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2008.07.20

右横書きゼミナール・前編

 眠い目をこすりながら、ドアを開けると、いつものにこにこ顔が待っていた。彼女はとっくにいつもの調子だ。
 「おめでとうございますっ! お誕生日プレゼントを持ってきましたよ」
と、茶色の地に空色の絵が描かれたキルフェボンの紙袋を顔の高さまで持ち上げた。しかし、今日は僕の誕生日ではない。全く違う日だ。寝起きで頭がぼんやりしている上に、彼女のことばの意味がまるっきり飲み込めない。
 「あ、七海さん、おはようございます。おめでとうございます。いらっしゃい。いただきます」
 何とか彼女のペースに合わせようと、思いつく限りの返事をしたが、回らない頭なので、文脈がおかしくなっている。
 「もう、お昼過ぎてますよ。なのにパジャマなんて。まだ、眠ってたんですかっ?」
 「いや、眠っていませんでしたよ。目は覚めて、寝てただけです」
 「同じことです。折角のお誕生日なんですから、早起きしてください」
 「あれこれと立て込んでて、それが片付いたのが明け方近くだったんです。それから眠って、それで、この時間に目が覚めているんですから、奇跡的です。ところで、さっきから気になっていたんですけど、『お誕生日』ってどういうことですか? 七海さん、僕の誕生日を知っているはずですよ。3月にプレゼントをくれたじゃないですか」
 「桜濱さんのお誕生日じゃありません。『九州男児のにくばなれ』のお誕生日ですよ。4歳ですよ。今日から5年目突入ですよ」
 「あー、そうでした…っけ? 何も用意していなかったなぁ」
 「そんなことだと思いました。去年もおととしもさきおととしも忘れてましたよね。だから、ケーキも買ってきましたし、今年はネタになりそうなものを持って来たんですよ。おじゃましますね。外は暑すぎます。はい、これ、どうぞ。」
 「『さきおととし』まで持ち出さなくても…。でも、ありがとうございます。どうぞ上がってください。エアコンは入っていますよ」
 桜濱は、キルフェボンの紙袋を受け取り、七海をリビングに案内した。「ちょっと待っててくださいね」と言い残して、保冷材ごとケーキの箱を冷蔵庫に入れてから、ポロシャツとジーンズに着替え、身繕いを済ませて、リビングに入った。すると、七海は、なにやら印刷されたA4用紙を広げていた。
 「あれ? これは、右横書きの写真じゃないですか。どうしたんですか? こんなにたくさん」
 「これがネタです。桜濱さんの記事を見てから、私も右横書きの写真を集めてたんです。今回は右横書きの第二弾を書いてください」
 七海は、半ば、強制のように言いつけた。
 「右横書きの第二弾ですか…。いいですね。では、僕も準備しましょう。パソコンを点けるので、あの本棚の『横書き登場』を取ってください」

 ●右横書きのおさらい

 桜濱は、自分が集めた右横書きの写真が入っているフォルダを開け、以前の右横書きの記事の印刷を始めた。
 「僕も結構集めましたよ。3年ぶりのお披露目ですね。では、新しい右横書き写真を見ていく前に、右横書きについて、少しおさらいをしておきましょう」
 そう言うと、A4の裏紙に、つらつらと書いていった。

―――――

 1.「右横書き」とは右から左に読み進める書字方向
 2.一行一字の縦書きとは区別される
 3.日本語の右横書きは衰退の傾向にあるが、(業務用)車両の右側面には頻繁に書かれる。
 4.「人間は、身の回りに自分の似姿を見つけださずにはいられない習性をも」つため、乗り物にも進行方向から頭と尾を見て取り、「乗り物の頭に文字の列の末尾がくれば、落ち着きの悪さを感じないわけにはいかない」(『横書き登場』)
 5.右横書き鑑賞では「別の存在の連想を導き出す」ことが重要であり。この連想は「車体右側面上右横書き」が元々の意味と音のつながりを緩め、あるいは切り、新たな意味と音の結びつきを求めていることから促されている。

