あなたが落としたのは、この銀の器ですか?
今は昔…とは申しましても、それほど古いお話しではございません。白井の君という僧がおりました。聞くところによると、最近亡くなられたそうでございます。
白井の君は、初めは高辻小路と東洞院小路の交わる所に住んでおりましたが、その後、烏丸小路の東側、六角小路の北側に移り住んだようでございます。そこは、六角堂と背中合わせの所でした。
白井の君は、その住まいに井戸を掘ることにしました。土を鋤いては投げ上げる。これをしばらく続けておりますと、投げ上げた土から「かんっ!」という音が聞こえたのです。土に混じった小石が金物にぶつかったような音でした。白井の君は気になって、音のした所に近寄ってみると、掘った土の山の中に、銀のお椀を見つけたのです。「これはいい物があったわい」と、その銀のお椀を取っておいたのでした。そして、しばらくして、そのお椀に銀をつぎ足して、小さい鍋に作り変えたのでした。
白井の君の知り合いに、備後守・藤原良貞という方がいらっしゃいました。ある時、白井の君の住まいに、備後守の姫君方が、湯浴みと髪を洗いに行かれたのです。そこで、備後守の召使いが、例の井戸に、例の銀の鍋を持って行き、その鍋を井戸の囲いの上に置いて、井戸で仕事をしていた女に、水を入れさせたのです。
その時、ふとしたはずみで銀の鍋を井戸の中に落としてしまったのでした。銀の鍋が落ちるさまを白井の君もちょうどそこで見ておりましたので、慌てて人を呼び出して、「あの銀の鍋を引っぱり上げてくれ」と申し付けたのです。一人の男がすぐさま井戸の中に下りたのですが、全く見当たりません。「これは、深くまで沈んでしまったんだな」と思われましたので、さらに幾人かを呼び出し、彼らも井戸に下ろして探らせたのですが、それでも見付かりません。「これだけ探しても見付からないなんて…」と、皆、不思議に思いました。それで、とうとう、総出で水を全部汲み上げて、井戸を空っぽにしてしまったのです。「こんなに手間をかけさせて。さて、どこにあるかな」と井戸の中を見たのですが、銀の鍋はどこにもありません。結局見付からなかったのです。消え失せてしまったのです。
この話しを聞いた人たちは「もともとのお椀の持ち主は、何かこの世に名残を持った怨霊だったんだ。そいつがお椀を取り返したんだな」と言い合ったのです。もし、その通りだったとしたら、お椀を見付けたまでは良かったものの、それに銀を足したのを取り返されたのは、全くの大損でしたね。白井の君もつまらない目に遭ったものです。
今では「絶対に怨霊が取り返したんだ」と皆は思っているようです。こんな怖ろしいこともあるんだと、語り継がれているのですよ。
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『今昔物語集』巻二十七・第27話「白井の君、銀の提を井に入れて取らるる語」の現代語訳です。原文では、白井の君が見つけ出して銀を足して作り変えたものは「提」(ひさげ)となっています。今回の訳では「鍋」としましたが、もともとの形状は、「つる」と注ぎ口があって、薬缶に近いです。「でも、『薬缶』とか『ヤカン』とすると、ちょっと雰囲気が出ないなぁ」と思いましたので、やむを得ず「鍋」としておきました。
イソップ童話「金のおの銀のおの」では、湖に普通の斧を落として、出てきた女神様に落としたものを正直に答えると金の斧をもらえるのですが、この説話では落とした銀の提が金になるどころか、返してもくれませんし、「これを落としたのはお前か」と井戸から出てきてもくれません。ケチなお話です。
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