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2015/03/29

パティシエになりたい ―覚えるしかない名詞の性―

 その気は無かったのに、目や耳に入ったことが情報として頭に残ることがあります。フランス語の名詞には性別がある、ということは、覚える気はなかったのですが何故か記憶されました。フランス語の文法事項について初めて知ったことだったからなのか、「へえ、そうなのかあ」と思い、以降しばらくの間は、フランス語と聞けば「全部の名詞が男性と女性に分けられる言語」ということが真っ先に思い浮かぶようになりました。
 東海林さだおさんのエッセイ「鮪は男か」(『ニッポン清貧旅行』収録)は、小料理屋のママと男性客A・B・Cの四人が、和仏辞典を引きながら日本語の名詞を挙げて、それがフランス語では男性名詞・女性名詞どちらなのか当てっこをする、という話です。四人はフランス語を学んだ経験が無く、「フランス語には男性名詞と女性名詞があるらしい」という朧気な知識しかない、という設定になっています。

  客B おれ、フランス語もドイツ語もとらなかったからわかんないけど、その男性名詞、女性名詞って、すべての名詞がそのどっちかに分類されるわけ。
  客A オレもとらなかったからよく分からないけど、そうらしいな。
  (『ニッポン清貧旅行』76ページ)

 という具合です。
 大学の入学手続きの時、第二外国語の履修希望を書く欄がありました。希望人数でクラスを割り振らなきゃならないので、外国語だけは入学前に君たちの希望を聞かねばならない、この中から受けたい外国語を選んでから、書類一式とともに送り返したまえ、他の科目の履修は大学に入ってから授業の様子を見てから決めて良いよ、というようなことが書いてあったような覚えがあります。それで、一日二日考えて「フランス語」と書き込みました。決め手はフランス語についてもう一つ知っていた情報「国連ではフランス語と英語が公用語らしい」でした。将来、国連で努める機会があるなら、学んでおいた方がいいな、という向学心あふれる動機です。
 こんなものでしたので、四月に初級フランス語の授業が始まってから、「これは大変なことになった……」とうなだれました。数字から分からないのです。「あん・どぅ・とろわ」はぼんやりと知っていましたが、その後が続きません。「4」のquatre(カトル、キャトル)は、「カルテット」に近いのでどうにか頭に入れました。
「5は、cinq。『サンク』と言う時もあれば、『サン』だけの時もある。ちなみに100は、centと書いて『サン』。なので505は『サンサンサン』」
 と聞いたときは、目の前にある幾重もの高い壁がようやく意識されました。遠のく国連。
 その壁の一枚が、名詞の性です。「全部の名詞に性別があると言っても、なにかしら関連づけて覚えればいいかな、連想とか語呂合わせみたいに」という甘い考えは木っ端みじんにされました。無いのです関連など。ひたすら暗記するしかないのです。しかも、男性名詞と女性名詞の覚え間違いは、大間違い扱いなのです。私の印象としては、日本語の助詞「は」と「が」の使い方の違いより大きいです。英語の動詞の三人称単数現在の間違いより大きいかもしれません。
 フランス語では、名詞の性に連なって、形容詞が変わります。冠詞も変わります。あれやこれやが、がらっ、と変わります。なので、性を間違えて名詞を書くと、大いなる違和感が生まれます。例えるとすれば、日本語の縦書き文章の中に90度回転した横書き用の文字がところどころ紛れ込んでいるようなものでしょうか。文章の言わんとすることは分かるけれども何か妙な感じだし、やはり間違っている、としか言いようがない状態です。

