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2006.12.31

年の暮れの大惨事

 今は昔のことでございます。下野守、藤原為元という人がおりました。為元の家は、三条大路の南側、西洞院大路の西にあったということです。
 年の暮れ、十二月の晦日の頃でした。為元の家に強盗が押し入ったのでございます。その大騒ぎは、為元の屋敷だけではなく、近くの屋敷ににも知れ渡りました。あまりの騒ぎになりましたので、盗人は「このままでは、屋敷を囲まれて、逃げられなくなってしまう」と考えたのです。そこで、ろくに物も盗むこともできないまま、為元の家に仕えていた一人の女房を人質に取り、その女房を抱きかかえ、その屋敷から逃げ出したのでした。
 盗人は、用意していた馬に人質とともに乗り、三条大路を西へと駆けたのです。そして、大宮大路との四辻に出たところで、追っ手が来ていると思い、この余計な人質を抱えたままでは逃げることがままならないと考えたのでしょう、女房の着ていた衣を引き剥がして、女房はその場に棄てて、身軽な身となって、逃げ去ったのでした。
 棄てられた女房は、今まで身に覚えのない気持ちを味わい、裸でただ、「怖い、怖い…」とばかりに、ただ辺りをうろつくしかありませんでした。真夜中、目のすぐ先に何があるかも分かりません。女房は、足を踏み外して、大宮河に落ち込んでしまったのです。晦日の夜でございます。水の冷たさはいかばかりでしたでしょう。川の面には、氷が張っておりました。吹く風の冷たさは、身を切るようでございます。川から這い上がった女房は、言い尽くせない恐ろしさと寒さに身を震わせつつ、近くの屋敷の門を叩いて、助けを求めたのでした。しかし、真冬の夜中に門を叩く音…。それもまた怖ろしいことではございませんか。屋敷の中から女房を助けようと出てくるものなどおりません。女房は、いくつかの屋敷の門を同じように力弱く叩き、か細い声で助けを求めたようでございます。しかし、とうとう女房を助けようと出てきたものは一人としておりませんでした。そして、力尽きた女房は、大路に倒れこみ、凍え死んだのでございます。さらに不幸なことは、その亡骸が夜中の内に、犬どもに食い散らされてしまったことでした。翌朝のおぞましい有様は…、申し上げたくはございませんが、長い髪が伸び、血に染まった赤い頭と、紅の袴の切れ端だけが、氷の張った地にあったということです。
 その出来事の後、「盗人を捕えた者には、莫大な賞を与えよう」という宣旨が下り、大騒ぎとなりました。初めから、この犯人として荒三位という藤原某に疑いがかかっておりました。世の人が言うには「あの荒三位が、亡くなった女房に求婚をしたものの、女房はそれを受けなかった」ためだと。
 あれこれと、噂が飛び交っている時、検非違使の左衛門の四等官であった平時道という人が、犯人探しをしておりますと、大和の国に下る途中、山城の国、「柞の杜」というところで、一人の男と出会ったのです。その男、どこか妙な気配を持っていたようです。検非違使を見て、畏まってはいるものの、怪しげな様子だったのです。時道は、その男を捕えて、奈良坂へと連れて行き、「お前が、犯人だろう」と厳しく問いただしたのですが、男は、「身に覚えの無いことでございます」と答えるばかりでした。問答をしても埒が明きませんでしたので、時道は男の体を痛めつけながら、続けて問いただしたところ、
「一昨年、十二月の晦日の頃だったか…。人に誘われて、藤原為元という人の家に押し入った。けど、ろくに物を盗み出すことができないで、位の高そうな女房を人質にとって逃げ出す羽目になっちまった。その女房は、大宮の四辻に棄てて、逃げてきた。…その後の話を聞くと、どうやら凍え死んで、犬に喰い散らかされたらしいな」と白状をしたのです。
 これを聞いた時道は、とうとう犯人を見つけ出したことに大喜びをし、犯人の男を連れて、京に戻り、それを奏上したのでした。宣旨で莫大な恩賞が出ることは皆が知るところでしたので、「時道を三等官にするべきだ」との声が世に上がったのですが、何故か、約束されていたはずの恩賞が下されることはありませんでした。これには、時道よりも世の中が納得しませんでした。「必ず恩賞が下されるということだったんじゃないのか」と、騒ぎが大きくなってきましたので、お上もそれに目をつぶることができなくなったのでしょう。時道には三等官の任が下ったのです。この不手際を、世の人々は、悪く言うことが多かったということです。それにしても、何故に、すぐに初めの宣旨通りに賞が下されなかったのでしょう。何か訳有りなのだと思いますが、不思議なことでございます。
 この一件を顧みますと、女房の死に様の恐ろしさばかりが際立ちます。女は、家の奥にあって、男よりも危なくはないのですが、それでも、寝所などは用心深くするに越したことはございません。「寝床をおろそかにしていたために、あのように人質にも取られたのだ」などという人がいたとも、語り継がれているのでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻二十九・第8話「下野守為元の家に入りたる強盗の語」の現代語訳です。
 このブログは「ほほえみ追求ブログ」と言っておりますが、今回のお話はちっともほほえむ要素はありません。ただ、ちょうど時節が合っているからという理由だけで現代語訳をしてみました。
 女房の死に様の描写がリアリティを持っています。原文では「朝見ケレバ、糸長キ髪ト赤キ頭ト紅ノ袴ト、切々ニテゾ凍ノ中ニ有ケル」と書かれています。淡々と、その様子を記しているところに、迫力を感じました。
 実は、この説話は、『小右記』という当時の貴族の日記の記述により、実際に起きた事件が元になっていることが分かっています。後半、恩賞が下されるのが遅れたという、若干腑に落ちない展開も、『小右記』によれば、犯人逮捕後にさらに主犯という者が自首してきたことが記されており、そのどたばたした顛末のためのようです。

