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2008.05.21

お古で大喜び?

 今は昔の話しだけどな。東宮傅の大納言、藤原道綱様という方がいらっしゃった。道綱様のお宅は一条にあってな、そこに、世に知らぬ者はないというくらいの、冗談が上手いひょうきん者の侍がいたんだ。みんなは、「内藤」と呼んでいたんだと。
 ある日、その内藤が、道綱様の一条のお宅で、夜、眠っていると、そいつの烏帽子をネズミがくわえて行って、めちゃくちゃに食い破ってしまったんだそうだ。
 内藤は、替わりの烏帽子を持っていなくてな。それでも、烏帽子をしてないと格好が付かんだろ。だから、出て行くこともできないで、宿直の一番奥の部屋に籠って、袖ですっぽりと頭を覆って、人前に出ようとしなかったんだってさ。
 道綱様がそのことをお聞きになって、「可哀想なことになったものだな」と仰って、御自身の烏帽子を取り出して、「これを渡しなさい」と内藤に下さったんだよ。
 内藤は、道綱様の烏帽子を頂戴し、それを被って、やっと部屋から出てきたんだ。そして、他の侍たちに、
「おい、お前たち、これが目に見えぬか。お寺冠とか神社冠を手に入れたからといって被ってありがたがるもんじゃないぞ~。お・れ・は、一の大納言様のお古の烏帽子をいただいたんだぜっ!」
と、首を突き出して、なんとも得意げな顔で、両袖をぱたぱたと叩いたんだ。それを見た、周りの侍たちは大笑いさ。
 世間には、ちょっとしたことでも、このように面白おかしく言ってのける者もいるってことだ。道綱様も、この話しをお聞きになってお笑いになったと語り継がれているよ。

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 『今昔物語集』巻28・第43話「傅の大納言の烏帽子を得たる侍の語」の現代語訳です。『今昔』の訳をするのは、随分久しぶりでしたので、骨が折れました。
 巻28なので「嗚呼話」、つまり「笑い話」を集められたところに所収されている説話です。しかし、現代人の感覚からは、ちょっと笑いどころが掴みにくいですね。いくつかポイントがあるので、順番に押さえてみましょう。

 まず、大納言道綱は東宮=皇太子の世話役という高位にあったということです。原文でも内藤の台詞で「一ノ大納言」という表現がされています。ランクにすると、「太政大臣」「左大臣」「右大臣」「内大臣」「大納言」「中納言」と続きます。かなり上ですね。ただ、道綱は政治能力が乏しい人物だったらしく、弟の藤原道長は太政大臣・摂政にまで登り詰めて、栄華を極めますが、道綱は大納言止まりでした。

 この時代、「烏帽子」はどのようなアイテムだったのでしょうか? 頭に被るものですが、今の、お洒落のために被る、キャップやハットとは意味合いが違っていました。烏帽子を被らない姿はとても人に見せられないという意識があったのです。『今昔物語集』には、他にも烏帽子を落とすとか壊すなどの説話があります。そこに面白みや深い興味があったからでしょう。それほど重要なアイテムを失ってしまったのですから、内藤は一番奥の部屋に籠って、袖で頭を覆って出てこなかったのです。恥ずかしすぎて出てこられなかったのです。今の感覚で言えばどうなるでしょう…。こんな感じでしょうか。

ファー様
 『神聖モテモテ王国』(ながいけん著・小学館)より。主人公のファー様は「白ブリーフが宇宙の掟だ」と言い、ズボンを履くことを頑なに拒みます。

 こんな白ブリーフだけでお洒落な街(東京だと青山や代官山、名古屋だと星ヶ丘でしょうか)を闊歩せよ、というのが近いかもしれません。だから、道綱も不憫に思って、自分の烏帽子をプレゼントしたのでしょう。
 この訳を書く上で一番困ったのは、原文「寺冠・社冠」というところです。私は『新日本古典文学大系』(岩波書店)を、底本にして書いていますが、「寺冠・社冠」について、大系本の注釈には「寺冠、社冠の意味は未勘」と、二つがどのようなものか分からないとしています。続いて「『一ノ大納言』との対比から推すに、それに劣らず尊い所を持ち出したか。そのような冠は存在しないからおかしみが生まれる」と解釈しています。内藤は「寺冠・社冠」といかにも特別にありがたそうなものが、まるであるかのように言っているところが、この説話で一番の笑いどころなのです。現代人がこの笑いを理解するのは、ちょっと難しいですね。
 でも、そのあとの「一ノ大納言ノ御古烏帽子ヲコソハ給ハリテセメ」は、分かりやすいです。どんなにありがたい「寺冠・社冠」を被るよりも、自分がもらった道綱のお古の烏帽子の方がどんなに素晴らしいかを胸を張って言っているのです。しかも、それを言っている様子が「頸ヲ持立テ、シタリ顔ニ袖ヲ打合セテ居タリケル」と、得意気に、首をぐいっと前に出して、袖を両腕で叩きながら、「ふふん」といった感じでお古の烏帽子を被った頭を見せびらかしたのでしょう。その様子は、まさに滑稽譚、といって差し支えないものだと思います。

 『今昔物語集』の中には、芥川龍之介の「鼻」や「芋粥」の元になった説話など、現代でも通用する笑い話もあれば、今回ご紹介したもののように、現代人にはやや理解しにくい「嗚呼の説話」も入っています。でも、そのような説話も、何度も読み返せば、しみじみとおかしみが沸いてきます。また、こんなちょっと分かりにくいお話しを読んでいると、「古典を味わっているなぁ」と得意気にもなってきますよ。内藤みたいに。

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 上の写真で引用した『神聖モテモテ王国』(1~6巻)は長らく絶版でしたが、小学館様コミックパーク様のお力と熱烈なファンの声で、単行本未収録話を集めた「第7巻」を加えて、復刊版が発売されました。この復刊版は、一般の書店には流通していないので、ご購入をお考えの方は、コミックパーク様のサイトからどうぞ。


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