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2008.07.20

右横書きゼミナール・後編

 「右横書きゼミナール・前編」のつづきです。前編を先にご覧ください。


 ●文字種ごとの書字方向問題

 結局、この夏の限定ケーキ『豊田猿投の桃のタルト』は七海が取り、桜濱は定番の『季節のフルーツタルト』を食べることになった。
 「何度食べても、季節のフルーツタルトは美味しいですね。選択権が無くてもこっちを選んでましたよ」
 「いや、桜濱さんなら、こっちの新作を選んでいたはずです。限定品とか、新しいもの好きですよね」
 「ま、まあ…、そうですが。どちらも美味しいと思いますよ。食べ比べてみたいので、少しください」
 「当然、駄目です」
 「…分かりました。ごめんなさい。今度、自分で買って食べます」
 「はい、そうしてください。ところで、桜濱さんの『把握し辛い右横書き』がまだですよ。早く、見せてください」
 「あ、そうでしたね。うーん、と。これなんてどうでしょうか?」

右横書き19

 「『電子氷』って何ですか?」
 「いやいや、問題はそこじゃないです。その上の『WEN』を見てください。これは『NEW』の右横書きですよね。アルファベットの右横書きは珍しいですよ。『氷子電』は『電子氷』とすぐ分かっても、『WEN』が『NEW』だとは、一瞬じゃ分からないんじゃないですか?」
 「そう言われてみれば…、そうですね」
 「それに、右のロゴを見てください。『Precious』は左横書きなんです。あと、左下の電話番号も左横書きです。仮名、漢字、アルファベットが左右両方向、そして数字。いろんな文字種が入り混じっている右横書き車なんですよ。これは頭が混乱してしまうくらいの上質の右横書きだと思います」
 「一つ一つの単語だけだと可読性は低くないと思いますが、いろんな文字種、書字方向がいっぺんに書かれていることで、可読性が低くなってしまっているわけですね」
 「そうです。この車の場合、『落ち着きの悪さ』を受け入れて、全部を左横書きにした方が、分かりやすかったでしょうね。それぞれは長い文章ではないので。むしろ右横書きにした英単語の落ち着きの悪さを感じてしまいます。英単語の右横書きには、こんなのもありましたよ」

右横書き20

 「なんですかこれ? 分かりにくい」
 「写真の撮りかたが悪いのは許してもらうとして。これは、アルファベットの綴りが裏焼きになってるんです。ほら、救急車のフロント部分で『急救』という風に、反転しているのを見たことがありませんか? あれと同じような感じで、右側面のアルファベットが反転しているんです」
 「『急救』は、前の車がバックミラーで見たときに、正しく『救急』と読めるようにしているんですよね。でも、側面だと意味が無いじゃないですか」
 「そうなんです。分かりにくいだけなんです。アルファベットの綴り方よりも、『右から始まる落ち着きの良さ』の方を優先した結果なんでしょう。ただ、ロゴを右から左に描いていくと、形を変えたりする手間とか厄介な問題が出てくるんでしょうね。それで仕方なく、型を裏返しにしてペイントしたんでしょう。アルファベットの右横書きでは、稀にこの『裏焼き右横書き』が見られますよ」
 「私、見たことありませんよ」
 「僕もほとんど見たことありません。だから、この観光バスを見つけた時は、見にくい位置だったんですけど、無理矢理に写真に撮ったんです。あと、交差点で青になるのを待っていたときに、目の前を『裏焼きアルファベット』が通過していくのを見かけたことがあるだけです。あの時はカメラを取り出す時間がありませんでした。悔しかったなぁ…」
 桜濱は、その時のことを思い出して、ややうつむき加減になり、ケーキをゆっくりと口に運んだ。
 「そんなに落ち込まないでくださいよ。またチャンスはあります。待てば海路の日和あり。鳴くまで待とうホトトギス。信じるものは救われる、です」
 七海の言い方が妙ににおさおさしいと思ったが、それを言うと、また失点になりそうだと思ったので、桜濱はそれは口には出さずに、軽くうなずいた。
 「ありがとうございます。次の機会を気長に待つことにします。七海さんもこのタイプの右横書きを見つけたら、すかさず捕獲してください」
 「はい、分かりましたっ。…と、これって、『引越のサカイ』じゃないですか。桜濱さん、前のブログ記事で書いていましたよね。珍しくないんじゃないですか」