150329_01

 名詞の性を覚えるための法則や関連付けは「基本的には」無いのですが、「コツ」のようなものはあります。例えば語末です。《e》が付いていれば、女性名詞のことが多いです。《-tion》が付いていれば必ず女性名詞です。他にも『現代フランス広文典』の「固有名詞の性」の項には、
 ・都市名は一般的に男性。しかし、無音のeで終わるものや歴史的古都は女性。
 ・海洋名はocéanが付くものは男性、merが付くものは女性
 などが挙げられています。また、『プチロワイヤル仏和辞典』の付録の文法解説では、
 ・月、曜日、季節、方位は男性名詞
 ・重さや長さなどの単位は男性名詞
 ・金属は男性名詞
 というように、もう少し詳しく「おおよそ決まっているもの」を挙げてくれています。ありがたいことです。
 しかし、基本は、そのもの自体と名詞の性は関連はない、のです。それに、テストで出るのは、たいていひっかけ問題(と書くと出題者に叱られそうですが)です。《e》で終わるのに男性だったりします。だから、結局のところ、丸暗記しないとしなければなりません。
 単語帳をめくりながら暗記をしていて、得したな、と思えるのは、語尾を変えることで男性形が女性形になる名詞が出てきたときです。名詞の性のルールには「自然の性(sexe)と文法上の性(genre)は一致」ということがあります(「自然の性」ということばに引っかかりを覚える方もいらっしゃるかと思いますが、その問題は今回は置いておきます)。そのため、男性形を覚えれば女性形も自然と覚えられる名詞がたくさんあります。「学生」だと男子学生がétudiantで、語尾にeを付けたétudianteが女子学生です。「音楽家」はちょっと長くなりますが、男性の音楽家musicienから、女性の音楽家musicienneという変化です。このような語尾の変化は、たいていは語末がeになることからも女性ということが分かります。一つの名詞を覚えれば二つの名詞の性を覚えたことと一緒ですので、なんとお得ではありませんか。
 菓子職人・ケーキ屋は《pâtissier》(パティシエ、パティスィエ)です。この名詞もその人が男性か女性かで語尾を変化させます。女性の菓子職人は語尾を《-ère》にして《pâtissère》(パティシエール、パティスィエール)です。
 さて、そろそろお気付きかと思います。
「わたし、パティシエになりたいんです」
 と言う人は、男性、です。女性でしたら、「わたし、パティシエールになりたいんです」が文法上は正しいのです(日本語の文章ですが、厳密性を追求するならば)。
 日本語にも英語にも無い「名詞の性」の決まり事、しかもこの決まり事は覚えるしかない、さらには間違えることは容赦しないくらいに大きな問題であるということ、がフランス語初学者を絶望の淵に突き落とします。そして、落とされた人はそれに頓着しなくなります。もう、頓着したくなくなります。厄介なことには、淵から這い上がることができたフランス語学習者は、それを気にしないではいられなくなります。ですから、世間は、フランス語の名詞の性を、全く気にかけない人(+気にかけたくない人)たちと、とても気にかける人たちの両極端に分かれます。名詞の性が気になる人は、それが大雑把に扱われていると、もやもやもわもわが胸の中に溜まっていきます。「女性パティシエ」ということばを見ると、膝から崩れ落ちて、のたうちまわります。
 平成27年度前期のNHK連続テレビ小説『まれ』は、幼い頃に食べたケーキの味が忘れられず、洋菓子職人になる夢を追いかけていく、という物語になるそうです。主人公の津村希は、

  (前略)かねてから夢だったパティシエになるため横浜へ。名パティシエ・池畑大悟のもとで厳しい修行に励み、(後略)
  (『NHKドラマ・ガイド 連続テレビ小説 まれ Part1』10ページ)

 と、紹介されています。19ページには「津村希(少女時代)」という紹介もあるので、希は女性です。さあ、のたうちまわりましょう。
 このあたりの問題は、ドラマ中で補われるのかもしれません。希と大悟の出会いの場面で、
「うち(※このドラマでの希の自称詞はこうらしいです)、パティシエになりたいんです!」
「君がパティシエになりたい? ……無理だよ。君は女性でしょ。パティシエにはなれないよ。
「はあ!? 女にはケーキは作れないっていうんですか!」
「いや、そうじゃなくて。君は女性でしょ。女性の菓子職人は『パティシエール』って言うんだよ。なりたいんだったら、それくらいのフランス語は勉強しないとね。あとね、君のケーキ、少し食べたけど、全然駄目。なにもかも、駄目。それじゃ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
 みたいな会話があるかもしれません。
 こんな茶々を入れつつ、「面倒だろうけれども、名詞の性は大切だからなあ……」などと思いドラマガイドのページをめくっていますと、大悟のお店の写真が載っていました。店名は、

