2022.11.10

新幹線で駅弁を食べるフレディの仮装

 英国のロックバンドQUEENのボーカル、フレディ・マーキュリーさん(以下敬称略)の仮装をすることになったら、どのような場面の彼を選べばよいでしょうか。多くの人にフレディだと認識してもらうためには、二通りあると考えています。ひとつが「白鷺ルック」「ダイヤレオタード」などのような華麗なもの。もうひとつが「ヒゲ・タンクトップ・ジーンズ・白スニーカー」の組み合わせです。
 名古屋では、9月からQUEEN結成50周年記念展が開かれています。その公式Twitterでこのような告知がされました。[※1]

―――――――――“

#QUEEN展 名古屋会場
入場料【500円】になる⁉️
ハロウィン割引を実施します👻🎃

■日時:10月30日(日)限定
■条件:「フレディの仮装」でのご来場
■特典:入場料500円
※当日入場券を会場窓口で購入される方のみ対象

当日チケット窓口にてスタッフへ「フレディの仮装です」とお声掛けください🌟”
”―――――――――

 「フレディの仮装です」と受付にて申告すると、大幅値引きの500円で入場できる! 開催直後に一度観に行き、諸々の展示に圧倒され「もう一度、いや二度は行きたいな。閉会まで月一のペースくらいで」と思っていました。そこにこのお知らせです。逃すわけにはいきません。よし、フレディになろう。
 ただし、私が中途半端に近似させた仮装をしても、フレディになるのは困難です。なぜなら私と彼とではスタイルが違い過ぎるからです。また、力一杯の仮装を目指すとスタイルのほかにも金銭面の問題が浮き彫りになります。そこで、どの点を押さえればフレディと認められるだろうか、とまず考えました。
※1……QUEEN50周年展@名古屋 9/10(土)~11/17(木)開催(@QUEEN_exh)2022年10月21日19:00(JST)のツイート

華麗なレオタード
 2011年に東京タワーで行われた「QUEEN結成40周年記念 QUEEN FOREVER展」で展示されていたダイヤレオタード。華麗だ。

●フレディの仮装と認められるラインを探る
 華麗な衣装の前期フレディの仮装は前述の条件がともに適わないので諦めざるを得ません。よって、ヒゲ以降[※2]に絞りました。ヒゲの時期のフレディを考えます。仮にタンクトップとジーンズ、スニーカーを着用したとしましょう。フレディっぽさが増すはずです。ただ、そこにヒゲが無いと、画竜点睛を欠くようにも思えます。反対に、ヒゲを付けて、それ以外は自らの普段着だったとしたら……。「フレディと呼ぶにやぶさかでない」となるような気がします。フレディの仮装のミニマルはヒゲです。
 しかし、ただ単に付けヒゲをするだけでは物足りません。また、現下の状況において、屋内の展示会場ではマスクを外せません。マスクをしたまま付けヒゲをしてフレディの仮装をしなければならないのです。これは意外と難題じゃなかろうか。だから500円まで大幅に値引きしてくれるのかな。展示会運営の方々、考えましたね。
 マスク着用のうえ付けヒゲをして受付でフレディと認められるにはどうしたらよいか……。そうだ、あの仮装をしましょう。
 QUEENがライブツアーで日本を訪れたときの写真は多く残されています。その中に「新幹線での移動中に駅弁を食べるフレディ」の写真というものがあります。ご存じないかたは、それらしい単語を並べて検索してみてください。見つかるかもしれません。この写真は、1982年のツアーで大阪から名古屋へ移動中の新幹線車内で撮られたそうです。名古屋会場での仮装にふさわしいではありませんか。

マスク対応 フォーク付きヒゲ
 これだけであの新幹線車内風の仮装ができます。

 できました。「マスク対応 新幹線で駅弁を持ってフォークをくわえるフレディ・マーキュリー仮装セット」です。最低限の素材に見えますが、それなりに工夫はしました。完成までの道のりをご紹介します。
 セット内容は、付けヒゲ、駅弁のフォーク、リストバンドです。材料は税抜100円均一のお店と手芸店で調達したものと、もとからうちにあったものとを使いました。金銭を懸けていないぶん、手作業に力を入れます。
※2……1980年以降

●口ヒゲを作るのはけっこう工夫が要る
 ヒゲは手芸店のフェルト生地から切り出します。その元になるヒゲは、なるべくご本人に近くしたいな、と思いましたので、ヒゲの形状が分かりやすいQUEENのアルバム『HOT SPACE』[※3]のカバーアートワークを参考にしました。この絵はメンバー各人を二色の陰影で表現しています。フレディのヒゲはしっかりとしたヒゲ型で描かれていてありがたい。

ヒゲ型紙
 普通紙に印刷して切り出しました。

 ヒゲ型を普通紙に印刷して、それを型紙にします。しかし、相手は黒のフェルト生地なので、そのまま型紙を当てても切りにくいことはすぐに分かりました。そこで、ヒゲのサイズに合う大きさの白のクラフトテープをフェルト生地に貼り付けました。その上に型紙を当てて、油性ペンでなぞっていきます。ぐるりとヒゲを一周したら、クラフトテープごとフェルト生地を線に沿って切っていきます。切り終わって、クラフトテープをはがせば、ヒゲの出来上がり。

クラフトテープ粘着力低下操作
 クラフトテープをそのままフェルト生地に貼りつけると、粘着力が強すぎるため剥がすときに苦労します。あらかじめタオルなどに何回かぺったんぺったんして粘着力を下げます。

 これだけでも付けヒゲとして機能しますが、もう少し加工します。ヒゲの貼り付けには文具売り場にある一般的な両面テープを使うことにしました。文房具両面テープと謂えどもなかなかの粘着力なので、貼り剥がしを繰り返していると、フェルトがけば立ってきます。そこで、一回使ったあと両面テープをはがし、洗ってからまた使えるように、裏面(マスクに貼り付ける面)にあらかじめガーゼを接着しておいてフェルトへのダメージを軽減させることにしました。

クラフトテープに型紙を乗せる
 フェルト生地にクラフトテープを貼り、その上にヒゲ型を置きます。

クラフトテープに乗せたヒゲ型の縁をなぞる
 油性ペンで型に沿ってぐるりと写すと……

クラフトテープを貼ったフェルトに型を写す
 クラフトテープに型を取れました。

フェルト生地をヒゲ型に合わせて切り抜く
 クラフトテープごとフェルト生地を切り抜きます。

フェルト製付けヒゲの出来上がり
 クラフトテープをはがすとヒゲの出来上がり。

 ヒゲの形に切ったフェルトよりも、やや小さいサイズにガーゼを切り、その片面に接着剤を塗ります。この時、下敷きにはクッキングシート、押さえにピンセットがあると便利です。ガーゼの接着剤を塗った面とフェルトのヒゲを張り合わせて乾燥させます。これもまたクッキングシートがあると便利です。板、クッキングシート、接着したいもの、クッキングシート、板、重しの順でしばらくおいておくと、あちこちべたべたにならず、綺麗にくっつきますし、クッキングシートにへばり付きもしません。クッキングシートは万能ジーニアススペシャルシートと改名してほしいくらい工作で活躍します。
※3……QUEEN10枚目のスタジオアルバム https://www.universal-music.co.jp/queen/products/uicy-79549/ (日本版公式ページ)