 ●ロゴマークと書字方向

 桜濱は、七海が指差した「引越のサカイ」のトラックの写真と、以前に撮った写真とを並べて置いた。

右横書き21

 「ほら、右側面でも、前に取り上げたのは左横書き、新しい方は右横書きなんです。僕は、はじめは『引越のサカイ』さんのトラックは、左横書きしかないのかと思っていたんですが、右横書きも存在していたんです。でも、これで問題にしたいのは、パンダのロゴマークの方なんです。見比べてみてください。ロゴマークは一緒ですよね。それで、こっちを見てください」

右横書き22

 「西濃運輸さんは、「ールガンカ」と右横書きになっていて、カンガルーマークも裏焼きになっているんです。そして、こっちも」

右横書き23

 「佐川急便さんの飛脚マークも、右横書きに合わせて、裏焼きになってます。そしてこれが、クロネコヤマトさん」

右横書き24

 「クロネコマークは裏焼きになっていませんよね。どう思いますか?」
 「えーと…、裏焼きになっているロゴとそうじゃないロゴがあるってことですよね…。あ、走ってますっ」
 「そうなんです。カンガルーマークも飛脚マークも、裏焼きになるロゴっていうのは、走る方向、つまり頭の向きに大きなベクトルがあるんです。パンダマークやクロネコマークは、それほど大きなベクトルは感じられませんよね。このことからも、右横書きの大原則『人間は、身の回りに自分の似姿を見つけださずにはいられない習性を持つ』というのが当てはまっているんじゃないかと考えました。むしろ、ロゴのベクトルの大きさが、書字方向にも強い影響を与えているんじゃないかと思うんです。つまり、『頭と尾の意識』があるので、右横書きになったというわけです」
 「なるほど。反転ロゴマークが、『横書き登場』の記述の証明になっているということですね」
 「これだけでは明言はし辛いですが、可能性は高いと思います。では、次は、勝負は抜きしにして、他に気になる右横書きとか印象に残っている右横書きを見てみませんか?」
 「はい。えーと、これはちょっと気になりますね」

右横書き25

 「確かに、なんだか自然と気が引かれますね。でも、これは、右横書きに、というよりも、車体の色が問題じゃないんですか」
 「はい、そうなんです。あまりのピンクっぷりに驚いたんです。これを見てても思うんですけど、住所は右横書きにすることがあっても、電話番号はやっぱり左横書きなんですよね」
 「電話番号の可読性は落とすとなると抵抗感が生まれるんでしょう。アルファベットの右横書きはあっても、電話番号の右横書きはまず見られませんね。例えば、これも」

右横書き26

 「あっ…、これって、例の…」
 「はい…。例の…です。今となってはレアでしょう。これも『牛騨飛』と右横書きにしていても、電話番号の部分はやっぱり右横書きです。電話番号はもともとは意味の無い数字の羅列なので、左横書きという原則を崩すわけにはいかないんだと思います。ある一つの文字体系に組み込まれている人にとって、共通意識になっていると考えるべきなんでしょう。電話番号の他には、僕はこんなのが気になりました」

右横書き27

 「パトカーの右横書きはよく見るじゃないですか。そんなに印象に残っているんですか?」
 「だって、パトカーの写真を撮っていたら、怪しまれるじゃないですか。でも、一つは押さえておきたかったんですよ。どうしたらいいかな、といつも思っていたところ、幸運にも、松坂屋の前で、警察車両のキャンペーンみたいなのをやっていたんです。それで、乗り物ファンのふりをして、ちゃんと許可をいただいて、写真を撮ったものなんです。長い間、欲しかったものが手に入ったので、嬉しかったですよ。しかも、高速隊の三菱GTOですよ。かっこいいじゃないですか」
 「そ、そうですね」
 七海はやや付いて行けないという感がある。しかし、桜濱は勢いがついたらしく、次の写真を広げた。
 「ほらほら、これもかっこいいですよ」

右横書き28

 「…」
 「すっごい鼻ですよねーっ。『伸び』が素敵ですよ。憧れるなぁ、かっこいいなぁ。『ムハ狗天』ですよ、『むはいぬてん』。毘沙門天みたいじゃないですか。かっこいいなぁ。あまりにかっこよかったので、これは左側面も撮りました」

