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2006.09.07

異形の父

 今は昔のことでございます。ある若い男がおりました。名は…、私には分かりません。ある男だとしか。その男、父母に早くに先立たれました。妻もおりませんでした。
「これから、どのように生きていけばいいんだろう…。せめて頼みにできる妻でもいてくれたらいいのにな」
などと思い、ふらふらとあてども無い暮らしをしておりました。
 そこに、
「親がおらず、その身一つだけなのに、結構な財産があり、華やかに暮らしている女がいるらしいぞ」
と、男に伝えた者がいたのです。男がこの話に飛びつかない訳がありません。その女のもとを訪れ、熱心に求婚をすると、なんと、女は容易にそれを受けたのです。その後、男はその女の家に通うようになったのでした。

 先ほども申しましたように、男は、女の財産の話をかねてより聞いてはいたのですが、実際にその様子は、男の思っていた以上でした。これより作りようがないほど立派にととのえられた家であり、多くの人々がにぎやかに立ち働いておりました。仕えている女は、年配の者、若い者、合わせて七八人ばかりいたようです。皆、たいそう綺麗な着物を着ておりました。召使の者たちもたくさんおり、活き活きと働いておりました。
 また、どこから手に入れたのやら分かりませんが、男の装束、その男に仕えていた童子の着物なども立派なものが用意され、きちんとした牛車まであり、なにかが足りないなどと思うようなことはまるでありませんでしたので、男は、
「きっと、仏様、神様のお助けに違いない」
とまで思い、喜んでおりました。

 妻のことを、もう少し詳しくお話いたしましょう。年は二十歳をやや過ぎたころでしょうか。姿かたちは見目麗しく、長くすらりとした髪が目を惹きました。
「あちらこちらの宮仕えの女を見たことがあるけど、これほどまでに美しい人に出会ったことは一度もない!」
 男は、財産と美人に恵まれたことで、天にも昇る気持ちでおりましたので、絶えることなく、その女のもとに通っておりました。すると、四、五ヶ月ほどした頃、女が身ごもったことが分かったのです。
 女の苦しげな様子が三月くらい続いていた、ある日の昼のことです。年配の者が二人、女に寄り添い、おなかを撫でたりさすったりしている様子を男は見ておりますと「子供が産まれる時、危ないことになったりしないだろうか」などと、早くから不安に思いながら、女の傍で横になっておりました。すると、先ほどの二人の者たちは次々と座を外し、男と女の他には誰もいなくなりました。男は、
「私が、このように添い寝をしているのを見て、気を利かせて座を外したんだな」
と考えて、そのままでおりますと、北側の遠くから人が来て、障子を閉めたのです。

