夕暮れの雨の中で。
今は昔のことでございます。ある夏の日のことでございました。たくさんの殿上人が、涼みをとろうと、大極殿に参ったのです。するとそこには、多くの滝口の武士達も涼みをとっておりました。
しばらくすると、皆、充分に涼みがとれましたので、それぞれ大極殿を後にし、北の廊下を歩いておりますと、とたんに空が掻き曇り、夕立が降りだしたのでございます。
そうなると、帰ろうにも帰ることができません。「もう、そろそろ晴れるんじゃないか」などと言って、雨上がりを待っておりました。中には傘を持ってきていた者もおりましたが、それだけでは数が足りません。「傘を持ってくるのを待つしかないな」と、そろって、廊下で空模様を眺めておりました。
文書の管理官、えーと…、その頃、なんとかの得任という人がおりました。その人の家は西の京にあるのですが、滝口の詰め所からその家に帰り出したところに、夕立に遭ってしまったのです。着ていた束帯の袖をかぶって、走って西の京へと向かっておりました。
そして、殿上人や滝口の武士がたくさんいる北の廊下の前を、得任が通りがかったのです。その滝口の武士たちの中に忠兼という者がおりました。
さて、この忠兼なのですが、実は得任の子なのです。しかし、忠兼が子供の時分、烏藤太の某という者の養子になったのです。烏藤太は忠兼を実の子だと言い、忠兼もそのように名乗っていたのですが、忠兼が得任の実の子だということは、周知の事実でした。皆ははっきりと口にはせず、時々、そのことをこそこそと話し合っておりました。
お話を戻しましょう。得任は夕立に遭い、くつも足袋も脱いで手に持ち、袖を被って、はだしで、北の廊下の前を走り抜けようとしました。それを見ていた一人の滝口の武士…、そうです忠兼です。彼は得任の姿を見て、とんでもなく慌て惑うが早いか、袴をたくし上げて、傘を手にして、雨の中に飛び出し、得任に傘を差しかけたのです。
たわむれに、時任と忠兼の話をしていた殿上人や滝口の武士たちは、いつものように、薄笑いを浮かべるようなことはなく、その姿に心を打たれ、
「普通は、どんなに偉い人が通りかかり、あんな目に遭ってるところを見ても、あれほどまでに慌てふためいて、雨の中に飛び出すなんてことはしない! 皆、本当のことを知っている。得任も、忠兼が実の親ではないと普段は言っている。それに烏藤太という立派な養い親もいるのに。何もかもを知ってる人がこんなにいる前で、大雨の中に飛び込んで、傘を差しかけるなんて…!
こんな時、いくら気遣いができる人でも、親子で顔を合わせないように、こっそりと人影に隠れるだけだろうに。それなのに大雨の降る中、自分から飛び出して傘を指しかけて、家まで送るようなことをするなんて…。このようなこと、他に誰ができるだろうか!」
親を持つ人も、そうではない人も、忠兼が濡れそぼって、傘を差し掛ける姿を見て、ただただ、涙を流すだけでした。
得任は、「皆が、忠兼が私の実の子なのを知っていることは分かっている。それでも、やはり隠しておかなくてはならないことなんだ」と思っておりました。
雨の中、走っておりますと、忠兼が滝口の武士たちの中にいるのを見つけました。しかし、そこを避けて通るわけにはいきません。
「あぁ、早く、早く! こんなにいたたまれないことはない…」
時任は北の廊下から、顔をそむけて、忠兼がいることに気づかないような振りをして、ぬかるんだ路を、少しでも早くと、走り抜けようとしていたのです。そこに、忠兼が傘を手にして、外に飛び出したのです。
得任は、瞬間、何が起こったのか分かりませんでした。そして、差し掛けた傘の持ち主を目にしたのです。忠兼はにっこりとして、何も言わずに傘を手にしておりました。その時、時任の顔が濡れていたのは雨のためだけだったのでしょうか。
「申し訳ない…、申し訳ないっ…!」
「どうして、申し訳ないなんておっしゃるのですか。さぁ、帰りましょう」
時任と忠兼は、強く降りしきる雨の中、ともに西の京へと消えて行ったのでした。
殿上人たちは、内へ戻り、関白様に、この事の有様を申し上げたのです。このお話をお聞きになった関白様は、たいそう心が打たれ、帝にも申し上げられたと聞いております。
その後、忠兼の評判はあがり、帝をはじめとして、下々の者たちまで、褒め称えたらしいですよ。
そして、忠兼を見知っている、悟りを開いたある僧侶は、この話を耳にして、忠兼にこのような教えを説いたということです。
「あなたの、親孝行の心はたいへん尊いものです。これはお寺や仏塔を建てたり、写経をするよりもはるかに大切なことなのですよ。あらゆる仏様、菩薩もあなたの行いをお褒めになり、もろもろの天神が、あなたを守護されることでしょう。多くの寺や塔を建てたり、数え切れないくらいお経を唱えたとしましょう。しかし、孝行の心を持っていなければ、それらのことをしても、なんの意味もないのです」
忠兼は、この言葉を常に心に保ち、ますます孝行の心を深くしたと、語り継がれておりますよ。
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『今昔物語集』巻第十九・第二十五話「滝口藤原忠兼、実の父得任を敬う語」です。
名古屋も30日に梅雨明けをして、本格的な夏になりました。しとしとといつまでも続く鬱陶しい雨は降らなくなります。
その代わりに、たまに、昼下がりから夕方にかけて、ざーっと強く降る雨に遭うこともあるでしょう。その時、我が身を顧みず、傘を差しかけてくれる人、その人が誠心から自分を大切に思ってくれる人なのかもしれません。
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