右横書き29

 「ちょっと、桜濱さんっ! 天狗だけ撮っても、右横書きとは、関係ないじゃないですかっ! いい加減にしてください」
 「ひっ、ご、ごめんなさい。つい調子に乗ってしまいました。…でも、全く右横書きと関係ないわけじゃないんですよ。この天狗も反転ロゴですよ。もともとのロゴは左側面の方なんです。右側面は裏返しになっている。と、いうことは、やっぱりベクトルが意識されていると思うんです。鼻の伸びる方向が頭だという意識が働いているので、それにつられて、『天狗ハム』も右横書きになった可能性があるんじゃないですか?」
 桜濱は、言い訳をしながら、どうにかして右横書きと関連付けて、七海の機嫌を取ろうとしている。
 「はぁ…、まぁ、そうかもしれませんね。分かりました。そういうことにしておきましょう。じゃ、ケーキも食べ終わったことですし、そろそろ、さっきの続きに戻りましょう」
 七海は、てきぱきとフォークと皿を片付けて、改めて、右横書きの資料を広げなおした。

 ●インパクトと異化効果

 「じゃ、次は何をテーマにしますか?」
 「インパクトの強い右横書きにしましょう。これが、右横書き鑑賞の一番の醍醐味だと思います。七海さんからどうぞ」
 「インパクトですか…。これはかなりパワーがありますよ」

右横書き30

 「無理矢理に右側面を端から端まで埋めた感じですね。それにテンポがいい。『ーヒーコ』は『コーヒー』のことだと分かりますね。この『ーヒーコ』を二度重ねて『ウトイ』としているので、『ウトイ』が『イトウ』だとすぐに判別がつきます。畳語のようにすることで、可読性が高まっているんですね。インパクトを持たせつつ、きちんと社名が分かるようにして、さらに広告効果も高めている。なかなかの秀作ですね。…では、僕はどうしましょうか。これに見合うだけのものってなかなか見つからないですよ。えーと、これなんて如何でしょう?」

右横書き31

 「普通じゃないですか」
 「やっぱり、そう見えますか。けど、ほら、ぱっと見で、あの双子の女優さんが思い浮かびませんか? NHKの朝の連ドラの」
 「あー、マナカナ。…強引です。」
 「はい、負けです。今回は完敗です。これは見つけたときは嬉しかったんだけどなぁ…」
 桜濱は名残惜しそうに、「マシカナ」の写真を仕舞いながら言った。
 「右横書きでインパクトがあるものは、他のものが連想されたり、なんとなくどこかにありそうと思わせられるんです。そのように、元の意味とは別のものが惹起される右横書きは『異化効果』が現れているということになるでしょうね。分かりにくいながらも、目を引くので、宣伝効果が高まっているんです」
 「じっくりと読ませる右横書きなんですね。前の記事の『んはごくゃにんこ』みたいなものかなあ」
 「あー、そう。そうです。あれも『異化効果』だと思いますよ。ただ、長文の右横書きなので、走行中に見せることを目的としているんじゃなくて、停車中に見せることを意識して書かれているのかもしれませんね」
 「『設建○○』みたいな、ありがちな右横書きだと、走行中のものでもすぐに判別できますが、長いものになるとそうはいかないですよね」
 「『設建○○』とか『送運○○』はたくさんありすぎて、みんな慣れてしまっているので、異化効果は発揮されなくなったんでしょう。それよりも頭と尾を一致させる居心地の良さが優先されて、結果、それが一般化したんだと思います。さて、かなり、右横書きを見てきたので、今日はこれくらいにしましょう。最後にお互いの自信作を披露して、お開きにしませんか?」
 「ええ。私も卒論の材料になりそうなものがいくつか見つかりました。帰ってからまとめることにします。じゃ、最後なんで、同時に出しませんか。いっせーのせ、で」
 「いいですね。僕はもう決まっていますよ。いいですか。では、いっせーのっ、せっ」 二人は後ろに隠していた右横書き写真を前に出した。

