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2008.05.25

大トリを飾る者は、やっぱり強くなくては

 パルコがイベント週間に入っているようです。入り口に立て看板が設置されていました。各日のスケジュールが掲載されています。

立て看板 in パルコ
 催し過ぎです

 どういう基準が設けられていたのでしょうか? そもそも選考基準なんてあったのでしょうか? そう考えずにはいられない、人選のバラバラ具合です。

 ビヨンセを踊れるいいとも少女隊。
 ロックバンド
 元カリスマホスト
 あごのものまね
 若手俳優

 そして、

 改造人間!

 「仮面ライダー1号」は、他の出演者と違い、「が やってくる!」と「!」付きで紹介されているのが、なんだかかえって物悲しいです。
 しかも、これまた他の出演者の方々と違い、2回公演です。ますます物悲しくなります。息苦しいでしょうに…。

 それに比べて、「城咲仁」さんのご優待っぷりには目を見張ります。城咲さんだけ、「要整理券」です。他の方々が「西館1F店頭」なのに、城咲さんだけ、「西館9F クレストンホテル シルバールーム」です。ちなみに「クレストンホテル シルバールーム」はこのようなところです。(参考:名古屋クレストンホテル) ライダー1号もここで奮闘して頂きたかったです。

立て看板・アップ
 城咲さん、左45度。

 パルコ・クレストンホテルは、名古屋で一番の歓楽街、栄・錦地区が近くなので、ホストの方々がお勉強のために参加されるのかもしれません。
 もちろん、城咲さんは、ホテルのパーティ会場なので、要整理券です。無くなり次第終了。ライダー1号は、人数無制限で歓迎です。

―――

 同列で並んでいるようで、さり気なく差を付けているこの立て看板。私はライダー1号が不憫に思えてなりません。なので、少し慰めて差し上げたくなりました。

立て看板・改造
 ゴールドルームに格上げさせました

 どうか、ますます不憫だとは思わないでください。


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2008.05.21

お古で大喜び?

 今は昔の話しだけどな。東宮傅の大納言、藤原道綱様という方がいらっしゃった。道綱様のお宅は一条にあってな、そこに、世に知らぬ者はないというくらいの、冗談が上手いひょうきん者の侍がいたんだ。みんなは、「内藤」と呼んでいたんだと。
 ある日、その内藤が、道綱様の一条のお宅で、夜、眠っていると、そいつの烏帽子をネズミがくわえて行って、めちゃくちゃに食い破ってしまったんだそうだ。
 内藤は、替わりの烏帽子を持っていなくてな。それでも、烏帽子をしてないと格好が付かんだろ。だから、出て行くこともできないで、宿直の一番奥の部屋に籠って、袖ですっぽりと頭を覆って、人前に出ようとしなかったんだってさ。
 道綱様がそのことをお聞きになって、「可哀想なことになったものだな」と仰って、御自身の烏帽子を取り出して、「これを渡しなさい」と内藤に下さったんだよ。
 内藤は、道綱様の烏帽子を頂戴し、それを被って、やっと部屋から出てきたんだ。そして、他の侍たちに、
「おい、お前たち、これが目に見えぬか。お寺冠とか神社冠を手に入れたからといって被ってありがたがるもんじゃないぞ~。お・れ・は、一の大納言様のお古の烏帽子をいただいたんだぜっ!」
と、首を突き出して、なんとも得意げな顔で、両袖をぱたぱたと叩いたんだ。それを見た、周りの侍たちは大笑いさ。
 世間には、ちょっとしたことでも、このように面白おかしく言ってのける者もいるってことだ。道綱様も、この話しをお聞きになってお笑いになったと語り継がれているよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻28・第43話「傅の大納言の烏帽子を得たる侍の語」の現代語訳です。『今昔』の訳をするのは、随分久しぶりでしたので、骨が折れました。
 巻28なので「嗚呼話」、つまり「笑い話」を集められたところに所収されている説話です。しかし、現代人の感覚からは、ちょっと笑いどころが掴みにくいですね。いくつかポイントがあるので、順番に押さえてみましょう。