 昨晩、油断して、薄着で外に出ますと、耳がちぎれるのではないかと思うほど寒うございました。暖冬とはいうものの、やはり冬です。しっかりと防寒をしなければならないなと思いました。皆様も、この寒さに体をやられ、お風邪など召されませぬようお気をつけ下さい。

 それでは、この現代語訳記事をもって、今年最後の更新と致します。最後の最後で、暗いお話しを持ち出して恐縮しております。それでは、皆様、よいお年をお迎えくださいませ。


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2006.12.10

アメリカンコーヒー専門店? ~入店の日。そして…~

 これの続きです。コメントもご参照下さい。

―――――

 確かにそこは何度も通り過ぎた道だった。間違いないと思って、二度三度と往復した道だった。しかし、その時は、蜃気楼のようにその看板は消え失せていた。
 今はある。目の前にそれはある。蜃気楼のように消えていたそれは、沙漠の湖のごとく再び眼前にある。年季の入った臙脂と紫の看板に、手書きの品書き。初めて私がそれを目にしたときから、いや、何年も何十年も前から一分の違いも無く、その場所に置かれているかのように思われた。

COFFEEうすい・看板
 消えていたのが嘘のように

 「COFFEE 喫茶うすい」は、この店の正しい名前ではないようだ。入り口のガラス、その上に取り付けられた大きな看板には「ミュージックプラザうすい」と書かれている。窓ガラスの文字や上の看板も、長い年月を経ているようだ。

ミュージックプラザうすい

 昭和30年代、「歌声喫茶」というものが流行したと聞いたことがある。喫茶店に集まった、見知らぬ客同士が合唱をする店だったという。昭和40年台に入り、純喫茶が流行するとともに歌声喫茶は衰退する。音楽喫茶というものもある。主にジャズが流されているとのことだが、品書きを見る限り、ジャズの雰囲気は伝わってこない。
 一体、この喫茶店では、どのような音楽が流れているのだろうか。
 私は、重いガラスのドアを引き開けた。先には、階下へと続く階段が伸びている。「うすい」は地下にあった。