フェルト保護用ガーゼ
 付けヒゲよりもやや小さめのガーゼに接着剤を塗ります。

フェルト製付けヒゲとガーゼの接着
 板、クッキングシート、ガーゼ付き付けヒゲ、クッキングシートの順に乗せたところ。この上にさらに板、重しを乗せてしばらく置くと綺麗に接着できます。

●紙製フォークをプラスチックに見えるようにする
 ヒゲを乾燥させているうちに、フォークの製作に移りましょう。お店の台所雑貨売り場にあるプラスチック製、あるいは木製のフォークでも安価軽量にできるはずです。しかし、その硬さのため、人の集まるところに持ち込むと怪我のもとになる可能性があります。楽しい催しが血まみれになるのは避けなければなりません。そのため、ぺらぺらではないけれども、手で軽く力を加えるとひしゃげる強度のボール紙で作ることにしました。ただ、ボール紙をフォークの様態に切っただけではフォークの形に切ったボール紙にしか見えないので、少し手を入れます。
 参考にしている新幹線車内のフォークを写真のみから正確に計測することは素人には到底無理なので、うちにある実物のフォークを写真に撮り、フォトレタッチソフトで加工したものを型に起こすことにしました。このフォークは金属で強度がある実用のものなので、くびれの部分が細いです。このような形だと駅弁に付いてきたフォークっぽさが出ないため、くびれを太くしました。三叉の部分もぱっと見で駅弁のフォークのようだと分かるように「おかずを刺しにくいだろうなあ」と思うくらいに幅を太めにします。あとは、参考写真を見ながら、やや角ばった柄の形に近づけました。

フォーク型用フォークの撮影
 うちにあったフォークをもとにします。フォーク型を抜き出しやすいように、下に緑の色紙を置いて撮影します。

フォーク型紙の印刷
 塩梅を確かめやすいように、大きさを変えて6通りの型を印刷しました。

フォーク型紙の修正
 左から2つめの型にしました。あのフォークに近づけるために、手書きで修正します。

 結局のところ手作業なので、1ミリメートルに拘泥しても時間ばかりが掛かって、それに見合った完成品にならないでしょう。そのため、ある程度の「ぶれ」は許してもらい、切り出したあとに「どうもバランスが良くないなあ」と思うところだけをちょっとだけ削って済ませます。ただ、ボール紙の縁とフォークの溝の部分は後々の見栄えに影響しそうだったので、やすりで整えました。工作に限らず、ほんの少しの手間で大幅に良くなることがあります。

ボール紙にフォーク型を写す
 ボール紙にフォーク型を写し取ります。

ボール紙製フォークの加工1
 はさみで切って少しめくれた縁をやすりで削り、段差を取ります。

ボール紙製フォークの加工2
 フォークの叉の部分を棒やすりで削ると、ぐっと雰囲気が増してきます。ひと手間です。

 形になったボール紙フォークに塗装をします。幸いにして、うちには「バニラ」という色名の塗装スプレーがありました。これでプラスチックっぽさを上げることにします。色付きの塗装スプレーは直接紙に吹き付けると浸み込んで色の乗りが悪くなるようなので、クリアのスプレー(これもうちにありました)をさっと吹き付けて下地にします。クリアが乾いてから、バニラのスプレーを吹き、それも乾いたらプラスチックっぽいつやを出すために、もう一度クリアを吹き付けました。これら一連のスプレー吹き付けにも、下敷きにクッキングシートを使っています。塗料をはじくので、乾いた後、目的物と下敷きが張り付かず、容易に塗装したものを取り出せます。ボール紙フォークのもう一面にも同じ手順でスプレーを吹き付けたら完成。もともとうちで余っていたボール紙とは思えないプラスチックフォークっぽさではありませんか。

ボール紙製フォークの塗装1
 下地にクリアのスプレーを吹き付け。

ボール紙製フォークの塗装2
 運良くうちにあったプラスチックフォークっぽい色を吹き付け。

ボール紙製フォークの完成
 乾くと、下敷きに張り付くことなく、ぱりっと取り出せます。

ボール紙製フォークのプラスチックっぽさ
 プラスチックと見まごうばかりのつやを放つボール紙フォーク。

●ひじ用サポーターをリストバンドのサイズに縮める
 リストバンドは、あのリストバンドらしきものが売ってなかった(100円均一に近しいものはあったのですが、白一色のものがありませんでした)ので、ひじ用サポーターを流用しました。半分に折ればリストバンドに見えるはずです。

ひじ用サポーター(白)
 ひじ用だし、サポーターなので参考にした写真とけっこう違う。

ひじ用サポーターなので長い
 長いですし、

ひじ用サポーターなので縫い目も目立つ
 半分に折っても、縫っているところが目につきます。

 半分に折ってみると、重なった口の部分の縫い目がいささか気になりました。気になるところを気にならなくするためには二通りあります。他にも気になるところをたくさん作って紛らせる「木を森に隠す方式」か、気になるところを隠蔽するかです。今回は後者を採用して、縫い目を内側に折り込み、両面テープで留めることにしました。最初、縁の内側にぐるーっと一周両面テープを巻いて貼りつけたら手が入らなくなりました。伸縮部分を固めてしまったのだから当たり前だ、と自分の浅はかさ愚かさを嘆きつつ、貼りなおしました。筒の両端それぞれに二か所ずつ1センチメートル程度に切った両面テープを貼り、縁を折り込むことで縫い目がだいぶん気にならなくなりました。今度は伸縮性に問題はなく手を通せます。

サポーターの縁に両面テープを貼る
 サポーターの縁の内側に、1センチメートルくらいに切った両面テープを貼ります。

縁を隠してほぼリストバンド
 両端をくるりと内側に貼り付けて縫い目を隠し、半分に折るとほぼリストバンド。

●口ヒゲ、フォーク、リストバンドを組み合わせる
 ここまでくればヒゲの接着剤も乾いています。マスクと合わせてみましょう。ヒゲとフォークはマスキングテープで留めて、その上に両面テープを貼り付け、マスクにくっつけます。