 まず、大納言道綱は東宮=皇太子の世話役という高位にあったということです。原文でも内藤の台詞で「一ノ大納言」という表現がされています。ランクにすると、「太政大臣」「左大臣」「右大臣」「内大臣」「大納言」「中納言」と続きます。かなり上ですね。ただ、道綱は政治能力が乏しい人物だったらしく、弟の藤原道長は太政大臣・摂政にまで登り詰めて、栄華を極めますが、道綱は大納言止まりでした。

 この時代、「烏帽子」はどのようなアイテムだったのでしょうか? 頭に被るものですが、今の、お洒落のために被る、キャップやハットとは意味合いが違っていました。烏帽子を被らない姿はとても人に見せられないという意識があったのです。『今昔物語集』には、他にも烏帽子を落とすとか壊すなどの説話があります。そこに面白みや深い興味があったからでしょう。それほど重要なアイテムを失ってしまったのですから、内藤は一番奥の部屋に籠って、袖で頭を覆って出てこなかったのです。恥ずかしすぎて出てこられなかったのです。今の感覚で言えばどうなるでしょう…。こんな感じでしょうか。

ファー様
 『神聖モテモテ王国』(ながいけん著・小学館)より。主人公のファー様は「白ブリーフが宇宙の掟だ」と言い、ズボンを履くことを頑なに拒みます。

 こんな白ブリーフだけでお洒落な街(東京だと青山や代官山、名古屋だと星ヶ丘でしょうか)を闊歩せよ、というのが近いかもしれません。だから、道綱も不憫に思って、自分の烏帽子をプレゼントしたのでしょう。
 この訳を書く上で一番困ったのは、原文「寺冠・社冠」というところです。私は『新日本古典文学大系』(岩波書店)を、底本にして書いていますが、「寺冠・社冠」について、大系本の注釈には「寺冠、社冠の意味は未勘」と、二つがどのようなものか分からないとしています。続いて「『一ノ大納言』との対比から推すに、それに劣らず尊い所を持ち出したか。そのような冠は存在しないからおかしみが生まれる」と解釈しています。内藤は「寺冠・社冠」といかにも特別にありがたそうなものが、まるであるかのように言っているところが、この説話で一番の笑いどころなのです。現代人がこの笑いを理解するのは、ちょっと難しいですね。
 でも、そのあとの「一ノ大納言ノ御古烏帽子ヲコソハ給ハリテセメ」は、分かりやすいです。どんなにありがたい「寺冠・社冠」を被るよりも、自分がもらった道綱のお古の烏帽子の方がどんなに素晴らしいかを胸を張って言っているのです。しかも、それを言っている様子が「頸ヲ持立テ、シタリ顔ニ袖ヲ打合セテ居タリケル」と、得意気に、首をぐいっと前に出して、袖を両腕で叩きながら、「ふふん」といった感じでお古の烏帽子を被った頭を見せびらかしたのでしょう。その様子は、まさに滑稽譚、といって差し支えないものだと思います。

 『今昔物語集』の中には、芥川龍之介の「鼻」や「芋粥」の元になった説話など、現代でも通用する笑い話もあれば、今回ご紹介したもののように、現代人にはやや理解しにくい「嗚呼の説話」も入っています。でも、そのような説話も、何度も読み返せば、しみじみとおかしみが沸いてきます。また、こんなちょっと分かりにくいお話しを読んでいると、「古典を味わっているなぁ」と得意気にもなってきますよ。内藤みたいに。

――――――――――

 上の写真で引用した『神聖モテモテ王国』(1~6巻)は長らく絶版でしたが、小学館様コミックパーク様のお力と熱烈なファンの声で、単行本未収録話を集めた「第7巻」を加えて、復刊版が発売されました。この復刊版は、一般の書店には流通していないので、ご購入をお考えの方は、コミックパーク様のサイトからどうぞ。