―――――

 「こういったところでしょうか。前の記事では、この右横書きの定義を踏まえて、右横書きの分類と鑑賞したんですよね。それからしばらくしてからですね。七海さんが、ご連絡をくださったのは」
 「そうですね。デイリーポータルZで取り上げられていたのを読んで。興味深かったですし、名古屋なので、桜濱さんとコンタクトが取りやすいだろうなと思いました」
 七海は、言語学を専攻しているので、ことばを取り扱ったネタにはことに強い興味を持っているようだ。桜濱は、七海から初めてメールを受け取ってからは、定期的に学校の空いたセミナー室や、喫茶店などで、ことばに関する話題で時間を過ごすようになった。ところが、今日はいきなり家に押しかけてきたので、眠気と相俟って面食らった。
 「もうちょっと、目を覚ましたいんで、コーヒーを飲んでもいいですか? あ…、一緒にケーキも食べましょう!!」
 「ダメです。まだ全然、新しい右横書きを見ていないじゃないですか。あとで、休憩時間に食べましょう。それまでおあずけです。コーヒーだけ飲んでいてください」
 七海のペースに合わせるのは骨が折れるが、逸脱すると、彼女のご機嫌を損ね、厄介な目に遭うことは分かっている。フィルターに豆を多目に入れて、濃いのを作る。
 「ふー、やっと一息つきましたよ。では、見ましょうか」
 「では、基本形からいきましょう。これは定型的な右横書きだと思います」

右横書き01

 「うん、そうですね。街中でよく見かけるのが、この手の右横書きでしょうね。社会式株型・アド型複合、カナ種・漢字種複合の工業系車両。基本的、典型的です。街を走る車の8割くらい右横書きはこのタイプになるんじゃないかな…」
 「統計取ってないんですか? 今度はきちんと統計を取ってください。それが調査です」
 「あー…、はい、分かりましたよ」
 「やる気が無いですね。コーヒーもっと濃くしましょうか」
 「いや、いいです、いいです。統計も取らないと、調査になりませんよね」
 七海は「ようやく分かりましたか」と言って、にこにこ顔に戻った。

 ●何語?

 「前回の記事で右横書きの基本的な定義や、鑑賞の仕方は分かりました。それで、今回は、やや特殊なものを集めてきたんです。見てもらえますか」
 「僕も、大型トラックの右横書きなどは、もう、余程目を引かない限りは撮っていませんね。一ひねりあるものを探しています。では、片方が写真を出して、それに合いそうな写真をもう一人が出して、ゲームみたいにして見ていきましょうか」
 「それは白熱するでしょうね。いいですよ、負けませんよ。じゃ、私からいいですか。まずは小手調べで、こんなのはどうでしょう」

右横書き02

 「やっぱり、仮名が多いほうが見ごたえがありますね。発音できなくはないのですが、実際に読んでみると、違和感がたっぷりです。それに、長いカタカナ用語は、右横書きにすると一見しただけでは何の車なのか分からなくなってしまいますね。電話番号は左横書きか…、294で「フクシ」。中日のお膝元だからかな?」
 「関係ないです。どうですかっ。なかなか良いでしょう」
 七海は自分用に淹れた薄いコーヒーをすすった。
 「それじゃ、僕はこれを出しましょうか」

右横書き03

 「これも、長いカタカナ用語なので、原型が掴みにくくなってますね。それに、このことばの、なんとも言いがたい、いや、思わず言いたくなるテンポの良さ。なんなんですか、これは?」
 「何もかにもないですよ、普通のサービス業の自動車の右側面です。『サービス』に他のことばが付いたものだから、ちょっとおかしなテンポになっているんです。外国人ボクサーに居そうな右横書きですね。このように、『何かに似てくる』というのが、右横書きの良いところなんですよ。だから止められない」
 桜濱はぬるくなったコーヒーを飲み干して、ようやく、頭が回り始めた。
 「どうです、この勝負は? 僕が勝ちですよね。だからケーキを…」
 「はい、桜濱さんの勝ちは認めましょう。私のはもう一息でした。でも、まだ一回戦ですよ。なのに、ケーキ、ケーキって…。もうそろそろ、落ち着いてくださいよ。」
 七海のことばは、最後はため息混じりになった。だんだんと呆れてきている可能性がある。彼女の言うとおり、そろそろ真面目に右横書きに向かい合わないと、鉄槌が下りそうだ。
 「撮った写真を見ると、『スビーサ』ものが案外と多いんですよ。七海さんの撮った中にもありませんか?」
 「あ、そうなんですか。ちょっと見てみますね…。えーと。あ、本当だ、ありました、ありました。こういうのですね」