付けヒゲの裏にボール紙フォークを貼り付ける
 ガーゼの上からマスキングテープを貼るので、はがす際にフェルトヒゲにダメージが及びにくくなっています。

付けヒゲの裏に両面テープを貼る
 マスキングテープに重ねるように両面テープを貼って、ヒゲフォークをマスクに取り付けられるようにします。

新幹線で駅弁を食べるフレディの仮装セットの完成
 完成。テーブルの上に置いているだけで、もう新幹線のフレディに見えます。

 「新幹線で駅弁を食べるフレディ・マーキュリーの仮装セット」です。そう言って差し支えないでしょう。私にしてはかなり綺麗に工作できています。よし、これで50周年記念展に乗り込もう。

●仮装してQUEEN展に乗り込んだ
会場前の立て看板
 会場の表であの有名な写真が出迎えてくれます。

 名古屋市の金山総合駅の南口を出ると、徒歩1分で会場に着きます。建物に入り、ジップロックに入れておいた仮装グッズをいそいそとマスクに貼ります。告知によるとこの格好で、「フレディの仮装です」と窓口で言えばいいはず……。
 「フレディの仮装の方はこちらに」
 なんとしたこと! チケット販売口の横に、しっかりとフレディの仮装をしたスタッフのかたが「フレディの仮装判定員」としていらっしゃいました。判定員さんに認められる必要があったのです。どうしよう。マスクからフォークをぶら下げたまま戸惑いを隠せません。しかし、ここまで来て引き返す手もないので、判定員さんに近づきました。
「こんにちは。フレディの仮装です。あの……、新幹線で駅弁を食べているフレディの仮装です」
 とあたふたとしながら、身振りを交えてお伝えすると、
「……なるほど! そこを突いてきましたか。大丈夫です。フレディです」
 無事、当日券窓口に誘われ、フレディでした、と発券の係の方にも申告して、支払いは500円でした。なんと心の広いスタッフの皆様。
 今回は、9月に観覧した際に写真が上手く撮れなかったところ(注意事項はありますが展示品の多くを撮影できるようになっています)を撮り直したり、「THE SHOW MUST 轟音」[※4]と題したシアタールームで西武球場で行われたライブ映像を再度堪能しました。何度見てもその迫力に圧倒されます。

失敗写真例
 9月の撮影失敗例。フレディが手を残して左半身を消してしまった。

 そしてついに名古屋コーナー。QUEEN展名古屋会場には特設コーナーが作られていて、名古屋に関連した写真や、QUEENの名古屋公演を報じる新聞記事などが展示されています。ここにあの写真もあるのです。

名古屋コーナー入り口
 名古屋会場特設コーナー。QUEEN名古屋訪問時の写真や雑誌・新聞記事などが展示されています。

新幹線で駅弁を食べるフレディの写真の前で、新幹線で駅弁を食べるフレディの仮装をする人間
 左上の写真の仮装です。

 これをしたかった。
 はじめは自撮りを考えていたのですが、近くで展示をご覧になっていたお客様にお願いしたところ、撮影に快く応じてくださいました。改めてこの場で御礼申し上げます。
 この後、ミュージアムショップをあれもいいなこれもいいなと眺めて、ハロウィーン仕様のQUEEN展をじゅうぶんに味わってから会場を出ました。出入口近くで付けヒゲからボール紙フォークを外していると、スタッフのおひとりが、すすすっ、と近づいて来られました。フレディ仮装判定員のかたです。
「今日は、イベントにご参加いただき、ありがとうございました。アイデアでしたね!」
 もったいないお言葉。私の姿を認めて、わざわざアイデアの部分について声を掛けて褒めてくださったことが何よりも嬉しかったです。仮装した甲斐があったなあ、としみじみ思いながら帰途につきました。
 この日は、スタッフの皆様もマスクにヒゲを付けていて、チャーミングでした。それぞれの展示を案内なさっているスタッフのかたも、ミュージアムショップのスタッフのかたも明るくてノリが良くて、ご親切だったのがとても心に残っています。
 会期は残り少なくなりましたが、最後まで、虎のように、ゴダイヴァ夫人のように、レーシングカーのように、ロケットのように、流星のように、華氏200度の熱気で突っ走ってほしいです。あと一回は行きたい。
※4……「The Show Must Go On」(邦題:ショウ・マスト・ゴー・オン)は1991年に発表された楽曲。フレディ存命時の最後(14枚目)のスタジオアルバムとなった『INNUENDO』のラストに収録されている

等身大フレディ像の一部
 こんな角度の写真を撮影できる展示もあります。

◎展示会情報
 QUEEN50周年展-DON’T STOP ME NOW-
 会期:2022年9月10日(土曜) - 2022年11月17日(木曜)
 開場時間:各日10:00 - 18:00(入場は閉館30分前まで)
 会場:金山南ビル 3階 美術館棟(旧ボストン美術館) 愛知県名古屋市中区金山町1-1-1 (Googleマップ) 金山総合駅南口を出て右側。徒歩1分。

◎参考書籍等
 『クイーン詩集 完全版』(山本安見 訳/石角隆行 解説・シンコーミュージックエンタテイメント・2019/02/14・ISBN-9784401647286) 公式ページ https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0647289/
 『QUEEN 50周年展 -DON’T STOP ME NOW-』公式サイト https://www.queen-exhibition.jp/
 『QUEEN50周年展』公式Twitter https://twitter.com/QUEEN_exh

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

2020.04.22

役割を果たせなかった陰陽師 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(6)