ミュージックプラザうすい・ドア

 階段を降りきると、もう一つドアがあった。それを開けて店の中に入る。10数人が座れるほどのカウンター席と、4つ5つのテーブル席。二人一組の客がテーブル席に着いていた。彼等は煙草を吸っていない。しかし、店には紫煙の香りが沁みている。
 二人の客は私を気にすることなく、会話を続けている。カウンターの奥には、誰もいない。棚にはキープされたウィスキーのボトルが並んでいる。この店は、喫茶店というよりも、スナックと呼ぶほうが適当のようだ。
 一分ほど立ち尽くしていただろうか。左手奥のドアから、店の主人とおぼしき熟年の女性が現れた。

 「あら、すみませんね。どうぞ、お好きな席へ」

 私は、カウンターの中心近くの席に着き、脱いだブルゾンと鞄を左横の座席に置いた。

おしぼり、シロップ&フレッシュ

 「何に、なさいますか」

 ミストレスが訊いた。

 「『コーヒ』ト、トースト、ヲ、オネガイシマス」

 初めて気付いた。「コーヒー」を入り口に置かれた品書きの如く「コーヒ」と口に出すと、後に続く言葉は片言になるのだ。

 「はいはい、コーヒーですね。トーストは1枚? 2枚?」

 私の注文した「コーヒ」は「コーヒー」として、きちんと伝わったようだ。
 トーストは1枚100円だ。安い。2枚注文する人もよくいるのだろう。

 「1枚で」
 「はい、ちょっとお待ちくださいね。あら、その席は上の電球が切れているから、暗かったら他の席に移ってくださいね」

 ふいと見上げると、カウンターに沿って点灯している白熱球は、私の座っている上のものだけが切れていた。他の電球は点っている。暗いとは感じない。この席のままで良い事をミストレスに告げる。カウンターの端には、買って来たばかりと思しき電球が箱に入ったまま置かれていた。
 そして、私は、出された氷水をこくりこくりと飲みながら、何という気も無く、カウンターの奥で私の「コーヒ」と「トースト1枚」を用意するミストレスを眺めていた。
 パンが焼きあがる。
 ミストレスはバターナイフにティースプーン一杯ほどのバターをすくい取り、満遍なく、丁寧に、慣れた手つきで塗りつけた。
 その間に、湯も沸いたようだ。カップの上にドリッパーを置き、濾紙に入れた豆にその湯を注ぎ込む。これもまた、丁寧に、慣れた手つきで。

 「お待たせしました。どうぞ」

 私の前に、縦半分に切られた六つ切りのトースト1枚と、コーヒーカップが置かれる。パンの生地目に沁みこんだバターの香りとカップのコーヒーの香りが、紫煙の香りを紛らす。

「コーヒ」と「トースト」

 「COFFEEうすい」の「コーヒ」は、「アメリカン」の「コーヒー」なのか。それを確かめるためにこの店に入ったのだ。淹れたての熱い「コーヒ」をすする。

 薄くは無い。普通の濃さの「コーヒー」だ。
 もう一口すする。芳ばしい香りが鼻をくすぐる丁寧なコーヒーだ。ここは「アメリカンコーヒー専門店」では無かった。だが、それを残念なことだとは思わなかった。

「コーヒ」

 トーストをかじる。薄いきつね色の焼き色が付いている。さっくりとした食感をわずかに残して、バターの脂でゆるやかな口当たりになっている。難しいことはしていないトーストだ。しかし、美味い。
 半分に切られたトーストを四口で食べ終わる。熱さの和らいだコーヒーをカップ半分ほど飲む。残り半分のトーストを、また四口で食べ終わる。残りのコーヒーを飲み干す。

 「ごちそうさまでした。あの…、こちらは何時から開いているんですか?」
 「朝はだいたい10時頃に開けて、昼は3時過ぎくらい…かしら、それくらいに一度閉めて、また夜は夜で開けますよ」
 「あの、すみません。こちらのお店をインターネットのホームページで紹介してもよろしいでしょうか?」
 「あら、インターネットですか…」