右横書き04

右横書き05

 「この『スビーサンーリグ』は良いですねー。やっぱり仮名が多いものが見応えがあるな。これは『スビ』『サン』『リグ』をハイフンで結んでいるように見えるというのも得点が高いですね」
 「なるほど。確かにハイフンで結んでいるようにも見えます。どちらにしても、発音しにくいですよね」
 「逆読みしたら、まったく別の言語のようになるのが、面白いですね。これとか、これとか、こんなのとか…」

右横書き06

右横書き07

右横書き08

 「『マツムラ』も『ムライズ』も、左横書きにすると普通の日本語なんですけどね。右横書きにすると、途端にエキセントリックな雰囲気を撒き散らすんです」
 「『グンリトボンイサ』は私の自信作だったんですよ。こっちを出したほうが良かったかなぁ。もともとの『サインボトル』というのが、どういうのか分からないんですが」
 「ちょっと、検索してみましょう。…どうやら、サインの入ったお酒のビンのようですね」
 「それを、事業にしているって、どういうことなんでしょう?」
 「さぁ…、どういうことなんでしょう?」

 ●別の意味になる

 二人は首を傾げていたが、思いついたように、七海は言った。
 「右横書きにはあまり関係無い、と、しませんか」
 「それがいいような気がしますね。じゃ、第二回戦にしましょう。僕はこれを出します」

右横書き09

 「『スビーサ』じゃないですか。まだ、残していたんですか」
 「『りぼしお』の方を見てください。『りぼしお』ですよ。『リボ払い』に『塩』ですよ。素晴らしい」
 桜濱は一人悦に入っている。
 「ちょっと、苦しいんじゃないですかー。でも、『おしぼり』が全く別の意味になっているところがミソなんですね。それなら、私はこれにしますっ」

右横書き10

右横書き11

 「『疎い』…。なるほど。良いですね。しかも、漢字かな交じり文章、カタカナ、ひらがなの混合と来ましたか。完成度が高い右横書きだと思います。これは、七海さんの勝ちとしましょう」
 「なんですか。その回りくどい言い方は。素直に負けを認めてください」
 七海は眉をひそめた。桜濱は慌てて、言い訳をする。
 「い、いや、負けました。僕の負けです。ちゃんと、左右両面の写真を撮っているのもポイントが高いですよ」
 「右横書きを観察していると、右側面しか撮らなくなりますから。こうして、見比べるのも必要だな、と思ったんですよ」
 「うん、そうなんですよね。どうしても、右側しか撮らなくなります。比較するには、こうしなくちゃいけないんでしょうね」
 七海はしてやったり、という表情で、にこにこしている。
 「ふふー。ちゃんと研究しているんですよ。卒論用にはこういうのも必要だと思ったんです」
 「おや。七海さん、右横書きを卒論にするんですか?」
 「材料の一つとして使おうかな、と思ってるんです。駄目しょうか?」
 「僕としては、大歓迎ですよ。なかなか右横書きの資料ってありませんからね。いろいろ調べて、僕にも教えてください」
 「楽なところを持っていこうとしますね。ずるいですよ。桜濱さんもちゃんと右横書きを集めてください」
 「分かってますよ。僕ももちろん調べます。ところで、いい区切りなので、ここらへんで、一休みしませんか? ケーキを…」
 「まだです。もう少し見てからです。他にも、別の意味になっている右横書きがあるんですから。桜濱さんも出してください」
 「ふー…、そうですか。それなら、これなんてどうですか」