 今は昔のことです。播磨の国の……、ある郡とだけ申し上げましょう。そこに住んでいた人が亡くなり、家の者たちは、なきがらを葬る手はずを整えようと陰陽師を呼び、しばらく留まってもらうことにしました。招かれた陰陽師は家に入るとすぐに、眉をひそませ言ったのです。
「幾日かすると、このお屋敷に、鬼が来ます。どうぞ、身を慎み、控えめにお過ごしなさいますよう」
 家の者たちは、陰陽師のことばを聞いて、顔の色を失くしました。
「そ、それで、私たちは、いかがすれば良いのでしょうか……?」
「その日に、物忌みをしっかりするしかありません」
 数日が経ちました。陰陽師が告げた日、家の者たちは厳しく物忌みをして、心を張り、身を固くして時が過ぎるのを待ちました。そうして、声をひそめて陰陽師に聞きました。
「おっしゃっていた鬼は、どこから、どのような姿でやってくるのでしょうか」
「表の門から。人の姿で来ます。このような鬼神は、禍々しく、道を外れたことをしません。ただまっすぐ、ことわりに適う形で来ます」
 これを聞いた家の者たちは、さらに、門の表に物忌みの札を掲げ、桃の木を伐り、それで門の周りを塞ぎ、まじないを唱え続けました。
 そうするうちに時が来ました。表の門をしっかりと閉じたまま、人々は、物陰に潜み、隙間から外の通りをうかがっていました。すると、すぐそこに居たのです。藍を擦り込んで色付けた袴を着て、編み笠を首に引っ掛け、門の前に立ち、戸の隙間から家の中をのぞき込んでいました。
「あれこそ鬼」
 陰陽師が言うと、家の中は、恐れに包まれました。
 鬼の男は、門の前でしばらくじっとしていましたが、家の者たちが、ふと気づいた時には、鬼は門の内に入っていました。そして、皆が、はっと息を飲んだ時には、家の中のかまどの前に立っていました。この間、鬼は動いた素振りが全くないのに、多くの者たちが見ている中、家にまで入って来たのです。鬼だという男の姿は、間近で見ても、誰も見覚えがありませんでした。
「もう、ここに居る! これから何が起こってしまうのだろうか……」
 人々が恐ろしさで凍り付いている中、この家の主の、年若い息子だけは違っていました。
「今からどうこうしても、きっとこの鬼に喰われてしまうだろうな……。よし、同じ死ぬなら、後々の人の語り草になってやろう。俺がこの鬼を射る!」
 覚悟を決めた若者は、物陰から、弓を構え、先が鋭くとがった大きな矢を、鬼の胸に向け、ぎりぎりと力強く引き絞りました。
 放たれた矢は、狙いを違わず、鬼の胴体、その真ん中に当たりました。
 鬼は、己の腹に弓を突き立てたまま、身をひるがえし、駆けるようにして外に出ました。……家にいた者たち、皆にそう見えました。見えたと思ったその時、鬼は消え失せたのです。矢は、弾かれたように跳ね返り、地に落ち、からりと音を立てました。
 そこにいた人たちは、鬼の有様に驚き、また、若者のしたことに呆れて、しばらくひと言も声を出せなかったのですが、鬼は払われたようだと分かると、少しずつ、若者に話しかけ始めました。
「なんと……、とんでもないことをなさったものよ」
 若者は、
「同じ死ぬにしても、後の世の人が語り継ぐことをしてやろう、と思って、試しに射てみたんだ」
 と、一息つきました。これを聞いた陰陽師も、驚いたような、おかしなものを見たような顔つきでいました。
 こうして鬼を矢で射て追い払ったのですが、後々、その家に、たたりや、災いらしきことは、特に何も起こらなかったそうです。
 このようなことは、陰陽師の仕組んだ図りごとと考えるのが当たり前でしょう。しかし、男の姿をした鬼が、いつの間にか、表の通りから家の中にまで入って来たことや、矢が当たったように見えて跳ね返ったことを考えますと、ただの人の為せるわざでは無いように思えます。鬼がはっきりと目に見える人の姿で現れるというのは、他に聞いたことが無く、なんとも恐ろしいことだと語り継がれております。

――――――――――

  『今昔物語集』巻27第23話「播磨の国、鬼、人の家に来て射らるる語」の現代語訳です。みんな大好き陰陽師の話です。
 陰陽師というと、安倍・賀茂の二つの家系が有名ですが、この話に出てくる陰陽師は、そうではなさそうです。冒頭で、播磨の国の「どこかの郡」の部分が欠字になっていますし、出てくる人々の名前も明らかになっていません。こういうことがあったようだ、という出所不明のうわさ話の域を出ないもののようです。
 この話では、鬼の姿と、陰陽師に対する評価が面白いです。鬼とされた男が身に着けていた藍色の水干袴(「藍摺ノ水干袴」)は、平安の時代には庶民の服装でした。今でいえば、インディゴブルーのデニムパンツに似ています。上衣についての記述はありませんが袴に合わせた粗末なものと考えられます。これに、笠を首に掛けている(「笠頸に懸タル」)ことが加わっているので、異様な雰囲気です。これを現代に置き換えれば、ヘルメットを頭もかぶらずに、ベルトを緩めて首に掛けているようなものでしょうか。そのような姿をした男が、戸の隙間から家の様子をうかがっているのです。自宅の前で、デニムパンツにパーカーを羽織り、ヘルメットが頭からずり落ちている男が、道路から家の中をのぞき込んでいるようなものです。殺気立って乱暴な言動をしながらやってくるよりも、怖さが増す気がします。
 鬼の男は、門の外の通りにいたかと思ったら、体を動かすことなく、あっという間に家のかまどのそばまで入り込みました。この時、鬼の恐怖に攻められていた人たちの流れが変わります。それまでは陰陽師の予言と対策に基づいたペースで事が進んでいました。しかし、家の主の息子が腹を決めて、矢を放ち、鬼を退散させてしまいました。まさかの武力行使です。これには、家の者たちも陰陽師も呆気にとられます。家の者たちは「無茶なことをするなあ」と思っただけのようですが、陰陽師はそれに加え、「奇異ノ気色シテナム有ケル」と口には出せない、どこか腑に落ちない様子が見られます。
 その理由らしきことが、直後の世間の感想と編者の語りにあります。
「然レバ、陰陽師ノ構ヘタル事ニヤ有ラム、ト可思キニ」(そのようなことは、陰陽師が仕組んだことだろう、と思うのが普通だが)
 この考え方は、小説や映画、マンガ、テレビドラマなどに出てくるあやかしを退治する現代の陰陽師のイメージ―式神を遣ったり、派手な術でもののけ祓うような―とは違っています。この話に書かれた「陰陽師は人をだますのが普通」というのはどういう事でしょうか。
 陰陽師はもともと、陰陽寮という役所で働いていた人たちを指します。言ってみれば、公務員です。ただ、時代が下るにつれて、陰陽寮に属さない陰陽師が出てきました。民間の陰陽師です。彼らのような「もぐり」の陰陽師の中には、公の陰陽師に近い技能や学識を持った者がいたのかもしれませんが、大した能力を持たない者も多くいたでしょうし、さらには、もっとたちが悪い「陰陽師もどき」がいたことも考えられます。この話に出てくる陰陽師は、その「陰陽師もどき」だった可能性があります。
 ひと儲けするために、仲間の男と示し合わせて、鬼の役、陰陽師の役で、葬儀の場に入り込んだわけです。あとは、「鬼が来る」「鬼だぞう」「えいやっ!」「参った!」という台本があった、……はずなのですが、どこか途中でおかしくなりました。鬼の役の男が、皆の前で、瞬間移動したり、矢を弾き返したり、ぱっと姿を消したのです。鬼の役だった男が本物の鬼になった、もしくは、鬼が入れ替わったとしたら……。そのため陰陽師は、「奇異ノ気色シテナム有ケル」となったのではないでしょうか。本当に怖い目に遭ったのは、鬼がやってきた屋敷の人たちではなくて、その後、鬼と入れ替わった仲間の男の惨状を見ることになる、もぐりの陰陽師だったのかもしれない、という想像もできます。
 もぐり陰陽師のような者は、この話の時代に増えていたのでしょう。「然レバ、陰陽師ノ構ヘタル事ニヤ有ラム、ト可思キニ」と書かれるほどに。この話は、ただの怪異話に加えて、普段人をだましていた者たちをこらしめる役割を果たしていたのではないか、と読みたくなります。
 ここまで長くなりました。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの『鈴鹿本 今昔物語集』にも少し触れておかなければ。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 画像通し番号465の左から3行目に、陰陽師が語る鬼の特徴が書かれています。
  門ヨリ人ノ体ニテ可来シ然様ノ鬼神ハ横様ノ非道ノ道ヲハ不行ヌ也
 というものです。文末の読みはどうなるでしょうか。「ふぎょうぬなり」にはなりません。『今昔物語集』では、助詞、助動詞はカタカナで小さく書く、という原則があります。ただ、打消を表す時はこれに当てはまらないことがとても多いです。ここの「不」は打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」として扱います。
「『ヌ』は『行』のすぐ後ろに書かれているじゃないか」
 と思われるかもしれません。その通りです。『今昔物語集』では、打消の助動詞「不」を打ち消す単語の前に書いて、さらに打消の助動詞をカナにして単語の後ろにも書くという「半端漢文訓読体」とでも言えそうな方法を用いています。なので、ここは「不」の下に返り点があるように読むか、「不」は無いものとしてカナ書きの打消を読むか、どちらか一方を選びます。よって、「ゆかぬなり」(新日本古典文学大系の場合)か、「おこなはぬなり」(京都大学貴重資料デジタルアーカイブの場合)の読みとなります。
 画像通し番号466の2行目から3行目の、鬼が動くことなく家の中入って来た場面、
  此ノ鬼ノ男暫ク臨キ立テ何ニシテ入ルトモ不見エテ入ヌ
 の「不見エテ」も、助動詞「ず」と同じように扱って、「みえ『で』」の読みになります。「テ」と書かれていますが、接続助詞「て」ではなく、「不」が付いているため、打消の接続助詞「で」だと見分けられます。


