、川人は大納言に、
「もう、恐れることはありません。このような事態になりましたが、私でなければこのように上手く退散させることはできなかったでしょう(原文:「今ハ、恐レ不可給。然ハ有レドモ、川人ナレバ此ハ構テ遁レヌルゾカシ」)」
と、言うのです。恩着せがましさと共に、陰陽師の薄気味悪さを大納言に植え付けているようです。きっと、大納言はこの顛末を、方々で話したことでしょう。それにより、陰陽師の力が知れ渡るのです。川人は、官位としてはそれほど高くない陰陽師が一目置かれるきっかけの一つになったのではないでしょうか。

 大みそかは、災厄をもたらす悪鬼を払う意味合いがあります。平安の昔のように鬼やらいの儀式はできませんから、代わりに、ちゃんと、大掃除をして、綺麗なお部屋でお正月をお迎えくださいませ。



 現代語訳には、この本の原文・注釈を参考にしました。


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