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2008.05.10

増幅する怒りの図

 人の感情表現は「喜怒哀楽」と言われます。この四つの感情は、それぞれに特有の性質があるように思われます。今回は、このうち「怒り」について考えてみましょう。
 「怒る」には、やたらと重量感がある印象を受けます。胸の奥にずっしりと溜まっているようなイメージです。そして、ただ溜まっているのではなくて、それが徐々に、上に上がっていって、限界点を超えたときに、溜まった分だけ、爆発的にぶちまけられるのです。慣用表現を使うとしたら、「ふつふつと怒りが沸いて」きて、「怒り心頭に発する」となるわけです。
 『新明解国語辞典 第六版』(三省堂)で「怒る」を引くと、

 いか・る【怒る】(自五)
 (一)許しがたい事柄に接し、不快感を抑えきれず、いらだった状態になる。おこる。(後略)

と、あります。ここで注目すべきことは「不快感を抑えきれず」というところでしょう。「怒り」は、自分の内面から表に出るのです。喜怒哀楽のうち、他の三つは自分の内側で感じて、終結させることができるのではないでしょうか。「怒り」は、腹の裡に仕舞っておくことができないのです。

 「もう、我慢できんっ!!」

と、八方構わず、パワーが噴出されるのが「怒り」なのです。
 その対象が怒りをもたらした元でないときは「八つ当たり」であり、他の人から見たら些細なことで、あっという間に怒りが噴き出すのが「キレる」ということなのでしょう。
 しかし、ある程度分別のある人だったら、「八つ当たり」も「キレる」ことも躊躇われます。それでも、溜め込んだ怒りは抑えきれず発散させたい。そうしなければ、精神衛生上良くないと私も思います。
 そこで、許される範囲で、怒りを噴出させようとなるのです。

看板地1

 歩道に囲まれた、変形四角形の土地です。8畳間くらいの大きさでしょうか。真ん中に一本だけ木が植えられていて、その周囲は特に手入れされた様子もなく、草が生えっぱなしになっています。この狭い土地の縁に、ふつふつと沸いた怒りが表出していました。

看板1

 駅が近いので、人通りも多いのでしょう。中には、無分別な人もいると思います。心無い人が、通りがかりに何かしら散らかしていくことが多かったのかもしれません。そこで、地主さんと思われる方(以下、筆記者氏)が、注意を喚起するこの立て看板を設置したと思われます。
 冷静な文面ですが、よく見ると、すでにこの看板を書いている時点で、筆記者氏の怒りは出てきています。まずは、句点の打ち方がおかしなことに目が行きますね。捨ててはいけないものの中で、句点が打たれているものと、打たれていないものがあります。もう、抑えきれない怒りのために、判別があやふやになっているのです。

看板2

 先の看板とあまり変わりが無いように見えます。確かに文面に違いはほとんどありませんし、句点の打ち方もほぼ同じです。
 ここで注目すべきは、「絶対」の文字です。「絶対」という強い意志の感じられる単語が倍角で書かれています。「絶」の字は、上の行の「タバ」と同じ幅です。しかも、抑えきれない怒りで倍角の「絶対」を書いたために、後半の「下さい。」のなんと小さなことか。入りきれなかったのです。それでも良いのです。筆記者氏は「絶対」を言いたかったのですから。

看板3

 一見すると、捨ててはいけない場所を書き記していない分、あっさりとした文面になっているようです。「絶対」もそれほど大きくありません。「下さい。」にやや無理が生じてはいますが。
 これを、筆記者氏の怒りが沈静化したと見てよいものでしょうか。否。筆記者氏は、己の怒りを抑えようとしながら、怒りを制御できていませんでした。

 「ジューズの缶。」

 「『ジュー』の缶」ということです。筆記者氏は、何をお考えになったのか、濁点を打ってはいけないところに打って、とうとう民族問題にまで立ち入ってしまいました。私は、この看板については、もうこれ以上申し上げません。