・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編 2003年1月20日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

2020.04.07

桜に感動する建物 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(5)

 今は昔のお話。上東門院さまが京極殿にお住まいになっていらっしゃった時でございます。三月二十日過ぎ、花が最も美しい頃合いですから、南面にあった桜は、とりわけ素晴らしく、ことばでは言い尽くせないほどの咲きかたでありました。上東門院さまは、その桜の姿を、寝殿から愛でていらっしゃいました。
 すると、南がわの階がある日隠しの間のあたりから、とても気高く、神懸った声で歌を詠む声が響いてきました。
「こぼれてにほふ花ざくらかな」
 歌をお聞きになった上東門院さまは、
「そこに誰かいるのか」
 とお思いになり、開けられた格子の向こうを、御簾の中からご覧になりましたが、人が居ないどころか、跡さえもありません。
「これは、どういうこと? 先ほどの歌は誰が言ったの!」
 上東門院さまは怪しまれ、多くの人をお呼びになり、声の主を探すようお命じになりました。ところが、
「あちらこちら、隈なく探しましたが、人は全く居りません」
 と人々が申し上げたので、驚かれ、
「これは、何があったのでしょう。鬼神などが言ったということなのでしょうか……」
 と、ひどく怖がられました。
 上東門院さまは、すぐに、「このようなことがありました」と、関白でいらっしゃった弟君の頼道さまにお知らせ申し上げなさいました。すると、関白さまから、短いお返事がありました。
「それは京極殿の日隠しの間の『くせ』で、いつもそうやって歌を詠むのですよ」
 訳をお知りになった上東門院さまは、ますます怖がられ、
「あれは、誰かが桜の花を見て心が浮き立ち、つい、そのように詠んだだけで、そのあと、多くの人を使って罪人を見つけ出すかように厳しく探させたのを恐れ、逃げてしまったのであろうと思っていたのに。それが、『日隠しの間のくせ』だなんて。これはなんと恐ろしいことでしょう!」
 とおっしゃいました。そのため、こののちは、あまりに恐れなさったので、京極殿の近くにお寄りになることもありませんでした。
 この「くせ」は、狐などが化けて言ったのではないと思います。何かの霊や魂といったものが、この歌を素晴らしいと思って大きく心を動かしたので、桜を見るたびに、常にこのように詠んだのだろう、と人々は考えるようになりました。それにしても、霊といったものたちは、おおかたは夜に現れるものですのに、真昼に、よく通る声で歌を詠んだなんて、心底恐ろしいことでございますよ。
 歌を詠む霊が、もともと何者だったかというのは、とうとう分からないままになってしまったと語り継がれております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第28話「京極殿に於て、古歌を詠むる声有る語」の現代語訳です。
 上東門院は藤原彰子のことです。彰子自身が秀歌を多く残していることに加え、紫式部、和泉式部、伊勢大輔、赤染衛門といった優れた文人・歌人が仕えていたので、この話も「いかにも」な感じがします。彰子の周りでは、常々、歌が飛び交っていたのでしょうが、さすがに「日隠シノ間」が歌を詠んだら、「怖い!」と思ったようです。
 この話で「日隠シノ間」が詠んだ歌は、下の句しか出てきませんが、三番目の勅撰和歌集『拾遺和歌集』「巻第一 春」に上の句も含めて、きちんと収められています。

  浅緑 野辺の霞は 包めども
  こぼれてにほふ 花桜哉

 遠近感と色の濃淡によって、手は届かないけれども桜はそこに咲いている、と感じられる素敵な歌です。ちなみに「よみ人知らず」です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号470から471にこの話が載っています。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 『鈴鹿本 今昔物語集』は、漢字、カタカナそれぞれが、ほぼ同じ大きさで書かれいますし、「漢字で書くことができる単語は、できる限り漢字で書く」という編集方針のおかげで、漢字を拾い読みするだけでも、話のあらましが分かったりします。ただ、現代日本語で使われる、句読点、かぎかっこ、改行などがないため、読みにくさもそれなりにあります。特に改行が無いのがつらいかもしれません。そのため、会話文と地の文の区切りを見つけましょうとなると、目を凝らす必要があります。
 画像番号471の2行目の真ん中よりちょっと下から、5行目の上の三分の一くらいまでに、「日隠シノ間」の秘密を知った上東門院の反応が書かれています。

 然れば(されば)、院、弥よ(いよいよ)恐ぢ(おぢ)させ給て、此れ(これ)は、人の、花を見て興じて然様に長め(ながめ)たりけるを、此く(かく)蜜く(きびしく)尋ねさすれば、怖れて、逃げ去ぬるにこそ有めれとこそ思ひつるに、此(ここ)の□にて有ければ、極く(いみじく)怖しき事也となむ被仰ける(おほせられける)。然れば、其の後は、弥よ恐ぢさせ給ひて、近くも不御ざり(おはせざり)ける。