 しばらくすると、思ってもみなかった方の障子が引き開けられたので、
「一体、誰がこんなまねをするのか」
と、思う間もなく、そちらに目を遣ると、紅の衣の上に、さらに暗い紅の水干を重ねた袖口が伸びてきたのです。
「な、なんだっ!? 誰だっ!」
と、思ったものの、声にもなりません。その間、徐々に袖の持ち主の姿が浮かび上がってきました。髪を後ろでひっつめ、烏帽子を被らず、顔はまるで落蹲の面のようでした。この異様ないでたちを見た男は、
「盗人だ!」
ととっさに思い、枕元の太刀を握り締め、
「きさま、何者だっ! おいっ、誰かいないかっ!」
と、声高らかに、人を呼んだところ、女は、衣を頭から被り、水のように汗を流しながら、床に臥せたのです。
 男がこのように言うと、落蹲に似たものは、音も立てずにさっと近づいて言ったのです。
「お静かになさいませ。私はあなた様が恐れるような者ではございません。このような姿をご覧になられ、恐ろしく思われるのは道理でございます。しかし、私の話をお聞きいただければ、哀れとお思いくださることでしょう。恐ろしくお思い下されるのは、私の話をお聞きいただいた後でも遅くはございません」
と、滂沱と涙を流したのです。
 すると、その様子を見て、女も泣いているではありませんか。男は、落蹲と我が妻がともに泣いている由を解しがたく思いながらも、いずまいを正し、心を静めてから、
「これは、どういうことなのでしょう。このように現れたあなたは、一体誰なのですか?」
と、落ち着いたさまで問うたものの、心の中では、
「昼間から盗人が入ったのか、殺しにやってきたのかと思ったのだが、そのような感じでもなく、ただ泣くばかりというのはどういうことだ」
と、怪しんでおりました。落蹲は、静かに、しかし重く男に答えたのです。
「これから申し上げることは、我が事ながら耐え難いものでございます。しかし、申し上げなければならないことでもございます。あなた様が妻とされたこちらの者は、私のただ一人の娘でございます。母は既に亡くしております。それゆえ、どなたかにたいそう不憫だと思ってくださればと、このように家屋敷をととのえて、住まわせておりました。
 しばらくして、あなた様がいらっしゃったものの、果たして最後まで娘とともに暮らしてくださるかどうか分からぬと、私の事を申し上げずにおりました。しかし、娘が身ごもり、あなた様の娘への御想いも深いものと心得ましたので、『いつかは分かることだ。このまま姿を隠しておくことはできまい』と思い、このようにして参った次第でございます。
 今、あなた様にお目にかかることができ、何の気兼ねも無くなりました。もし、あなた様が娘を『あのようなものの子なのだ』とお思いになり、心が離れ、この家から去るようなことがございましたら、そののち、この世で暮らせるものとお考えにならないほうがよろしいでしょう。必ずその恨みは晴らしますぞ。しかし、このことをお知りになったいまでも、あなた様の娘への慈しみがお変わりにならねば、こののち、あなた様はなんの不自由も無く、満ち足りた日々を送ることができましょう。
 そのためには、ただ一つ、お守り下されねばならないことがございます。この娘が、私のようなものの子であることを、誰にもおっしゃってはなりません。
 私は、もうこの後、二度とあなた様の前には姿をお見せいたしません。こちらをあなた様に差し上げます。私のような者が持っていたものだ、きっと盗んだ物に違いないなどとお考えになさいませぬよう。あなた様のお思いのままお使い下さいませ」
 落蹲は五つ六つほど、蔵の鍵束を取り出し、男の前に置いたのです。さらに、
「近江国に持っている土地の証でございます」
と、文を三束も合わせて取り出しました。
「もう、これであなた様にお目にかかることはございますまい。ただ、我が娘より離れた時は別ですぞ。あなた様がこの世で最後に目にする者が私となりましょう。そのようにならぬ限りは、私は影となり、姿を現すことはございません」
 落蹲は、このように言うが早いか、現れたときの如く、すっと姿を消したのです。
 男は、落蹲の話を聞き、驚きながらどのようにすれば良いのかと考えあぐねておりますと、女は男が悩んでいる様子を感じ、はらはらと泣き始めましたので、男はなだめ慰めながら思ったのです。
「命より大切なものは無い。もし、この女から去れば、あの落蹲に間違いなく殺されてしまう。あいつは、人に知られること無く、私の影となり、付きまとうことが出来る者なんだ。逃げ切ることはできないだろう。
 命は何者にも代え難い。この女も妻として申し分は無い。ここにとどまろう。こうなるさだめだったんだ」
と、思う一方で、
「私が外に出た先で、誰かがこそこそと話しているのを目にしたら…。今日のことをどこかで知って、話していると疑ってしまうんじゃないだろうか…。あぁ、これは大変なことになったぞ。一体、どうしたらいいんだ…」
などと、いろいろと思いが巡ったのでございますが、命惜しさにまさることがありましょうか。男は、この家にとどまることを心に決めたのでございます。

 心が固まった男は、落蹲が置いていった鍵で蔵を開けてみました。すると、その中はいずれも財宝で一杯だったのです。さらに、近江国の領地も思いのままに使うことができました。
 男は、美しい妻と、限りない財宝を手にし、豊かに暮らしておりました。そのようなある日の夕暮れ時、綺麗な紙で上奏文のようにして、誰とも知らぬ者が持ってきて、男の前に置き、去っていったのです。
「一体、何の手紙だろうか?」
と、思いながら、開いてみると、かな交じりの文がつづられておりました。

