人の感情表現は「喜怒哀楽」と言われます。この四つの感情は、それぞれに特有の性質があるように思われます。今回は、このうち「怒り」について考えてみましょう。
「怒る」には、やたらと重量感がある印象を受けます。胸の奥にずっしりと溜まっているようなイメージです。そして、ただ溜まっているのではなくて、それが徐々に、上に上がっていって、限界点を超えたときに、溜まった分だけ、爆発的にぶちまけられるのです。慣用表現を使うとしたら、「ふつふつと怒りが沸いて」きて、「怒り心頭に発する」となるわけです。
『新明解国語辞典 第六版』(三省堂)で「怒る」を引くと、
いか・る【怒る】(自五)
(一)許しがたい事柄に接し、不快感を抑えきれず、いらだった状態になる。おこる。(後略)
と、あります。ここで注目すべきことは「不快感を抑えきれず」というところでしょう。「怒り」は、自分の内面から表に出るのです。喜怒哀楽のうち、他の三つは自分の内側で感じて、終結させることができるのではないでしょうか。「怒り」は、腹の裡に仕舞っておくことができないのです。
「もう、我慢できんっ!!」
と、八方構わず、パワーが噴出されるのが「怒り」なのです。
その対象が怒りをもたらした元でないときは「八つ当たり」であり、他の人から見たら些細なことで、あっという間に怒りが噴き出すのが「キレる」ということなのでしょう。
しかし、ある程度分別のある人だったら、「八つ当たり」も「キレる」ことも躊躇われます。それでも、溜め込んだ怒りは抑えきれず発散させたい。そうしなければ、精神衛生上良くないと私も思います。
そこで、許される範囲で、怒りを噴出させようとなるのです。
歩道に囲まれた、変形四角形の土地です。8畳間くらいの大きさでしょうか。真ん中に一本だけ木が植えられていて、その周囲は特に手入れされた様子もなく、草が生えっぱなしになっています。この狭い土地の縁に、ふつふつと沸いた怒りが表出していました。
駅が近いので、人通りも多いのでしょう。中には、無分別な人もいると思います。心無い人が、通りがかりに何かしら散らかしていくことが多かったのかもしれません。そこで、地主さんと思われる方(以下、筆記者氏)が、注意を喚起するこの立て看板を設置したと思われます。
冷静な文面ですが、よく見ると、すでにこの看板を書いている時点で、筆記者氏の怒りは出てきています。まずは、句点の打ち方がおかしなことに目が行きますね。捨ててはいけないものの中で、句点が打たれているものと、打たれていないものがあります。もう、抑えきれない怒りのために、判別があやふやになっているのです。
先の看板とあまり変わりが無いように見えます。確かに文面に違いはほとんどありませんし、句点の打ち方もほぼ同じです。
ここで注目すべきは、「絶対」の文字です。「絶対」という強い意志の感じられる単語が倍角で書かれています。「絶」の字は、上の行の「タバ」と同じ幅です。しかも、抑えきれない怒りで倍角の「絶対」を書いたために、後半の「下さい。」のなんと小さなことか。入りきれなかったのです。それでも良いのです。筆記者氏は「絶対」を言いたかったのですから。
一見すると、捨ててはいけない場所を書き記していない分、あっさりとした文面になっているようです。「絶対」もそれほど大きくありません。「下さい。」にやや無理が生じてはいますが。
これを、筆記者氏の怒りが沈静化したと見てよいものでしょうか。否。筆記者氏は、己の怒りを抑えようとしながら、怒りを制御できていませんでした。
「ジューズの缶。」
「『ジュー』の缶」ということです。筆記者氏は、何をお考えになったのか、濁点を打ってはいけないところに打って、とうとう民族問題にまで立ち入ってしまいました。私は、この看板については、もうこれ以上申し上げません。