 句読点を入れ、カタカナをひらがなに、読みにくい語にはふりがなを付けて書きだしてみました。この中から、上東門院の発言を見つけてみます。
 発言=会話文を探す手がかりでよく利用されるのが、「~と言ふ」のような、「と」を見つけることです。たいていは「と」の前までが会話文です。
 上の文では、「こそ有めれ『と』こそ思ひつる」、「極く怖しき事也『と』なむ被仰ける」のふたつがあります。一つめは「と」の直後が「思ひつる」ですので、上東門院が思ったことがどこから始まるか、文をさかのぼります。そうすると、「此れは、人の」ところから、それまでの出来事を上東門院が回想していることが分かります。二つめの「と」のところは、「(このようなことは)たいへん恐ろしいことです、と(上東門院が)おっしゃった」の意味ですので、「恐ろしいこと」を話し始めているところを、さかのぼって探します。するとやっぱり「此れは、人の」で区切りができています。これらのことを、かっこ付き、改行ありですっきりさせてみます。

 然れば、院、弥よ恐ぢさせ給て、
「『此れは、人の、桜を見て~逃げ去ぬるにこそ有めれ』と思ひつるに、~極く怖ろしき事也」
 となむ被仰ける。然れば~近くも不御ざりける。

 「」で囲った部分が上東門院の発言=会話文で、さらにその中の『』の中が、心の中でこう思った、という心内文(心話文)です。会話文と心内文の始まりが同じところなので、やや見つけづらいかもしれません。かっこや、二重かっこ、改行のおかげで文章はかなり分かりやすくなります。もし会えるのならば、日本語で初めてそれらを使ってくれた人たちに、深くお礼を言いたいです。
 あとちょっと、重要な単語について。
 「日隠しの間」から歌が聞こえてくる場面、

 「コボレテニホフ花ザクラカナ」ト長メケレバ、其ノ音ヲ、院、聞サセ給ヒテ

 の短い中に、「にほふ」「ながめ」「きこしめす」と要注意単語が連続して出てきます。
 にほふ……色が美しい。視覚の意味で使われます。いい香りがするという嗅覚の意味もあります。
 ながめ(ながむ)……声を出して歌をよむこと。漢字で書くと「詠め」。「眺め」「長雨」は同音異義語。(『鈴鹿本 今昔物語集』に書かれている「長め」の表記は、もともとは声を長く伸ばして歌を詠んだことからとされています)
 きこしめす……「聞く」の尊敬語だけではなく、「食ふ」「飲む」「(土地を)治む」の尊敬語でも使われます。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』 岩波書店 小町谷照彦校注 1990年1月19日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/04/09
 かぎかっこの付け方(「日隠しの間の『くせ』」→『日隠しの間のくせ』)を修正しました。
 改行を修正しました。(「ながめ」について書いている箇所に、余分な改行が入っていたため削除)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

2020.04.01

不気味なお堂にしけこむ ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(4)