右横書き12

 「わー、これは見事に別の意味になっていますね。『きたのさと』が『土佐の滝』なんて。高知県の滝ってことですよね」
 「そういうことになりますね。実際にこの車で高知県まで行ってみたいですね。そして、バックを滝にして写真を撮ったら、それはそれは綺麗でしょう…」
 桜濱はその場面を想像しているのか、遠い目をしている。
 「ちょっと、桜濱さんっ。一人で、旅立たないでくださいっ」
 「あ、すみません。ほらほら、意味が変わるのでしたら、こんなのもありますよ。インパクトはあまりありませんが」

右横書き13

 「『昼間』。シンプルですね。でも、ちゃんと正しいことばになってますね。…思ったんですが、このタイプの右横書きって、短いことばに限られてくるんじゃないですか?」
 「僕もそうだと思います。単語レベルの右横書きじゃないと難しいでしょう。さっきの『きたのさと』は、二つの文節で構成されているから面白くなっていると思います。複数の文節で構成されていたり、文章になっている右横書きは、インパクトが大きくなりやすいようです」
 「こんなのですか?」
 七海は、数枚の写真を取り出した。

右横書き14

右横書き15

右横書き16

 「そうです、そうです。最後のはいいですねー。七海さん、これはお手柄ですよ。内容も名古屋っぽい」
 「原型をとどめていませんよね。正しく読もうと思えば読めなくもないですが、『おに嫁』みたいにも見えますし。文章が文字レベルまでバラバラに分解されているようです」
 「一種のゲシュタルト崩壊と見ることができるでしょう。長文になればなるほど可読性が低くなるのが一般的な右横書き文ですよね。でも、最初の『近藤産興』さんの右横書き、「何んでも貸します」は名古屋ではテレビCMなどでよく知られたフレーズなので、右横書きにしても可読性がそれほど落ちないんです。左横書き、縦書き、もしくは音声で『刷り込み』があらかじめ為されている文は、右横書きにしても、ぱっ、と見て分かるんですよ。これも右横書きが無くならない一つの要因だと思います」
 「キャッチフレーズが右横書きになってもすんなりと読めるようになるということは、企業にとってある種のステータスにもなるんですね」
 「ちょっと大げさな気もしますが、そう言えるでしょう。その点、こっちの『ワカサマのスイ』は『若様の粋』というかっこいいことばがまず連想されますね。右横書きとしては面白いんです。でも、こう言っては悪いと思いますが、元があまり馴染みが無いので、宣伝効果は若干落ちる、と言わざるを得ません」
 「長めの右横書きは、『頭から読める居心地の良さ』を取るか、『可読性』を取るか迷いどころになっちゃいますね」
 「右横書き観察者からしたら、可読性を捨てても右横書きにしてほしいところなんですが」
 「そんな、道楽ばかり言ってちゃいけません。もっとしっかりしてください」
 「保護者みたいに言わないでくださいよ。ささやかな趣味なんですから。では、休憩に入る前の最後の一番といきましょう。可読性のことが出たので、『把握し辛い』右横書きをテーマとします。七海さん、分かりにくい右横書きを出してください。」
 「えーと…、これとか、これは分かりにくいと思います。どうでしょうか」

右横書き17

右横書き18

 「どちらも漢字種ですね。文字数も多い。確かに、漢字は仮名やアルファベットに比べて画数が多いので、集まると黒っぽくなって、読みにくくなる傾向があります。一枚目のは、フォントも入り混じっているので、なおさら読みにくくなってますね。これはテーマに合っています。でも、問題は二枚目の写真です。これは右横書きじゃないですよ」
 「えっ? だって『屋古名』じゃないですか」
 「その前を見てください。地名が全部縦書きですよね。だからこの『屋古名』は『一行一字の縦書き』です」
 「あー、なるほど。そうですね。うっかりしてました」
 「基本事項ですよ。でも、今時、一行一字の縦書きなんて。こっちの方が珍しい。レア物です。コレクションにいただきます」
 「駄目出しをしておきながら、横取りするなんてずるいです。桜濱さんは、これで、ケーキの選択権が無くなりました」
 七海は、すっ、と立ち上がり、キッチンにケーキを取りに行った。
 「ごめんなさいー!」


 後編につづく


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