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2005.09.18

兄弟二人に不穏な空気が。そして…

 今は昔のことです。天竺に二人の兄弟がおりました。あるとき、この兄弟は二人して旅に出たのです。何のためにかですって? さぁ、そこまでは伝え聞いておりません。ただ、二人はそれぞれ千両のお金を持って旅をしていたということですので、行商か、買い付けか。商売でなければ、幾日も幾ヶ月もかけて遠くの国まで行き、見聞を広げるためだったのかもしれませんね。

 一緒に旅を続けていた兄弟でしたが、一つの山にさしかかったときに、兄がとんでもないことを思いついてしまったのです。
「この山にはひとけがまるで無い。今ここで弟を殺して、千両の金を奪うことができるのではないか。そうして二千両の金を持って、さっさと逃げてしまおう」
 となりを歩いている兄の、このような恐ろしい考えを、弟は全く知る由もありません。特に用心している風でもなく、弟は兄に付いて歩いていました。

 果たして、自分を殺そうとしている人がいるのに、それに全く気付かないことなどあるものでしょうか。なんと、実は弟も兄と少しもたがわぬ考えを巡らせながら歩いていたのです。お互いに自分の考えに気をとられていたからでしょう、逆に自分の身が危うくなっていることなど思ってもみなかったのです。
 しかし、そこは血を分けた兄弟です。互いに手を下しかねている間に山を越えてしまい、川のほとりにたどり着きました。

 その時、兄はいきなり自分の持っていた千両の金を、その川に投げ込んでしまったのです。弟は兄の行いにたいそう驚いて、
「どうして、金を川の中に投げ込んでしまったんだっ!」
と訊ねたのです。
 兄は落ち着いて、このように答えました。
「俺は山を越えている間、おまえを殺し、有り金を奪い取って、全部自分のものにしてしまいたいと考えていたんだよ。たった一人の弟なのにな。この金が無かったら、おまえを殺そうなんてことは絶対に思わなかったはずだ。だから全部捨てちまったんだよ」
 弟ははっと目が覚めたような思いでした。
「俺も同じように思って、兄さんを殺そうとしてたんだ。そんな恐ろしいことを考えてしまったのも、みんなこの金のせいだったんだ」
と言って、弟もまた持っていた千両の金を川に投げ込んだのですよ。

 さて、人は美味しいもののせいで命を奪われたり、宝物のせいで身にわざわいが降りかかることが、お分かりになったのではないでしょうか。たくわえとするものが無い貧しい人であっても、なにも悲しむことはないのですよ。欲の世界で輪廻転生を繰り返すのも、くさぐさのものに心をとらわれて、それをむやみに望むから起こるのだと、語り継いでいるのでございますよ。

――――――――――
 初めて『今昔物語集』の天竺部を訳してみました。巻第四・第三十四話「天竺の人の兄弟、金を持ちて山を通れる語」です。かなり言葉を加えたり、変えたりして、完全に意訳にしてしまいました。
 前半から後半に移る際の、悪から聖への転換がすばらしいです。お話の上手い人がこれを用いると、聞かされた方は物欲がきつく戒められることと思います。
 兄弟であっても人殺しに駆り立てる「千両の金」の力というのは恐ろしいものですわ。

 あと、「山」と「川(原文では「河」)」がいかにも説話的な機能を果たしているようにも思います。境界である山を越えるときに、それまで潜んでいた悪念が顕現し、越えてしまうことで、身心が再生する。悪念の移された「千両」は川へ流し、禊ぎが終了する。このように読み取れませんか?

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コメント

>まひろさん
 この説話の大元は中国の仏典なのですが、その仏典とは異同部分が多いらしく、実際は元の仏典を日本語の文章にしたものを、参考にしてこの説話を今昔物語集に収録したと考えられています。
 なので、途中でより日本人に理解しやすいようにと書き写していくうちに、説話の雰囲気も変わって行ったのでしょうね。

 今、岩波版の『今昔物語集』の解説を見たところ、井原西鶴の『新可笑記』「腹からの女追剥」がこの話を素材としているとのことです。すっきりとして劇的な展開を持っているので、小説の素材にはぴったりでしょうね。

投稿: 桜濱 | 2005.09.19 15:32

すっきりまとまった説話ですね。
桜濱さんの解説もなるほど、と納得です。
帰りの旅費はどうしたのか、ちょっと心配ですが。
天竺の話だというのに、○○平と○○吉ってな名前の似合う顔した兄弟が手甲、脚絆で千両箱しょってく図しか思い浮かばなくて、己の想像力の貧困さにへこみました。

投稿: まひろ | 2005.09.19 09:30

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