 今は昔。正親の司で大夫を務めていた男の話です。
 大夫が若かったころ、とあるお屋敷に仕えていた女と恋仲になり、毎晩のようにその人のもとへ通うようになりました。ところが、物事が立て込んでしまい、しばらく会えなくなりました。男は事を片付けて身が空くとすぐ、間を取り持っていた女に、
「今夜、彼女に会いたい。伝えてもらえないか」
 と、持ちかけました。すると女は、
「あのお方をこちらにお呼びするのは難しいことではないのですが、あいにく、今夜はこの家に古くからの知り合いが来ておりまして、泊まることになっております。こちらには、お二人に過ごしていただけるようなところがありません。申し訳ないことです」
 と断ったのです。それを大夫は「嘘をついているのではないか」と疑いましたが、女の家に寄ってみると、馬や下々の者たちが多くいたので、「まことに、隠れるとこさえないな」と分かりました。
 そこで、女はしばらく考えたのち、大夫に尋ねました。
「このようなこといかがでしょう。ここから西の方に、人が居ないお堂があります。今宵だけは、そちらの堂にお二人でいらっしゃっては」
 大夫が、それはいい、とうなずくと、すぐに女は彼女を迎えに行きました。
 大夫がしばらく待っていると、彼女が手を引かれてやってきました。「では、こちらへおいで下さい」と、女は、二人を連れて西へ一町ほど行くと、古いお堂がありました。女は、そこの戸を開け、家から持ってきた薄い布を一枚敷き、
「また、暁にお迎えに参ります」
 とだけ言い残し、彼女を大夫に任せて、帰って行きました。
 大夫と彼女、二人だけになると、身を寄せて敷物に横たわり、恋心を言い交しました。従わせている者もいなくて、二人だけで、古いお堂にいましたので、時が経って、ふと我に返ると、背中が冷えるような気味悪さがありました。
 大夫が、そろそろ真夜中だろうか、などと考えておりましたら、お堂の奥、仏様の後ろに、ぽつり、と火が灯りました。「人が居たのか」と思っていると、一人の女童が火を持って現れ、仏様の前に捧げ置いたのです。
 大夫が、「これは大ごとになった」と困っているうちに、仏様の後ろから、気高いをまとった女房が現れました。おかしなことだとも、恐ろしくとも思って、敷物から起き上がり座っていましたら、その女房は、一間ほど離れたところで、顔を横に向けたまま、いっとき、大夫を見ていました。そして、
「ここに、どなたさまがいらっしゃったのでしょうか。とても良くないことです。わたくしは、ここの主でございます。なぜ、わたくしにひと言も無く、お入りになったのですか。ここは、いにしえから人が宿るところではありません」
 と言いました。その声は、氷のように冷たく、大夫は、ことばが出せなくなるほど恐ろしくなりました。
 大夫は、震える声でなんとか答えました。
「私は、あなたの、ような、方が、いらっしゃる、ところとは、存じ上げ、なかったのです。知り合いの、女、に、『今宵だけは、こちらで』、と、言われて、連れて、こられたのです。なんとも、申し訳、ない、ことをいたしました」
「そうですか。分かりました。それでは、すぐにここから出てゆきなさい。出ないと言うのならば、きっと良くないことがありますよ」
 女房の姿でしたが、なんとも言えない恐ろしさで、大夫はすぐに恋人を起こして、お堂から出ようとしました。ところが、恋人は雨に濡れたように汗をかき、足に力が入らなくて、立つこともできません。それでも、強く引っ張るようにして、二人はお堂から出ました。
 大夫は、力の抜けた恋人の腕を肩に掛けて、急いで帰ろうとしますが、やはり、恋人のは歩くことができません。それでもなんとかして、恋人が仕えている屋敷まで連れて行き、門を叩いて開かせ、中に押し込みました。大夫は、後も見ないで、みずからの家に帰りました。
 家に帰りついた大夫でしたが、お堂であったことを思い出すと、髪の毛が逆立つほど気持ちが悪くなり、次の日も、ずっと寝床で横になっていました。。
 陽の沈むころになり、ようやく、歩くこともできなくなっていた恋人のことが気掛かりになってきました。そこで、間を取り持ちお堂へ連れて行った女の家に行き、そのあとのことを聞きだしました。
「あちらのお方は、お屋敷に帰ったあとも、ぐったりとして何か分からないうわごとを口にするばかりで、すぐに死んでしまうように見えたそうです。『何があったのか!』と周りの方が声を掛けましたが、一言もお答えになることができないまま。家の主さまも騒ぎに気が付かれ、驚いていらっしゃったとか。ただ、しまいには、治る見込みが無いということで、身寄りがいらっしゃらなかったあのお方は、すぐに作られた仮の小屋へ入れられ、そのまま亡くなりました……」
 大夫は、とても驚き、実は昨夜このようなことがあったのだ、と女に話し、また、
「あんな、鬼が住んでいるところに私たちを連れて行ったのか。こんなむごいことをして!」
 と責めたのですが、女も、まさか、そのようなところだとは知らなかったと答えるばかりで、こうなってしまってはどうしようもない、とそれきりになりました。
 このお話は、大夫みずからが、年老いてから語られたことだと、聞き伝えられています。そのお堂ですか? ええ、いまでも残っていて、七条大宮の辺りにあるとか……。それより他は、詳しく存じ上げません。
 そのようなことがありましたので、人が居ないと言われている古いお堂には、泊まってはいけない、と語り継がれております。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第16話「正親の大夫□、若き時鬼に値ふ語」の現代語訳です。
 見出しでは「鬼」という単語が使われていますが、本文には「鬼」は出てこなくて、古いお堂に「女房」(と、お供の少女)が出てきます。編者が「『女房』の正体は『鬼』だろう」と考えて、その見出しになったのでしょう。
 ただ、状況はとてつもなく怖いです。真夜中のデートでひとけのないところを選んだら、物陰から、少女を連れた、いかにも位の高そうな女の人が出てきて、『なぜ、ここに入ってきた? ここは私のおうち。昔々から人は来ない。……早く、去れ。悪いことが起きても知らない」と言われるのです。
 その後、つい先ほどまでイチャイチャしていた彼女は、汗を大量に流し、足はふらふら。どうにか家に送り届けられたものの、命を落としてしまいます。恋人が亡くなる場面は、「すぐに作られた仮の小屋へ入れられ、そのまま亡くなりました」と訳しました。ここの原文は、「仮屋ヲ造テ被出タリケレバ、程モ無ク死給ヒケリ」です。意識朦朧、体力低下状態の人を、小屋に閉じ込めるなんて残酷に思われますが、注釈には、「死穢を避けるために仮の小屋を造って。回復の見込みのない病人を家の外に出す例は→巻二六・20、巻31・30」とあります。周りの人が「死の連鎖」を避けたいと考えたためで、当時の習慣で珍しくなかったようです。
 以前からある建物に「もののけ」が出る話は、巻27第2話でも訳しました。第16話は、それと裏返しの物語になっています。第2話では、宇多院が建物の所有権を主張して、源融の亡霊を一喝して退散させました。こちらは、「女房」が「丸ハ此ノ主也。何デカ主も不云ズシテ、此ハ来レル」と大夫を淡々と詰めます。真夜中に、得体のしれない女房(のように見えるもの)にそんなふうに言われたら、とっとと逃げるしかありません。第2話の源融の亡霊を改めて考えると、宇多院に「源融か?」と質問されて、「はい、そうです」と素直に答えたのが源融の敗因かもしれません。人は「正体が分からない」ものを恐れるのですから。
 女房の正体は全く分かりませんが、正親の大夫の正体もあいまいです。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの『鈴鹿本 今昔物語集』を見てみましょう。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 画像通し番号457の3行目の見出しと、4行目の本文冒頭とに不自然な部分があります。3行目「正親大夫 若時値鬼語」、4行目「今昔正親ノ大夫 ノ ト云フ」と、空白が入れられています。これが『今昔物語集』の大きな特徴「欠字」です。編者がわざと空白を入れたと考えられています。第16話では、正親司という役所に勤めていた大夫の「○○さん」にしているのです。
 なぜ、編者はこのようなことをしたのか。どうやら彼は「分かる限りは固有名詞を書きたい」と考えていたようです。ただ、第16話を編集していた時、「正親の大夫」までは分かっていたけど、名前が分からなかった。そこで、「後で分かった時に書き込もう」と保留にして、空白を入れて数文字分空けたとされています。『今昔物語集』には、このような「欠字」(空白)が至る所にあります。
 そうなると、「名前を調べ上げるだけで、そうとうな苦労があるんじゃないの?」と疑問も浮かんできますが、これまた編者のルールがあるようで、「五位以上の官位を持つ人は名前を明記したい」[1]ということのようです。もともと、正親司はトップでも正六位なので、彼のルールでは書かれないはずです。ただ、この話の主人公は「五位」になっていて「大夫」と呼ばれていたため、編者の本名明記ルールが当てはまってしまった(そして、分からなくて書けなかった)わけです。
 現代に出版されている『今昔物語集』の欠字(空白)部分は、「□」を入れて分かりやすくしてくれています。私がここで現代語訳を書くときは、なんとか、工夫やごまかしをして「□」を残さないようにしています。編者と勝負している気分です。


 注
 [1]「固有名詞のうち、資料にないのにあえて本集が書こうとした人名は位が五位以上とされ、名もない民衆レベルは最初から問題にされない。「男」とか「女」ですまされる。」(『今昔物語集を学ぶ人のために』301ページ)

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『今昔物語集を学ぶ人のために』 世界思想社 小峯和明編2003年1月20日
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

2020.03.27

二人の妻の見分け方 ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(3)