右横書き32

右横書き33

 「あっ」と両側から声が上がった。
 「『ン』ですね…」
 「『ン』になりましたね…。やっぱり、初めが『ン』の右横書きだと力があるなあ。前の『ンコマナ』とか」
 「それにしても、『ンチーコ』って、なんか迫力ありますね。しかも、ことごとく右横書きにしているし。『様王の鶏地』とか『ーリトーポト丸』とか、魅せてきますね」
 「七海さんの『田代千ンチッキ』も迫力ありますよ。『ぶゃしぶゃし』も。『しゃぶしゃぶ』自体も危うい雰囲気を持ったことばですが、逆読みすると、その危うさがこんなに増大するとは思いも寄りませんでした。湿度のある擬音になってますね。『ぶゃしぶゃし』な目には遭いたくないな、という気にさせられます」
 「そう考えると、おじさんのマークが意味深になりますね」
 「かわいいおじさんマークなんですけどねぇ…。ところで、『キッチン千代田』って名古屋一と評されるくらいのオムライスがいただけるんですよ。今度、行ってみませんか?」
 「あ、食べてみたいです。私、ぶゃしぶゃし食べますよ」
 「…擬音の使い方、間違っています」


――――――――――

 本稿を、偉大なることばの芸術家、故・大野晋博士に捧げます。

――――――――――

・参考文献
 屋名池誠『横書き登場―日本語表記の近代―』 岩波書店 2003年11月 ISBN4004308631
 桜濱『右横書き試論 ―「車体右側面上右横書き」の考察と鑑賞―』 本ブログ 2005年9月19日掲載



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コメント

>リムさん
どうもありがとうございます。久々に長いのを書くことができました。でも、もう少し文章をすっきりさせて、写真を多めに使ったほうが良かったかもしれないと、後悔しております。

「ンチーコ」を捕獲したときは、もうそれだけで一仕事を済ませた気になりました。こんな上物は200回に1回くらいの確率でしょう。名古屋の道に「ンチーコ」があふれてほしいものです。

投稿: 桜濱 | 2008.08.09 03:00

さすがですね。
これはキタと思っていました。

イトウコーヒーと、名古屋コーチンは最高ですね。
嫁と2人で大笑いでした。
ンチーコ、ンチーコw

投稿: リム | 2008.08.08 22:22

 道場からいらっしゃった皆様、お読みいただいて、ありがとうございます。
 道場主様が気にされていらっしゃった「七海」ですが、元ネタが2つあります。

  1.テレビアニメ『七つの海のティコ』(『世界名作劇場』フジテレビ系列、94年1月~94年12月)の主人公、「ナナミ」から拝借しました。私の好きなキャラクターです。

 2.「明治安田生命」の「子どもの名づけランキング」で、1997年以来、トップ10から一度も陥落したことの無い名前に「七海」が入っています。若い女性で一般的な名前を付けたいと思って拝借しました。でも97年なら若すぎですね。

 では、今後も、ご贔屓にしていただければ、幸いでございます。

投稿: 桜濱 | 2008.08.07 12:33

>みんたさん
結構な、難産でした。まだまだ放出したい右横書き写真があるのですが、これ以上長くするわけにはいかないな、と思い、今回はこれくらいで。
単純に右横書き写真の説明をしていくと、前回と代わり映えがしないので、実験も兼ねて、普段の記事の書き方とは変えてみました。しかし、案外、難しいものですね。勝手が違うと、思い浮かぶことがそのまま文章にならないんです。

「モグタン」懐かしいです。『まんがはじめて物語』ですね。調べてみたら、放送終了後にも観た覚えがあるので、再放送かもしれません。

ちなみに、「七海さん」は架空の人物です。右横書きとかキルフェボンとかは現実のものですが、この設定だけは脳内で生み出されました。右横書きの相手をしてくださる方が近くにいればいいのですが、残念ながら存在しません。けど、「七海」の元ネタはあります。二つ。

投稿: 桜濱 | 2008.07.30 19:13

ひさしぶりの右横書き記事、読み応えがありました。
ネタになった写真が力作ぞろいのところと、会話を使った進め方が目先が変わっていて、記事が長くても楽しみに読めたのです。こういうことを同じレベルで話し合えるっていいですね。片方が聞き役で終わってしまうと、「モグタンとおねえさん」みたくなってしまうでしょうから(古いですね)。
わたしも横浜ケーキとビーズ箱をかついでおじゃましたいですよ、記事にはならないのでやれませんけど。

投稿: みんた | 2008.07.30 15:55

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