「私の異様な様をお見せした後も、娘を嫌うことなく、蔵の物もご自由に使って下さり、近江の国も遠慮なさらず、ご自分の領地となされたことを拝見し、これに増さることはないほど嬉しく思っております。私は死んでからも、あなた様の守護となる所存でございます。
 私は元々は、近江のとある処に住む者でございました。ある時、思ってもみない者に謀られて、頼りになる者に見られようと思い、用心棒のようなことをしておりました。しかし、その者は盗人で、私は知らぬ間に盗みの片棒を担いでいたのでございます。私は、あさはかにも、ただ、敵討ちをしているだけなのだと思っておりました。
 そして、ついには捕らえられてしまいましたが、どうにか逃げ出すことができ、命だけは永らえることができました。しかし、一度縄目の恥を受けたこの身。このようなことがあった者だということを人に知られぬうちに「あいつは、もう死んでしまった」と人づてに知らせ、このように隠れて生きるようになったのでございます。
 私が世にはばかることなく暮らしていた時は、たいへん裕福であり、都にこちらの家を造り置き、蔵には財宝を貯えておき、ここに我が娘を住まわせたのでございます。そして、娘を大切に想ってくださる方に差し上げようと、蔵の鍵をずっと持っておりました。近江の土地も先祖から伝えられたものでございますので、他人にとやかく言われることもございません。これらのものを、あなた様がお思いのままにお使いくださることを、ありがたく思っております」
などと、事細かに書かれているのを読み、そのような訳があったのかと、男はようやく心得たのでございます。

 その後は、男は心置きなく、蔵の中の財宝と近江の土地を使い、豊かに暮らしたということですが、落蹲の目があるということで、少しは妻に気兼ねがあったようでございます。
 男は生きている間、落蹲のことを、一切口にはしなかったようですが、自ずから人の知るところとなり、このように語り継がれるようになったのでございますよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻題二十九・第四話「世に隠れたる人の聟と成りたる語」の訳です。
 普通は、このようなパターンのお話では、秘密を口外して、破滅するという結果になるのですが、あまりに恐ろしかったのでしょうか、主役の男は落蹲の事を生涯口にすることなく、裕福に一生を終えたようです。

 本文中に出てくる「落蹲」というのは、本来は、

落蹲
 落蹲の面と衣(『角川古語大辞典』より引用)

 こんな姿で、目が出て、大きな口、上下に牙を持つ鬼の面を付ける舞楽を指しますが、今回は、そのまま訳すとややこしくなると思いましたので、このような恐ろしい姿の男のことを「落蹲」としました。


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コメント

>まひろさん
巻第29は「付悪行」の副題が付いている通り、いろいろな悪が描かれています。このお話に出てくる落蹲は、窃盗・殺人を犯していたようですね。
仏教説話集である『今昔物語集』は、普通は殺人などを犯すと、それに対する報いが描かれるのですが、巻21以降、特に後半になるにしたがって、その論理が崩れていきます。巻29の悪行では、全てが謎のまま終わってしまう、現代風に言えば「迷宮入り」するお話も少なくありません。この「因果応報」だけでは済まないお話の展開が『今昔物語集』の特徴であり、魅力でもあると思っています。

平安時代の夜は、今とは比べ物にならないくらいの深い闇に閉ざされていたことでしょう。そのため、普通の人が活動をする日中と、悪が跋扈する夜中の世界には、大きな隔たりがあったと思います。それゆえ、普通の人には、「悪の世界の住人=異界の住人」のように見えたのだと思います。

>男が生涯、異形の父について口外する事がなかったのは、もちろん、恐ろしさもあったでしょうが、女性の立場からは、まずは父が異形のものになってしまった女に対するいたわり、愛情ゆえのことだったと思いたいですね。
なるほどっ。私はこの巻が「悪行」がテーマだったので、それに考えが固定していて、まひろさんのようには思い至りませんでした。うーん、もっと多角的に読み込まねばなりませんでした。

投稿: 桜濱 | 2006.09.22 17:58

落蹲が現れるまでは「狐狸の類に化かされているのかな?」と思いつつ読みすすめていたのですが、意外な展開、結末も意外で、とても面白いお話でした。

この異形のものは人間ではありながら

>人に知られること無く、私の影となり、付きまとう ことが出来る者なんだ

と男に思わせるような、異界のものめいた存在になってしまっているようですね。隠れ住むうちに異界と交わるようにでもなって、それに伴い、姿かたちも変化したのでしょうか。けれど娘を思う心は変わることなくとても深いまま。
それがこのお話を、単なる不思議な話ではなく、憐れ深いものにしているように感じます。
男が生涯、異形の父について口外する事がなかったのは、もちろん、恐ろしさもあったでしょうが、女性の立場からは、まずは父が異形のものになってしまった女に対するいたわり、愛情ゆえのことだったと思いたいですね。

投稿: まひろ | 2006.09.22 00:54

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