 今は昔。京に住む使い走りの男とそいつの妻の話だ。ある日の夕暮れ、妻が「ちょっと、そこまで出かけてくるから」って大路へ出かけってった。そのあと、どんどん外は暗くなってくのに、帰ってこない。ほんの先も見えなくなってもね。だから、男は「遅すぎるんじゃないか?」って気がかりでしょうがなかったんだけど、少ししたら、妻は、ふらっと何もなかったみたいに家に入ってきたんだ。
 でも、しばらくして、男は何が何だか分かんなくなるくらいにびっくりした。ついさっき帰ってきた妻と、まったく同じ顔、頭から足の先まで全く同じ姿の女が入ってきたんだよ。男は「二人の妻」を見てるうちに、頭がぐるぐる回ってこんがらがってきた。
「なんなんだよこれ! ……うーん、どっちか一人は狐なんかが化けたやつだろう」
 って考えたんだけど、でも、どっちがどっちか。間違いなくこっちが己の妻だ、っていうのがまるっきり分かんない。あれこれさんざん考えてから、
「後に入ってきた『妻』のやつが、きっと狐だろう」
 と思って、すぐに、男は刀を抜いて、そっちの「妻」に飛びかかって切り捨てようとしたんだ。そしたら、その「妻」が、
「どうしてっ! なんで私にそんなことを!」
 と声を上げて泣き出したもんだから、男は向きを変えて、次は、先に入ってきた「妻」を切ろうとした。やっぱりそっちも、もう一人の「妻」と同じようなことを言って、手のひらをすり合わせて、わんわんと泣き出してしまった。
 「二人の妻」が大騒ぎして、男はどうしたらいいか、もっと分かんなくなって、三人揃って、ああだこうだと騒いでいるうちに、頭が煮えてしまったんだろうな、そのうち、「やっぱり、前に入って来た『妻』が怪しいな」って思えてきたから、そっちの「妻」に飛びかかってひっ捕まえた。
 そしたら、その「妻」が、そりゃあ酷く臭いおしっこを、びゃーっ、と霧みたいにして、男に引っ掛けた。
 あんまり臭かったから、男は堪えきれなくて、捕まえていた手を離したんだよ。そしたら、おしっこを引っ掛けた「妻」は、ぱっと狐の姿に戻って、開けっ放しになってた戸から大路に飛び出て、「コン、コン」と鳴いてから、暗闇に消えていった。それを見て、男は腹立つし、悔しいし。けど、そうなったらどうしようもないよね。
 この話、落ち着いて思ってみると、男はちょっと考えが足りなかったんじゃないかって。だって、少し頭を働かせたら、二人の「妻」をどっちも捕まえて、柱にでも縛りつけておけば、そのうち、狐が音をあげて元の姿を現したんじゃないかな。それが出来なかったどころか、思い付くことさえなくて、狐をあっさり逃がしてしまったんだから、そりゃ、悔しいよ。近くの家の人たちも集まってきて、大騒ぎしながら、
「狐のやつ、しょうもないことするなあ。命がけでするようなことじゃないのに。でも、なんとか生きて逃げることができたわけだ。おおかた、妻が大路を歩いているのを見て、だましてやろうって軽く考えて、化けて来たんだろうな」
 なんて話したんだってさ。
 この話で思うとしたら、同じ人が二人いるなんて、おかしなことが起こったら、慌てないで心を落ち着けて、しっかり考えないといけないってことかな。「あやうく、己の妻を殺しかかったんだよ。そうならなかったのは、たまたま幸いだっただけ」
 そんなことを、みんな言い合ったって語り継がれてるよ。

――――――――――

 『今昔物語集』巻27第39話「狐、人の妻の形と変じて家に来る語」の現代語訳です。
 巻27は「本朝付霊鬼」という副題が付いているだけあって、亡霊やら鬼やらが出てくる、恐怖の血みどろ話が続きます。ところが、後半に入ると、猪や狐といった動物も出てきます。これは、編者が、何だかよく分からないものや正体を隠すものをひっくるめて「霊鬼」の巻に入れたと思われます。
 この話は、狐が、ある男の妻に化けて来て、逃げ去るまでのことと、狐対策が書かれています。これ、「化けて出て不思議だね、しっかり考えて気を付けようね」というよりも、始めから終わりまで全て「行動も考え方も乱暴すぎる」と思ってしまいます。男は何の根拠もなく、後に入ってきた方が狐だ、いや、先の方だと考えてたり、いきなり刀を抜いたり(刀で反射させた光が怪しいものを追い払う力を持っていると考えられていたとしても)、狐の逃げ方が排尿だったり、近所の人の感想だったり、二人の妻をどちらも縛り付けてればよかったのにというのも、運が良かっただけだねというのも、全部が乱暴です。でも、その乱暴な考え方をストレートに書くことで、人間臭さを浮き彫りにしているようにも思えます。
 臭いと言えば、妻に化けた狐の逃げ方です。ある種の動物が、ピンチを回避する時に悪臭を出すこともある、という話は知られています。ただ、この話でその流れをまとめると、
 1.男が、先に入って来た妻を拘束する。
 2.捕まえられた妻が尿を放つ。
 3.男に尿が掛かる。
 4.臭過ぎて男が手を放す。
 5.狐が正体を現して、逃げる。
 です。
 2と3の場面は、原文に「其ノ妻、奇異ク臭キ尿ヲ散ト馳懸タリケレバ」とあります。狐に戻ってからではなく、妻の姿に化けたままで、それをしてます。なかなか強烈な絵面です。
 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ『鈴鹿本 今昔物語集』では、画像通し番号483の3行目がその箇所です(巻27第39話は482から483に書かれています)。

 「今昔物語集(鈴鹿本) | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

 「臭キ」ではなく「臰キ」と書かれています。「臰」が正しく表示されていないかもしれません。Unicodeでは、"U+81F0"の漢字です。

 「Unihan data for U+81F0」
 http://www.unicode.org/cgi-bin/GetUnihanData.pl?codepoint=81f0

 原田宗典さんがエッセイで、「『臭』という字は『自らの大』と書くから、『くさい』が伝わってくる」というようなことをお書きになっていたように記憶しています(今、手元に原田さんの本を置いていなくて、どの本かを確かめられません。申し訳ないことです)。『鈴鹿本 今昔物語集』の「くさキ」は、「『自』らの『死』」の「臰キ」なのですから、とんでもないにおいだったのでしょう。「Unihan data for U+81F0」の「kJapaneseKun」の項目を見ると「KUSAAI」とあります。「くさあい」です。伝わってきます。
 ちょっとだけ文法。
 化けた狐の対処方法は「二人ノ妻ヲ捕ヘテ縛リ付テ置タラマシカバ、終ニハ顕レナマシ。」とあります。「Aましかば、Bまし。」は、「もし、Aだったら、Bだったのに。」と、実際にはそうならなかったけど、というのを表します(「反実仮想」と呼ばれてます)。英語の「仮定法過去」の、面倒臰いあれみたいなものです。

・参考文献等
 新日本古典文学大系37『今昔物語集 五』 岩波書店 森正人校注 1996年1月30日(現代語訳の底本。注釈を参照)
 『古語辞典 第十版』 旺文社 松村明・山口明穂・和田利政編 2008年10月24日
 『新英和中辞典 第6版』 研究社 竹林滋・吉川道夫・小川繁司編 1994年11月
 『今昔物語集(鈴鹿本)』 京都大学図書館機構 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00000125

・更新履歴
 2020/03/29
 誤字を修正しました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

| | コメント (0)

«手招きが恐れるもの ―国宝で『今昔物語集』を読んでみよう(2)