この一連の看板群に言えることですが、「ジュース」の書き方にやや問題があります。筆記者氏の癖なのかもしれませんが、「ュ」を大きく書く傾向にあるのです。最近は、「ぁたしゎ、ぁのひとが、かゎゅいと思ぅょ」といったような文面をネット上で頻繁に目にするようになりましたが、筆記者氏はその潮流を力強く遡っています。抑えきれない怒りの力のためでしょう。
「ジユースの缶。」
「ジュースの缶」と書くよりも数段上の怒りが伝わってきます。
これで、変形四角形の土地の各辺に立てられた看板を鑑賞して、ひしひしと伝わる筆記者氏の怒りを受け止めました。はい、わかりました。絶対に、「ジュースの缶」(中略)「ゴミ。」は捨てません。
…と心に刻み込んで、ふと脇を通る道に目を遣ると、
電信柱とそのまた向こうになにかあります…。行ってみましょう。
電信柱の表と裏です。針金でしっかりと固定されています。この針金が登場したことで、抑えきれない怒りがうかがえます。
スペースが少ないためか、文字数を制限しています。筆記者氏は無駄遣いだと気づいたのか、句点の数を極端に減らし、「ゴミ。」「下さい。」にしか付けていません。でも、「ゴミ」にも本来は句点は要りません。
さて、道を渡ったところにある、大物らしき存在を鑑賞してみましょう。
用件は軽く流しています。もし捨てたらの場合に、とうとう公権力を持ち出しました。「通報」です。でも、相変わらず、最初は「カン。」と余分(と思われる)な句点があります。
この看板で、「警察」「通報」のことばが出たことで、怒り心頭に達しつつあることがうすうすと感じられます。
ついに、噴火です。
怒り心頭を突き破りました。
筆記者氏は、これまで我慢に我慢を重ねて、数枚の看板を書いていたのでしょう。でも、それも限界。もう堪忍袋の緒がズタズタ。
いきなり「捨てたら警察に通報します。」と、震える文字で、公権力を発動させることを宣言します。その一文の両脇から伸びて、看板を囲む赤いライン。危険度が上がったことを知らせています。
「コヒー」。発音良く書いています。"coffee"。
「レジー」。伸ばさなくてもいいような気がしますが、抑えきれなかった怒りがそうさせません。
「犬の糞」。いままで、ずっと、「犬のフン」とカナで書いていた優しき筆記者氏はどこに行かれたのでしょう。筆文字で書くにはあまりに画数の多い字。この漢字を書かせたのも、抑えきれなかった怒りためとしか考えられません。
「タバコの吸い殻」。「糞」が書けるのですから「殻」なんて漢字は、お茶の子さいさいです。
「弁当の容器」。とうとう、仮名が「の」だけになってしまいました。
「ゴミ一切捨るな」。これは強調の意志を示す高度なレトリックです。助詞を省くことで冗長さを無くしています。これまで見かけなかった「一切」という副詞を加えました。
そして、最後の「捨るな」。これをただ単に「捨てるな」の送り仮名違いと読むべきではありません。「捨てるな」と「するな」を掛けているのです。筆記者氏は「捨てるな、捨てるな、捨てるなっ!!(怒り心頭) とにかくゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ! うぉーっ! なにもするなーっ!(怒り心頭を超える)」といった状態になったのだと推測します。
これらの看板群からは、断片的に怒りが漏れ出て、最後に土手が決壊するように、怒りが迸るのだということを見て取ることができました。
幸いにして、この周辺では、コヒー。ジュース(ジューズ、ジユース)の缶。ペットボトル。レジーの袋。犬の糞。タバコの吸い殻。弁当の容器。菓子の袋。総称して、「ゴミ。」は一切見かけませんでした。看板の効果はあるようです。
しかし、筆記者氏が必死に守っていらっしゃるこの8畳ほどの土地が、何のためのものなのかは分からず仕舞いでした。
ほめられて伸びるタイプなので、押していただけるとすごく喜びます。
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