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2005.08.28

見えないものでも勝ち取れる!

 今は昔のこと。京の都にある若い侍がいたのです。その侍、他にすることがなかったのでしょうか、清水寺に人々が詣でているのをまねして、千度詣をしたんですよ。二回も。ですから「千度詣」ではなくて「二千度詣」ということになりますね。

 その二千度詣から少しして、その男は、同じ主人にお仕えしていた同じような若い侍と賭け双六を打ったんです。結果、二千度詣の侍が大きく負けてしまい、渡すものが何も無くなってしまったんです。それでも、勝った侍の方は何か出せと言うものですから、困ってしまって、
「俺はもう何も持っていないんだよ。今持ってるのは、清水寺に二千度詣をしたことだけなんだ。それをお前に渡すことにするよ」
と言ったのです。
 双六に立ち会っていた周りの者たちは、
「騙そうとしてやがるな。ばっかばかしい」
と大笑いしたんですね。それでも勝った侍は、
「あぁ、それは、いいですねぇ。二千度詣を渡すと言われるなら、すぐに貰いますよ」
なんて答えたので、負けた侍は
「それじゃ、渡すぞっ」
となったのです。
 それなのに、勝った侍は受け取ろうとせずに、
「いやいや、こんなふうには受け取りませんよ。身心を清めた後、観音様の御前で今回のことを申し上げて、間違いなく二千度詣を渡すということを証文に書き、お念仏の鉦を打って渡してもらえるならば、受け取りましょう」
と言ったのです。負けた侍はうなずきながら、
「うん、それはいいことだな」
と約束をして、その日から、身心を清めたのでした。

 三日後、勝った侍は
「さあ、行きましょうか」
と、声を掛けたので、負けた侍は
「馬鹿な奴に出会えたもんだ」
と思いつつも、一緒にお寺に参ったのです。
 負けた侍は、勝った侍の言うとおりに証文を書いて、導師を呼んで鉦を打ち、観音様に申し上げてもらったのです。そこでようやく「双六の賭け物として、二千度詣を渡す」と書かれた証文を、負けた侍は渡すことができたのです。勝った侍はひれ伏して拝みながら受け取ったということですよ。

 しばらくして、負けて二千度詣を渡した侍は、思ってもみなかったことでとばっちりを受けて、牢獄に押し込められてしまったのです。一方、二千度詣を受け取った侍は、すぐにお金持ちの人と結婚して、思ってもみなかった人のおかげで、豊かになった上に昇進までして、大満足のくらしができたということです。

 仏法僧は目に見えることではありませんが、勝った侍は心を込めて受け取ったので、観音様も心を動かされたのでしょう。

 このお話を聞いた人たちは、二千度詣を受け取った侍を褒め、渡した侍を責めけなしたと語り継がれているのですよ。

――――――――――

 今、レポート書き中です。それで『今昔物語集』を訳してみました。「それで」=「逃避で」の意味です。そういえば、ブログに初めて『今昔物語集』を載せた時もレポート書き中でした。今後もレポートのたびに『今昔物語集』が増えていくと思われます。
 今回はそのレポートの材料に使っている、巻第十六、第三十七話「清水に二千度詣したる男、双六に打ち入れたる語」の訳です。

 この説話は昔話の「夢買い長者」と同じタイプのお話ですね。いい夢を買い取ったら、その夢のとおり幸福になるという話です。上の説話では夢ではなくて「二千度詣」になってます。普通の倍も詣でたのに、最後は牢屋行きなんて…。暇つぶしに詣でてもダメだということでしょうね。心を込めて詣でてください。お正月とか。

 話末評で「仏法僧は目には見えないけど、心を込めて信心するように」と述べていますが、「証文」という形にしているんですよね。矛盾しているようにも見えますが、形式を整える行為が大切なんだと判断しておきましょう。
 話末評についてもう一つ。「観音様も心を動かされたのでしょう」で終わらせてもいいのに、「人々は二千度詣を渡した侍を責めけなした」まで付け加えるのは、ちょっとひどいなぁとも思いませんか? どっちも賭け事してるのに。これも現代人の感覚なのかしら。

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コメント

>まひろさん
 お話に観音様が出てくると、たいていはこの世でいい目をみることになります。拝むなら観音様です。阿弥陀様だと極楽往生してしまいます。…いや、それでもいいのですが。やはり今のうちにいい事が起こって欲しいですわ。

 私のつたない現代語訳で『今昔物語集』を楽しんでいただければなによりです。古語辞書を持ってこなくてもいいくらいのバランスで訳せたらなぁなんて思っております。

 レポートはなんとか書けました。出来は案の定良くないですが。明日出せることが大切なのです!(=その場しのぎ)

投稿: 桜濱 | 2005.08.30 20:05

観音様は現世利益なんですね。知らなかった。

実家は観音堂の裏手にあったのですが、真似事にも拝んだりした記憶がありません。
まなじ「信心のない参詣」をして仏罰受けなくてよかったのかな?

古典の現代語訳は、一語一句しっかり対応させて訳すとかえってわけわかんなくなる事があるし、あまりに現代語っぽくやると雰囲気ぶち壊しになったりもしますよね。
「おしゃべり語訳」はとても好い加減のように思います。

「捨てちゃいたい」なんておっしゃらず、いいレポート書いてくださいませ。

投稿: まひろ | 2005.08.30 13:41

>まひろさん
 やはり、最初っから信心を持たずに参詣したのが悪かったのでしょうね。仏を敬わない行動を人前で取ったことも悪かったのかもしれません。このまま何も仏罰が無ければ、彼の行動を見た人々も仏に信心を持たなくなる可能性が出てきてしまいますから。

 受け取った侍は全くそれの逆ですね。人が見ている前で仏を敬う行動を取ったことが良かったのでしょう。くだけた言い方をすれば「仏教の宣伝係」として働いたので、利を得たとも考えられます。

 観音菩薩は現世利益をもたらす存在とされているので、極楽往生へ導く阿弥陀如来などの仏とはちょっと違うイメージがあるのかもしれませんね。

 レポート終わんないです…。捨てちゃいたい…。

投稿: 桜濱 | 2005.08.29 23:37

賭けの負けを二千度詣で払ったのだから、プラスマイナスゼロになったと思いきや、かなりのマイナスですよね。
二千度詣も暇つぶしがてら、負けの代償に受け渡すときもホイホイと気軽なもの、という心のこもらない信心がいけないってことで、仏罰を受けた訳でしょうか。

片や、受け取った方は、「負けの払いを二千度詣で」という申し出を受けた時から大真面目ですよね。
周囲の人も「ばっかばかしい」と言ったみたいだから、一般的に「二千度詣の功徳」をやったり取ったりするという発想はないのに、きちんと形式を整えて有難く受け取ろうと言うのですから。
その信心の深さが観音様のお気に召したのでしょうか。
賭け双六に勝ったくらいで儲かりすぎな気が。

神は祟り、仏は慈悲をかけるというイメージですが、観音様って、なんだか仏というより神様っぽいですね。

>今後もレポートのたびに『今昔物語集』が増えていくと思われます。
では、では、頑張ってレポートたっくさん書いてくださいまし♪

投稿: まひろ | 2005.08.29 08:20

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