看板4

 この一連の看板群に言えることですが、「ジュース」の書き方にやや問題があります。筆記者氏の癖なのかもしれませんが、「ュ」を大きく書く傾向にあるのです。最近は、「ぁたしゎ、ぁのひとが、かゎゅいと思ぅょ」といったような文面をネット上で頻繁に目にするようになりましたが、筆記者氏はその潮流を力強く遡っています。抑えきれない怒りの力のためでしょう。

 「ジユースの缶。」

 「ジュースの缶」と書くよりも数段上の怒りが伝わってきます。

 これで、変形四角形の土地の各辺に立てられた看板を鑑賞して、ひしひしと伝わる筆記者氏の怒りを受け止めました。はい、わかりました。絶対に、「ジュースの缶」(中略)「ゴミ。」は捨てません。
 …と心に刻み込んで、ふと脇を通る道に目を遣ると、

看板地2

 電信柱とそのまた向こうになにかあります…。行ってみましょう。

看板5

看板6

 電信柱の表と裏です。針金でしっかりと固定されています。この針金が登場したことで、抑えきれない怒りがうかがえます。
 スペースが少ないためか、文字数を制限しています。筆記者氏は無駄遣いだと気づいたのか、句点の数を極端に減らし、「ゴミ。」「下さい。」にしか付けていません。でも、「ゴミ」にも本来は句点は要りません。
 さて、道を渡ったところにある、大物らしき存在を鑑賞してみましょう。

看板7

 用件は軽く流しています。もし捨てたらの場合に、とうとう公権力を持ち出しました。「通報」です。でも、相変わらず、最初は「カン。」と余分(と思われる)な句点があります。
 この看板で、「警察」「通報」のことばが出たことで、怒り心頭に達しつつあることがうすうすと感じられます。

看板9

 ついに、噴火です。
 怒り心頭を突き破りました。
 筆記者氏は、これまで我慢に我慢を重ねて、数枚の看板を書いていたのでしょう。でも、それも限界。もう堪忍袋の緒がズタズタ。
 いきなり「捨てたら警察に通報します。」と、震える文字で、公権力を発動させることを宣言します。その一文の両脇から伸びて、看板を囲む赤いライン。危険度が上がったことを知らせています。
 「コヒー」。発音良く書いています。"coffee"。
 「レジー」。伸ばさなくてもいいような気がしますが、抑えきれなかった怒りがそうさせません。
 「犬の糞」。いままで、ずっと、「犬のフン」とカナで書いていた優しき筆記者氏はどこに行かれたのでしょう。筆文字で書くにはあまりに画数の多い字。この漢字を書かせたのも、抑えきれなかった怒りためとしか考えられません。
 「タバコの吸い殻」。「糞」が書けるのですから「殻」なんて漢字は、お茶の子さいさいです。
 「弁当の容器」。とうとう、仮名が「の」だけになってしまいました。
 「ゴミ一切捨るな」。これは強調の意志を示す高度なレトリックです。助詞を省くことで冗長さを無くしています。これまで見かけなかった「一切」という副詞を加えました。
 そして、最後の「捨るな」。これをただ単に「捨てるな」の送り仮名違いと読むべきではありません。「捨てるな」と「するな」を掛けているのです。筆記者氏は「捨てるな、捨てるな、捨てるなっ!!(怒り心頭) とにかくゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ! うぉーっ! なにもするなーっ!(怒り心頭を超える)」といった状態になったのだと推測します。

 これらの看板群からは、断片的に怒りが漏れ出て、最後に土手が決壊するように、怒りが迸るのだということを見て取ることができました。

 幸いにして、この周辺では、コヒー。ジュース(ジューズ、ジユース)の缶。ペットボトル。レジーの袋。犬の糞。タバコの吸い殻。弁当の容器。菓子の袋。総称して、「ゴミ。」は一切見かけませんでした。看板の効果はあるようです。

 しかし、筆記者氏が必死に守っていらっしゃるこの8畳ほどの土地が、何のためのものなのかは分からず仕舞いでした。


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