 《MA CHÉRIE CHOU CHOU》

 chouchouは「お気に入りの子」、chérieは「いとしい」という形容詞、maは所有形容詞(英語の"my"と同じ意味)ですので、合わせて「僕のいとしききみ」とでもなるでしょうか。『指輪物語』『ロード・オブ・ザ・リング』でゴラムが言っていた「いとしいしと」(my precious)と同じような意味合いと考えれば良さそうです。
 ただ、chouchouは男性形の名詞です。大悟にとっての「いとしいしと」が男性でも構わないのですが、問題は文法です。maもchérieも女性形です。二つの形容詞と名詞chouchouの性が一致していないのです。先に少し書きましたが、フランス語の名詞の性のルールには、「形容詞の性の形はそれが関係する名詞の性と一致させる」という厄介な点もあります。したがって、いとしいしとが男性なら《mon chéri chouchou》(モン シェリ シュシュ)、女性だとchouchouの語尾を変えて《ma chérie chouchoute》(マ シェリ シュシュート)になります。大悟のお店の名前では男性形と女性形が入り交じっています。
 これは、困ります。看板までできていますし。台詞だけならどうにかなるかもしれませんが、写真を見る限り、目に見える「モノ」がセットとして既に存在しています。のたうちまわるよりも、心配になってきました。
 (辞書を持った希が大悟の元へ行く)
「シェフ、このお店の名前なんですけど、シュシュって男性形ですよね。女性じゃないんですか?」
「うん? ああ、勉強してるね。僕にとっての『いとしききみ』は女性だよ。でも肝心なところで言い間違えたんだ。だから、お店の名前をこれにしたんだよ」
「間違えたのに、ですか?」
「そう。いつでも慎重にして、間違えないようにお菓子を作れるように。『教訓』ってこと」
 ……のような感じで、どうにか乗り越えてください。
 この春から、大学などでフランス語の勉強を始める方が多いと思います。身の回りを見渡したとき、最も目に付く西洋語は、英語のはずです(これはほぼ確実に)。その次は、フランス語ではないでしょうか(これは、たぶん)。私はフランス語の学習を始めて、そのことばが周りに溶け込んでいることにたいそう驚きました。なんの気なしに見ていたものがそうだと気づくと、勉強が楽しくなります。ひとつひとつの名詞が男性か女性かを辞書で調べるのは大変です。しかし、名詞の性を調べるために辞書を引くことはきっかけで、もっと大切だったのはその中のことばを通じて新しい見方を少しずつ広げられたことだった、と思っています。大変さと引き替えにできるだけの大切さでした。
 朝ドラに出てくる洋菓子を眺めて、そこに出てくにることばに目を配ることが、フランス語の勉強の取っかかりになるというのはいいなあ、と思います。不本意ながらフランス語のクラスに割り振られてしまった、などという方も、何かの縁ですからこの機会に気になった単語を辞書で探りながら、ぼつぼつと勉強を進めてみてはいかがでしょうか。私も、せっかくなので、ドラマを楽しみながらまた少しずつ単語を覚え直そうかな、と考えています。国連を目指して。


・参考文献等
 『現代フランス広文典』目黒士門著 白水社 2000年10月
 『プチ・ロワイヤル仏和辞典[改訂新版]』倉方秀憲等編 旺文社 1996年1月
 『NHK ドラマ・ガイド 連続テレビ小説 まれ Part1』NHK出版 2015年3月
 『ニッポン清貧旅行』東海林さだお著 文藝春秋 1993年9月

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コメント

マシェリシュシュは意味的には合ってますよ。文法上は知りませんが。
あれは、大悟と彼の前妻がお互いを愛しい人と呼び合っている名前だから。シュ・シュで良いのです。日本人ならこれくらいするのです。

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