 私は、最近はブログでお店を紹介する場合、店主や店員さんに、出来る限り了解を取るようにしている。礼儀であるとも思うし、このように話しかけることで、お店の人々と会話が弾み、食事をするだけでは知りようのなかったことが分かるときもあるからだ。ただ、初めは不審がられることもある。これは仕方が無いと思うようにしている。

 「僕はインターネットのホームページで、自分が食事をしたお店の感想などを書いているのですが、こちらのお店もご紹介できたらと思いまして」
 「インターネットねぇ…。私はインターネットも携帯電話も持っていないのよ。時代遅れね。紹介ねぇ…、どんなものかよく分からないけど、良いですよ」
 「どうも、ありがとうございます。コーヒー、美味しかったです。…実は、こちらのお店の名前が『うすい』さんなので、アメリカンコーヒー専門の、薄いコーヒーが出てくるお店なのかなと思って、前からずっと気になっていたんです」
 「『うすい』は私の名前なんですよ。『薄い』と『うすい』ね。あはは。なるほどね。頼まれれば、アメリカンコーヒーも出しますよ」
 「そうですよね。だから『うすい』さんというお名前と、『薄い』を掛けて、アメリカンコーヒーだけを出すのかな、なんて思ったんですよ。薄くなくて、美味しかったです」
 「いえいえ、どういたしまして。…でもね、実は、今度の22日でお店を閉めちゃうのよ」

 『閉める』って…。えっ!

 「『閉める』って、店じまいということですか?」
 「そうなの。だから、紹介って言っても、22日までなのよ。…41年。ここで41年お店をやっていたのよ。昭和41年から41年間。でもね、私の体が動くうちに止めることにしたのよ。
 …お店ってね、創めるときはそれほど難しくないのよ。止めるときの方が難しいわね。自分で止めることが出来るときに止めるの。それが良いと思うわ」
 「そうなんですか…。ずっと前から気になって、今日こそはと思ってお邪魔したんですが…。残念です」
 「そうね。残念だけど、仕方ないわねぇ」

 そして、私は上を向き、一つだけ消えている電球を見た。
 ミストレスは、あと10日余りで店を閉めるのに、電球を新品のものに取り替えようとしていたのだ。端の目立たない席の上に点っている電球を外し、カウンターの真ん中近くの電球と取り替えても良いはずだ。ほとんどの客は、そうしても気に留めないに違いない。それでもミストレスは、41年間続けていた通りに、あと10日余りを、一点の欠けも無いように、店内を照らし続けようとしているのだ。これも何かの縁だと感じた。

 「もし、よろしければ、ここの電球を替えますよ」
 「いやいや、いいですよ。あとで知り合いが来たときにでも替えてもらうから」
 「いえ、簡単なものですから。取り替えますよ。あれを着ければいいんですよね」
 「すみませんね。じゃ、着けてもらおうかしら」

 私は、椅子の上に立ち上がって、新しい電球をソケットに捻じ込んだ。黄色の暖かい灯りが点る。

 「あら、点いたわ。どうもありがとうございます。お客さんを使っちゃって、悪かったわね。私はこういうのが駄目で、上手く着けられたり、なかなか着けられなかったりするのよね。良かったわ」

 「コーヒ」と「トースト」の代金400円をミストレスに手渡し、階段を上り、ガラス戸を開けて外に出た。夕方が早い冬の日だ。ちらりほらりとクリスマスを祝う白と青の硬い光が点り始めていた。私はその光に背を向けて、傾いた太陽がうすい闇へと変えている街の外れに歩を進めた。


◎店舗・商品データ
・商品データ
 商品名:コーヒ
 価格:¥300

 商品名:トースト
 価格:¥100

・店舗データ
 店舗名:うすい
 住所:名古屋市中区栄3-13-28
 アクセス:「栄交差点」を西(名古屋駅方面)に約200m。「広小路呉服町交差点」を左折(プリンセス大通りを南下)して、約250mの左手。
 ※2006年12月22日をもって閉店。

喫茶うすい・立て看板
 週「刊」誌が揃っていました


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